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獣帯の流れ星 2

「犬ですって。ありえないわ」

 メイフェアは誰もいない部屋でぽつりとつぶやいた。確かに、昨夜のランベルトはいつものランベルトとは違った。ランベルトが自分に優しくないなんて、ランベルトじゃない。

 それにしても慌てて飛び出していったあの人達は、いったい何をするつもりなのか。捕獲と言っていたが、皆目見当もつかない。

 何もかもわからない。しばらく部屋の中をぐるぐると歩きまわっていたメイフェアの足は、いつしか外に向かっていた。

 考え込むのは性に合わなかった。メイフェアは皆の後を追うことにして大通りに飛び出したが、クライシュ達の姿は見当たらなかった。メイフェアはすぐさま王庁に向かって延びる街道を走り出す。

 馬車でも通らないかしら、とメイフェアは何度も振り返りつつ走り続ける。


「危ない!」

 突然背後から男の緊迫した声がした。

 荒々しい馬のいななきがメイフェアの頭上に降り注ぐ。とっさに身をよけ、勢い様に石畳に座り込むメイフェアの目の前には、先日再会したばかりのジャンがいた。

 ジャンは馬をなだめるとひらりと飛び降り、座り込んでいるメイフェアの前にかがみ込んで片手を差し出す。

「メイフェア様、どうなさいました」

 差し出されたジャンの手は、メイフェアにとって神の助けのように思えた。

 メイフェアは思わずすがるようにその手を握りしめる。

「急いでるの。お願い、私を王庁まで連れて行って」

「お安い御用です」

 息を弾ませるメイフェアを抱きかかえて立ち上がらせ、ジャンはにこりとほほ笑みながらその手を優しく握り返した。


 ゆっくり過ぎず、かといって急ぎ過ぎでもない早さでジャンは馬を進めていった。

「お嬢様はフィオナ様のご信頼厚く、離宮ではなくてはならない方だと、陛下からうかがいました」

「成り行きでそうなっちゃっただけで、今でも信じられないけど。あ、でも、フィオナ様は大好きよ」

 ん、と小首をかしげ、メイフェアはジャンにたずねた。

「陛下とお会いになったの?」

「ええ、急な任務で。その前は国境のカプラに赴任しておりました」


「ジャンもすごいわ。えらくなったのね。そう思ったらちょっと気が楽になったわ。両親が死んだ時、私何もできなくて、みんなに迷惑かけたもの」

 ジャンはランカスター家の執事の息子であった。五歳上だったジャンはメイフェアのよい兄であり、遊び相手でもあった。

 裕福な商家は表向きの、諜報活動に身を捧げた両親であった。それまで蝶よ花よと育てられたメイフェアの人生が劇的な変化を遂げたのは両親の死によってである。

 

 メイフェアが修道院に入ることは両親の遺言として残されていた。危険な任務に就いていた両親が自分を守るため下した決断だったのだと、メイフェアは後になって気付かされた。

 が、それまで自分のためにですら手を動かしたり、ましてや労働するなど無縁の生活であったせいか、いまだに不器用なままである。

 各地を放浪してたくましく育ったビアンカの苦労を思うと、自分は楽をして生きてきたのだと反省することしきりである。 


「今でもね、何もできないの。料理は苦手だし、針仕事も得意じゃないし。あ、でもお茶くらいは淹れられるわよ」

「いいえ、ご立派になられて、さすがお嬢様です。あなたはフィオナ様のお側にいるだけでいいんですよ。と、私は思います」

 張り詰めていたメイフェアの心に、昔と変わらないジャンの優しい声が束の間の安らぎを与えてくれた。


***


「ランベルトなら、貯蔵庫で昼寝中ですが」

 騎士団詰所で仕事中であったステラ・クレメンティは、いつも陽気な面々から沸き立つ殺気に困惑していた。おまけに離宮の番人と呼ばれるメイフェア・ランカスターの姿までがある。

 口を真一文字に結んだ師匠の顔が、ただごとではないと語っていた。

 娘のアンジェラは窓辺に置いた巨大なくまのぬいぐるみに寄りかかってうとうとしはじめたばかりだったが、人々の無遠慮な足音に不機嫌な目元をこする。

 

「私も行こう」

 ステラがばつの悪い表情を浮かべ、立ち上がりざまにがりがりと頭をかいた。

 久しぶりにステラと顔を合わせたメイフェアであったが、荒々しく上着を肩にひっかける副団長の男っぷりに複雑な思いを抱いた。

 アンジェラはくまちゃんの頭をなでると「お留守番ね」と言い、人々の後を追う。


「奥方がいらっしゃるということは、金の件か」

 令嬢らしからぬ物言いはいつものことだが、メイフェアをあらためて慄然とさせた。人妻になり、少しは女性らしい柔らかさを醸し出してもよさそうなものだが、現実は甘くなかった。


「裏町の賭場だろ?だから僕に頼めばよかったのに。あいつ賭け事の才能ないもん」

「私がランベルトに裏町の調査を頼んでいたのだ。これ幸いと調子に乗って軍資金をあっという間に使い果たした。それを私に言いだせなかったんだろうな。給金で取り戻そうとしたらしいが、それも全部すってしまったと泣きついてきた」

 全てはランベルトが遊びと任務を混同した結果である。

 ステラとロメオのため息の重さに「全部でおいくらくらい……」と聞くに聞けずにいるメイフェアだった。 

 

 たどり着いた場所は騎士団詰所からそう遠くない礼拝所であった。

 不思議そうな顔をするメイフェアに、ステラは憮然としたままである。

「マフェイ様の頼みで断れなかったのだ。地下室の環境が、酒を寝かせるには最高だとおっしゃって」

「で、そこでランベルトも一緒にお昼寝中ですか」

 クライシュは唇に指を当て、一同を振り返った。

 足音を忍ばせ、礼拝所から地下室へと向かう。

 温度が一定に保たれた環境は、確かに昼寝にもよさそうであった。

 ずらりと並んだ樽から、ほのかに甘ったるい香りが漂ってくる。


「気持ち良さそうに寝てますね。好都合です」

 ランベルトは一度眠りに着くと、滅多なことでは起きない体質であった。試しにロメオが顔の上で手をかざしてみるが、ランベルトはすやすやと心地よいリズムを繰り返すのみである。

「だんだん腹が立ってきた。なんて緊張感のない」

「これが悩みのある人間の態度でしょうか」

 声をひそめて会話が繰り広げられるが、それでもランベルトは寝返りひとつ打たず、並べられた樽の上で器用に昼寝をしていた。


「今のうちに縄をかけてしまいましょう」

 男二人が縄を持ち直したその時だった。

 それまでぐっすりと眠り落ちていたはずのランベルトが突然かっと目を見開き、のぞき込んでいたロメオの胸ぐらをつかんだ。

 ふいをつかれロメオはぽかんと口を開けたままであった。間髪を置かず、樽が並べられた一つの棚に放り投げられる。


「腰!腰打った!」

 うずくまったままのロメオを見捨て、他の面々がランベルトを取り囲む。

 ランベルトはにやりと笑うと樽を蹴り転がし、ふわりと棚の上に飛び乗った。

 ステラは正面から樽にぶつかり、身動きが取れずにいた。壁際にいたアンジェラとメイフェアを樽から守ったからである。

「こんのぉぉぉーー!」

 思わず怒りに任せて樽を投げつけようとするが、樽一杯に詰め込まれた酒の重さになすすべもなかった。

 棚の一番上から人々を見下ろし、ランベルトは再び禍々しいとも例えられそうな笑みを浮かべた。次はあいつだ。

 ちょうど真下には 苛立ちを全身にみなぎらせて自分を見上げるクライシュがいる。

 「ほい」と言いながらランベルトはその肩にぽんと飛び乗ると、一回転した後に素早く階段の真横に着地した。

「師を踏み台にするとは何事ですか!」

 クライシュは純粋にショックであった。あのランベルトに足蹴にされたのである。

 メイフェアはアンジェラを抱きよせ、呆然と夫を見つめていた。


「曲芸師みたい。ランベルトすごい」

 はしゃぐアンジェラの横を瑠璃が猛烈な勢いで通り過ぎていく。彼女はランベルトが逃げた反対方向の裏口に向かっていた。

 ランベルトの行動は読めている。

 おそらく詰所周辺よりも、人気もまばらで身を隠しやすい果樹園に逃げるはず。

 石壁の地下通路を走り抜け、瑠璃は礼拝所の裏手にある果樹園を目指した。

 

 暗い通路を抜けると、午後の光が瑠璃に降り注いできた。

 地上は新緑におおわれ、木々が到る所で靑い実をつけている。

 ランベルトはどこに。

 瑠璃は縄を担いだまま、ぐるりと辺りを見渡した。

 いた。

 ランベルトのはちみつ色の髪が、新緑の中で溶け込めずに浮いていたのである。

 ひときわ大きな木に登ろうとするランベルトの背後から、瑠璃が鋭い言葉を投げつけた。


「お待ちなさい!あなたは誰です!何故ランベルトの中に入り込んでいるのですか!」

 瑠璃を見下ろし、ランベルトはふてぶてしく笑った。

「何言ってるかわかんねえなあ」

 逃げ切れないと思ったのか、ランベルトは木に登るのをあきらめ、ゆっくりと瑠璃に近付いてきた。


「あんただけ、違うんだな」

「私の目はごまかせません。何が目的でこんなことを」

 言いかけた瑠璃の目の前に、ランベルトの顔がぬうっと突き出された。

 近すぎる。

 戸惑う瑠璃の頬にぬるりとしたものが触れ、瑠璃は嫌悪感に体を硬直させていた。

 

「な、に……」

「何って、味見してみないとわかんないだろ」

 今度は反対の頬に顔を近づけ、透けるように白い頬をぺろりと舐めた。それから瑠璃の華奢な首筋にすんすんと鼻を押し当て、顎の下から舐め上げる。

 あのランベルトが私を舐めた。ランベルトじゃないけど、ランベルトに舐められた。

 払いのけることも忘れ、瑠璃は凍りついたまま、されるがままであった。


「あれ。あんた」

 顔面蒼白で涙目になる瑠璃をのぞき込み、ランベルトは顔をかすかにしかめた。

 そして足元に突き刺さる槍に視線を移した。 

「瑠璃から離れなさい」

 聞き慣れたクライシュの声に、瑠璃はようやく呪縛から解き放たれた。ランベルトを突き飛ばし、夢中でクライシュの元へ走り出す。


 クライシュの手からまたもや槍が放たれた。 

 反射的に逃げ出すランベルトを飛び越え、槍がぐさりと地面に突き刺さる。

 応援に駆け付けた騎士団員達は事情が飲み込めないままステラの号令のもと、ランベルトに向かって雪崩のように走り出す。


「今すぐ殺す」

 クライシュは腰の剣を抜き、奇声をあげながらランベルトに突進していった。

「先生、落ち着いてください!誰か先生をお止めしろ!」

 最悪だ。今までにも奴がおかしい時はあった。

 だがあのように見境なくなるとは、やはり発情期なのだろうか……本当に師匠のおっしゃるように、あいつは犬なんだろうか……。

 ステラは落ちた槍を拾い、ランベルトを追って走り出した。 

  

「止めないでください!いくら教え子といえどもやっていいことと悪いことがあります!よくも私の瑠璃を」 

 体の大きな団員にはがいじめにされ、クライシュは吠え続けた。

 その声にかぶさるように、ステラの怒号が辺りに響く。

 よくわからないけど、いろいろ終わった。私の人生が終わったわ。

 メイフェアはよろめきながら片足を着き、団員達に飲み込まれていくランベルトをぼんやりと目で追っていた。


***


「何から始めましょうか。まずは軽く火であぶりますか。獣は火を怖がると言いますし」

 瞬きもせず、クライシュは淡々と言った。

「獣じゃなくても火は怖いけどね」

 腕組みをしたまま、ロメオは軽く肩をすくめた。しかし止める者は誰もいない。

 

「やめろ!お前ら仲間だろ!」

 ランベルトは詰所の裏庭の木にくくり付けられていた。その足元には焚き木が山と積まれ、火刑寸前の罪人のようである。

 必死で身をよじり、ランベルトは「ごめんなさい!」と叫ぶが誰も反応しなかった。

「それはランベルトの場合です。中の人、誰だか知りませんが私は君など知りませんよ。知りたくもありませんし」

 憎々しげなクライシュの声は取りつく島もなかった。


「手早く頼みます。屋外は火気厳禁でございますから」

「非常事態です」

 声をひそめるステラをさえぎり、焚き木に自ら火をつけるクライシュである。

 燻る中、クライシュは先ほどのランベルトを数倍凌駕するような凄まじい笑みを浮かべていた。

「あの、ちょっとお仕置きするだけですよね、だってこのままじゃランベルトが」

 メイフェアの取り繕う笑顔も、クライシュには通用しなかった。 


「私は本気です。それにあぶるのはランベルトではなく悪霊ですから」

 誰の目から見ても、恍惚としながら笑い声を上げるクライシュこそが悪の化身である。

 煙の勢いと共にメイフェアの不安が次第に膨らんでいく。

 煙が目に入り何度も目をこすりながら、メイフェアはぼろぼろと涙を流し始めた。

「お願いです、ランベルトを許してください。私、何でもしますから」


「駄目です。許しません」

 大人げないクライシュを、その場にいた全員が遠い目で見つめていた。

「熱い!死ぬ!!」 

 ランベルトの絶叫に、メイフェアの涙も思わず止まる。

「ランベルト、今助けるから」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔をこすり、メイフェアはあらかじめ用意されていた消火用の木桶に走り寄った。


「やめるにゃん!俺の話を聞けにゃん!」  

「……にゃん?」

 聞き間違いではなかろうかと、誰もが自分の耳を疑った。

「そうだにゃん、話せば長いにゃん……って、あっつい!あっついにゃん!早く助けてくれにゃん!」

 絶叫し続けるランベルトをよそに人々は完全に全身の機能を停止していた。

 もだえ苦しむランベルトの足元に、ようやく命の水が投げかけられた。

 いつの間に現われたのか、ロッカ・アクイラが空になった木桶を放り投げ、すかさず二杯目に手をかける。

「皆様早く火を」

 この中で唯一平静を保ったロッカの声に、誰もがはっと我に帰る。  


「にゃんて、まさか」

 ごくりと息を飲み、全員が口をそろえて言った。

「メイフェア殿の首の傷は猫のせいです。雄猫は交尾時に雌猫の首を噛んで動きを封じるんですよ、見たことありませんか?」

「そこじゃないだろ」

 ロメオが木桶の水をランベルトの頭からかけてやりながら「遅いよ」とぼやいていた。


「いったいどこでどうなってランベルトの中に入ることになったのか、教えていただけますよね。そうでなければもう一度あぶります」

 すわ救世主かと思われたロッカの登場であったが、再びランベルトを地獄の底に突き落とすような発言をする。

「熱いのは嫌だにゃん!二度も猫鍋になるのは真っ平だにゃん!」

 ずぶ濡れのランベルトはあからさまに脅え、「許してにゃん!」と叫ぶのであった。


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