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獣帯の流れ星 8

「今日こそはランベルトを捕まえると、それはそれは楽しそうで。まあ、それは単なる口実で馬鹿騒ぎがしたいだけと思われます」

 ステラはにこりともせず言い放った。

「僕、ここで殿下のお相手してていい?どうせまたろくでもないことに付き合わされるんだ」

 ロメオは全くもって気乗りがしなかった。

 ヴィンチェンツォにこきつかわれるだけこきつかわれ、終いにはもらい事故のような何かが待ち受けている気がしてならない。

 ロメオは抱きかかえた殿下の柔らかい頬に頬ずりし、「いつまでもこうしていたい」と呟く。 

「そうしたいのは山々だが、団長が伏せってしまって私だけでは心もとない」

 バスカーレの巨体を使用人達が数人がかりで寝室に運び込むのを思い出し、ステラは苦み走った顔になる。

 我が夫は、ここぞという時に限って使えないような。

 

「その前に、メイフェアのお見舞いがまだなのです。少しだけお待ちいただけますか」

 瑠璃は気恥しそうな笑みを浮かべた。

「なかなかお会いする勇気が出なくて。そもそもこうなってしまった責任は私にありますし、きちんとお話しなければいけないって、言い訳を考えているうちに足が遠のいてしまいました」

「師匠のせいではありません!それを言うならランベルトを賭場に行かせた私にも責任が」

「いえいえ、ステラは何も悪くありませんよ。巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」

「いやいや、巻き込まれたのは師匠の方です」

「いえいえ」

「いやいや」

 女性二人が不毛な会話をしているうちに、メイフェアのいる部屋の前にたどり着いた。

 クライシュは神妙な面持ちで背筋を伸ばし扉を叩こうとした途端、計ったかのように扉が向こう側から勢いよく開いた。

 

「ちょっとあなた達、ランベルトがどうしたって?」

 目の前で仁王立ちするメイフェアは二つ名どおり、地獄の門番そのものであった。

 以前にも増して、その姿は並ならぬ貫録にあふれている。

「私だけ仲間外れって、いい度胸してるじゃない」

 メイフェアの不機嫌の塊のような視線は、人々を瞬時に凍りつかせた。

「さすがお耳がよろしいだけあって、何もかもご存じなんですね」

 たじろぐクライシュの背中を押し、他の面々が固唾を飲んで見守っている。


「当たり前じゃない。私に隠し事しても無駄ってことよ」

 メイフェアの私室は通気口を伝い、遠く離れた場所から声が抜けてくる。誰も見ていないと思って内緒話に花を咲かせていても、メイフェアには筒抜けであった。

 おそらくメイフェアのような腹心の侍従達が、この部屋を代々使用していたと思われる。


「お嬢様、まだお食事の途中です」

「もういいわ。下げてちょうだい」

 メイフェアの背後からのそりと現われた男に、くまちゃんのランベルトは言葉を失った。

 こいつが例の男か!

 ぶるぶると肩を震わせるランベルトをおもんばかってか、アンジェラがぎゅうっと抱きしめてくれるのが唯一の救いであった。

 俺だってそれなりに昔は天才とか言われてた時もあった。可愛いってちょっとだけ女官からもてた時もあった。

 だけど。

 圧倒的な敗北感に打ちのめされ、くまちゃんの中でランベルトは絶望に身を落としていた。


 なんだこのかっこいい男。

 ヴィンス様みたいに俺についてこいみたいな感じでもなく、ロッカみたいにあなたとは違うんです的な雰囲気を醸し出すわけでもなく、陛下みたいに文句なしの正統派ともちょっと違うし、ましてやロメオみたいに周りが引きそうな華やかさがあるわけでもないけど、なんでかっこいいのよ!

 余裕のある男ってこういうの?

 ランベルトは己のつたない頭で、精一杯分析を試みていた。


 だが、ランベルトの予想に反して、ジャンの口から洩れたのはメイフェアのご機嫌を伺うような弱々しいものであった。

「ですが、もう少しお野菜を召し上がっては」

「もうたくさんよ!飽きたのよ!毎日毎日食べるか寝るかで、やってらんないのよ!」

 ですよね、と思わず口にしたロメオの脇腹に、ステラは強烈な一撃をお見舞いした。

「何するんだよ!殿下が危ないじゃないか!」

 ステラは真横で悶えるロメオを無視して王子を奪い取ると、慈愛に充ち溢れた女神のような微笑みであやし始めた。 


 なんだこいつ。メイフェアに頭が上がらない?あんなにかっこいいのに。

 先ほどの敗北感は急激にしぼみ始め、ランベルトはくまの中で唖然としていた。

 騎士団ではメイフェアの間男と噂されているらしき人物である。だが、ランベルトは妙な親近感を覚え、メイフェアに罵倒されるがままのジャンに同情すらし始めていた。


「私も王庁に行くわ。どうせランベルトの件で皆集まってるんじゃなくて?」

「ちょっと待ってください。その体では……」

 慌てふためくクライシュであったが、ずずいと体を乗り出してくるメイフェアに圧倒され、その後の言葉を忘れたかのように固まってしまった。

「大袈裟なのよ。最近運動不足だし、気分転換ってものが必要よ」

 さもあらん。

 と一同は心の中でうなずいていた。


 毎日のように差し出されるジャンの手土産が唯一の楽しみになっていた。

 そしてつい食べ過ぎる。

 ジャンもメイフェアを甘やかし「どうぞお好きなだけ」とにこにこしながら味も見た目も最高級のお菓子や珍味を勧めてくる。

 それも、もう飽きた。

 体を思い切り動かして、安っぽくてしょっぱいものを食べたい。

 そして飲みに行きたい。


「確かに、ここに置いておくより、欝憤を晴らさせてあげた方が体にいいかもしれませんねえ」

 クライシュの天に語りかけるかのような虚しい声が、生ぬるい風に流れて消えていった。

「そうと決まれば支度しなくちゃ、置いて行ったら承知しないわよ!」

 鼻息荒く自室に引き返すメイフェアの後ろ姿を、皆が無言で見送った。

 

「なんか前にも増して偉そうなんだけど」

 僕達はいつからメイフェアの下僕になったのだろう。ロメオはメイフェアの後ろに付き従うジャンに「あんたが甘やかすから勘違いしちゃってるじゃない」とありのままの言葉をぶつけた。

 だが、ジャンは相変わらず困り顔でにこにこしたままである。

「勘違いではありません。お嬢様はお嬢様でございます。今は王に仕える身ではありますが、心はいつもお嬢様と共におります」

「あんたじゃ話になんないよ。もういいから、お嬢様を頼んだよ」

「はい」

 くるりと踵を返しメイフェアの後を追うジャンはもはや、ランベルトとは異なる毛並みなれども、単なる犬でしかなかった。


 もしかしたら、くまちゃんの中で暮らした方が俺みたいな駄目な人間は幸せなのかもしれない。だけど、だけど、皆が言っていたあれが事実だとしたら。

 俺みたいな蜂蜜色か、メイフェアのような緋色かわからないけど。

 小さい子をあやす自分の姿を想像し、くまちゃんの中でランベルトは涙ぐむ。

 待てよ、あいつが父親とか、変なこと言ってるやつがいた。

 再び疑心暗鬼になるランベルトを抱きしめ続けるアンジェラに気付き、ランベルトは謝意を表し小刻みに頭を動かしてみせた。


 そういえば、うちの奥さんだけ他のうちと違うような。フィオナ様もステラもあんなんじゃなかった。

 しばらく会わないうちに、奥さんらしき人の体が、二回りくらい大きくなっていた。

 あれは、本当にメイフェアなの?


「あんなに太ってしまって、大丈夫なのでしょうか……?」

 瑠璃がぼそりと呟き、人々はあらためて顔を見合わせた。

「寝巻きでだらだらすると、元の体を忘れてしまうのですよ。私がそうでした。ですが今からあれでは、少々心配ではあります。お腹の御子にもよくないらしいですし」

 ステラは眉間に皺を寄せ、数か月先のメイフェアをおもんばかっていた。


「あの、もしかして」

 眉をひそめる瑠璃の声よりも数倍大きなアンジェラの声に、皆の意識が向いた。

「もしかしてメイフェアってば、くまちゃんのこと、わかってないの?」


「ですね。肝心な部分が彼女から見事に抜け落ちてます。行き違いばかりで、ますます話が複雑に」

 頭を抱えてしゃがみ込む夫の頭を、瑠璃が優しく撫でていた。

 面倒なことになった。と誰もが思うが、どのタイミングでメイフェアに説明するのか考えただけで気が重くなる。


 さんざん俺はこの中にいるってみんなが言ってたじゃん!なんでそこだけ聞いてないの!

 ランベルトはくまちゃんの中でぎりぎりと歯ぎしりをした。なんだかもう、口の中に歯がある感覚すら忘れてしまった。

 これはまずい。早く元の人間に戻らないと、俺は俺でなくなってしまう。

 

「ええ、兎にも角にも、体を取り戻しましょう。話はそれから、いくらでも」

 瑠璃の凛とした佇まいに、ステラは再びうやうやしく頭を垂れた。

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