第十三話
「ヴァレンシュタイン男爵、よくやってくれた!」
一通りディンドランさんに説教された後しばらくして、フランベルジュ伯爵が複数の部隊を引き連れてやってきた。
伯爵は血や土で汚れているものの、大した怪我はしていないようで、その隣にはエリカと何故かエイジもいるが、二人にも怪我……いや、エイジの顔に打ち身で出来たようなあざと血が付いているので、それなりに苦戦したようだ。だがまあ、大きな怪我はなさそうなので安心した。
「それで男爵、今代の雷はどうなった?」
伯爵の気安い様子に、それまでの俺と伯爵の様子を知っている者の多くが驚いた表情をしているが、カルナディオ家のフドウを始め、何人かは事情を知っていたか裏があることに気が付いていたらしく、驚きよりも俺の報告の方に興味があると言った顔をしていた。
「詳しい報告は後程行いますが、結論から言うと逃げられたようです」
「逃げられたか……それは残念だ。だが、男爵はこの通り無事であるし、街は一部が酷く破壊されたとはいえ、大部分は壊されずに残ったままの状態で取り戻すことが出来た! そして、外にいたファブール軍は我々によって駆逐された! よってこの戦、我々連合軍の勝利である! 違いないな?」
伯爵が途中から周りの者たちに言い聞かせるように声を張り上げて問いかけると、すぐに大歓声が上がった。
戦闘が終わって気が高ぶっているというのもあるだろうが、これだけ士気が高ければ、例え敗走したファブール軍が国から派遣された部隊と合流して戻ってきたとしても、ちょっとやそっとのことでは後れを取ることは無いだろう。
「フドウ殿、連合軍の拠点をこの街の近くに持ってこようと思うのだが、どうだろうか?」
「そうですね、それがいいかと思われます。攻めることだけを考えれば、今我々が陣を置いているところとこの街の付近ではあまり大差がないかと思われますが、街の近くにいると言うだけで安心感は増すでしょうし、守るものが目に入る位置にあれば気合の入り方も違ってくるかと思われます。それに、何かあれば街に逃げ込んで守りを固めて援軍を待つという方法も取れます」
フドウも拠点を町の近くに移すことに賛成のようで、その利点をいくつか上げていた。
「やはりそうか。ただ、すぐに全軍が移動するのは難しいだろう。まずは陣の外側……この街に近い場所にいた貴族から順に移るとするか。それと、ファブールから鹵獲した物の分配も考えないといけないな」
連合軍の外側でこの街に近いところにいた貴族と言えば……俺たちか。
まあ、全軍で一気に移ろうとすれば、準備速度の違いなどでトラブルが起こるだろうから、その方がいいのは確かだが、
「伯爵、それなら先にどの貴族がどの位置に配置されるかを決めないと、後でもめるのではないですか?」
俺個人としてはどこでもいいのだが、基本的に連合軍の中心であるフランベルジュ伯爵家は中央付近になるだろうから、その近くにいた方が何かと都合がいいだろうし、それは他の貴族も同じ考えだろう。
逆に、最初にヴァレンシュタイン家が配置された外側だと、もう一度戦いが起こった時に一番初めに出ることになるかもしれないので、避けたいというところも多いだろう。
「それと、鹵獲品の分配ですが、食料品などは止めておいた方がいいと思います」
「それは何故だ?」
鹵獲品の中では食料品は価値の低いものに部類されるだろうが、今日にでも使えて士気向上につながるという点で期待している者もいたらしく、その中にはヴァレンシュタイン家が独占を狙っているのかと疑っているような視線を向けてくる者もいた。
「まず、この食料の多くはこの周辺の町や村から集められた可能性があります。それと、あの街に忍び込んで気が付いたのですが、街の住人はファブールの支配を受け入れつつあったように見えました。もちろん、その背景には武力によって無理やり納得しなければならなかったというものもあるでしょうけど」
「つまり男爵は、もしここで我々が食料品を独占した場合、王国とこの付近の住人の間に溝が出来る可能性があるかもしれないと考えているわけだな? 多少不満を持たれるくらいなら大したことは無いが、下手にファブールの方がましだったとでも思われたなら、今後ファブールと内通する者が現れないとも限らないと懸念しているのだな?」
その通りだと答えると、フドウもそれは避けなければならないと同意した。
それにより、俺に向けられていた疑いの視線は減ったが、やはり諦めきれないというものもまだいるようだ。そこで、
「それと、忍び込んだ時に一部を確保し、それを提出したので伯爵は知っていると思いますが……俺はあまり食べたいとは思いませんでしたしね。こういった田舎なので仕方は無いのですが、衛生面での懸念がありますので、そう言った食事に慣れていないと体調を崩す恐れもあります」
口には出さなかったが、毒を仕込まれている可能性も僅かながらにある。
まあ、そのまま住民に返還して毒でやられたら色々と酷いことになりかねないので、一通り調べた上でファブール軍から取り返したものだとしっかりと伝える必要はあるだろうが、自分たちで使うよりはましだろうし、何かあればファブールのせいだと言い張ることも出来る。
「確かに俺も確認したが……安全性に関しては大丈夫だろうが、あまり美味そうには見えなかったな。食ってみたら美味かった問い古都もあるかもしれないが、腹を壊す心配をしながらでは楽しめそうにはないだろうな」
伯爵がそう言って笑うと、周りの貴族たちは伯爵の言葉に笑う者や真剣な表情で頷く者など、様々な反応が見られた。
「それなら、食料に関しては手を付けない方が無難だな。そうなると武具や金品などになるが……下手をすると、これらもファブールが周囲の町や村から集めた可能性があるな。まずはそれらの数を数え、周辺からどういったものを持っていかれたのかを調べる必要があるな」
「それに関してですが、事前にヴァレンシュタイン家の兵をいくつかの町や村に待機させています。まずはその辺りから調べてみるのはどうでしょうか?」
俺の言葉に、周りの貴族と何故かディンドランさんが『いつの間に』みたいな顔をしていたが……伯爵たちはともかく、何故ディンドランさんが知らないのかが不思議だ。
「ヴァレンシュタイン家の騎士が待機している町や村だけでは判断できないでしょうが、ファブールがどういったことをしていたのかは知ることが出来るでしょう。フランベルジュ伯爵、それらを調べるのはカルナディオ家が担当してもよろしいでしょうか?」
「頼む。ヴァレンシュタイン男爵、カルナディオ家の案内は任せた」
「了解しました」
俺が案内してもいいが、流石に今代の雷の行方が分かっていない時点でこの場を離れるのはまずいだろう。
なので、バンに町や村までの道を知っている騎士を選んでおくように指示を出した。
「皆の者、今日の戦いでは我々が勝利し、ファブールを追い出すことに成功はしたが、まだ完全に戦争が終わったわけではない。そのつもりで警戒を続けよ。ただし、それと同時に各々体を休めることも忘れるな。それと、各部隊の責任者は少し残ってくれ。今後のことについて話がある」
と言うことなので、俺はディンドランさんと共に残ることになった。
正直言って、全てお任せするから休ませてくれという思いはあるのだが、ここにいるのが伯爵だけならともかく、流石に他の貴族がいる手前でそれを言うわけにはいかないし、言っても許されるわけがないのは理解しているので素直に従うことにした。
その話し合いでは、明日からの警備や鹵獲品の分配、そして今後の方針についてだったが、警備については今連合軍が本拠地にしているところと同じで行くことになったし、鹵獲品にしても周辺の町や村の話を聞くまで待つことになっている。
なので、一番重要なのが今後の方針と言うわけなのだが……正直言って、今にも喧嘩が始まるのではないかというくらい雰囲気が悪くなってしまった。
その理由は、連合軍内での貢献度の差だ。
今回の戦争が今日で終わると決まったわけではないが、今のところその可能性が高いので、現時点での貢献度がそのまま功績に繋がると仮定した場合、まず突出しているのがヴァレンシュタイン子爵家だ。
ヴァレンシュタイン子爵軍は、まず俺が単独で今代の雷を退けており、軍としては今代の雷がいた街と周辺のいくつかの町や村をファブールから取り返している。
まあ、独断専行とも言える方法であったのは間違いないが、これについてはフランベルジュ伯爵家の許可を取っているので、秘密裏に行われた作戦だったとも言えるし、何よりも俺たちがファブール軍の背後を押さえたことが今回の戦争における最大の勝因なのだ。
続いてはフランベルジュ伯爵家で、伯爵家は連合軍をまとめ、ヴァレンシュタイン家を上手く使って連合軍を勝利させたという風にも言える。
それがなくても、エリカが率いていた部隊がファブール軍を突破してヴァレンシュタイン家と共にファブール軍の拠点を押さえたというのもかなり大きい。
なので、ヴァレンシュタイン家とフランベルジュ家については一番手二番手はゆるぎないし、多少の不満はあったとしても、功績に関しては他から口を出されることは無いはずだ。
問題は、三番手以下がはっきりとしないことにある。
今のところ、しいて上げるならカルナディオ家だろうが、それに関してはフドウが連合軍の副官としてフランベルジュ家の補佐をしていたくらいしかない。
まあ、カルナディオ家の後ろにはカレトヴルッフ公爵家が控えているようなものなので、伯爵としては三番手にカルナディオ家を置いて侯爵家の顔を立てたいかもしれないが、それだと戦場でカルナディオ家と同じかそれ以上に働いた貴族たちとしては面白くないので、そこの話でもめてしまったのだ。
あまり言いたくないし言ってはいけないことだろうが、戦闘がもっと長引いて戦争の規模が大きくなっていたら順位をつけやすかったかもしれないし、もしくはファブール軍が引き返してきてもう一度戦闘が起これば問題は解決するかもしれないが……そうなると、勝ちが負けに変わることもあり得るので、功績云々の話どころではなくなってしまうかもしれない。
皆そう言ったことを理解しているからこそ、戦闘以外で功績になりそうなことを少しでも多く引き受けたいという、ちょっと変わった争いになりかけている。
ちなみに、カルナディオ家……と言うかフドウ自体は、どうも三番手でなくてもいいような感じがしている。
まあ、カルナディオ家は侯爵家の意向を受けて半ば無理やり連合軍に参加したようなものなので、あまり目立って違う派閥の敵は作りたくないというところなのだろう。
そんな感じでけん制が続いているうちに話がダラダラと長引きだし、皆の顔に疲労の色が濃くなってきたところで、伯爵が今日のところはこの話を中断し、明日以降に持ち越すと強引に打ち切ったので、俺たちはようやく休憩に入ることが出来るようになった……と思ったら、
「ヴァレンシュタイン男爵はまだ残っていてくれ。少し話がある」
と、伯爵から名指しされたので、居残りが決定したのだった。自動的にディンドランさんも。
「疲れているところ悪いが、まずは今代の雷との戦闘について報告してもらおうか? 直接見たわけではないから詳しいことは分からんが、あの惨状を見る限りでは、現状ジーク以外に太刀打ちできる者はいないように思えてな」
伯爵はケラウノスによって破壊された建物を見て、渋い顔を作りながらそう言った。
確かに、時間を掛ければこれくらいの破壊をすることが可能な者は王国にも何人かいるだろうが、短時間でとなると、公式的にはエンドラさんくらいしか名前は上がらないだろう。
俺は出来る限り詳しくその時の状況を話し、覚えている限りでは今代の雷にかなりのダメージを負わせているはずだとも伝えた。
ただ、この街の冒険者が俺に対して敵対行動とも言えるような様子を見せていたことは、現時点では伝えずに、今後の状況を見て話そうかと思い黙っておいた。
「ジークにはこの街の宿にでも止まってもらおうかとも考えたが、今代の雷やまだ見つかっていないファブール兵がいる可能性を考えると、まだ外で休憩してもらった方がよさそうだな」
俺もその方がいいと思っていたので、街よりも安全そうな元ファブール軍の拠点の一角で休ませてもらうことにした。流石にそろそろ休憩を取らないと、いざという時にろくな働きが出来そうにない。まあ、寝る前に食事が先だけど。
俺とディンドランさんは、仮の宿として伯爵が選んだファブール軍が使っていたテントに入り、中を確認した後で食事の準備を始めたのだが……街に残っていたヴァレンシュタイン子爵軍の他に、何故かエリカとエイジ、それと伯爵までやってきて一緒に食事をすることになったのだった。
まあ、流石にテントの中に全員は入らないので、外にいすやテーブルを並べての食事となったが、同じようにファブール軍の拠点を使って休んでいた他の貴族たちからはかなり羨ましそうな目を多数向けられてしまい、少々居心地が悪かった。
「突然押し掛けた上に、我々までごちそうになって済まなかったな……ところで、あれはもしかしてドラゴンの肉か?」
一度伯爵たちと別れたというのに、なぜまたすぐにあっているのかというと、俺たちがテントに向かったすぐ後で明日の会議の時間を決めるのを忘れていたと、わざわざ言いに来たからだった。
その際、希望する時間はあるかと聞かれたので、昼過ぎがいいと言うとそのままその時間にすることが決まり、後で他の貴族たちに連絡することになり、その流れでついでだから食事に誘ったのだ。
「いいえ、ワイバーンの肉です。下味をしっかりつけているので、ドラゴンの肉に近い感じがしたんでしょう」
「どちらにしろ、高級食材だな。美味かった、ありがとう」
今回もマジックボックスに保管していたもので簡単に済ませたが、今代の雷との戦闘の後だったし皆もかなり働いたので、しっかりとしたものを食べて英気を養う為にちょっと奮発してワイバーンの肉を串焼きにしたものを出したのだ。
まあ、ドラゴンの肉もまだたくさん残っているのだが、それらを調理したものは皆に回るほどの量は無かったのでワイバーンにしたが、伯爵の口にあって少しほっとした。
「これらの料理のほとんどはジークが作ったものとのことだが……これはエリカも負けてられんな」
「いえ、別に料理で張り合うつもりはないです」
何故そこでエリカに話を振ったのかは分からないが……まあ、女なら料理の一つくらいとか、花嫁修業の一環でとかのつもりだったのかもしれない。まあ、エリカには軽くあしらわれていたけれど。
「まあ、料理はエリカよりもエイジの方が頑張らないといけないかもしれませんけどね」
「ほう……その心は?」
「エイジの方が戦場や遠征で野営する機会が多いでしょうし、その時に自分で調理することが出来れば、まずい飯や安全を確認できない料理に悩む必要が無くなりますから」
次期伯爵ともなれば、戦場だけでなく遠征先で作られた料理を口にする機会もあるだろうし、その時に食べ物に関する知識がないと危険な目に会う可能性もある。
ある意味では、戦闘技術を磨くよりも難易度が高いのかもしれない。
「確かにそれも一理あるな。流石一流の冒険者としても活躍しているだけのことはある。それに、それはエイジだけでなく、他の騎士や兵士にも言える話だ。早速全体的に取り入れるようにしてみるとするか」
俺の場合、前の世界での知識と経験に加え、この世界でも旅をして一人暮らし(厳密に言うと違うけど)もしていたので、人並み以上に料理は出来る。もっとも、前の世界の知識のおかげで、こちらの世界の人よりも料理の種類や調理法を知っているというだけなので、本職の人に調理法を教えるとすぐに追い越されてしまう。ヴァレンシュタイン家の料理人たちとかみたいに。
「最悪、毒のあるものだけでも知っておけば、いざという時の生存確率は上がると思いますね」
森なんかは食材の宝庫とも言えるが、それと同時に毒物の宝庫でもあるのだ。
冒険者が山で遭難した際、空腹に耐えかねてそこらに生えていた草を食べて死んだというのはよく聞く話で、食べなくても口にくわえただけ、軽く触れただけで死に至るものも数多く存在する。
ちなみに俺の場合、最低でも俺一人なら一年は軽く持つくらいの食料が常に入っているので、遭難しても空腹で死ぬという可能性は低いが、興味本位で怪しいものを口にして苦しんだ経験はかなりの数存在する。
もっとも、それは黒の適性が高いものは毒に強い傾向があると理解した上で、なおかつ回復魔法が使えるからやったことだ。
それに、それはただ単に危険な状況を味わいたいというわけでなく、実際に魔物や他人に使う際にどういった効果があるのかを確かめる為でもあるので、全くの無意味というわけではない。ついでに、毒を摂取することで、俺の毒に対する耐性がさらに強くなる……かもしれないし。
そんな話を伯爵としていると、エリカはなるほどと言った感じで頷いていたが、エイジは頷きながらもどこか遠い目をしていた。
どうやらエイジは伯爵の訓練がより一層厳しくなると思っているのだろうが、貴族の当主や後継者が毒殺されたなど、歴史的に見ればどの世界のどの国でも何度も起こった話なので、厳しくてもやり遂げなければならないだろう。俺みたいに、毒を使おうと考える者はいくらでもいるのだから。
食事も終わり、その後の世間話も一区切りついたところで伯爵は自分の騎士たちのところに戻っていったのだが……
「何でエイジとエリカは残っているんだ? エイジはもう俺の影武者をやらなくてもいいし、エリカはそもそもここにいる必要がないだろ?」
二人が俺と同じように伯爵を見送っていたので疑問に思い聞いてみると、
「「あ!」」
と声を揃えて、急いで伯爵の後を追いかけて行った。そして、すぐに戻ってきた。
「何か、私たちの寝る場所が用意されていないみたいだから、今日のところは昨日と同じようにジークのところに泊めてもらえって……エイジと一緒に」
とのことだったので、エイジは俺のテントに入れて、エリカはディンドランさんに預けたのだった。
それにしても……俺がしたみたいに、適当なテントに押し込めて布団を渡せばいいだけなのだから、目る場所が用意されていないというのは伯爵の嘘なのだろう。大方、この二人と同じようにヴァレンシュタイン家の場所で寝るものだとでも思いこんでいたのだと思う。
翌朝、今代の雷とやりあったせいでかなり疲れていたこともあって、自分でも昼前くらいまでは寝ているものだと思っていたのだが、何故かいつもより早い時間帯に目が覚めてしまい、二度寝も出来そうになかったので眠気覚ましもかねて軽く体を動かすことにした……のだが、
「もう……無理……」
「だらしがないわね。人も目もあるから、そんなところにうずくまっていないで、せめて端の方に移動してから座っていなさい。分かったわね、エイジ!」
「ジーク、こっちはもう一本行くわよ!」
何故か俺の後に続くようにしてディンドランさんとエリカも起きてきて運動に加わり、体が温まってきたところで、「せっかくだから軽く手合わせでもしましょうか?」とディンドランさんが提案し、それにエリカが賛成したことで俺の意志を無視して実践的な訓練が決定となり、ついでだからとエイジも叩き起こされて強制的に参加させられることになったのだ。
そう言った理由もあり、寝起きのエイジはディンドランさんとエリカとの連戦で早々に脱落することになったのだった。
まあ、ディンドランさんとエリカに目を付けられた時点で、寝起きとか関係なしに脱落は確定していたので、気絶しないだけ上出来だったのかもしれない。
「ディンドランさん、さっきのは流石にやり過ぎじゃない? もう少し手加減しないと、エイジのトラウマになるよ」
「あれくらいでトラウマになるのならそれまでの人間と言うことよ。それ以上の成長は見込めないから、早め気付かせてあげた方が本人の為よ」
いや、確かにそう言う考えもあるだろうけど、ヴァレンシュタイン家の関係者ならともかく、エイジはフランベルジュ伯爵家の人間なのだから、それはディンドランさんではなくエリカか伯爵の仕事だろう。
などと考えはしたが、口には出さなかった。何故なら、そんな余裕などないからだ。
ディンドランさんは、確かに『軽く手合わせ』と言っていたはずなのに、始まってしまったとたんに自分の口から出た言葉を忘れてしまったらしく、ヴァレンシュタイン家でやっているような手加減とは程遠い攻撃を仕掛けてくるのだ。
これはエイジでなくとも、常人ならトラウマを植え付けられても仕方がない。むしろ、エイジがあの程度で済んだことを考えれば、ディンドランさんなりに手加減はしていたのかもしれないが……朝からこれでは、昼前に体力が尽きてしまうかもしれない。
「いい時間帯だし、そろそろ終了にしましょうかね?」
「何を勝手に……って? ちょっと、何よこれ?」
俺は強制的にディンドランさんを止める為に、シャドウ・ストリングを使用したのだが……ディンドランさんはこの魔法がアラクネの糸を使っていないと見ると、当然のように力任せに引きちぎろうとした。
だが、今日の俺は非常に調子がよく、いつものシャドウ・ストリングだとディンドランさんを一秒も止めることが出来ないのに対し、今日のものは一秒以上も耐えている。
つまり、引きちぎられる前に次のシャドウ・ストリングがディンドランさんに絡みつき、二本目が引きちぎられる前に三本目と四本目が絡み、三本目が引きちぎられる前に五本目と六本目と七本目が……と言った具合に、徐々に黒い糸がディンドランさんの自由を奪っていったのだ。その結果、
(黒いダルマ……いや、起き上がりこぼしみたいだな)
体全体が黒い糸で包まれたディンドランさんが出来上がった。
ちなみに、俺が何故そんな連想をしたのかというと、ディンドランさんの動きを止めようとした結果、下半身により多くのシャドウ・ストリングが絡むことになり、球体のように見える程の量が絡まってしまったからだった。
「朝っぱらから元気だ……これはいったいどんな状況だ?」
「くっ……まさか、こんな辱めを受ける羽目になるなんて……」
朝飯の時間帯になったからか、バンさんが自分のテントからわざわざ俺たちのところまで呼びに来て、起き上がりこぼし状態のディンドランさんを見て固まった。
そしてディンドランさんは、そんな状況を関係が悪化中のバンさんに見られ、恥ずかしそうにしていて、もう少しでくっころさんになるところだった。




