不似合いなカーニバル 6
「ここだよ、早く」
ランベルトの指示通り子爵邸の庭の一角を探索すると、ごく最近に埋め戻された跡があった。
警備隊によって掘り起こされるうちに、そこから人の遺体らしきものが徐々に姿を現してゆく。
「あのおばさんに身請けされた子だ。結局、役立たずは処分されちゃったわけだ」
警備隊の作業風景から目を逸らし、ロメオはおもむろに口元を押さえる。
「ばれないように処理したつもりでも、あの子の鼻はごまかせなかったみたいだね」
人の鼻を持ってしても判別可能な腐臭が、裏庭を覆い始めていた。
ロメオは凄惨な現場に耐え切れなくなったのか、絶叫しながら遠くに走り去ってゆく。
赤く染まった瞳で遺体を見つめるその姿は、ランベルトなのか子犬のままなのかはわからなかった。
逃げ出すこともせず、ランベルトは涙を流しながら「遅くなってごめん」と何度も繰り返す。
「僕を可愛がってくれてた人だったんだ。でも、殺された。僕は、何もできなかった」
ランベルトはすすり泣きながら、力尽きたように座り込んだ。
鉄格子の中に閉じ込められた自分の目の前で、ロッカに似た背格好の少年が無残にもいたぶられ、次第に動かなくなっていく風景がランベルトの視界に広がっていた。
そして地下室に響く人間の女性の病んだ笑い声と、脳を刺激する甘い香りも。
「殺してやる」
連行される子爵夫人の姿を見つけるやいなや、ランベルトは血走った瞳を見開いたまま走り出した。
子爵夫人は一心に向けられた殺意に恐怖を感じ、錯乱気味の悲鳴をあげる。
「やめろ!ランベルト!」
ランベルトの獣じみた咆哮にヴィンチェンツォの声はかき消され、その場にいた屈強な警備隊の面々ですら思わず怯むほどである。
数人がかりでランベルトを押さえつけるが、ランベルトの力に誰もが驚愕する。
背後から護符を手にして近づく気配にランベルトは必死で抵抗し、瑠璃を庇ったクライシュの手に思い切り噛み付いた。
喰いちぎられる、とクライシュは苦痛に顔を歪ませながら、とっさにランベルトの鼻先に護符を突きつける。
怯えたように引き下がりながらも、ランベルトは怒ったような唸り声をあげ続ける。
瑠璃は血の滲むクライシュの手の甲から、ランベルトの禍々しい瞳に視線を移す。
物心ついた時から、自分は知らず知らずのうちに異形のものと共存して生きてきた。
寂しさから地上を彷徨う無害なものもいれば、明らかに悪意を持ってこの世に干渉するものもいた。
自分は、あらゆる実態を持たぬ魂だけの存在に慣れたつもりだった。
けれどランベルトの中に潜むもう一つの魂は、子どものような無邪気さと同時に残忍さを兼ね備えていた。
瑠璃は、純粋に戸惑っていた。
自分の役目は一刻も早くランベルトを解放してやることなのだ、とわずかに沸き起こる同情心を消し去るべく、瑠璃は敢えて冷たく言い放つ。
「そこにあるのは朽ちた抜け殻だけです。あなたのお友達は、ここにはいない。そしてあなたにとっても、在るべき場所ではありません」
「あいつだけ生きてるなんて、許さない」
いいえ、と瑠璃は静かに首を振る。
「僕がこの子と一緒にいてはいけないの。この子だって、力が欲しかったんだ。僕も、自由になる体が欲しかった。それじゃ駄目なの」
「あなたは既にこの世のものではありません。あなたと長くいればいるほど、ランベルトが苦しむことになるのです。一つの器に、二つの心は入りません」
「いやだ。僕は死にたくない。ランベルトだって、僕のことを大事に思ってくれてる。僕らはもう、一心同体なんだ」
瑠璃が何よりも恐れていた方向に、事態が動いていた。
「悪いことしない。いい子にしてる。だから僕、ランベルトと一緒にいる」
無言で自分を見下ろしているヴィンチェンツォの手を取り、子犬はそっと頬ずりする。
「そういえば、故郷にも似たような伝承がありました。古代の王が神から賜った指輪に悪霊を閉じ込めて、それらを下僕のようにこき使う話だった気がしますが」
瑠璃を逆撫でするかのように、クライシュがのんびりと口を開く。
「お前が犬の封印解いたんだから、責任とりなよ。ご主人様」
いつの間にか戻ってきたロメオが、皮肉めいた顔をヴィンチェンツォに向けていた。
「ですよね、今回のヴィンスはちょっと格好つけすぎです」
互いにうなずき合う二人の間で、ヴィンチェンツォの頬がかすかに痙攣したように見えた。
「ランベルトの中は居心地がよいみたいです。本人が主張するようにおとなしくしていられるなら、無理に追い出さなくても」
面倒だからこのままでもいいんじゃないか、という意見がちらほら聞こえ始める中、唯一瑠璃だけが頑なに譲ろうとしなかった。
「ランベルトは強い子じゃないんです。彼は優しさゆえに、流されますから」
「じゃあさ、悪霊に耐えられる屈強な精神を持つヴィンチェンツォ君に指輪を付け替えてもらうように、犬を説得してみたらどうかな。犬もこいつにはなついてるみたいだし」
ロメオの無責任な提案に弾かれ、瑠璃は今までに誰も見たことのない剣幕で「いい加減にしてください!」と激しく頭を振った。
「ルゥ、あなたはそう言いますが、本人も悪気があってのことじゃないんですよ。幼すぎて、自分の現状が受け止められないだけです。落ち着けば天に召される覚悟もできると思うんですが」
「先生のお気持ちはわかります。けれど、例外があってはなりません」
瑠璃の黒曜石を思わせる瞳が、悲しげに瞬いていた。
冷たい人間だと思われても、これだけは譲れない。
自分は、ランベルトを助けたい。
死んだものより、生きているものを未来に繋ぐ橋であれ、と神官であった父がことあるごとに幼い自分に言い聞かせていた。
「……瑠璃ちゃん」
苦しげな声をもらすランベルトは、確かに自分の知っているランベルトだった。
瑠璃は瞳いっぱいに涙を浮かべ、崩れ落ちそうになるランベルトの手を取った。
「ランベルト、大丈夫ですか。どこか苦しいのですか」
「俺、どうしたらいいんだろう。こいつが可哀想で、だけど俺も、体が自由に動かないんだ。風邪引いた時より、辛い」
自分にもたれかかるランベルトの体が、燃えるように熱かった。
先生、ヴィンス、と瑠璃は震えながら男二人を見上げる。
それから、何度も首を振りながら、自分の膝の上で突っ伏しているランベルトの蜂蜜色の髪をぼんやりと見下ろした。
***
ヴィンチェンツォはいつものように、ロッカの様子を伺いに自宅を訪ねる。
ロッカの家はひっそりと静まり返っており、母親は憔悴しきった顔で今日もヴィンチェンツォを出迎えてくれた。
寝室には、子犬達の間で埋もれるように眠っているロッカがいた。
胸に茶色の子犬を抱いて小さく丸まった足元や背中には、ぴったりと寄り添う犬と猫がいる。
ヴィンチェンツォは寝台の端に腰かけ、寝具にくるまって眠り続けるロッカを見下ろしていた。
ロッカの瞼を縁取る豊かな睫毛を黙って見つめ、ヴィンチェンツォは隣で悠々と伸びている猫のお腹を撫でてやった。
ごそりと身じろぎをすると、寝具を頭から被ったロッカはのろのろと身を起こした。
ロッカの足元にいた黒い子犬が不安そうに主人を見上げ、くんくんと鼻を鳴らした。
ロッカのガラス玉のような薄い瞳は、光の恩恵を受けた瑞々しい美しさを放っていた。
それが今では光を拒絶し、無機質な石ころのようにさえ見える。
人形のように表情一つ変えず、あらぬ方向を見つめ続けるロッカの痛々しい姿を見るのは辛かった。
それでも明日になれば、以前のように朗らかに笑いかけてくれるに違いないと信じ、ヴィンチェンツォは毎日のようにロッカを見舞っていた。
人に触れられることを極度に恐れ、ヴィンチェンツォに会う時ですら、今日のように大量の寝具に埋もれたままである。
「ランベルトの熱がまだ下がらなくて…毎日見舞いに行ってるけど、一人だと寂しいんだよな」
お前も来いよ、とは言えなかった。
しばらくためらったのち、ロッカの赤い髪を極めて何気ないふりを装ってぽんぽんと撫でると、ヴィンチェンツォは「またな」とロッカの自室をあとにした。




