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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
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百六、 二日目 登高 一



 明けて、重陽節の二日目。

 天香たちは用意された車に乗って北苑ほくえんに向かっていた。名前の通り、宮城から見て北側にある庭苑である。


「晴れてよかったわね」

「雨だったら大変そうですもんね」


 雨なら雨で室内の宴に切り替わるのだろうけれど、準備にあたっていた官人たちにはより大変だろう、と天香は思う。

 この日の宴は屋外で行われる。屋外ならどこでもよいというわけではなく、北苑でなければならない。なぜかと言えば、北苑には丘があるからだ。

 重陽節には登高とうこうという行事がある。文字通り高いところに登ることで、山に登って病魔を避けたという古い言い伝えが発端だという。そこから転じた厄払いの行事だ。――とはいうものの、現代においては結局は宴である。丘に登り、そこで酒席を設けるのだ。

 昨日の宴はあくまで後宮妃嬪を含めた帝とその一族だけの小規模なものだった。それに対して今日の宴は貴族や高官も参加する規模の大きいものである。とはいえ、その全員が一堂に集まって酒卓を囲むわけではない。


 北苑に入ると、あちこちに白い陣幕が張られていた。

 参加者たちはそれぞれの幕に振り分けられていく。妃嬪たちは一人でひとつ、家族で招待されるような高官は一家で一つ、官人たちは自分の部署で一つ、と言ったように前もって定められている。親しい間柄ならその間を行き来したり、上司のところに機嫌伺に行ったりと行き来自体はできる。もちろん妃嬪たちの幕は一般人とは離れたところにあり、侍衛じえいの人間が見るからに頑丈そうな棒を携えて警護に立っている。

 麗瑛と天香に割り当てられた幕に入ると、地面には厚い毛氈もうせんが敷かれており、くつを脱いで腰を下ろしてくつろげるようになっていた。幕は高いところから景色を眺められるように一方が開けられていて、眼下の庭苑が見下ろせる。天香たちの場所からも、眼下に菊花が咲き誇っているのが見えた。それでいて他の幕の中は見えないように巧みに配されているというのだから、天香としては感心するしかない。


「後始末が大変そうですよねこの毛氈。地面が湿気てなくてよかったですけど、朝露が消えてから敷くんでしょうか」

「普通、そんな心配はしないものよ」

「き、気になっただけなんですから、いいじゃないですか……」


 毛氈の上に腰を下ろしながら言うと、呆れ交じりの口調が返ってきた。

 貧乏性というか、これが持って生まれた庶民性というやつか、自分でも気になってしまったのだから仕方ない。


「悪いなんて言ってないわ。そういう見方も天香らしくて素敵よ」

「なんか、瑛さまの言い方も贔屓の引き倒しみたいで……」

「なによめんどくさいわね」

「う」


 さっくりと言い返されて胸を突かれた。いや物理的につつかれたわけではなく。まあ天香にしても自覚がないわけではないので、より一層刺さるというか。


「どうせ私はめんどくさい女です」

「拗ねないの」


 ぐい、と上半身を引かれて後ろにのけぞり、そのまま倒れこんだ先には柔らかな感触があり、そしてそれが麗瑛の腿であると気づく。青空を映した視界に、横から麗瑛のかんばせが入ってきて言う。


「けれど、準備の大変さを思いやれるのがいいことだと思ったのは本当よ」


 頭にポンポンと麗瑛の手が添えられた。

 彼女の一言と感触に心が持ち直してしまうのだから、我がことながら全く単純だと思わざるをえない。本当に。

 その上、柔らかな陽光と膝枕の感覚のどちらもが快くて、このまま目を閉じれば寸刻と経たずに意識を手放せそうだった。


「……大変といえば、これって妃嬪の方々みんな一つづつ陣幕があるわけでしょう? やっぱり陛下は全部を回られるってことですよね」


 妃嬪の順を決めることなくできる限り平らかに扱おうとしているのは、早い話が青元の自儘じままであってそれこそ自業自得のようなものなのだが、とはいえ面倒そうでご苦労なことだ、と天香は心底思っていた。けして麗瑛の腿のやわやわとした感触に意識を持っていかれそうになったのをこらえるために出した話題ではない。

 陣幕の配置も彼の意向が働いているはずで――とするとそちらの担当者も余計な仕事を負わされてそれこそご苦労様、という気になる。あれ、それってやっぱり結局のところ青元へいかが元凶なのでは。


「ああ、お兄さまは要らない知恵を回してらっしゃるわよ」

「というと?」

「妃嬪の方々の幕はある程度固めてあるでしょう」

「それは当然だと思いますけど」


 陣幕のそれぞれに侍衛もついているという(どうやら増員もされたらしい)が、諸々のことを考えると物理的に距離を離しておくのは当然のことだろう。

 対して麗瑛は、ぐっと声を潜めて。


「主上の御座所は、百官ひゃっかんの幕のほうに近づけてあるのよ」

「……それは、悪知恵ですね」


 百官とは官吏役人の総称をいう。そちらからの挨拶を受けていて後宮妃嬪の陣幕まで回る余裕はなかったのだ、などと言い訳をするための配置なのだ――そう麗瑛は言いたいらしい。確かにその通りならば、悪知恵と呼ぶのも仕方ない。後宮嫌いもそこまでやれば筋金入りといったところだろうか。


「ただでさえ重陽節これや今度のご巡幸の準備だなんだと理由をつけてお渡りが減り気味ですしね」

「昨日のおばあさまのお叱りで少しは心動かされていてくれればいいのだけれど」


 二人して、どちらからともなくため息をつく。吐息は顔と顔の間で解けて流れた。




「なんですかそなたたちは。揃ってだらしのない」


 呆れたような声がさらに上から降って、天香は足と腕をバタバタと動かして身を起こす。

 いっぽうで麗瑛は慌てた様子もなく、


「あら、交代?」

「そんなこと言ってる場合ですか」

「わたしだってしてほしいのに」

「……あ、あとで、あとでしますから!」


 小声でやり取りしておいてから、天香は声の主に向かって頭を下げた。

 誰の目も気にしていなかったのは自覚がある分、気まずい。


「お、おはようございます、太后さま」

「様子を見に来てみればごろごろと。それで妃嬪たちに示しがつきますか」

「おっしゃる通りで……」


 恐縮する天香とは裏腹に、麗瑛は平然と言い返していわく。


「おばあさま、膝枕くらいで怒られたくはありません。だってわたくしたち、まだまだ新婚なのですから」

「どうだか。新婚とはとても呼べないくらいになったとしても、変わらずそうやっているのが目に浮かぶのですけれどもね」


 さすが麗瑛のしそうなことなどお見通しと言わんばかりの返しだった。祖母と孫であるからか、それとも年の功というものなのか。

 范太后のいうような光景はありありと思い浮かべられる。そのうえ正直なところそれはそれで嬉しいというか、望むところというか、異議を唱える気は天香にはさらさらなかったりする。


「仲が良いのも睦み合うのも結構だけれど、この後には妃嬪とも会うのでしょう?」

「さすがにあのような恰好では会いません……」


 頬を染めながら、天香は弱弱しく抗弁する。さすがに適当なところで切り上げるつもりだった。范太后に限らず、誰かが入ってくるとわかればその場でやめていた――はずだ。たぶん。

 そもそも、こういう場合は侍女の誰かが言葉をかけることになっていたのに、それがなかった。それに気づいて見渡せば、幕の入り口の近くで英彩が困ったような笑みで手を合わせて頭を下げていた。――太后に制されたか先を越されたか、そういうところなのだろう。

 とそんな英彩の横のあたりの幕がもそもそと動いて、光絢が顔を出した。


「おね――妃殿下、ええと、お知らせしたいことがあるのですが」


 いつも通りお姉さまと呼びかけようとして、そこで慌てて呼び直した。

 天香は麗瑛と范太后に目礼しながら立ち上がる。


「どうしたの、光絢?」

「その、なんて言ったらいいのかわからないのですが」

「簡潔に。それとも太后さまに聞こえてはいけないこととか」

「そんなことはないのですが。……なんか怪しい人がいます」

「はい?」


 光絢の言葉に天香は首をかしげる。不審者ということであれば、わざわざこちらに言いに来なくても侍衛を呼べばいい。その判断の出来ない光絢ではないだろう。


「それが、侍衛を即呼んでいいのか迷うというか、とにかく来ていただければわかるかと……」


 歯切れの悪い光絢を見て、どうやら直接確かめなければいけなそうだと天香は判断した。


「瑛さま、太后さま、少し席を外しますね」

「怪しい人と言ったわね?」

「わくわくしないで座っててください。私が見てきますから」


 自分が行きたそうにしている麗瑛の肩に手を置いて抑える。


「わくわくなんかしてないわ。もし危ない人だったらどうするのよ」

「ならなおさら瑛さまを出すわけにいかないじゃないですか。大丈夫ですよ、燕圭さんだっていますし。それに、誰であっても登高の参加者でしょう。そんな危ないことなんてないですって」

「それはそうだと思うけど」

「何かあれば声を上げますから」


 むうと不満げに口を尖らせるが、それ以上は何も言わない麗瑛を置いて、天香は沓を履きなおして外に向かった。

 なので、幕が下りたその後ろで交わされた会話を天香は知らない。


「麗瑛。自分の嫁を心配するのは良いけれど、信頼したらどうなのです?」

「信頼していますっ」


 といいつつ、そわそわと幕のなるべく近くに寄って外の様子をうかがおうとする孫の姿を見て、太后は近くの侍女に問う。


「いつもこうなのかえ?」

「そうですねえ、だいたいはー……こんな感じでいらっしゃいます」

「英彩っ、余計なことは言わない!」


 たしなめるというよりも真を突かれてうろたえている、というほうが近いであろう孫の声を聴きながら、范太后はふうと溜息をついた。




第一稿ではもうちょっと長く膝枕させておくつもりだったりした、という自白。

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