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漂う白花 OVERSTUFFED!  作者: 渡部ひのり
Second Take
18/29

君が連れてきた憂鬱 9

 息をはずませながら真っ直ぐに自分を見上げる「犬」の顎をなで、ルチアーノは「行け」と号令をかけた。

 すかさず疾風のごとく走り去る「犬」を目で追いながら、ルチアーノは「お前もな」と言い残すと長筒を担ぎ背を向ける。

 緑眼の少女が猛禽を思わせる眼差しで眼下の前総督邸を見下ろしていたが、わざとらしい吐息をつくと「犬」を追って暗い山道を走り出した。 

 

 王都の奴らはあてにならない。揃いも揃って使えなさそうな容姿だし、自分一人の方がよっぽど役に立つ。

 だいたいどうして自分が、助けたとしても何の利益もないあのお嬢様や総督の為に。

 エリカは腹立たしい思いを抱え、「犬」の新しい主人の為に山道を駆け下りていく。

 雪道を疾走するエリカの視界に、ようやく暖かな人家の灯りが大きく入ってきた。


「俺はどうにも乗り気じゃねえんだけどなあ」

「んだ、あんの細っこい体で、一生懸命俺達の為に働いてくだすったお人だ」

 一人の老人がふわあとあくびをする。緊張に欠けるのはこの老人だけではなく、他の者も同様につられてあくびが連鎖していった。

 前総督邸の前では、年老いた村人達が幾人か集まり、「そろそろ帰りてえなあ」と誰かがぽつりと言った。

 日が落ちれば娯楽のない僻地では老いも若きも村の人間はとうに寝る時間である。


「でもよ、奥様が動いちまった以上は俺達も覚悟決めて従うしかなかんべ?」

「まさか総督様の命取るようなことはしねえよな?」

「そんなことしたら大事件だ。総督様んちはなんとかっていう貴族様なんだべ?都から兵隊が押し寄せてきたらどうにもなんねえ」

「んだ」

「でもよ、これからどうすんだ?俺達はどうなるんだ?」

 村でかつてない緊迫した状況にもかかわらず、老人達には野良仕事の合間の世間話と変わりないのどかさであった。


 馬だ、と誰かが言った。 

「ビアンカちゃん、なした?おっかねえ顔して、美人が台無しだ」

「閣下はこちらにいらっしゃるのでしょう」

 馬の手綱を老人の一人にぽんと手渡すと、ビアンカは血走った目で辺りをぐるりと見渡した。

「いや、その」

「どきなさい!」

 普段の若い娘の初々しさは消え失せ、ビアンカの一喝は単なる村娘にはありえない風格を漂わせていた。

 ビアンカの前に道が開かれ、吸い込まれるように前総督邸へ足を踏み入れる。

 その後ろ姿を村人達は己の立場も忘れ、畏敬の眼差しで見送るだけであった。


 勢いよく居間の扉を開け放ったビアンカの姿に、タマラは半狂乱で首を振る。 

「どうしてあなたが!失敗したのね!外の見張りは何やってるのよ!」

「閣下にお話ししたい件がございます」

 けれども激高するタマラを無視したビアンカがすうと銃口を向けた先には、ヴィンチェンツォがぐるぐる巻きで椅子に縛り付けられていた。

 ヴィンチェンツォが喜びをかみしめたのもつかの間、ビアンカの表情にはなみならぬ感情があふれ、自分を助けに来たとは到底思えぬ気迫がいやおうなしにも感じられた。


「また私に嘘をつきました」

「何の話だ」

 自分に向けられた銃口にごくりと息を飲み、ヴィンチェンツォは首筋に流れる汗を感じていた。

「全てです」

 ビアンカの迫力に飲まれ、誰もが声を失っていた。二人の声以外は何も聞こえない。

「私があなたを好きならそれだけでいいと思っていました。でも、それだけでは私達は結ばれないのだとあなたは暗に語っていました。今日まで気付けなかった自分が歯痒くてなりません」

 何度も鼻をすするビアンカの曖昧な返答に、ヴィンチェンツォは嫌な予感がしてならなかった。


「だから何が」

「なかったことにしないでください。ウルバーノ様のことも、イザベラ様のことも、昔の私のことも」

 ビアンカの頬を涙が伝う。

 ヴィンチェンツォはわけのわからないままに駆け寄ってその涙を拭いとろうにも、両腕は拘束されたままであったことに気付く。

「何故ウルバーノが」

「誰も話さなくても私が知っています。弱い私が、全てに目を背けていただけのこと」


 ビアンカの低い声に、ヴィンチェンツォは思わずはっとした。彼女が怒っている時の、必要以上に感情を抑制した低い声に、今までの出来事が脳裏を駆け巡る瞬間でもあった。

「無理もないことだったんだ。あなたのせいとかではなく」

「でも閣下は私をお責めになりました。私は弱いと。確かにその通りです。だから今日まで私は」

 ビアンカの手にした銃口が震え、ヴィンチェンツォも同様に自身の震えを感じずにはいられなかった。


 怒りの矛先が自分ではなくヴィンチェンツォに向けられているのは意外ではあったが、タマラは徐々に落ち着きを取り戻し、成り行きを見守っていた。

 痴話喧嘩をしに長筒を引っさげてやってくるとは正気の沙汰とは思えない。

 いずれにせよこの娘は只者ではない、とタマラは改めて思いつつも「その娘も捕えなさい」と命令を下した。

 その瞬間、一発の銃声が居間に鳴り響き、その場にいた者達は思わず身を伏せた。

 弾丸は壁際に置かれていた花瓶に命中したらしく、粉々に砕け散った破片が散乱している。


「私は使い方がよくわかりません。それに機嫌もよくありません。邪魔をしないでください」

「あなた一人で何ができるの」

「黙りなさい!」

 更なる銃声の音に、人々は悲鳴をあげながら身を隠す場所を探していた。


「旦那様の頭に傷が!酷いわ!」

 前総督の肖像画から小さな煙がゆらゆらと立ち昇っていた。

 弾は頭部に命中しており、頭の最も高い位置からたなびく煙に、居合わせた者は複雑な表情で光る頭を見つめている。

「あなたこそ何ですか!閣下を返しなさい!」

 ビアンカは琥珀の瞳を見開いて長筒を振り回し、泣きじゃくりながら引き金に力を込めた。


 続けざまに飴細工のように窓ガラスが砕け散り、タマラの悲鳴がすさまじい音にかき消された。

 とっさに椅子ごと倒れ、這いつくばりながら食卓の下に身を隠すヴィンチェンツォは、ビアンカの怒りに身を任せた姿に戦慄していた。

 足元に衝撃が走りおそるおそる目をあけると、自分にくくり付けられた椅子の足が煙をあげながら一本転がっている。

 自分を取り囲んでいたはずの使用人達はうめき声をあげながら床の上をのたうちまわり、この場を支配しているのは間違いなく武器を手にした巫女に他ならなかった。


「やめて!これ以上旦那様の思い出を壊さないで!」

 ようやく銃弾の収まった室内にロッカ達が足を踏み入れ、泣き崩れるタマラの横を通り過ぎた。

「ご無事で」

 火薬の臭いに顔をしかめ、ロッカはヴィンチェンツォを哀れな椅子から解き放ってやった。

「殺されるかと思った」

 ビアンカに、と胸の内で呟くのはヴィンチェンツォだけではない。


 空になった銃身が、ビアンカの手から滑り落ちていく。

 ヴィンチェンツォが短い呼吸を繰り返す肩にそっと手を触れると、ビアンカは放心しきった顔で崩れ落ちる。

 その体を支え、ヴィンチェンツォは困惑ぎみに小さな顔をのぞき込んでいた。

「一応、助けに来てくれたんだよな……?」

「知りません。嘘ばかりついて、あなたなんて、知らない」

 嗚咽をもらすビアンカのそばに犬が寄り添い、抱擁を求めてまとわりつく。 

 

「これは酷い。査定どころじゃない」

 ロメオは荒れ果てた居間を見回し、現実的な意見を述べた。

「東方の絵付け皿が!割れてなきゃ高く買い取ったのに!」

 ぱっくりと二つに割れた大皿を手に、アルマンドがわなわなと震えている。

「随分と派手にやりましたね。調度品が穴だらけです。ビアンカ一人でここまでやるとは」

「おらは一回くらいしか教えてねえんだけど。ビアンカは器用な子だから」

 ローサがビアンカの腕前に敬意を払い、綺麗に割れた皿を感慨深げに眺めていた。


「そんなわけないだろ。あたしの援護がなかったら、お嬢様もどうなってたことか」

 割れた窓を払い落してひょっこりと得意げに外から顔をのぞかせるエリカが、長筒を片手に「ふん」と鼻を鳴らす。

 疲れた、とぼやきながらルチアーノは「あとはよろしく」と庭にやってきた「犬」とエミーリオの頭を撫でた。

 騒々しい屋敷に背を向け、目元に笑みをたたえて一人茂みに消えていく。

 舌打ちを残してルチアーノに続くエリカに、大きな声で「ありがとうございました」と何度も繰り返すエミーリオであった。


 タマラは夫の肖像画にすがりつき、「旦那様が」とうわ言のように繰り返していた。

 すすり泣くタマラの背後に近付き、ロッカは前総督夫人に向かって膝をつく。

「未熟ではありますが、自分が補修いたしましょうか。よろしければついでに髪も付け加えてみたらいかがでしょう」

 髪、の一言にタマラは肩を震わせると、ロッカに噛みつかんばかりに言い返した。

「旦那様を馬鹿にしてるの!髪の毛なんて一本もいらないわよ!だいたいあんた達何よ、長ったらしく伸ばして、長けりゃいいってもんじゃないわよ!」


 ロッカは予想もしなかったタマラの返答に面食らいつつも、「このような極寒の地ではさぞ寒かったろうと、せめて頭だけでも暖かくして差し上げようかと思ったのですが」と感情のこもらない声で言った。

「余計なお世話よ!」 

「だそうだ」

 今切ったら確実に風邪を引く、とヴィンチェンツォは乱れた髪を直すこともなくぼそりと呟いた。

「世の中いろんな嗜好の人がいるからね」

 ロメオは肩まで伸びた緩やかな癖毛に手をやりつつ穴のあいた肖像画を見上げ、幾度か目をしばたたかせる。


「もう終わりだわ」

 放心するタマラを助け起こし、村人達がわらわらと集まってくる。

「おねげえだ。奥様を責めねえでくれ。俺達の為に奥様は、旦那様は」

「おやめ」

 涙ながらではあったが、タマラの言葉には前総督夫人としての威厳があった。


「全て私が単独でやったこと。村の者は関係ないわ。だから」

「俺達も同罪だ。奥様だけの問題じゃねえ」

「金が必要だったのなら、そう言えばよかったんだ」

 気遣うような優しい口調のヴィンチェンツォを見上げ、タマラは溢れる涙と引き換えに一気にまくしたてはじめた。


 ヴィンチェンツォはタマラが次の瞬間、何かにとりつかれたかのように思えた。

 早口で何を言っているのかわからなかった。そしてその言語もどことなく自分達とは違うもののようだ、とヴィンチェンツォはぼんやり思った。

「仕方ねがったのさ。今思えば全部ウルバーノのいいようにされてたんだ。だども父ちゃんは人がいいがらなーんも気にせんとにこにこして、ありったけ絞り取られて、最後はぽっくり逝っちまっただ。おらはなしたらいがったのさ!まいんちまいんちおっがねえ人だぢがうちさ怒鳴り込んできて長筒の借金けえせだのって暴れて、金つぐんねがっだらどうにもなんねって、えらい目にあったんだ!おめさんにわがるが!」


「タマラ」

「なんだべ!」

 叫び返すタマラを見つめ、ヴィンチェンツォは心底申し訳なさそうに言った。

「大変心苦しいが、俺達にもわかるよう、もう少し王都っぽい言葉で会話してもらえないだろうか」



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