君が連れてきた憂鬱 6
「実はお父さん、小児趣味なの?」
「知りませんよ」
「お前と趣味が丸かぶりじゃないか。小さいところとか、洒落っ気の無いところとか、近寄ったら土の匂いがしそうなところとか」
血は争えないものだ、とロメオはたちまち結論づけた。
「どこがです?身体的に小さい以外に何もかぶってませんよ」
ロメオの眼はどこまでも濁りきっている。ロッカは極めて不服であった。
自分の嫁とは違う、とロッカはやや離れたところにいる緑眼の少女に対し、野生の生き物を観察するかのような眼差しを向けた。
「里から随分と離れた場所ですが、ご不便はありませんか」
小声で何事かを応酬しあうロッカ達を放置し、ヴィンチェンツォはルチアーノに敬意を込めた言葉をかけた。
敵意というよりは殺意に近い感情を剥き出しにされ、初めはどうなることかとヴィンチェンツォは肝を冷やしたが、切り替えが早いのかルチアーノは「でっかくなったなあ」とこの上なく上機嫌である。
「不便で丁度よい。食べ物は欲張りさえしなければ新鮮な肉にありつける。口うるさい家内はいない、寝たい時に寝て好きに起きる、働かない日があっても誰も俺を責めない、そして空は無条件に美しい、最高じゃないか」
「はあ」
あまり言いたくはないが、勤勉な息子に似ず駄目な人間らしい、と早くもヴィンチェンツォの期待を裏切る発言の連続である。
駄目人間ならまだしもいまだ火の車である国庫を鑑みれば、単なる給料泥棒といった方がしっくりくる気さえする。
この人はいったい、僻地の更なる山奥で何をやっているのか。
敏腕諜報員にしては、あまりにも覇気がない。
「エリカ、客人に茶を」
少女は変装用の衣装をひきずりながら、むくれた顔で奥に去っていった。
さまざまな動物の毛皮を縫い合わせた枯れ草色の塊は、物語の挿絵に登場する化け物そのものであった。夜道で出くわしたら、間違いなく腰が抜けるに違いないとロメオは思った。
「僕も手伝います」
彼女の機嫌が悪いのは大勢で押しかけた胡散臭い自分達のせいなのだろう。
エミーリオは初対面のエリカを気遣い、素早く後に続く。
「ちょっと、踏んづけないでよ!作るの大変だったんだから!」
すみません、と平謝りするエミーリオの声がした。
「この犬、というか狼もどきの生き物の飼い主は父さんですか」
「帰ってこないから心配したよ。里で人間にとっ捕まったんじゃないかって。でも無事でよかった」
「私が道に迷っていたら、この子が助けてくれたのです。本当にありがとうございました」
ビアンカが深々と頭を下げ、自分の隣に座る「犬」の背を何度も撫でた。
若い女性の涼やかな声に、ルチアーノはすっかり相好を崩している。
ロッカもおじさんになったらあんなしまりのない顔をするようになっちゃうのかな、とのロメオの心の声が、誰の耳にも明瞭な言葉に変貌していた。
一緒にしないで下さい、というロッカの周囲を凍えさせる声がいつも以上に容赦なかった。
「俺達以外になつくのは珍しい。動物は種別関係なしに魅惑的な異性に反応するからな、さぞかしあなたが気に入ったのだろう」
「まあ、光栄です。私が飼っていた子も、この子と同じようなきらきらした毛並みで、お日様に当たると金色に輝いてそれは美しゅうございました」
トンビが鷹を産んだ、とヴィンチェンツォは鼻の下を伸ばしきったルチアーノを面白くなさそうにちらりと見やった。
そして人生何がきっかけで転がり落ちるかわからない、ロッカがこのようにいい加減な男に成り下がる可能性は充分にある、とさえ思い始める始末である。
「それにしても、よく俺がここにいるとわかったな」
「確証はありませんでしたが、マフェイ様がそれらしきことをおっしゃっていたので。母さんに手紙は出してますか」
「出せるわけないだろう。何の為の密偵だ。本来なら、お前と接触することさえ禁じられているというのに」
「そうですよね、そのせいで俺はさんざんな目に会ってるんですけれども。父さんが旅に出る間際に俺をアカデミアに放り込んでいかれましたよね。今日まで俺はいろいろ、実にいろいろありましたよ」
息子の冷ややかな眼差しが怖かった。そこだけは妻によく似ている。
そしてでかいから余計に迫力が増す、とルチアーノは自分より大きくなったロッカを後ろめたさもあいまって、まともに見られずにいた。
一方では、暗い学生時代の原因が自分やランベルトのせいだと言われなくてよかった、と密かに胸をなでおろすヴィンチェンツォである。
「二人とも、いつから会ってないの」
妙に殺伐とした親子のやり取りにロメオはふと疑問に思う。
「さあ。どうでもよいです」
「いつだったかなあ、だけどどうでもよいと言われたらさすがに傷つくなあ」
「あなたにそれを言う資格などありませんよ」
仲がいいのか悪いのかわからない会話だった。
そのくせ波長が合っているように見えるのは、やはり親子だからだろうか。
二人のやり取りを浮かない表情で見守っていたビアンカである。
「お兄様、それはあんまりな。久方ぶりのご対面でございますのに」
とっさに口走り、それからしまった、とヴィンチェンツォやロッカの顔を見る。
「妹なの?」
それまで心の距離を測りながら息子の様子をうかがっていたルチアーノが、活き活きと目を輝かせた瞬間でもあった。
「そうですね、とりあえず妹のビアンカですよ」
息子の投げやりな言葉に何の疑問も持たず、ルチアーノはビアンカに向かって手招きしてみせた。
「で、ビアンカはいつ生まれたんだ。こっちへ来て、よく顔を見せてごらん」
***
「陛下が懸念しておられる件ですが、どこまで進みました?父さんも関わっているのでしょう」
「俺は調査するだけだ。残りはお前達の仕事だろう」
「ですよね」
想像どおりの返答であった。期待しなくてよかった、と息子は思う。
「現状としてあまりよくはない。村人は文明の利器を手に入れたと思っているようだが、予想以上に流れてきているな。隣町や国境では暴発事故も増えている」
「ですが今更、無理矢理取り上げるというわけにもいかないのです。頑固な人々ばかりですし、陛下は穏便にどうにかしたいようですが」
ロッカのあまりにも大雑把な説明に、ロメオは口をはさまずにはいられなかった。
「穏便にどうにかって、なに?」
「ヴィンス次第でいかようにも転がるという意味です。自分は一刻も早く解決して王都に帰りたいのですが。ヴィンス、本気でお願いしますね」
「何ゆえ俺の責任になるんだ」
「総督だから」
その場にいた全員が口を揃えて解き放つ魔法の言葉に、ヴィンチェンツォは悲しみをたたえた眼差しで天を仰いだ。
「どうしてもっと早く動いてくれなかったのよ。動物達は抵抗できないんだよ。村の人間が調子に乗って根こそぎ狩りまくってるっていうのに」
「彼らも手当たり次第というわけでもない。一応考えているはずだ。減らしすぎないよう、増えすぎないよう。と俺は感じたが」
「この子の群れはこの子以外全部撃ち殺されたよ。何もしてないのにあんまりだ」
エリカが盆を乱暴に置き、なみなみと注がれたお茶がテーブルにこぼれ落ちた。
「実際狼の群れが里近くに出たとなれば、駆逐せざるを得ない」
その場にいた者達には、ヴィンチェンツォの歯切れの悪さが意外であった。
「狼は何もしないよ。あんた達がよく知りもしないで、勝手に恐がってるだけだ」
エリカは不機嫌な顔のまま、再び奥へと戻っていく。
「そうです。この子は私を食べずに、村まで送ってくれましたもの。もっともっと、狼を知る努力をすべきなのです」
援護するどころか、むしろ自分が悪いと言わんばかりの発言をするビアンカを、ヴィンチェンツォは空虚な瞳で見つめていた。
狼って言った?と執拗に繰り返すロメオをビアンカは涼しげな顔で流し、飼っていたのは犬です、と頑なに譲らない。
「問題はいかにして村人を納得させ、長筒がこれ以上市井に広がらないようにするかなんだ」
軽く咳払いをすると、ヴィンチェンツォは続けた。
「個人的にはもう手遅れだと思うけど。初動が遅すぎるんだよ。交渉決裂して暴動が起きる前に僕は帰る」
「聖都の件で手一杯でしたからね」
どうぜ僻地なんだ、いっそ関わらないで自治区にして放置すればよいのに、とさえロメオは思っている。
「売人と接触したことは」
「それは俺の仕事じゃない」
即答するルチアーノを眺め、俺の仕事が多いはずだ、とヴィンチェンツォはエドアルドのすました笑顔を思い浮かべていた。
「アルマンドが潜り込んでるはずだけど。うまくいっていればね」
「便りなんて無しのつぶてじゃないか。本気で働いてるのか?」
ヴィンチェンツォのぼやきは、ロメオのいら立ちに軽く火をつける。
「だから連絡係の僕が行かないとどうにもならないって言ってるじゃない!明日にでも発つって言ってるだろ!」
ロメオは何かと理由をつけて自分を手放そうとしないヴィンチェンツォに辟易していた。
忘れていたがこいつはそういう奴だった。
相変わらず尊大にふんぞり返っているわりには、妙なところで煮え切らない男なのだ。
エリカの大声は、奥の間にいたエミーリオの耳にもはっきりと届いていた。
戻ってきたエリカが「ほら」とエミーリオにも茶を勧める。
「君は、長筒が嫌いなんだね」
「だから何だよ」
「でも持ってる。ルチアーノ様を守る為に」
「人間には使うよ。喜んでね。みんな死ねばいいんだ、こんなもの生み出した報いを受けりゃいいのよ」
「でも動物には使わない」
「当たり前だろ、あんなもの卑怯者の使う道具だ」
「何だよ」
エリカには目の前でにこにこしているエミーリオの存在が、どうにも居心地悪かった。
「ビアンカ様みたいだなって」
「あのお嬢様?どこが」
吐き捨てるように言うと、エリカはようやく「暑い」と毛皮を脱ぎ始めた。
しばらくするとエリカの手が止まり、自分の横でのんびりとお茶を口に運ぶ少年に恫喝めいた声を投げかける。
「こっち見るんじゃないよ」
一瞬エミーリオはきょとんとしていたがすみません、ともう一度謝罪するとくるりと背を向けた。
***
いつまでも戻ってこないエミーリオを探しにロメオがうろうろしていると、むっつりとしたエリカとはち合わせる。
エリカが出てきた小部屋をのぞくと、エミーリオがお茶を片手に休息をとっていた。
「あの子、いくつ」
「犬ですか」
「そうじゃなくて、エリカちゃんだよ」
「存じません」
「駄目だなあ」
同年代で仲良くなったのかと思いきや、あのように反抗的な態度では取り付く島もないといったところなのだろう。
「やっと可愛い女の子に出会えたと思ったのに。外見だけはね。中身はかなり厄介な感じだな」
「たぶん、いい人ですよ」
「エミーリオ?」
「何ですか」
「君はあまりにも自覚がなさ過ぎる。このままモルヴァにいるとして、いったいいつまで君は田舎で埋もれてるつもり?」
「ヴィンス様次第ですけど」
「駄目だよ!」
失礼かもしれないけれどロメオ様が真剣な顔をしている、とエミーリオは思った。
「その気になれば君は王都で出世し放題の立ち位置にいたはずなのに、毎日雪かきと熊の見廻りで人生無駄にしてると思わないの?おまけに君より大きい女の子しかいない村で、この先どうやって生きていくの?」
「僕は雪かきも見廻りも好きですし、全部大事な仕事です」
「悪いことは言わない。あんな奴は放っておいて僕と一緒に帰ろう?」
「あの、僕なんかの心配するよりご自分の心配をされた方がいいんじゃ。アデル様からお便り来たんですか」
エミーリオはアデルの名を聞くやいなや、冷水を浴びたような表情になるロメオが気の毒だった。
「あっ、すみません」
そこで年下の人間に気遣われるのも、余計に惨めさを増す。
「自分たちと入れ違いで、王都にお戻りかもしれませんね」
気まずい空気の流れを変えるロッカの言葉が、二人の背後から聞こえる。
「いつからそこにいたの」
「ずうっといました。この子と一緒に」
ロッカと同じようなガラス玉の瞳でロメオを見上げている「犬」であった。
「結局、この子はどっちなんでしょう。群れの生き残りだとエリカさんはおっしゃってましたけど」
今度はエミーリオの顔をじっと見つめ、「犬」は床にゆったりと座りこんだ。
「どちらでもなく、どちらでもありといったところでしょうか。自分は合いの子ではないかと思っています。従順さは家畜のようであり、けれど家畜にはない野生も残されています」
更なる観察と研究が必要ですが、とロッカは珍しく少年のように顔をほころばせていた。
「僻地で娯楽が増えてよかったね」
「おかげさまで」
ロメオの皮肉も、ロッカには何の効果ももたらさなかった。
「急に襲ってきたりしないなら、別に構わないけどさ。一応首輪くらい付けておきなよ」
そうします、と一礼するとロッカは「犬」を従え居間に戻っていった。
軽快に揺れる「犬」の尾を眺めながら、ロメオの心で若干歓迎しがたい疑惑が育ち始めていた。
「もしかして、あれはうちで飼うことになったの?」




