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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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八十六、 夜這いの撃退法



「た、大変でしたね……」


 天香は何とかその言葉を押し出した。

 他にどう言えばいいのかわからない。未遂だからといってそのときに受けた衝撃や恐怖が劣る、なんていうことは絶対にないのだ。実際どれほどのものだったかを思い知っているのは当人だけなのだから。

 ところが玉柚は、そんな気遣いを粉々に吹き飛ばすようなことを言う。


「いや、言うほど大変でもない。しとねどころか蚊帳の内側にすら入れさせなかったから」

「……肝が据わってますね」

 ぽろりと天香がこぼしてしまった非礼すれすれかそれを越えている言葉に、玉柚はからからと笑った。


「いつかやらかしてくれるんじゃないかとは思ってたけど、まさか本当に来るとは思ってなくてね。気づいたときにはむしろ大声で笑っちゃったよ」

「それはまた傷つきそうな反応ね。自業自得だけど」

「傷つけようとしてきた奴が勝手に傷ついたところでこっちは何も痛まないけどさ。まあとにかく、その笑い声で気づいた家の者がそいつを袋叩きにして縛り上げたわけ」


 忘れかけていたがこの人は貴族の当主なのだった。邸宅にはそれなりに控えている人間もいるのだろう。

 御当人には確かに何の傷も無さそうな内容。とはいえ、見た目そう振る舞っているだけの可能性は――いや、この玉柚には無さそうな気もする。

 そんな天香をさらに困惑させるような言葉を、玉柚は口にした。


「男が忍んで行ったら女は黙って受け入れなきゃいけないそうだよ」

「なんですその気持ち悪い言葉」

 それ以外に形容のしようがない。

「自称忍んできた当人が言ってた。すごいぜ、忍んで行くくらい自分が魅力的だと思われてるんだから感謝してしかるべきだとか、当主の重荷を分け合ってやろうという思いがわからないのかとか、まあ途中からまともに聞くのも馬鹿馬鹿しくなって聞くのやめたけど」

「理屈がわかりません」

 どこか遠い異国の方だったんじゃないの?」


 天香も麗瑛も、言葉はわかるが意味がわからない。

 いや、もしかしたらそれを善しとする女性はどこかにはいるのかもしれない。あるいは深窓のご令嬢の中にはそんな人もいる可能性はわずかでもあるのかもしれない。――思いたくはないが。

 だが、目の前にいるこの人間がそういう考え方をするかどうかくらい、少し声を交わしただけでもわかるだろうと言いたくなる。それこそ天香たちでもわかるのだから。


「異国の方でも蛮戎ばんじゅうの民でも地底の洞窟人でもまだマシだったろうけど、そんなのと親戚だっていうのがね……」

「うわあ」


 うわあ、である。

 それ以外に何の言いようがあろうか。

 一応親戚と言うことは自分たちよりもよほど言葉も交わしていたはずである。だというのにそうだったというなら、玉柚が頭を抱えてしまうのもわかる。

 禽獣けだものでも気に入らないオスは蹴っ飛ばされることもある、と天香は思う。

 ちなみに恩義や道理を弁えない振る舞いをする人間のこともおなじく禽獣と呼ぶ。もっとも、その意味でもくだんの夜這い犯が禽獣以下であることは変わらないが。


「理屈がわからないなりに自分の頭で考えたような言葉なのかと思えばだよ、それさえ親や仲間やなんかからの受け売りらしいんだ」

「ずいぶんと頭の軽い人がいらっしゃるのね」

「瑛さまっ」

「そこまでの莫迦バカとは知らなかったよ。――そんなのを送り込んで何とかなると思われていたこともあわせて腹立たしいムカつく

 吐き捨てるように玉柚が言った。

「もちろん、本人と自分の息子を送り込んだ莫迦は謹慎させて代印も取り上げておいたけど、そのときの反応から察するに、他の連中も多かれ少なかれ似たようなことを企んでそうだってのもわかった。今回は何とかなったけど――」

「次もそうかはわからない。それで逃げ出した」

「そういうことです」


 確認した麗瑛にそう答えて、玉柚は肩をすくめて見せた。

 以上がここに来た顛末だ、と言いたいらしい。

 冷茶をくいと飲み干す玉柚に、天香は問いかけた。


「よく気づかれましたね……?」

「ん? ああ、夜這いか。一人で寝ていたら違ってただろうね」

「え?」

 ふふっと含み笑いをして、玉柚は茶杯を持ち上げると、

「レイ」

 と侍女に呼びかけておかわりを要求した。

 ただいまお持ちします、と天香とそう変わらない年頃の小柄な侍女が心得たように返事をする。


「さっきは『女の身で当主など~』とか言われたって言ったけれどね、自分では女というものも気に入っているんだ。女の身体でなければ後宮に逃げ込むなんていう手は使えなかったし。それに――」


 言葉の途中で、おかわりを持ってきた侍女が代わりの茶杯を卓に置いた。

 侍女がわずかに頭を下げて礼をしたその瞬間、玉柚はその手を引いて。


「あの……、む゛――!?」


 侍女の腰を抱いて、その唇に口付けた。

 小柄な侍女が驚いたようにもがくが、やがて諦めたか力尽きたのか、たらりと腕を垂らす。


「――男じゃあ、気楽にこんなことも出来やしない。いらない目くじらを立てられるだろう?」

 爽やかにあまりにも爽やかに言う玉柚の隣で、レイと言うらしい侍女は顔を赤くして顔を覆っていた。


「なるほど。それで夜這いを撥ね付けたのね」

「いや別に男でも構わないよ? ――経験はないけど。まあ、相手の程度が悪すぎたからね。それに誰だって、おとめを散らすならそれなりの相手にそれなりのやり方をしてほしいものだろ、違うかい?」


 女が好きだからだけではないと言いたいらしい。


「……程度がよければ夜這いも受け入れたんですか」

「貴族の婿に取るには色々条件があるけどさ、。少なくとも人に唆されて夜這いなんてかけてくる時点で問題外だよ。そもそもこっちの意志を無視されるのは大嫌いだし」


 その気ままさは貴族の娘らしいと思えた。が。


「それはともかく瑛さま。ちょっと苦しいんですけど」


 得心したように頷く麗瑛は、しかしその両腕をがしりと天香の体に巻きつけて抱きしめている。

 くちづけを見たそのとき、瞬間的に飛びつかれて勢い余って若干逆側に体ごと傾いたくらいだ。

 麗瑛の行動を見ておかしそうに笑いながら玉柚は言う。


「そんな警戒されたって、人のものに手は出さないよ。それに驚かれるようなことでもないと思うけどね」

「いきなり目の前で口吸いキスを見せつけられたら誰だって驚きます!」

「だって君たちだって似たようなものだろう?」

「人前でそんな! ちゅっちゅちゅっちゅしては――いない、と……」


 少なくとも蓮泉殿以外の人間がいるところでそんなことをした覚えはないが、その声は明らかに尻すぼみになる。

 いま抱きしめられているのは除く。


「そうなのか。そんな噂を聞いたんだが」

「天香声が大きいわ」

「……いったいどんな噂を聞いたんですか」


 麗瑛にたしなめられて声を必死に落ち着かせて、天香は訊いてみる。

 えてして後宮の噂というのがどういうものか見当はつく。自分たちについてもそんなものがないわけがない、とは思っていた。実感もしているし、身に覚えもある。

 けれど、それがあまりにもあんまりなものであれば、物申さずにはいられない。


「そうだなあ、例えば……蓮泉殿に勤めると二人のどちらかの毒牙にかかる、とか、あるいは気に入った女官を篭絡して侍女に引き入れた、とか、えーとあとは」

「瑛さま以外にそんなことしません! っていうか女官ってそれ光絢の……ああいや、とにかくそういう経緯で引き抜いたわけじゃありませんし――っ!」


 ひとつひとつ突っ込んでいたらきりがない。そのうえ玉柚の口ぶりからすればまださらに続きがありそうだ。


「天香、そろそろからかわれてることに気づきなさいな」

「……えっ?」


 玉柚の顔をうかがえば、にやにやとだらしない笑みを浮かべていた。

 その切れ長の瞳が面白そうに煌めいている。


「ぎゃ、逆になんで瑛さまはわかるんです、からかわれてるって」

「それくらい調べはついてるんでしょう? 落ち着いて考えて天香。この人、わたし達が結婚してることをここに来る前から知ってたじゃない。どうやってかは知らないけれど、噂のどこまでが本当か最初からわかってると思うわ。違う?」


 言われてみればそのとおりだった。

 玉柚は披露宴の直前に、いきなり結婚祝いと現れたのだ。夜這い事件あんなことがあって時機を図っていたとしても、あるいはその前から知っていたからこそ、あの場に現れることが出来たのか。

 今の一連の会話だって、噂で聞いたといえばそれに食いつくだろうと見透かされていたようにも思えてくる。

 なんとなく彼女の手のひらの上で転がされているような気がする。そんな自分の単純さが恨めしい。


「ちょっと過大評価がすぎますよ、殿下」

「そうかしら。そうは思えないけど」


 いやいやそんなそんなと含み笑いを交わし合う二人を見て、天香は若干の疎外感を感じてしまう。何か通じ合っているようなのが――気に食わない。

 少し間をおいてから、麗瑛が「それで」と微笑みながら切り出した。


「助ける、というのは結局、何をすればいいの?」

「例の勘違い男を処罰しろってことですか?」

「勘違い男か。いいね、使わせてもらおう」


 天香の言葉に、彼女はそう軽く笑い。


「しばらくの間、ここに――後宮に置いてもらえないだろうか」


 その言葉に、しばらく会話が止まる。

 小首を傾げて、天香は言った。


「……それくらいなら、別に構わないんじゃないですか? 今だって長逗留してるんだし」

「言い直そうか。後宮ここから追い出されないようにしてほしい」

「お兄さまに口を利けというのね」

「そしてそれを広く知らしめてほしい。鄭家の当主に話を持ち込みたいなら後宮に連絡を寄越せ、ってね。もちろんうちの家令にはこちらから連絡を取るけれど」


 後宮の中の差配は当然麗瑛たちの領分だが、その後宮への出入り自体は帝の許可を得てのことで、それは何度か言ったとおりだ。

 つまり、青元にその気がないだけで、ほんらい勅命をもってすれば後宮を退去させることも可能なのだ。そして退去させられてしまえば、玉柚の帰る場所は鄭家の本邸――別邸もあるのかもしれない、いやおそらくあるのだろうが――であり、結局同じことの繰り返し、あるいは最悪、もっと強硬な手段に出られてもおかしくはない。今まではそうではなかったからと言ってこれからもそうだと決め付ける、その愚かさは天香にもわかる。

 要するに、向こうが何か言ってくるか、あるいは情勢が変わるまで後宮に逃げ込んで待ちたいと玉柚は言っているのだった。付け加えた条件は、当主不在をいいことに親族に家政を壟断されないようにするためだろう。


 そこまで考えた上で後宮に逃げ込んで来たのかと、天香は目の前にいる女性のことが少し空恐ろしい。

 年齢にして二つか三つか上なだけであるのに、その年になっても自分がこうなれるとは思えなかった。


「そんなに長い間にはならないと思うよ。せいぜい楽しくやろう。――ところでさっきのおとめの話に戻すけど」

「戻さないでください」

「……察するところ、お二人はそういう馴れ初めじゃなかったのかな?」

 蒸し返されて、天香は再び声を荒げる。

「知りません! 喋るつもりもありません!」

「おや、残念」


 玉柚がおどけて言い、麗瑛がくすりと笑った。



 鄭家当主・鄭玉柚の後宮滞在が発表されたのは、その翌日のことだった。

 なお、彼女の予言・・はのちに大きく狂うのだが――この時は誰も思ってもいなかった。



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