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黒オーガが背中を向けていたのでこれ幸いとナイフぶち込んだところ、あっけなく刀身を砕かれた。
延髄狙いの不意打ちが見もせずに裏拳で迎撃されたのだ。
背中に目でもついてるだろうのか。魔物なら有り得そうだから油断ならない。
「何してるの!? 逃げなさい、メイル!! こいつは“人喰い”、人間の動きを読みます。私たちでは敵わない!!」
「ごめんなさい、先生。それはきけません」
先生と問答している余裕はない。
紋章起動。金色の光が灯ったのを確認しつつ、右手を黒オーガに叩き込む。
「ガキ、邪魔するな」
けれど、“昇華”するよりも早く、無造作にかち上げられたオーガの膝が腹に突き刺さった。
ばきんと肋骨の折れる音がした。洒落にならないくらい痛い。
でも、痛いだけなら我慢できる。丈夫に作ってくれた天使さんに感謝だ。
「ガッ……ハッ、邪魔するさ。その人を殺させは、しない」
右手はブラフだ。
一撃貰った間に、先生と黒オーガの間に割り込む。
先生を背に庇う。これで、少なくとも目的の第一段階は達成した。
「メイル……!!」
「逃げてください、先生。ちょっとお見せできない事態になりそうです」
言ってはみたものの、敵から視線を切らぬままに先生の状態を確認すれば、左手と左足があらぬ方を向いている。自力での逃走は無理そうだ。
やりやがったなこの野郎と睨みつける。野生動物相手は目を逸らしたら負けだ。
「……ナルホド。ナリは小さいが戦士だったか。失礼をした。謝罪しよう」
一方の黒オーガは横槍に怒ることもなくそんなことを宣った。
意外と理性的だな。けど、だからこそマズい。
暴力は合理的に振るわれるほどに手のつけられないものになる。
先生が手も足も出ないような相手に理詰めで攻められたら、僕ではどうすることもできない。
――今のままでは、まだ。
「死を決しているな、小さき戦士。だが、手はあるのか? オマエにオレと戦う術はあるのか?」
「――――」
先生は言っていた。こいつは“人喰い”だと。
その呼び名は吟遊詩人の詩にあった。
人を喰らう魔技の鬼。過去に大規模な討伐が組まれたと聞いたけど、まだ生き残りがいたのか。
動きを読むというのは、おそらく視覚か聴覚、あるいは嗅覚。そのあたりが対人用にチューンされているのだろう。
前世でも、狼が匂いで獲物との距離や状態を把握すると聞いた覚えがある。
だけど、人間の動きを読む、それが先生の敗因なら、やりようはある。
ここで勝てなきゃ先生諸共喰い殺される。
それは嫌だ。嫌だから――覚悟を決めよう。
僕はまだ生きていたい。先生を死なせたくない。
だから――だから、命までは賭けてみせる。
「さあ、どうする!!」
「こうする」
その瞬間、僕は右手を自分の胸に押し当てた。
天使さんに貰った詫びチート、存在干渉系の魔技“昇華”。
その効果は『右手で触れたモノを変化させる』。対象の存在強度に比例して高い効果を発揮する。
それを生物に使ったら、どうなるか。
答えは既に示されている。
――死した命は七柱の【創神】の御許に送られ、そこで死後の位を得る。
――生前に偉業を達成していた場合は創神によって【亜神】と呼ばれる存在に引き上げられる。
僕の想像が正しいのなら、いけるはずだ。
神には届かずとも、人間の次のステージへいけるはずだ。
そして、僕の視界は黄金の光に包まれ、次の瞬間、ふっと意識が遠のいた。
◇
気付けば、真白い空間にいた。
目の前には炎で形作られた二重の螺旋階段。
この階段を登らないといけない。どうしてかそんな思いに駆られ、足を踏み出す。
かつん、かつん、と硬質な音を立てて階段を登っていく。
炎に触れても熱さはない。ただ、登り続けなければならないという思いだけが胸を焦がす。
そうして、見上げても果てのない螺旋階段を登っていると、ふとこれまでの記憶が脳裡をよぎった。
記憶すら薄れた平凡な日々、微かに残る孤独感、七階にトラック、転生、孤児院、先生、弟妹たち――――。
これって走馬灯じゃない?と気付いた時には既に回想は終わっていた。
螺旋階段もちょうど踊り場にさしかかっていた。
なんとなく、今の僕が登れるのはここまでなのだとわかる。
そして、足を踏み入れた踊り場には先客がいた。
背中に翼の生えた金髪の天使。彼はどことなく呆れた表情で僕を出迎えた。
『長生きしてくださいと言ったはずですが』
「一発殴っていいですか」
『お断りします。私の管轄は転生させるところまでですから』
「……そこまで徹底してると、いっそ清々しいですね」
『お褒め戴きありがとうございます』
ひにくはこうかがないようだ……。
とはいえ、天使さんの言うことに少しだけ安心した。
彼の管轄が転生させるところまでなら、彼は僕のお迎えではない。
つまり、僕はまだ死んでいない。
うん、少しずつ理解してきた。ここは“昇華”の過程が視覚化されたものだ。
これまで言葉の通じる相手を昇華したことはなかったから、知ることもなかった。
けど、だとすれば、やることはひとつだ。
『あまり時間はありません。単刀直入に言いましょう。私が必要ですね?』
「ええ、最高のタイミングでした」
同じ琥珀色の瞳でみつめあい、にやりと笑みを交わし合う。
魔技はイメージに従って結果を生み出す。
イメージがあやふやだと出来は散々なものになる。
だけど、実物が目の前にあればそれなりのコピーが作れる。
この天使によく似た天使製ボディを昇華するのなら――
――その完成形はやはり、オリジナルを手本とするべきだ。
もう一度、金色の紋章が輝く右手を自分の胸に押し当てる。
僕は自分自身を昇華する。
“昇華”の効果は素材の質に比例する。天使が手ずから創ったこの体は素材としては最上だろう。
創造するのは【天使】。慇懃無礼なリコール隠し天使――
「あれれー、あんまり強そうにみえないぞー」
『仕方ありませんね。ちょっとだけですよ』
天使さんは苦笑し、次の瞬間、ほんの一瞬だけその姿を変えた。
羽化するように無数の翼が開き、宙にいくつものまなこが浮かび上がる。
本体は人の形を喪い、黄金の光を纏う“炎の柱”として顕現する。
雲のような万の翼と、星空のような万の瞳、そして力の根源たる炎の柱。
それこそが、この天使の本来の姿なのだろう。
「――――」
僕は言葉もなくその絶対的な姿を見つめていた。
これが、この体が行き着く最果ての姿。
クリーチャーじみた外見だけど、グロテスクさはなく、ただただ神々しい。
放たれる黄金の光は僕の魔技の比ではない。あまりの眩しさに目が焼かれそうだ。
それでも、目を閉じることはしない。
その姿を、その輝きを、この目に焼き付ける――――!!
『参考になりましたか?』
「ええ、とても」
無心で集中しているうちに、いつのまにか天使さんは元の姿に戻っていた。
昇華を維持しつつ、無意識に安堵の息を吐く。
頼んだのはこっちだけど、ちょっと存在のスケールが違い過ぎた。
「天使さんってけっこうノリいいですね」
『一説にはメタトロンは人から昇華した天使といいます。貴方の生き方に思うところがないでもありません』
「……」
呟くような言葉に、思わず神妙な表情になる。
天使さんは転生させるところまでが管轄だと言っていた。
なら、もしかしなくても、この時間は彼の厚意だったのだろう。
『異世界での生活はどうですか?』
そうして肉体を昇華させている間、世間話のように天使さんが話を振ってきた。
面と向かって訊かれると少し気恥ずかしい。
「いつもお話ししてるでしょう?」
『だからこそです。貴方は負わなくてもいい苦難を背負い、だから今ここにいる。一概に幸福と言える日々ではなかったハズです』
「それでもですよ。天使さんには感謝してます。ホントですよ?」
この世界に来て、この世界で生きて、楽しかった。充実していた。
もちろん、楽しいことばかりではなかった。辛いこともあった。苦しいこともあった。
自分の生まれに悩んだこともあった。天使さんに文句を言いたいことも、それなりにあった。
それでも――
「――僕は幸せでした」
だから、ここで、人間でなくなっても悔いはない。
先生や、リタ、孤児院のみんなに受けた恩を返せるなら、それでもいい。
その覚悟がきっとイメージを完成させる最後のピースだったのだろう。
昇華が完了する。
さよなら第二の人生、こんにちは人外ボディ。今後ともよろしく。
それはともかく、天使さんにきちっと頭を下げる。
面と向かって会える機会はもう訪れないかもしれないから、ここできちんとお礼を言っておこう。
剥き出しの精神で対面している以上、大仰な言葉は必要ない。
ただ一言、そこに精一杯の気持ちを込める。
「ありがとうございました、メタトロン様」
『お構いなく。これもお詫びの一環ですから。私のできる範囲の、ですが』
「これからどうしろとかありますか? 異世界に信仰を広めろ、とか?」
『私は貴方に指図するつもりはありません。どうか望むままに、よく生きてください』
天使さんはそう言って、琥珀色の目を細め、穏やかに微笑んだ。
こういう時だけ天使っぽいのはほんと卑怯だと思う。
よく生きる、か。簡単なようで難しい命題だ。
そもそも、なにをもって「よく」なのかもわからない。
でも、不安はない。第二の人生には家族がいて、弟や妹がいて、それから詫びチートもある。
これだけ貰っておいてできないなどと泣き言は言えない。
頑張ろう。僕はよく生きてみせる。
まずは――黒オーガをぶっとばす。
何を敵に回したか理解していないあのヌシに、おめき声をあげさせてやる。




