獣帯の流れ星 3
ランベルトは焼け死ぬ一歩手前で助け出されたものの、扱いは先ほどと大差なく椅子に縛りつけられたままで本格的な尋問が始まった。
関係者全員が煙で燻され、未だ交互に咳き込んでいた。
ずぶぬれのまま縛りつけられたランベルトに、アンジェラは「また何か悪いことしたの?」と不思議そうにたずねている。
アンジェラのふわふわした金色の髪を眺め、ランベルトが邪な笑みを浮かべた。
「可愛い子猫だにゃん。もうちょっとしたら食べ頃になるにゃ……」
「その口に今すぐ剣を突っ込んでやろうか。そうだ、その台詞をもう一度団長の前で言ってみるがいい。お前なぞ、跡形もなく切り刻まれてしまえば世のため人のためだ」
まなじりを釣り上げたステラが剣を抜きかけ、周囲が慌てて止めに入る。
焦げた臭いが騎士団詰所を侵食し始めていた。
「そろそろ本題に入ってもらいます。君は誰ですか」
無機質なロッカの瞳がランベルトの動きを封じていた。
どいつもこいつも一筋縄ではいかなそうな面構えだが、こいつは特にまずいにゃん……冗談が全く通じない人間だにゃん……
ほんの一瞬ではあったが、赤い髪の女と目が合った。
この女だけが、今にも泣き出しそうな顔をして自分を見ている。何とも居心地の悪い空気であった。これはこれで、何か苦手な人間だにゃん……
ランベルトの姿をした何かが、薄く光るロッカの瞳から目を背け、しぶしぶ語り始めた。
***
裏町の縄張りはこの猫のものだったという所から話は始まった。
ある日を境に、猫の子分だった猫達がぽつりぽつりと姿を消していった。
流行り病か、あるいは人間に捕まったのかわからなかったが、猫は自分のシマで奇妙な事が起きていることを悟った。
餌を求めて人間の集まる酒場の裏をうろうろしていたある夜の事である。
猫は人間に捕まった。
「お前仮にもボスなんだろ。なんでそんな簡単に捕まってるんだよ」
煤けた顔を撫で回し、ロメオは机に足を投げ出していた。
「美味しそうな干し肉がこれ見よがしに落ちてたからつい。でもそれが罠だったんだにゃん」
夢中で干し肉を貪る猫は、気がついた時には網を被せられ、そしてあっという間に首をはねられたという。
「それで?」
「本体は猫鍋になったにゃん」
重苦しい空気と煙の臭いに、誰もが窒息しそうだと思っていた。
「それは可哀そうに……だけどもうどうしようもないじゃん?諦めて仲間のいる所に行きなよ」
「許さないにゃん!俺様のシマを荒らし、猫鍋にした奴に復讐するんだにゃん!それをこいつが手伝ってくれるって約束したにゃん!」
ロメオの妥協策をはねのけ、猫は憤りながら一気にまくしたてた。
猫は魂だけとなり、裏町に留まっていた。
そしてある日、猫は自分を殺した人間を見つけた。
賭場で軽食を出していた料理人もどきである。
「馬鹿な酔っ払いしかいねえんだもんな、何食ってるかなんてわかんねえよ」
と、男はへらへら笑いながら鍋をかき回していた。
今日も俺様の子分達が鍋にされている……。
猫は怒りを抑えることができなかったが、魂のままでは噛みつくことも引っかくこともできなかった。俺様に自由な体があれば、あいつに復讐できるのににゃん……と猫は思った。
「僕、行かなくてよかった」
「安かろうまずかろうですよ。それなりの対価を支払わずにまともなものが食べられるわけないでしょう」
ロメオとクライシュを制し、ロッカが淡々と続けた。
「それで、君はどうやってランベルトと契約を交わしたのでしょうか?」
その日も、猫は賭場の周りをうろついていた。そこから離れることができなかったからである。
何度か見たことのある男がふらつきながら裏口から出てくるやいなや、座り込んで動かなくなった。
「こんな店いつか潰してやるからな!おぼえてろよ!」
飲まれ過ぎたせいか、語尾は不明瞭であったが、男がこの場所に悪意を抱いているのは理解できた。
自分といっしょだにゃん……。
猫の胸に、込み上げてくるものがあった。
「そうにゃん!潰してやるにゃん!」
「誰ー?猫の声がしたー」
男は赤らんだ顔を上げ、壁に体を預けてむにゃむにゃとつぶやいていた。
「なんか冷えてきたなー。おーい猫ー。こっち来いー。あっためてやるからさー。おれも寒いんだよー」
「じゃあそうさせてもらうにゃん」
猫は猫であった頃のように、すすすとランベルトの体にすり寄った。体はないはずなのに、ほんわかと温かかった。思えば、誰かにこんな風に温めてもらったことなど一度もないままの野良猫人生であった。
「ということなのにゃん」
猫の長い回想がようやく終わった。
「ランベルトは忘れてしまったのでしょうか。一つの器に二つの魂は入らないと教えた気がするのですが」
瑠璃が小さな顎に手を当て、軽く溜息をついた。
「今回のことは起きるべくして起きたとしか思えないにゃん。全部ランベルトのせいだにゃん」
「ロメオ、移ってますよ」
瑠璃の肩を抱きながらクライシュが咳払いをした。
黙り込む大人達を眺めていたアンジェラの両手が、ぱんと快活な音を立てた。
「ねえねえ、体いっこに魂もいっこなんでしょ?」
「そのようだな」
ステラは顔をしかめたまま、娘が窓際に走り寄るのを見ていた。
「だったら」
ずるずると床を引きずられて運ばれる巨大なくまのぬいぐるみがこちらに近づいてきていた。
ふう、と一息つくとアンジェラはぬいぐるみの頭をぽんぽんと得意げに叩いてみせた。
「くまちゃんに入ればよくない?」
その手があったか、と一同は小さな救いの女神に驚嘆の眼差しを向けた。
猫をあの中に閉じ込めてしまえば、ゆっくり片付けられる。
アンジェラには悪いが、後は土に埋めるなり焼くなりして処分してしまえばどうにかなるのではないかと全員が心の中で思っていた。
「うちの子はなんて賢いんだ。今すぐこちらに乗り移ればよいではないか」
ぬいぐるみであれば悪さもできないはず、とステラはまず思った。
「きっと、この中もあったかいよ。おひさまが一番当たる所で毎日お昼寝できるよ?」
お昼寝、の一言で猫はぴくりと体を動かすが、くまちゃんをちらりと眺めただけでふいと横を向いた。気乗りしている様子はみじんもなかった。
「なんでお前はよくて、俺様は駄目なんだにゃん?」
「ん?なんて言ったにゃん?」
「だからこいつはここに残るのは許されるのに、俺様だけ追い払われるのはずるいって言ってるんだにゃん。いっそお前がくまちゃんに入ればいいにゃん」
猫の瞳は、瑠璃を捕えていた。
瑠璃がごくりと喉を鳴らし、黙って猫を見ていた。
「お前だって、化け物のくせに」
猫は勝ち誇ったような顔をして、にいっと笑ってみせるのであった。
***
「その女も俺様と同じ匂いがするにゃん。舐めても舐めても同じ味がしたから間違いないにゃん」
猫は乱雑な言い方をすると、無責任にあくびをし続ける。
クライシュは「ルゥ」と妻の名を呼んだきり、次の言葉を発することができなかった。
今度はこの異国人の夫婦に人々の視線が集められていた。
困ったような顔、驚いた顔、泣きそうな顔、さまざまな表情が瑠璃の心臓をじわりと突き刺す。
瑠璃は両手を握りしめて己の体を守るような仕草をしていたが、じきにその手はほどかれた。
「瑠璃様」
今まで無言であったメイフェアが、おずおずと口を開いた。泣き出しそうな顔は変わらないままであった。
瑠璃はメイフェアに向かってこくりとうなずくと、ふっと微笑んでみせた。
クライシュは、意地悪い顔でちらちらと瑠璃の様子をうかがっている猫に再び強烈な殺意を覚えた。
瑠璃はかつて自分がいた、何もない闇の中を漂っているさまがふいに浮かんだが、彼女の手を握りしめたクライシュの力強さに、目の前がくっきりと鮮やかな色を取り戻した。
大丈夫。
瑠璃は音を立てずにゆっくり息を吸う。
この繋いだ手があるから、私は平気。
「あなたのおっしゃるとおりです。私は一度死んでいます。この体も、本来は私のものではありません」




