表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
89/113

八十五、 出奔の理由



「陛下!」


 呼びかけられて振り向けば、そこには朱塗りの柱の並ぶ廊を肥えた体を震わせて小走りに走ってくる左大臣の姿があった。

 青元は鼻から軽く息をついて応じる。


「何用か、左大臣」

「……ええ、そう、なのです、陛下」

 左大臣李恒念こうねんはぜいぜいと何度も荒く息を吐きながら言う。

「重陽の、節句のことでして」


 重陽は別名を菊の節句とも言う。邪気を祓い長寿を願う行事である。

 一年のうちでも最大級のもので、宮中だけでなく城下でも数日に渡ってお祭り騒ぎが繰り広げられる。もちろんこんな場所でわざわざ話題に出すからには、城下の祭りではなく宮中で催される宴の話だろうと青元は目星をつけた。

 祭祀そのものではなくその後、後宮の妃嬪も出席して盛大な宴を執り行うのだ。そして李恒念がその話題を出すということは。


「我が娘に、その差配をどうかお願いしたく」

 拱手して畏まりながら恒念が口にしたのは、ある意味で青元の想像通りの、そして前にも聞いたような言葉だった。


 もちろん答えなど決まっているが、青元は考え込む素振りを見せる。

「……だが、病み上がりの女人に重責を負わすわけにも行くまい」

「病み上がり……?」


 不思議そうな声を上げる恒念の表情に青元は少し拍子抜けをする。

 てっきりそれを押してねじ込みに、もとい強く願い出に来たのだと思っていた、のだが。


「李妃は病を得て臥せっているというぞ? そなた聞いていなかったのか?」

「も、申し訳ございません。どこぞで手違いでもあったか……もしくはわざわざ私に知らせるほどのものでもないか、ということなのかもしれませんが――。その、病の具合について、陛下には伝わっているのでしょうか」

「大事無い、とは聞いている」


 青元は嘘をついた。

 ただの夏風邪であることはすでに報告を受けている。が、それをわざと伏せてあいまいに言ったのだ。

 あれこれと機を見ては口を出されるのは快いものではない。洪妃の父親の洪将軍は、本心はともかく、ここまで露骨ではない。露骨でないからいいというものでもないが、まだマシではある。

 ちょっとした意趣返しのつもりだった。


「あーその、なんだ、帝というのは辛いものだな。見舞いにも行かせてもらえない」

 弁解するようにそう付け足した。直接様子を見ていないことは左大臣とも変わらない。ただ、太医の見立ては信用している。

 その付け足しをどのように受け取ったか、左大臣はむしろしみじみと言った。


「御心中、お察しいたします」

「というわけで余も詳しい話は知らぬ。知りたいのなら当人かその周りの人間に聞いてみればよい」

「――陛下」


 緊張した面持ちで、若い文官が割って入ったのはそのときだった。


「何だ。この場に割って入るとは、ぶ、無礼ではないか。弁えよ」

「待て左大臣、咎め立てするのは用件を聞いてからでも遅くあるまい。火急の知らせかも知れないのだからな。大臣の言葉は気にしなくていい。言え」


 不機嫌そうに文官に文句を垂れる恒念を制する。

 青元の許しを得て、若い文官はたどたどしく告げる。


「は、失礼します。御史室長より、御報告申し上げたいことがある、とのことにて」

「そうか。左大臣。聞いてのとおり余は御史室長のところへ行かねばならんようだ。宴の件は追って知らせる。もう一度言うが、とにかく病み上がりの人間に差配させる気はない。それが李妃だろうと、他の人間だろうとだ。よいな?」

「はっ」


 念を押すように青元が言うと、恒念は意気込んで話しかけて来たときとは打って変わって静かに、しかしどこか浮き足立って落ち着かないような態度で返事をした。



 御史室長、高栢里の執務室は、房室へやの主の性格を表すように小ざっぱりと整頓されている。目立つ私物のようなものは一切ない。

 青元は長椅子に腰を下ろして、栢里と相対する。

 糸のような目をやや困惑するように傾けて、栢里が口を開いた。


「御足労をお掛けしまして――呼ばれればそちらに参りましたものを」

「いや、むしろ気分転換になる。ここに行くといえば追いすがってくる人間もいないしな」

「左大臣どのあたりに追い回されましたか」

「相変わらず、見てもいないのによくわかるな」

 青元は茶化す。

 まあ、そんな行動に出る人間が他にいくらいるかといえば――いないわけではないが――筆頭は左大臣李恒念であろう。


「――それで、報告というのはやはり例の件か」

「御意に」


 短く答える。

 例の件――鄭家当主、鄭玉柚についての話である。


「率直に申し上げますと――軟禁されていたようです」

「軟禁――当主がか?」

 青元は眉を寄せた。


* * *


 ほぼ同じほどの時刻、安秀舎。

 麗瑛と天香は、鄭玉柚の言葉に目を丸くしていた。

 天香は少し信じられない思いで言う。


「逃げてきたって――だって、ご実家なんでしょう?」

「公主殿下には言わずともお分かりいただけるかもしれないけれど、貴族の家というのは色々と込み入っていてね。あまり愉快な環境ではないんだよ。……ワタシが当主になった経緯いきさつは知っているかい?」

「先の難で、お父上さまと兄上さまをすべて亡くされて――」

「ああ、父はともかく兄たちに敬称なんてつけなくてもいい。上の兄は愚物、下の兄は俗物だった。聡明さという点では|殿下のお兄さまの足元にも及ばない、いや、及ばなかっただろう」


 答えかけた天香に対して、さらりと毒のある言葉。

 実の兄弟に対して厳しすぎる評価というほかなかった。いや、実の兄弟だからこそ下せるものなのかもしれないが、いずれにしてもその兄というのを天香は知らないので、即断は出来ない。

 わかるのは、玉柚と兄たちは互いにいい関係ではなかったのだろうということだ。同じ兄と妹でも、天香にとって一番身近な二人とは大違いで。


「あら、じゃあお父さまのことはそれなりに認めているのね」

「生きている頃はもっと凡庸だと思っていたけれどね。いい歳の娘をかわいがりすぎるのだけはいい加減やめてほしいと思ったけど。――実際、あんな親戚連中をよく制していたものだと思うよ。そこは評価しないと」

「あなたの親族というのは、そんなに酷いものなの?」

「言葉が過ぎますよ、瑛さま」

「いや、過ぎないね」


 過ぎないらしい。

 天香、再び絶句する。

 そんな天香を尻目に、軽く頬杖をついた姿勢のままで、玉柚は言う。


「父のことを凡庸といったけれど、あれらに比べるとそう呼ぶのが悪く思えるくらいだ。いや、上の兄ですらあれに比べればまだマシだ。はっきり言えば我が家の家財にぶら下がって内から食い荒らしているだけで、しかも当人達にはその自覚がないときてる」


 父親のことを話すときは、その表情が少し懐かしげなものに思えた。

 それだけに、後に続く指弾の言葉がより苛烈に聞こえる。


「ご苦労されたのね」

「……いや、苦労したのは自分じゃない。下の者達だよ」

 溜め息をひとつついて玉柚は言う。

「彼らにはすまないと思っている。自分だけこんなところに逃げてきてしまった」

「あの、その逃げたというのは結局、どういうことなんでしょう?」


 天香は訊ねた。

 なかなかそこにたどり着いてくれないので、さっきからやきもきしていたのだ。

 聞いていても、逃げるところまで考えが繋がらない。そんなわからず屋の親戚たちとやり合うのに疲れきって、それで逃げてきたのだろうか。

 それに対する返事は先ほどと違ってどことなく歯切れが悪かった。


「嫌気ももちろん差したんだが、その、それ以前の問題なんだ。今の、苦労がどうこうというのとも通じるんだが」

「自分は苦労していない、と言っていたわね」

「ああ。だって、こっちは日々ごろごろとしていただけだからね」

「ごろごろって、当主ってそんなに暇なんですか?」


 もちろんそんなわけがない。疎い天香でさえそれくらいはわかる。

 他の家との付き合いもあるだろうし、領地の運営もあるだろう。家屋敷そのものの管理もあるはずだ。それぞれの仕事は担当の家人がいるとしても、差配そのものは当主の仕事――後宮でいえば麗瑛や女官長の仕事のように。

 仮にも当主であるはずの彼女が、やるべきことがなかったということ、あるいは――。


「させてもらえなかった……?」

「御名答。さすがと褒めておこう」


 褒められた気がしない。もちろん心から褒めているわけでもないだろう。貴族の言い回しは面倒くさい、と天香は心中で溜息をついた。


「まあ、これは渡さなかったけどね」


 その天香を見ながら楽しそうに玉柚は言う。

 そして手のひらにおさまるほどの小さな巾着を取り出すと、それをつまんでみせた。金銀糸を使った綾錦の模様がきらりと光を反射した。

 天香は聞く。


「それは?」

「当主の印章――真印しんいんだよ」

「じゃあ、親戚って人たちには代印を?」


 印章。

 大きな貴族の家であれば、すべての文書や書状を当主ひとりでは捌ききれない。そこで信頼のおける家臣が代行することになる。当主が持つ印章を俗に真印といい、それに対して代理が持つものを代印という。

 もちろん玉柚の鄭家は家格でいえば琳国でも有数の大貴族である。代印があること自体はおかしいことではないが、それをあれほど強烈にこき下ろした相手に渡しているというのは。


「実権を奪われていた、ということ?」


 天香に代わって麗瑛が言う。


「真印がこっちにある以上、一番重要な辺りの決済はあちらじゃ通せないから、全部まるっと奪われていたとは言えないんだが……まあ、そういうことだよ。あちらは自分たちの分をちょろまかせれば満足のようだったから、最初は問題はなかった。――そういうところがこすいよねえ」


 玉柚はそう言って、呆れたように鼻を鳴らした。


「最初の頃は、ということは?」

「そう、それだけじゃ満足できなくなって、こっちの真印まで狙い始めたのさ」

「やるのなら最初からやればよかったのに、ねえ」

「まさにそのとおり。そうしないと言うか、そこまで頭が回ってないあたりが限界なんだろう。そんなのにくれてやれるほど、この真印は軽くないんだ。家で働いてくれている人間もいることだし」

 麗瑛が冷ややかな声色で言い、玉柚が軽い笑い声を上げて同意した。


「だから、まあグチグチと言われるたびにハイハイそうですかって軽く流し続けてた」

「一応聞いておきますけど、どんなことを言われたんです?」

「恩着せがましく後見をやってやろうとか、拒否したら女の身で当主など務まるものかとか、まあお決まりのやつを一通り」

「予想の範囲から一歩も外に出てませんでしたね……」


 そういうところも玉柚の癇に障ったのかもしれない。そんな性格なのだろう。予想したことがそのとおりに起きるのはつまらない。予想だにしないことが起きるのが一番楽しいというふうな。


「そうやってのらくらかわし続けながら、自分は奥に引き込んで日々ごろごろしてたんだ。どうしても重要な書類だけは信用のおける人間にこっそりと運ばせてね」


 だから真印と代印の二つの文書を受け取ることになった家令にこそ一番苦労をかけてしまった、と玉柚はこぼした。


「さて、そんなことを繰り返していたらどうなったと思う?」

「どうなったんです?」

 にい、と頬を片側だけ器用に吊り上げてみせる。

「寝室に男を送り込まれた」

「は?」


 麗瑛と天香の声が重なった。

 いや、意味はわかるけれども、わけがわからない。

 ぽかんとした顔になった二人の顔を見て「そうだその顔が見たかった」なんて言いたげな顔をして、笑いながら玉柚は言う。


「もちろん、未遂で叩き出したけれどね?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ