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不似合いなカーニバル 5

 ヴィンチェンツォ達は城下街を抜け、整えられた並木道をひた走るランベルトを追い続けた。

 裕福な人々の住む一角へと次第に近づくにつれヴィンチェンツォは、ただ事では済みそうにない、と幾分緊張した視線を周囲にめぐらす。

 この地域では、各地に所領を持つ貴族達が別宅を構えていた。

 いくつか荘厳な邸宅の前を通り、とある屋敷の前で立ち止まる。

 ランベルトは落ち着かない様子で、ぐるぐると辺りを探るような仕草を繰り返していた。


「ここに間違いないんだな」

 小声でささやくヴィンチェンツォを見上げ、ランベルトは重々しくうなずいた。

「あの子の匂いがする。でも」


「とてもいやな匂いがする」

そういい終えると、ランベルトは頭を抱え、いやいやと首を振る。

「ここにはいたくない。苦しい、息できない。頭、痛い」

 あからさまに怯えるランベルトは、人というよりは獣に相応しかった。

 思い出したように顔を上げ、再び怯えきった表情で身を隠す場所を本能的に探している。


 呪いとやらに半信半疑であったヴィンチェンツォでさえも、ランベルトの動物を思わせるきぜわしい振る舞いに、一瞬だけ背筋が寒くなる思いがした。

 ランベルトは地面に両手をつき、短い呼吸を繰り返す。

「吐きそう」

 いつの間にか素に戻ったランベルトが、涙目でヴィンチェンツォ達を見上げていた。

 ちょっと待て、とロメオが静止するが、ランベルトは「もう無理」と言ってどこかへ消え去った。


「犬が怖がって、また引っ込んじまった。だけど、ロッカはここにいるよ」

 戻ってきたランベルトは、幾分血色のよい顔になっていた。

 声の調子も先ほどとは違い、いつもどおりのランベルトだった。


「そうか、ご苦労だった。問題はどうやって中に入るかだな」

 生い茂る木々に囲まれた邸宅の影で、三人は中の様子をうかがっていた。

 一見して、怪しいところは見当たらない。


「こいつは、ここの家のやつに殺されたんだ。いやなにおいがするって、絶対許さない、って。必ず復讐してやるって」

「その割には怯え方が尋常じゃなかったけど。そんなんで復讐なんてできるのかな」

 ロメオは眠くなってきた、と馬上であくびをする。

「ものすごく子どもだからな。だけどこいつの殺された時の状況が何度も夢に出てきて、まるで自分が殺されたみたいに、滅茶苦茶苦しくて……」

 ランベルトは会話を続けるうちに犬としての記憶が甦ってきたのか、またもや物理的に何かが胸にこみあげてくる気がした。


「そういやあの日は義兄上が、子犬の顔が目に焼きついて眠れないと、帰宅するなり飲んでいらした」

 そしてヴィンチェンツォの実姉であるピア・イオランダの、新婚まもない夫をなじる不機嫌な朝の様子が思い出された。

 取るに足らないこの事件が大事になるとは露知らず、ヴィンチェンツォはあの日の呑気な自分が恨めしかった。

 

「ていうか、ここは何処だろう」 

 固く閉ざされた門を見上げ、ランベルトは声をひそめて言った。

「街道から四件目。某子爵様のお屋敷だね」

 すらすらとよどみなく答えるロメオであった。


「マルティノの親戚が、ここに嫁いでる」

 ロメオに二人の鋭い視線が集中する。

「なんだか、更に面倒なことになりそうだな」

「覚悟しておいて」

 不思議な笑みを浮かべ、ロメオはじゃあ、と言った。


「応援を呼んでくる。君たちは、もう一度中の犬を呼び出して」

 ロメオは馬に鞭を入れると、ヴィンチェンツォ達にくるりと背を向けた。

「応援って、誰を」

「ちょっとひとっ走り行ってくるから、じゃあね」

 ヴィンチェンツォの問いを無視したまま、ロメオの姿が瞬く間に暗闇に吸い込まれていった。


「マルティノも関係してるのかな」

 ランベルトがぽつりと呟き、しばし無言の時が流れる。

「今までの流れからすれば、否定できない。だけど、そこまであくどいことに頭が回りそうな奴に見えないけどな」

「あいつ、ロッカのこと目の敵にしてたじゃないか。なんで庇うんだよ」

 ヴィンチェンツォの取り繕うような言葉が、ランベルトには歯痒くてならなかった。

 マルティノは、特別成績が突出しているでもなければ派手な振る舞いが目立つわけでもなく一般的に有りふれた、落ちこぼれの貴族の子弟であった。

 彼の能力を大目に見積もっても、凡庸なふりをしているとはヴィンチェンツォには考え難かった。

 そういえば、そんな奴が一人だけいたな。

 ヴィンチェンツォはふいに灰色の瞳を持つ若者の顔を思い出し、途端に不機嫌になる。


「ここで不確定な話ばかり論じていても時間の無駄だ。ロッカを連れ出すことに焦点を当てよう。もっとも、俺ら二人ではどうにも心細い。ロメオが戻るまで待つか」

「俺には犬の鼻がある。ロッカのいる場所まで、案内させる」

「いいのか」

「犬は嫌がってるけどな、だけど、ロッカを助けないと。俺が犬を操ればいいだけだ」

 予想外の頼もしいランベルトの言葉に、ヴィンチェンツォはぽかんとしていた。

 もっと小さな頃から皆で危ない遊びをするたび、一番泣いていたのは他ならぬランベルトだった。

 明らかに気が大きくなっているとはいえ、ランベルト自らそのような提案をするのは非常に珍しいことではある。 


「突撃するならご命令を、団長」

 いつの間に追いついたのか、クライシュの異国訛りのささやき声が、辺りの空気を一新させるように広がっては消えていった。

「そんなこと言っていいんですか。他人のふりして帰るなら、まだ間に合いますよ」

 ヴィンチェンツォは、どこまで誰を巻き込んでいいのかわからなかった。

 春から何かと問題を起こしてばかりの弟分に、ヴィンチェンツォなりにどうしたものかと考える日もなかったわけではない。

「私の可愛い生徒がさらわれたとあれば、なりふり構っていられません」

 即答する新米教師に向かい、ヴィンチェンツォは少年らしからぬ含みのある顔を見せていた。


「これほどまでに禍々しい気は、滅多に体験できるものではありませんわ。ここで確定ですね。ロッカ君を探しに行きましょう。私に何かできることがあればご命令下さいませ、我が君」

 今日の夜空に似た漆黒の髪の少女が、馬から降りて自分を見上げていた。

 瑠璃と同じような仕草で、クライシュ・エクシオールがヴィンチェンツォに無言で頭を垂れる。

 

「ロッカが無事か、わかりますか。それだけが気がかりです」

 照れ隠しに、ヴィンチェンツォが伸びかけた髪をがりがりとかきむしる。

「大丈夫です。あの子は、強い子ですから」

 瑠璃の笑顔が合図となり、ヴィンチェンツォはこくりとうなずいた。


「では、後方支援をお願いします」

「御意」

 瑠璃達は今一度膝をつき、短く頭を垂れた。

  


***



 犬の鳴き声がする。

 ぼんやりと薄目を開けると、見覚えのない薄暗い部屋にいた。

 蝋燭の明かりが無数に揺らめいている。


 ほの暗い明かりの中で目をこらすと、狭い檻の中で数匹の子犬がきゃんきゃんと鳴いてた。

 ここは、何故、と酔いがまわったような感覚を必死で振り払おうとして、ロッカは自分の体が重いことに気付く。

 自分が何故鉄製の枷を両手両足にはめられているのか、ロッカは理解できなかった。

 つい先ほどまでランベルトと一緒だったはずなのに。

 自分の今の姿は、どこからみても監禁状態である。


「誰か」

 精一杯声を振り絞ったつもりが、ロッカの第一声は弱々しいかすれ声でしかなかった。

 自分のすぐ近くに人がいるようだった。

 かすかな衣擦れの音に、ロッカはより一層目を細めて警戒する。

「もう少し寝顔を見ていたかったのに、残念だわ」


 どこかで聞いた覚えのある声に、ロッカは必死で目をこらして辺りを見まわす。

 自分のすぐ目の前で、椅子に悠々と身を沈めている一人の人物がいた。

 壁に映し出された長い影が自在に形を変え、ロッカをあざ笑うかのようにゆらゆらと動めいている。

 影の本体である人物をまじまじと見つめ、ロッカは知り合いである女性に向かって挨拶した。

「こんばんは。ええと、子爵夫人、ですよね」


「どうしてこんなことを」

「あなたの力が必要なの。何度もあなたのお母様に打診したのだけど、あなたからはいいお返事がなかなか返ってこなくて、待ちくたびれたわ」

 歌うような声、もしくは浮世離れした物言いと例えれば適切であろう、子爵夫人のふわふわと高揚した声が地下室に響き渡る。

「美術学校の件ですか。それでしたら丁重に、お断りしたはずです」

「どうせならとびきり若くて、綺麗な男の子がいいわ。賢ければなおのことね」

 何の話だろう、とロッカは手足の痛みも忘れ、目の前で微笑む子爵夫人を見つめていた。


「あの人は長くないの。手遅れにならないうちに懐妊しないことには、私の手元には何も残らない」

「遺産、ですか。でもあなたは、奥様でしょう」

 自分の留学の話とこの人の受け取る遺産が、いったいどのように関係しているのだろう。

 とてつもなく嫌な予感がした。

 ロッカは身動きが取れない状態ではあったが、かろうじて動かせる頭を振りつつ思いつくままに仮説を立て続ける。


「弁護士に、遺言を書き換えさせていたのよ。私が若い男と遊んでいることに腹を立てて。でもね、子どもが生まれたら別よ。子どもには残さないなんて、一言も書いてないんだから。立派な跡継ぎを産めば、全部解決するの。あなたが協力してくれたらね」

 ロッカの一縷の望みを打ち消すような子爵夫人の声が、ロッカの頭上に降り注いだ。


「僕じゃなくても」

 ロッカは精一杯拒絶しているつもりだったが、彼の真意など伝わるはずもなかった。 

「私はあなたがいいの」

 歌うように言い、子爵夫人はにこりと微笑む。

「僕、まだ子どもですけど」

「そう思ってるのはあなただけよ。大丈夫よ、恐がらなくていいわ」

 

「今度こそうまくいくわ。いつもより強力な陣を張ったんですもの」

 悲しげな声をあげ続ける子犬達から視線を戻したロッカの顔に、怒りが浮かんでいた。

「王都を騒がせている、犬を使った黒魔術ですか」

 否定も肯定もせず、妖艶な笑みで少しずつ歩み寄る子爵夫人から、ロッカは耐えかねたように視線をそらした。


「犬が可哀想です。あなたのせいで、罪のない犬達が何匹も」

「私が懐妊すればその必要はなくなるわね。あなたが協力してくれたら、ここに残っている犬達も助かるわ」

「ただのおまじないじゃないですか。あなたはそれを、本気で信じてるんですか」

「遠い時代から伝わる、今では忘れ去られた秘術よ。でももうすぐ、偉大な力が復活する。私はその手伝いをしているの」

 古来より、詐欺まがいの魔術は枚挙にいとまがない。

 拠り所のない人々が目に見えない力にすがるのは、この先どれだけ文明が発達しても、永遠に変わらないのだろう。 


「好きじゃない人とは、僕は無理だと思うんです」

 無駄に抵抗し続けるロッカを、子爵夫人は鼻で笑いとばす。

「ロッカ君は、好きな人がいるの」

「そういう意味じゃないんですけど」

 幼い少年らしく、ロッカには漠然とした人生の理想像があった。

 お手本は身近なヴィンチェンツォやエドアルドだったが、僕もあんなふうになれるのかな、と淡い憧れを抱いていた。


「一度快楽を知ればどんな立派な人間だって、こ難しいことなんか考えなくなるのよ。人間など所詮、愛だの情だのより肉欲に支配される生き物なの。いいわ、それが分かるまでじっくり飼い慣らしてあげる」

 子爵夫人は、ロッカを解放する気などみじんもなかった。

 恐怖で凍りつくロッカに、子爵夫人は優しく語りかける。


「本当は、こんな手荒な真似をするつもりはなかったのよ。ごく自然に恋人同士になれればいいと思って、あなたの留学の話を勧めていたのに。新しい屋敷だって用意したのに。二人で楽しく新天地で暮らすつもりだったのに!」

 次第に子爵夫人の口調が激しさを増し、荒々しいものへと変わっていく。

 

 二人で、と子爵夫人は言っているが、ロッカには寝耳に水であった。 

 自分の意思などまるきり無視された計画である。

 あの時母親に気を遣って色よい返事をせずによかった、と心から思う。


 突然ロッカの瑞々しい唇に、子爵夫人の成熟しきったものが重ね合わされ、ロッカは自分が藁で出来た無力な人形のような気がした。

 口の中を這いずり回る生暖かいものが、昔絵本で読んだ人の体を乗っ取る悪魔のように感じられた。

 味わう者によっては甘美なはずの感触は、ロッカにはおぞましいものでしかない。

 ロッカは苦しい、苦い、気持ち悪い、と必死で振り払う。


「あの」

「何」

 濡れたロッカの口元を象牙のような細い指先でゆっくりと拭うと、子爵夫人は恍惚とした眼差しを返していた。


「お母さんみたいな人は無理です」

ロッカの最後の抵抗とも呼べる一言が、その後の子爵夫人の行動を封じていた。

「……なんですって?」


「子爵夫人は、うちの母と同じ年ですよね。ですから僕には、生理現象が起こるのは難しい気がするんです。絶対、無理」

 動きが完全に止まった子爵夫人を睨み、ロッカは更に拒絶の言葉を浴びせ続ける。

「それに生き物に酷いことする人なんて、僕は嫌いです。そんな人とするくらいなら、死んだほうがましだ」


「お前、私を侮辱してるの。子どものくせに、いい根性してるじゃない!」

 形の良い唇がわななき、子爵夫人はその麗しい姿に似つかわしくないうめき声をもらしていた。  

 子爵夫人が手にした鞭が、ロッカの鼻先で空を切る。


「どのみちあなたに選択肢などないのよ。逆らったりして、馬鹿な子。年上は敬うものよ。そんな口がきけないように、少しお仕置きするのも必要かしら?」

「まともな人なら、敬います」

 ロッカの小さな顎に手をかけると、子爵夫人は憎悪混じりの恍惚とした表情でロッカに微笑んでいた。


「じっとしていないと、綺麗な体に傷がつくわよ。それとも鞭で、少しずつ裸にされたいかしら?」

 子爵夫人は鞭から短剣に持ち替えると、心底楽しそうにロッカの白い絹のシャツを少しずつ切り裂き始める。 

 冷静になろうとすればするほど、ロッカの呼吸は正反対に乱れていく。

 お願い、誰か。

 小刻みに震え始めたロッカの顔に短剣を突きつけ、子爵夫人はもう一度「じっとしていなさい」と耳元でささやいた。


 その時、ロッカの瞳に映るものがあった。

 蝋燭の明かりと涙が入り混じり、視界は混沌とし始めていた。

 だが、その場には不似合いな見慣れた人々の顔が、ロッカの薄いガラス玉のような瞳にはっきりと浮かび上がっていた。


「そいつに触んな!」

 後ろから勢いよく飛びかかり、ランベルトは夢中で子爵夫人の右手を払う。

 続けざまに肩に激痛が走り、子爵夫人の絶叫が部屋中に響き渡った。

「痛いじゃないの!お離し!」

 ランベルトは渾身の力で噛み付いたまま、すかさず子爵夫人を床に引きずり倒す。

 貴族の奥方とは思えぬような罵詈雑言をランベルトにぶつけ、子爵夫人は断末魔に等しい叫び声を放っていた。


「ロッカ!生きてるか!」 

 ヴィンチェンツォは繋がれたままの少年を力強く引き寄せ、「もう大丈夫だからな」と何度も小さな声で繰り返していた。

「ランベルト、鍵だ。その方から取り上げろ」

 ロッカの発作が、いつ起きてもおかしくなかった。

 自分の胸で今にも止まりそうな、乱れた呼吸を繰り返しているロッカを、一刻も早くこの忌々しい場所から解放してやりたかった。  


「このくそばばあ!早く鍵をこっちによこせ!」

 もみ合う二人を視界の外へと追いやり、ヴィンチェンツォはひたすらロッカの背中を撫でていた。

「なんて下品な子なの!マルティノの言ったとおりね」

 子爵夫人の手入れされた爪がランベルトの頬につき立てられ、ランベルトも負けじと腕に噛み付いた。

「うるせえんだよ!子ども縛り上げて喜んでる変態よか、ずうっとましだ!」

 ついに降参したのか、息も絶え絶えに胸元から鍵を取り出し、子爵夫人は冷たい床の上に放り投げる。


「お楽しみの途中大変申し訳ありません。城下の警備を預かるバスカーレ・ブルーノと申します。こちらは部下のミケーレ・バーリ。お見知りおきを」

 その場を一瞬で収める深い声が響き渡る。

 階段の途中でこちらを見ている二人の男に、ヴィンチェンツォ達の視線が集まった。


「一連の、犬の遺棄事件に関して、奥様にお尋ねしたいことがございまして。よろしいでしょうか」

「犬、ですって。そこら中に犬どころかあらゆる生き物が転がってるではないの!それなのに何故、わたくしに?」

 次から次へと招かれざる客人の登場に、子爵夫人の思考は崩壊寸前であった。

 子爵夫人はランベルトに組み伏せられたまま、金切り声を上げる。


「あなたの、ここ数ヶ月の行動は全て把握しております。あなたの名誉の為、ここでお話するのは差し控えますが」

 バスカーレに比べればさほど威厳のある声ではなかったが、聞きなれたはずのミケーレの柔らかな諭す声に、ヴィンチェンツォは思わず聞き入っていた。


「そうそう、そこにつながれている赤毛の少年は、何です?この国では、奴隷制度は認められておりませんよ。大人同士の個人的な事情であれば口を挟む必要もありませんが、子どもに対しては保護法というものがございまして。何より、ロッカ・アクイラは私もよく存じておりますゆえ、これ以上申し上げる必要もございますまい」

 上の階から、大勢の人のざわめく声が聞こえる。

 騒々しく床を踏み鳴らすいくつもの靴の音が、こちらに向かっていた。

 警備隊が大量に、屋敷に踏み込んだようだった。

 数人の見知った顔が次々とあらわれ、狭い地下室に怒号が飛び交う。

 その風景をぼんやり眺めているうちに、どうやら自分は助かったのだという実感がロッカの心にじわじわと広がりつつある。


 ようやく手足が自由になったものの、ロッカは焦点の定まらぬ瞳で虚空を見つめていた。

 ヴィンチェンツォは人々の視線から隠すように、素早く自分の上着ですっぽりと少年を包み込む。

 ロッカ、と何度もささやくヴィンチェンツォの声が、不安をはらんで次第に大きくなる。

「犬」

 ロッカはヴィンチェンツォの腕の下で、ようやく第一声を放った。

「犬、あそこから、出してあげて」




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