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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<2章:銀色の少女>
24/99

 ぱちぱちと囲炉裏で薪が爆ぜる音がする。

 十畳ほどの土の地面には色あせた絨毯が敷かれ、僕はその上に正座していた。

 周囲は剥き出しの岩壁。大きな一枚岩をくり抜いた、岩屋と呼ばれる古い建物だ。

 最初お邪魔した時は、正直、尋問室的なところかと思った。人目につかないし。


 けど、そうではなかった。

 火山の麓、人里離れてぽつんと建つここが、銀髪の少女、ノキアの暮らす場所なのだという。

 川からあがったところで、お礼がしたいと言われて連れて来られたのだ。


 ちなみに現在、濡れた服やら道具やらは焚き火の傍で乾かしていて、遺憾ながら僕はノキアの服を借りている。

 浴衣のように帯で留める一枚布の服は、まことに遺憾ながら十五歳の僕でも着ることができた。

 染色もされていない白い服はぱっと見では女物にはみえない。

 つまり女装じゃないからセーフだと自分に言い聞かせつつ、視線は忙しなくあたりに配る。

 どうにも気分が落ち着かない。


 この岩屋――断じて家ではない――は人が暮らすにはあまりにも殺風景過ぎる。


(どう思う、カルニ?)

『オレに訊くな』


 衝立の向こうで着替えているノキアやお茶を準備しているクランさんの方を気にしつつ、小声でカルニに話しかける。

 絨毯に寝かせた黒塗りの大剣は拒絶しつつも、しばし唸って再び口火を切った。ツンデレか。


『都市から離れて暮らしてるってことはそうする理由があるんだろ』

(それは……そうだろうね)


 人類はなにも好き好んで城邑都市を築いている訳ではない。魔物禍という災害に対抗するために住処を城壁で囲っているのだ。

 転じて、都市の外で暮らす人々は何かしらの理由があってそうしていると言える。

 たとえば、魔神イムヴァルトを信奉する「共食い」だとか、都市を逐われた犯罪者だとか、あるいは――天使(仮)だとか。


『犯罪者って風じゃねえな。クランって女は山岳都市ヴァナールから通ってるようだし』

(じゃあ共食い? このまま待ってたら釜茹でにされるの?)

『そうなったら指差して笑ってやるよ』


 指ないじゃん、というツッコミは辛うじて呑み込んだ。

 ちょうどクランさんがお盆に湯呑を載せてやってきたからだ。


「どうかしましたか?」

「いえ、お構いなく。いただきます」


 手渡された湯呑に躊躇なく口を付ける。

 ほど良い熱さの中に緑茶に似た苦味が溶け込んでいる。どうやら薬草茶らしい。

 懐かしい味にヴァーズェニトでの日々を思い出し、心の中で泣いた。


「けっこうなお手前で」

「……毒が入っているとか、疑わないんですね」

「疑う必要がないですから」


 なぜか驚いた様子のクランさんに笑みを返す。

 完全に自慢だけど、天使ストマックは毒でへこたれるほどヤワではない。身を以って体験したので間違いない。


「そこまで信用していただけるなんて……あの、先ほどは失礼しました、メイル様。

 気が動転していたとはいえ、命の恩人を川に落としてしまうなんて。なんとお詫び申し上げればよいか」

「いえいえ、僕が勝手に落ちただけですから」


 前後の文脈がおかしかった気がするけど、追及するのも野暮なので笑って流す。

 この岩屋が異様だということを、少なくともクランさんは自覚している。それがわかっただけでも十分だ。異文化交流の一歩目としては悪くない。


 そのままノキアの着替えを待ちながら、緊張の解けた様子の彼女としばし歓談する。

 クランさんはノキアのお世話係として雇われている、いわゆる侍女らしい。

 なんでメイド服じゃないのか、という問いは喉元で堪えた。

 代わりに、異文化交流、異文化交流と口の中で呪文のように唱える。

 このあたりはヴァーズェニトから徒歩五年の距離。文化が違って当然だ。


 異文化交流はさておき、考えるべきことは別にある。

 話を聞く限り、クランさんの雇い主は山岳都市ヴァナールの行政府だという。

 つまり、ノキアは都市の意向で隔離されているということになる。

 そのあたりが、この人里離れた岩屋に住んでいるのに魔物に襲われない理由だと予測される。

 どこに地雷が埋まっているか分からないし、会話は慎重に進めよう。


「えっと、彼女が来る前に訊いておきたいんですが、やっちゃいけないこととか、言っちゃいけないこととかありますか? なにぶん旅暮らしが長くて常識に疎いんです」

「……いえ、特にありません。ノキア様をご存じでないのなら、それでいいのです」

「呼び捨てにして欲しいっていうのも?」


 クランさんに倣って様付けして呼んだら、やんわり頼まれたのだ。

 浮世離れした雰囲気に呑まれてつい承諾してしまったけど、明らかに普通とは違う扱いをされている彼女にどう接するべきなのか、いまだに僕は迷っていた。


「そうですね。できれば同年代に接するように気安く。ノキア様も歳の近い方に会うのは久しぶりなのです」

「フランク……えっと、親しげにってことですか?」

「!! ええ、是非ともそうしていただければ!! こちらからもお願いします」

「お、おう……」


 嬉しそうに肯定されてしまって、咄嗟に反応が返せなかった。

 言うだけ言ってみたけど、初対面の相手に親しくとか難しいこと言うなあ!!

 こちとら旅暮らしで人類とまともに会話したの久しぶりなんだぞ。もっとイージーなミッションから始めてくださいお願いします。

 ……などと文句を言う訳にもいかず、善処しますとだけ答えて僕は薬草茶をすすった。お茶おいしい。


「お待たせしました」


 しばらくして、衝立の向こうからしずしずとノキアがやって来た。

 その姿を見てどきりと心臓が鼓動を鳴らした。

 彼女は色とりどりの布を重ねた、十二単のような服を着ていた。

 銀の髪も緩く結いあげ、さながらお姫さまのようだ。

 彼女が一歩ずつゆっくりと進むたびに空気が華やぐ。

 着替えに時間がかかったのはこのせいか。殺風景な岩屋にはまるで不釣り合いだ。

 しかし、このお姫さまスタイルに気安く接してくれっていうのも根性の要る話ではなかろうか。


「暑くないの?」

「他に服がないので……」


 対面に座ったノキアは、他に、の部分でちらりと僕の着ている服を見遣った。

 そうだよね!! 年頃の女の子が男に自分の服着られたら普通はドン引きだよね!! 

 ノーと言えずに着ちゃったけど、さすがに申し訳ない気持ちになった。


「同じ物を買ってお返しするので許してください」

「あ、いえ、そうではなく。冒険者というのはもっと荒々しい雰囲気だと聞いていたので……」

「そりゃあ仕事するときはそうですね」


 僕は身バレ(天使製)の危険があるのであまり受けたことがないけど、旅の護衛も冒険者の主業務だ。

 そして、強く見せることは襲撃を防ぐ第一歩でもある。

 多少の知能のある魔物や心を食い尽されていない盗賊は、あからさまに警戒している相手に突っ込んだりはしない。


「まあ、そんなの関係なしに襲ってくる輩もいるから、実力はまた別に必要なんだけど」

「……メイルさんは冒険者になって長いんですか?」

「メイルでいいよ。五年くらいだから、まだまだ新米だね」

「五年で新米、ですか」


 冒険者は魔物の領域、弱肉強食の世界に踏み込む職業だ。

 十年生き延びて初めて一人前を名乗れるのだと、冒険者酒場で管を巻いていたおっちゃんたちは言っていた。懐かしい。みんなまだ生きてるかな。


「その様子ですと、メイルさ……メイルはひとりで旅をしているのですか?」

「そう見える?」

「はい。よければ旅のお話を聞かせていただけませんか。服が乾くまでの間だけでかまいません。わたしはこの岩屋暮らしが長いので、なにも知らないのです」


 だから自分のことは訊かないでくれ、ということかな。

 あきらかに事情がありそうだし、仕方ないか。

 それに、久しぶりの人類とのまともな会話だし、こっち主導で話せるのは楽だ。

 願わくば、孤児院で培った読み聞かせスキルが錆ついていないといいのだけど。


「では、山亀に遭遇した時のことをお話ししよう」

「山亀というと、愚神サイラスがひっくり返したという、あの魔物ですか?」

「その魔物です。本当に山みたいな大きさだった」

「まあ!」


 開いた口に手を当てて驚いた表情を見せるノキア。

 その反応ナイスだね!! 会話のツボを心得ていらっしゃるようでなによりです。

 ……なにも知らないというのは謙遜だな。

 少なくとも、マイナーな神話のエピソードについても知識がある。

 心の中で、話の対象年齢を引き上げる。


「山亀には旅の途中でとある村邑に立ち寄った際に遭遇したんだけど――――」


 ………………。

 …………。

 ……。


「それで、村人総出で鏡を持ち寄って、集めた光を山亀の顔に当てること三日、ようやく彼も起き出した」

「ずいぶんのんびりした魔物なのですね」

「うん。だけど、起きるとこれがまたしゃきしゃき動くんだよ」

「山みたいな大きさで?」

「山みたいな大きさで。一歩歩くごとに地震みたいに揺れて、慌ててみんなで逃げたんだ」

「それは……大変でしたね」


 しみじみと頷きながら、前髪に隠れていない左目を丸くするノキア。

 我ながらネタのチョイスは悪くなかったな。アルキメデスさんに感謝だ。


「最後は締まらなかったけど、そんなこんなで道を塞いでいた山亀はいなくなって一件落着。ご静聴ありがとうございました」


 僕が大仰に一礼すると、ノキアがパチパチと拍手してくれた。

 その背後でなぜかクランさんが涙ぐんでいる。今の話にお涙頂戴するところなかったですよね?

 あ、いや、もしかしてノキアが普通に会話したことに感動してるのか。

 どんだけ隔離されて育てられてるんだよ……。


「すごいです。メイルは大冒険をしてきたのですね」

「旅をしてればこのくらいは日常茶飯事だよ」

「あ……そうなんですか」


 しまった。余計なこと言っちゃったか。

 ちょっと落ち込んだ様子のノキアに何と言うべきか迷う。


「あー、その、外の世界は危険もいっぱいあるから、生き残ってる冒険者には逸話があるものだよ」

「……魔物がいるからですね」

「うん。僕もまだいくつか話のタネがあるけど――」


 ちらり、とクランさんを見遣ると、彼女は涙を拭って頷きを返した。

 服はもう随分と前に乾いている。


「ノキア様、そろそろ日が暮れます。こちらにメイル様をお泊めする用意もございませんので……」

「あ、すみません。長々と引きとめてしまって」

「いえいえ。僕も久しぶりに人と話せて楽しかったよ」


 自分で言ってて悲しくなってくるな、これ。

 とはいえ、女所帯に泊まり込むのも悪いし、ここらでお暇しよう。

 名残惜しげなノキアを宥め、道具類を背嚢に詰め、着替える。


「服は近いうちに新しいものを持って来ます。これでも裁縫は得意なので」


 実際には“昇華(アセント)”で造るつもりだけど、そこは黙っておこう。

 物が物なので、詫びチートのことはあまり公にしたくない。

 なお、バンバン使っているので今さら、という説もある。

 けれど、ノキアはふるふると首を横に振ると畳んだ服をそっと差し出してきた。


「構いません。その服も差し上げますので、どうか旅の役に立ててください」

「でも、それだとノキアの着替えがなくなるような」

「わたしが何着も持っていても仕方ありませんから」


 不思議とノキアは頑なだった。クランさんも構わないのと言うので、そのまま押し切られてしまった。

 ぐぐ、ノーと言えない自分が不甲斐ない。

 できれば次に会う口実にしようと思ったのだけど、仕方ないか。あまり食い下がっても迷惑になるだけだ。

 ……ノキアは名残惜しい雰囲気の割に、次に会うことを恐れている節がある。

 なにか、そう。例えば、僕がヴァナールに行った後では会うのに都合が悪いとか、そういう理由がありそうだ。

 もちろん、僕は空気が読めるのでわざわざ突っ込んで聞いたりしない。社会の闇からは積極的に目を背けていくスタイルだ。


「それでは、これで。またいつかお会いしましょう」

「はい。そう願っております」


 別れの挨拶を交わして、不思議な岩屋を後にする。

 途端、傾きかけた日差しに照らされて、思わず目を細めた。

 囲炉裏があるとはいえ、岩屋の中は少々暗かった。ノキアが真っ白いのもそのせいか。

 謎の納得を覚えつつ、入口まで見送りに来た二人に手を振り返す――



 ――瞬間、背筋に怖気が走った。



『どうした、メイル!?』

「……あとで」


 僕の急変を感じ取ったカルニを言葉少なに制し、どうにか表情を取り繕う。

 何事もなかったように、へらへらした顔で手を振ってその場を後にする。


 フェネクス火山を背に、岩屋が見えなくなるまで約五分。

 ゆっくりとした歩調を心がけ、十分に離れたところでようやく息を吐く。

 僕の異変は、彼女たちにバレただろうか。

 どうだろう。クランさんは節穴、もとい思い込みが強いから大丈夫な気がする。

 けど、ノキアは、あの不思議な少女には悟られたかもしれない。


 吐きそうだ。クソ、気付かなければよかった。



 ――あの岩屋には、()()()()()()()()()()()()()()()()





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