56目覚めるために
キメラウィルス怪物が蒸発しても、戦場は騒々しかった。
精神汚染の余波が人々に重くのしかかり、誤射が誤射を呼び、戦場は無秩序な砲火の嵐となる。
アクセンブル社セファタタ星系支社の警備艦隊を中心とした脱出船団は、キメラウィルス怪物が出現した段階で戦場からの脱出を済ませており、精神汚染の被害を受けることはなかった。
ただ、望遠カメラで戦場の様子を記録していたセンダナルのような一部の者は、被害を受けることになる。
リリスミアも戦場からの脱出が間に合わずに精神汚染を微弱ながら受け、軽い頭痛に悩まされている。
爆心地のすぐそばにいたイオやヴィルダも当然ながらその影響を受けている。
魔法を使用した後、即座に戦闘機に合流したイオは、混乱中のヴィルダに強制終了を命令し、引っ張って工房艦グランダラまで撤退した。
それが限界で、イオはそのままドックで倒れるようにして眠った。
一人残されたママスカヤは、センダナルとイオを医療ポッドに、ヴィルダをメンテナンスドックに放り込み、いつも通りに工房艦グランダラを動かした。
ママスカヤが無事でなかったら、警備艦隊から救助隊が駆けつけてきたことだろう。
センダナルは一日の睡眠で復調し、記録した戦場の解析を始めた。
イオが目覚めたのは三日後のことだった。
リーンガロ星系の交易コロニーに到着したことを確認した支社長と警備艦隊の司令は、ここで作戦は完了したとして脱出船団の解散を宣言する。
船団間にあった様々な契約などの精算が行われる中、工房艦グランダラは交易コロニーのドックにも入らず、警備艦隊に守られる位置で停留を続けていた。
センダナルは大興奮だった。
「すごいねあれは! なにが起こっていたのか解説してくれるかい?」
二日酔いのような頭痛がまだ残っている。
鎮痛薬をすでに飲んでいるのだが、効果を発揮する様子はない。
「いまじゃないとダメか?」
ママスカヤに病人食だと言って渡された、生ぬるいシェイクのような謎の飲料を飲みながら、イオは無意味な質問を一応は投げかけた。
「ダメ!」
返答は予想通りだった。
「もう二日も答えを聞くのを我慢したんだ。さあ、早く早く」
「……あれは俺の中の魔法に関する知識と、異世界やその前の地球にあった記憶を混ぜ合わせてヴィルダが創った、完全に新しい魔法だ」
「なんだって?」
「この世には存在しない事象、神を創造し、そこにある破滅的空間に対象物体を叩き込んで破壊するという方法だ」
イオの説明は続く。
地上を生きるだいたいの生物なら、活火山の噴火口に放り込むことができればガスと熱によって滅ぼすことができる。
宇宙規模の生物だったとしても、ブラックホールに放り込むことができればおしまいだろう。
そこまでならイオの知っている魔法を大規模に行うことで可能でもある。
だが、ヴィルダはさらにその先を望んだ。
ただのブラックホールでは満足できない。
より確実な破壊。より確実な消滅を望んだ。
その結果、イオの記憶にある、目覚めることによって世界が崩壊するという想像上の神の存在を探し当て、それを実現させる方法を考え出した。
既存の魔法言語ではそれを実践するのは不可能だと、新たな魔法言語まで作り出してその実現の方法を演算によって導き出し、完成させてしまったのだ。
「とんでもない話だ。だが、創った魔法の制御のことまで考えていなかったみたいだな」
いや、あるいは、魔法がヴィルダの想定を超えただけかもしれない。
領域を設定したあの結界は、彼方と此方を明確に線引きしていたはずだ。声だけであっても外に漏れ出すなど、本来はありえない。
だが、そうなってしまった。
「ヴィルダは?」
イオが視線を巡らせてもヴィルダの姿はない。
「まだ目覚めません」
返答したママスカヤの声に、イオはわずかな戸惑いを感じた。
「そうか」
「こちらから観察する限り、明らかな不具合は発見されていない。なにかが、ヴィルダの目覚めを邪魔していると思うのだけれど、それがわからないんだよ」
センダナルまでそう言ったことでただごとではないのだと察したイオは、自身の記憶を掘り返す。
「……強い魔法の制御に失敗した結果、自身の精神を吹っ飛ばす魔法使いというのはよくいる。あるいはヴィルダはその状態なのかもな」
「そういう場合はどうするんだい?」
「そうだな……やってみるか」
頭痛は消えない。
だが、それどころではないのならやるしかないと、イオは立ち上がった。
メンテナンスドックから出されたヴィルダは、イオの部屋のベッドに移された。
イオは親指の爪で人差し指の先を切るとその血をインクとして、下着姿のヴィルダの額に指を置く。
「血は契約なり、命の根源なり」
その文言とともに額から指を下げる。
鼻筋を通り、唇を行き過ぎ、顎を抜け、胸に至り、そのまま下腹部に到達する。
そこからさらに右手、左肘、左手、右肘、左肩、右肩へと線を繋ぎ、繋がっていない他の部分を補完した上で、額から足の指先まで引き下ろす。
「生命の息吹は隠れたる神とともにあり、隠れたる神とは汝なり、名は契約なり、血は契約なり、名は形なり、生命とは名と血である」
イオの指が離れる。
ヴィルダに描かれた血の線が光を放った。
「さあ、いまこそ汝の名を唱えよ。それこそが汝なり。汝……」
その瞬間、イオの内部でなにかが起きた。
口が、別の名を吐こうとした。
だが、それをグッと抑え込み、正しい名を呼んだ。
「汝、ヴィルダなり」
脳の内側を掻きむしるような頭痛に襲われながら、光を放つ血の線がヴィルダの体内に沈んでいくのを見た。
そして、その口が小さく動き、うめくのを見た。
ヴィルダの瞼が開こうとしたその時、今度はイオの意識が激しい頭痛の中に沈んでしまった。
「残念、うまくいかなかったか」
夢の中で、フィーリーアがそう言った。
「あなたの記憶から私を再構築して現世に再出現する。そんな実験をしてみたかったんだけど……あなた自身に邪魔されちゃったか。ううん残念無念」
その言葉に驚きはなかった。
むしろ、フィーリーアならやりそうだなとさえ思った。
「まぁ、そんなことを思いつけたこと自体、すでに実験が成功しているってことだからね。機会はまだあるかな?」
そう言って、フィーリーアが笑う。
「それにしてもとんでもない魔法を作ったものだね。ヴィルダちゃんだっけ? 機械知性の高速演算を使えば、私たちが一万年かけても辿り着けないような境地にもいけるのかも。面白いわねぇ。私、機械知性になりたいかも」
そんなフィーリーアはなにかに座っていた。
なにか……目を向けると、それは澱んだ灰色の塊だった。
潰れた球状クッションのようなそれは、それ自体に意思があるように蠢いている。
こちらの視線に気付いて、フィーリーアがそれを叩くと、ビクンと反応した。
「これ? あなたに侵入したキメラウィルスよ」
とんでもない事実をあっけらかんと言ってみせる。
「あんな熱烈なキスシーンを利用して入り込むなんて小狡いわよね。横取りしか考えられない女なんて……まぁ私も女について語るほど詳しくないか」
言いかけた言葉を飲み込み、フィーリーアは「あははは」と笑う。
その手が球状クッションを撫でると、炎が発生し、キメラウィルスが燃え始めた。
キメラウィルスの悲鳴が響く中、フィーリーアは立ち上がる。
「しかし、これでいよいよヴィルダちゃんには手を出しづらくなったわね? ううん、私が戻って慰めてあげたいけど、このままだと結局ヴィルダちゃんと同じになっちゃうし、なにか作戦を考えないとね。じゃあね、また今度」
フィーリーアがひらひらと手を振る。
それで、夢が消えた。
目を覚ますと、涙目のヴィルダが胸の上にいた。
だから変な夢を見たのかと納得し、イオはその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「イオ?」
「おはよう」
「うう……イオ、無事でよかったよう」
「無事じゃなかったのはお前なんだが?」
「でも、その後で倒れたんだよ? 大丈夫? なんともない?」
「なんともない」
そう言ってから、頭痛が消えていることに気付いた。
頭の中がすっきりとしていて、体を起こすのも億劫ではない。
「むしろすっきりしたな。体内で魔力過多にでもなっていたのかもしれないな」
不調の原因をテキトーに推測しながら起き上がる。
「イオ!」
「どうした?」
体の調子をたしかめているとヴィルダが大きな声を上げた。
イオが振り返ると、決意を固めた顔をしている。
「私決めたよ。ここの交易コロニーで、成人マインドにアップデートするよ! それで……」
「ああ、そのことだがな」
なにを言いたいのかわかり、イオはそれを止めた。
「なに?」
「いよいよ、お前を抱くのは無理になったかもしれん」
「なんで⁉︎」
「さっきの目覚めの魔法はな。本来なら施術される者の血を使うんだ」
当人の名と血を使用して、肉体から離れた精神を呼び戻す儀式魔法でヴィルダを起こした。
だが、機械知性のヴィルダに血は流れていない。
ヴィルダの肉体はバイオ部品が多いので血液代わりの液体が流れているが、それが血に値するとは思えなかった。
なのでイオは自分の血を使った。
「俺の血を使い、その血はお前の体に入り込んだ。つまりはお前は、魔法的解釈で言うならば俺と同族になったということになる」
「同族?」
「まぁ、この場合、妹かな?」
「はぁ⁉︎」
「妹を抱く気にはならんなぁ」
「なんでよ!」
「諦めろ」
「うきぃぃぃぃっ!」
猿になったヴィルダの叫びを聞きながら、イオは急激な空腹感に腹を撫でた。
「とりあえず、飯にしよう」




