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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
三章 後宮 編
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六十三、 うわさ話は飛躍する 上



 天香は暇だった。

 暇というよりも、麗瑛が柳宗の歓待にかかりきりになっていて、天香は手持ち無沙汰なのだ。

 麗瑛が歓待に赴くなら天香もそれについて行くのが当然だと思っていた。しかしそれに反して麗瑛から下されたのは「蓮泉殿のことをお願いね」という言葉。

 その言葉自体に否はない。そのうちにはそういうことにも慣れなければならないのだから。それで天香は蓮泉殿の中のこまごまとしたこと、調度の修繕や襦裙じゅくんの繕いについて指示を出したり、あるいは麗瑛や光絢の手蹟を手本に書の練習なんかをしてみたり、歌集まで読んだりしてみた。

 のだが。


「やることがないのなら休んでいればいいじゃない」

「そういうわけにもいかないでしょ……」


 いつもの女官房。

 こまごました仕事がなくてむしろうらやましい、なんて言う福玉の言葉に嘆いてみせて、天香は椅子の背にもたれかかる。

 福玉相手に愚痴を言ってもしょうがないのだけれども。

 と、これもまた顔見知りの女官、豊寿ほうじゅが部屋に入ってくるなり口を開いた。


「ああ疲れた。あー、なんか食べてる」

「天咲の差し入れですよ」

「ありがとー」

「いえいえどうぞー」


 そんなやり取りを交わしつつお茶をすする。

 ほう、と誰ともなく息をついたところで、茶杯を戻して豊寿が口を開いた。


「それにしても、あのお二人は仲が良くていらっしゃるわねえ、天咲」

「ああ、今もしてました、その話」


 麗瑛と柳宗の話題である。

 柳宗がやってきてから二日にして、後宮の話題といえばその二人のことで持ちきりだった。

 どこに行ったあそこに行ったそのときの様子はどうでこうで、と、同行してさえいない天香にもわかるくらい詳細にご動静が流れてくる。

 わざわざ睦まじさを見せつけるかのように、麗瑛はあちらこちらに柳宗を連れまわしているようだった。その中には茶会の舞台になった涼亭あずまやだったり、ついこの間の幽霊騒動のあの裏道だったりも含まれている。その行動はなんだか、親の留守中にあったことを逐一報告する子供みたいにも思えてしまうほどだ。

 それもこれも柳宗にかかりきりになっている麗瑛が悪いと、天香はもやもやした思いのぶつけどころを適当にすえつけている。年に何度も会えない相手だけについ構うのもわかるし、夕には蓮泉殿に戻ってくる。そもそも前もって言われていた範囲のことしか麗瑛はやっていない。だというのに。

 思っていたよりも、なんというかその、堪える。


「実の兄君よりよっぽど兄妹みたいよね」

「それだけ心を許してらっしゃるってことでしょうねえ」

「お二人とも麗しい方だからなお絵になるのよねえ」


 ――まあ私だと絵にならないから仕方ないかもしれませんけどっ。

 そんな言葉が、喉の奥で止まる。

 伝わってくる話のほとんどが、こんなふうに二人の仲睦まじさの様子となれば、天香が平常心でいられないのも当然だった。あれこれと手を出してはすべてなんとも手につかず、結局ここに来てもやはりそんな話に踊らされる。しかし考えてみればそれを目の前で見てしまうのとこうやって話に伝え聞くのではどちらが――いけない、やめよう。

 もちろんそんなつまらない嫉妬心を燃やす必要なんてないのだと、天香は自分でもわかっているのだ。けれど、それでもそのもやもやとした感情の処理の仕方がわからない。


(大丈夫だって、思ったんだけどなあ)

 そう判断したのも自分なら、お任せくださいとかなんとか麗瑛に言ってみせたのも自分だ。だというのに、その決意はいつの間にやらふにゃふにゃと柔らかくへたり込んでいる、そんな感覚がある。

 どんどん自分がわがままになっているような気がして、わがままな自分に嫌気すら感じてしまうのだ。


「――それで、天咲はどうするの?」

「どちらに行くの?」

「……何が、です?」


 わくわくとした顔で問われた言葉の意味がわからず、天香はぼんやりと聞き返す。


「聞いてなかったの?」

「すいませんちょっと考え事を」

「だからあ、殿下が湘王さまにご降嫁されたら天咲はどちらについて行くのかってこと」


 直前にすすったお茶が喉に変に入って、げほげほとむせる。

 息を整えるのももどかしく、天香は問いただす。いや、正確にはただそうとした。


「いったい、誰がっ、えい、公主殿下の、御降嫁!?」


 焦った上にむせたばかりで息が続かない。端的な言葉だけが口からこぼれて床に落ちる。

 そんな珍妙な言動だというのに、福玉は意味を汲み取ってくれた。すこし痛ましいものを見る目なのはしょうがないとして。


「誰がって、そりゃみんなというか」

「あんなに仲睦まじいご様子ですもんねえ」

「でも今の天咲の反応からすると、そういう話じゃないのかしらね」

「わからないわよ。女官わたしたちにはまだ伏せてるのかも」

「ありうるー」


 二人は二人で盛り上がっているが、天香はただ目を白黒するしかない。


「それで、そうなったら天咲はどうするの」

「どど、どうするって、だからいったい何が――」

「いえ、もちろん天咲は奥のきみにもお仕えしているんでしょうけど、でも殿下にも信頼されてるじゃない? もしかして引き抜かれるとかさ」

「あ……」

 焦るばかりで空回りしていた考えが、そこでやっと少し落ち着く。

 ああ、だからそういう話を振られたのかと納得がいったから。


 奥の君とは蓮泉殿の御方――つまり天香自身のことだ。蓮泉殿に入ったはいいがその後公の場に姿を現さないことから、蓮泉殿の奥から出てこない方という意味でそんな呼び名がついてしまった。噂がどんどん一人歩きしているのは知っているけれど、それを訂正するには自分のことも明かさなければいけないわけで。

 仕方ないと思いつつ、どこかでまたもやっとする感情が頭をもたげてくるのだ。


 そのいっぽうで一女官の天咲としては、そんな奥の君に仕えつつ蓮泉殿の仕事もやり蓮泉公主れいえいからも目を掛けられていて、一時期は尚宮にも出向いている、とかいうなんだか中途半端な理解をされている。ただ、新人に仕事を一通り経験させるために融通しあうこと自体はないわけではない、らしい。たとえば福玉も見習いのころにあったと言っていた。だからそこまで悪目立ちはしていない。幸いなことに。

 逆に言うなら、だからこそ今回こんな質問をぶつけられる羽目になってしまった。

 奥の君と麗瑛のどちらについていくのか、なんて。


「そんな、難しいことを聞かれても……」

 半分以上本心から、そう天香は答えた。正直に言って答えようがない。

「そうよねえ、それにただでさえこれから――」

「失礼致します」


 涼やかな声がかけられたのは、豊寿が何かを言いかけたちょうどそのときだった。


「はあい? あら、どちら様?」

「こちらに蓮泉殿の――ああ、いらっしゃいましたね。お久しゅうございます。茶会以来ですね」


 自分に視線を合わせて軽く微笑むその女性に、天香はわずかに見覚えがあった。

 本人の言葉から記憶を辿る。


「ええっと……あ、洪妃さまの……?」

 

 それは、茶会のとき天香と一緒に洪妃を介抱した、洪妃の筆頭侍女だった。

 ひとつ首肯してみせて、彼女は用件を切り出す。


「実は、蓮泉殿の侍女の方に直接話したいことがあるので連れてまいれ、と。我が主からの命によりまして、そちらの――」

「あっ、て、天咲てんしょう、です」

 そういえばあの時名乗ってなかったかもしれない、と今思い出す。


「天咲さまをお迎えに参りました。大した用件と言うほどのものでもないのですが――ご足労願えますでしょうか」

 頭まで下げてみせるが、それは実質的には丁寧な命令だった。

 断るという選択肢は無いし、またそんな可能性なんて考えのうちにも入れていない、と言う意味で。


「よ、喜んで、お伺いいたします」


 そう言って少し持ち上げた唇の端がひくつくのが、天香自身にもわかった。

 大した用件ではないなんて言われても、はいそうですかと落ち着けるものではない。この時機にわざわざ洪妃直々に呼び出されて、大した用件でないはずがないだろうと思う。それどころか――。

 そんな事を考えながら部屋を出て行く天香を見送って、豊寿が残念そうに口を尖らせる。


「もう、ここから先が一番聞きたいところだったのにー」

「また今度聞けばいいじゃないですか。天咲だって混乱してたみたいだし」

「福玉ちゃんは聞きたくないの?」

「本人が何を言えばいいかもわかってないときに聞いたって、意味がないと思いますよ」

「そうかしら」

 豊寿をなだめながら、福玉がほっと息をついて背をゆるめた。



 いっぽう、天香は侍女に先導されて桃清殿とうしんでんへと入る。

 洪妃の暮らす桃清殿は、蓮泉殿よりもやや大きい建物だった。初めてそこに入ったからか、あまり飾り気がないように感じるのは、洪妃の性格から来るものなのだろうか、なんてことを天香は思う。

 その中の一室に招き入れられた天香は、なぜかうずうずとした様子で待ち構える洪妃と直接相対する。

 そして挨拶もそこそこに、洪妃は口を開いた。


「――で、蓮泉殿の御方がご懐妊という話、本当なの?」

 と。



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