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漂う白花 OVERSTUFFED!  作者: 渡部ひのり
Second Take
10/29

君が連れてきた憂鬱 1

 暗闇の中で二人は息をひそめ、音も立てずに寄り添っていた。

 ただひとつのろうそくの明かりだけが、二人を具現化するかのように細々とした淡い光を放っていた。

 その光はどこまでも頼りなく、今にも消えてしまいそうでもあったが、一筋の明かりを頼りに二人は互いを確かめながら手のひらを重ね合わせる。


 ここでは、声を出すのは禁じられていた。

 二人だけのルールであり、いつどちらが提案したわけでもなかったが、ごく自然に二人は無言で最後かもしれない別れを惜しむ。

 その日も二人はいつものように固く抱擁し合ったまま、逢瀬の終りを肌で確認する。


「夜にまた来る」

 と男の唇が動いたような気がした。

 女は儚げな微笑みを浮かべると、男の逞しい首に自分の腕を回し、「お待ちしております」と風の精ですら聞き取れぬようなわずかな唇の動きと共に、男を潤んだ瞳で見つめ返していた。


 何かをねだるように無言で見上げる女の、白磁器を思わせる滑らかな頬にそっと両手で触れ、男は名残り惜しむ心を隠そうともせず、刻み付けるような口付けを繰り返していた。



***



 こんなに重いものだとは知らなかった。重いなら重いと、ステラ様も教えてくださればよかったのに。

 いや、あの方は並ならぬ筋力と体力をお持ちだ。普段から重い装備でうろうろするのに慣れているのだから、ドレスの重さなど鳥の羽のようなものなのだろう。

 でも今日だけは我慢しなくては、快く花嫁衣裳を貸してくださったステラ様の面子を潰してしまう。

 やっとのことでこぎつけた婚礼の儀も滞りなく終わり、酒宴で地上は盛り上がっている。


 メイフェアは裾を出来る限りたくし上げ、地下室に続く階段を降りていった。

「お母様が探してたわよ」

 疲れた、と泉の淵に腰かけ、メイフェアは石像のそばに佇むビアンカに声をかけた。


「中を探検していたの。ここは普段入れないから」

「近々改修工事をするって聞いたわ。全部じゃないけど、危なくないように二階と奥の間と、それからここも」

 自分は事実しか告げない。聞かれたら答える。けれどそれ以上を与えてもいけない。

 今ここにいない人の気持ちが私にも最近わかるようになった、とメイフェアは思う。


「向こうには何があるの?」

 ビアンカが指差す方向には薄暗い一本の地下道があった。時々外からの風が吹いてくるのか、二人の足元をはためかせている。

「果樹園に繋がってるのよ。抜け道の壁もあちこち崩れてるから直すみたい」

 メイフェアには、そう、と呟くビアンカの声が落胆を含んでいるように聞こえた。


「私、ここに住んでいたのよね」

「ほんの少しだけど。王庁の角にもあなたの部屋があったわ。北の庭園の方よ」

 ビアンカは無意識に龍の背中を撫で、はめ込まれたガラス玉の瞳を覗いていた。

「どうかした?」

「なんでもないわ。静かで綺麗な場所ね」


 あれが夢ではないとしたら。

 悲しげに微笑む女性は誰なのだろう。そしてその女性に寄り添うもう一人の人物は、この世に存在するのだろうか。


「なんでもないの!本当に」

 突然何かを振り払うように大声を出すビアンカに、メイフェアは目を丸くしていた。

「そんな大きな声出さなくても、びっくりするじゃない」

「私も驚きました。落ちるかと思いました」

 身重の副騎士団長の声に、メイフェアは慌てて階段に駆け寄る。


「すぐ参りますから、階段はおやめください」

 うん、とうなずきながらステラは重々しい足取りで再び地上へ戻る。

 メイフェアはその背中を支えるように一段後ろを歩き始めた。


「花嫁の姿が見当たらないので探していたのです。気が変わって逃亡したのではないかと想像してしまいましたが、杞憂に終わったようで何より」

「やあね、今更ですよ。それに私には野望があるんですから」

 からからと笑うメイフェアに杞憂の文字は見当たらない。


「野望とは」

 聞かずともわかるような気がするとステラは思ったが、一応たずねてみた。

「あれを出世させるんです。放っておいたら一生下っ端のままですもの。今の地位でさえ、陛下やバスカーレ様のご好意でいただいたようなものですし」

 今のところ平穏無事に副団長代理の椅子には納まっているものの、その椅子の上で暇つぶしのカードゲームに興じるランベルトであった。

「未来の騎士団長か……」

「何か」

 間接的に告げた方が波風立たなくてすむ、とステラは思った。


「大きな戦なくして出世は難しいやもしれぬ。あれの性格だと、特に」

「そうですわね、特に何ができるというわけでもありませんし。ロメオ様のような器用貧乏ならともかく」

「あれも出世とはほど遠い性格ゆえ、似たようなものだが」


 ステラは不安だった。自分が不在時に騎士団は果たしてどうなってしまうのかと本気で考えると、夜も満足に眠れなかった。

 ある日ロメオに目の下のくまを指摘され、「誰のせいだと思ってるんだ」とステラはますます苛立ちを募らせていた。

「年が明けたら子連れ出勤だな」

「は?」

「あまり長く不在にはできぬ。だが産んですぐ復帰というのも無理がある。それまで奥方があれの尻を叩いてくれたらありがたい」

「足で思い切り蹴飛ばしてやりますから、ご心配なく」

 いっそ彼女を引き抜こうか、と半ば本気のステラである。


 先ほどから「あれ」呼ばわりされていた花婿がにこにこと笑っていた。

 何をのん気な、と花嫁姿のメイフェアは反射的に睨み返す。

「あんた達が苦労かけてばかりだから、ステラ様が休暇に入れないのよ。少しは自覚しなさいよ」

「無理しなくていいのに。さっさと引き継ぎしちゃえば」

 ロメオの白い肌が淡い頬紅を差したようになっていた。隣のランベルトも、似たようなものであった。


「これの頭では二,三日どころか一週間あっても足りぬ」

 ステラは鋭い目つきのまま、人のよい笑顔を振りまいているランベルトを指差した。彼の頭の上の花輪が牧歌的である。

「なんで俺ばっかり!団長だって手伝えることあるだろ。産むのはステラで、団長じゃないんだから」

「あの方は、いるだけでよいのだ」

 ひいきだ、と騒ぐランベルトの後頭部をメイフェアが力任せにはたく音がした。


「大変だねー」

「他人事だな」

 頭を撫でるランベルトの指に、花輪から花びらが一つ落ちてきた。

「僕だって大変なんだけど。雪が降る前にたどり着ける気がしない」

「今回も女の格好で?」

「余計なお世話だ」

 花婿の肩に落ちた花びらを拾い、ロメオはため息と共に吹き飛ばす。

 お花壊した、と不機嫌になるアンジェラをなだめながら、ロメオは酒宴へと戻っていった。


 ちょっと国境まで行ってくる、また旅に戻るよ、とロメオはある日ステラ達に告げた。

 深く聞かないでね、とエドアルドから書簡が届いた。実際ロメオのような人間は、一つの所に納まる性格ではないとステラもわかっていた。

 わかっていたが、いざとなると寂寥感のようなものさえ湧き上がってくる。

 眉間に皺をよせるステラの真面目くさった顔が誰かに似てきた、とメイフェアはぼんやり思った。

 口うるささも、あの人がいない分増えている気がする。 

 

「あまり思い詰めると体によくありませんよ。しばらく休みですから差し入れを持ってお邪魔しますわ。鳥の揚げ物、お好きだったでしょう?最近習いましたの。料理長秘伝の味付けです」 

 ステラの顔色が変わった。

 これの奥方の料理の下手さは折にふれ伝え聞いている。

 腹の子を危険にさらすわけにはいかぬ、とステラは身震いした。


「いや、胃に重たいものは避けていてだな。それに久しぶりなのだから二人でゆっくりしたらどうだろう?引き継ぎは後日でよいから」

「さっき山ほど食ってたじゃん、遠慮すんなよ」

「ならばお前が真っ先に食え」

「えっ」

 今度はランベルトの顔色が変わった。



 明り取りのすき間から、人々の話し声が聞こえてくる。

 戻ろう、とビアンカは龍の背中をもう一度撫でると階段を目指す。

 夢の話をしたら、メイフェアは、みんなは笑うかしら。

 でも恥ずかしすぎて、全部は話せない。



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