君が連れてきた憂鬱 10
タマラがヴィンチェンツォの自宅に寄ると、休日の総督閣下は薪割りにいそしんでいた。
「あなたが薪割りするなんて思いもしなかったけど、なかなか上手よ」
「こういうのは嫌いじゃない」
「意外ね」
「そうか?アカデミアで薪割り大会などあったら、俺は間違いなく優勝を目指していただろうな」
「そうよね、あなたそういう人よね」
空を突き抜けるはじけた音をたて、ヴィンチェンツォは上機嫌でなたを振るい続けている。
みるみる増えていく出来たての薪を抱え、エミーリオが額に汗をかきながら庭を往復していた。
「あなたには一生返しきれない恩ができたわ。なんとお礼を言ってよいか」
「礼なら陛下に。借金の肩代わりをしてくださるそうだから心配いらない。その代わり長筒の管理権限はこちらに譲渡していただくことになるが」
いつも通りの事後報告である。
「村の皆も喜ぶわ。買ったはいいけど、維持費がばかにならないんですもの。できれば陛下にお礼を言いたいのだけど」
「随分と会っていないのだろう、是非立ち寄るといい。フィオナ様が喜ばれる。俺やビアンカからも、次期国王への祝福を」
なたを振るう手は止まることがなかったが、ヴィンチェンツォは楽しげに片目をつむってみせた。
「ビアンカがあなたに謝っていた。『屋敷を滅茶苦茶に壊してすまなかった』と」
「私の方こそ、巫女様に誤解させてしまったみたいで心苦しいわ。あれから仲直りできたの?」
「なんというか、反省を通り越して落ち込んでいるのか、すっかり口数が減ってしまって。自分のしでかしたことにショックを受けているらしく」
籠城を決め込んだのか食事以外はほぼ自室に籠り、ひたすら縫い物に没頭しているビアンカである。そして以前もこのようなことがあった気がする、とおぼろげながら記憶の蜘蛛糸を手繰り寄せるヴィンチェンツォがいた。
「あんなに必死であなたを取り戻そうとして、情熱的な方だったのねえ」
ヴィンチェンツォは曖昧な笑みをもらしながら、寸分の狂いもなく四つに割れた薪をじゅんぐりに放り投げた。
あれは自分を助けに来たのか、それとも突発的に自分に対して殺意を抱いた結果なのか、ビアンカの狂乱の動機は今も不明瞭なままである。
「失礼なことをたくさん言ったわ。本気じゃなかったのよ、つい」
「いいんだ。半分は当たってる」
「変わってないなんて、そんなことないわ。昔のあなただったら私を決して許さなかったでしょうに。正直面食らうほどよ」
「少しは大人の器量が備わってきたということかな」
得意げな視線を投げるヴィンチェンツォを一蹴すると、タマラは豪快な笑い声を立てながら乾いた空を仰いでいた。
「うちの父ちゃんに比べたら、まだまだひよこだべさ」
「ビアンカはいるだか!」
鼻息荒くローサが現れ、麻の布袋を片手に青ざめている。
ほどなくしてビアンカがひょっこりと顔を出し、不思議そうにローサを眺めていた。
「納屋にあった花の種がほとんどなくなってるんだども。まさか料理に入れたりしてねえよな?」
「香り付けのやつだよね。でも僕はその匂いそんなに好きじゃないから使ってないけど」
ここ数日炊事場に近寄りもしないビアンカに代わり台所を任されたロメオであったが、慣れない食材と四苦八苦しているのが傍目にも気の毒であった。
一方では早く機嫌を直しておいしいビアンカの料理を食したいと思うヴィンチェンツォ達でもあった。
「食い物と一緒に置くなんて、父ちゃんもうっかりが過ぎるべ!」
絶望的なため息をつき、ローサは頭をかきむしる。
「もしかして毒なの?」
おそるおそるたずねるロメオに向かって、ローサはふるふると首を振った。
「いやまあ、毒っちゅうほどじゃねえけど。しばらく食ってねえなら大丈夫だ」
「ちなみに、口にするとどうなるの?」
「元気がなくなるんだ。……男の人は、な」
「それって」
ロメオは思った。
内緒にしておいて本当によかった。
他人事だと思って馬鹿にしていた自分も、ヴィンチェンツォと同様の状況に陥っていたなっていたなどと。
突然ヴィンチェンツォが腹を抱えて笑い始めた。抑えていたその笑いは徐々に大きくなり、エミーリオはヴィンチェンツォの狂人じみた笑いに凍りついていた。
「ヴィンス、大丈夫か」
自分の体も心配だが、総督閣下の頭の具合も慮られる。ロメオの呼びかけにも、ヴィンチェンツォはうなずくことしかできなかった。
「当たり前だ、もう大丈夫だよ、ビアンカ。障害は消え去ったようだ」
「はい、え、あの」
唐突に名を呼ばれ、ビアンカは笑いの収まらないヴィンチェンツォをおろおろと見守るだけである。
「だそうだ」
「ですから何が」
すかさずローサがビアンカに耳打ちするやいなや、ビアンカの顔がみるみる赤く染まってゆくのは誰の目にも明らかであった。
「私、私……ごめんなさい!」
頬に両の手を添えたちまち屋内へ姿を消すビアンカを、ヴィンチェンツォは涙目で追っていた。
***
「ビアンカ、入れてくれないか」
返事はなかった。
ヴィンチェンツォは汗ばんだ首筋に手をやりながらもう一度扉を優しく叩くが、やはり返事はなかった。
休憩がてらヴィンチェンツォはビアンカの部屋の前に座り込んだ。そして扉に向かって話しかけた。
「ごめんなさいって自分で言ったのに、どうして怒るんだ。俺が笑ったから気を悪くしたのか」
「そうではありません。怒ってません」
ひとしきりの沈黙の後、ビアンカの涙ぐんだ声が扉の向こうから聞こえてくる。
「私、消えてしまいたい」
「大げさな」
「知らぬこととはいえ勘違いして怒ってばかりで、あげくに、はしたない真似をしたり」
「急にしおらしくなってどうしたんだ。積極的なビアンカも新鮮だったのに」
「あれは私ではありません。でも閣下に誤解されたままでは恥ずかしくて」
次第にビアンカの語調が強くなっていく。
「何が誤解と?あなたの愛の重さを改めて知る機会でもあった」
「からかって、楽しんでらっしゃるでしょう!」
「うん」
勢いよく扉が開くと、これ以上ないほどに顔を紅潮させたビアンカがいた。
ヴィンチェンツォは芝居がかった動作で両手を広げると、泣き続けるビアンカに向かって手招きをしつつ片目をつぶる。
「おかえり」




