第15話:俺たちの汚れた血が、この世界の土を満たすまで
夜が、明けた。静かに目を開ける。
もう……、朝か。
早いものだ、決戦の日とは。
国王を殺し、市民を制する。
投げかける言葉を静かに諳んじりながら、一人静かにアジトを歩く。
皆はまだ寝静まっているのか音はない。だが仄かについた角灯の灯火がアジトを照らしている。
ここに来てから、どれだけの月日が経っただろうか。
あの日に、掲げた旗を見る。黒い襤褸衣を付けた古めかしい錆びた革命の旗だ。
大丈夫、俺なら出来る。たった一人で成し得る。
胸中の全てを飲み込んで、俺は静かに吐息を漏らす。
「なぁ……。もしも俺が、たった一人で世界を変えたらさ。お前は俺のこと……、認めてくれるよな?」
返事をする者などいない。
凄惨なる過去など、とうに忘却の彼方へと捨て去った。
俺の歩みを止める者などいない。
コツ、コツ。と、鉄の床に足音が振動する。そして、地上へ繋がる氷の円盤の前でふと立ち止まる。
この円盤で地上へ行けば、もうそこは死の世界も同然だ。
しかし、荒涼殺伐としたこの心に、起き台の花瓶に据えられた一つの白き何かが眼に入る。
……ファーミアの、白い花だ。
この端麗で純白の花は、ずっと以前にミアに与えたものだ。
いつの間に、こんなに大きくなっていたのだろうか。ずっと、丁寧に育てていたのだろう。
もう、俺の中では風景と同化し意識の範疇に入れることすらなかったこの花を。
きっと。この花は……、彼女に持たせたら、さぞ美しく生えただろうに。
けど、今ならミアにもたせて、しっかりと褒めてあげたい。「よく育てたな」……と。
ミアは、彼女の代わりになったのだろうか。
昨日の夜のことが想起される。未だに信じられない、ミアが俺のことを好きだと言い、嘗て果たすことの出来なかった口づけさえ、その情動に駆られ成し得たのだから。
本当に……、ミアは彼女に瓜二つだ。だからこそ……、だからそこそ、今度こそ……っ。
「守り抜いて……、見せる。俺の強さを、見せてやる」
氷の円盤に乗る。まだ、みんなは寝静まっている頃だろう。
ゆっくりと上昇していく、僅かな風を肌に感じながら、腰に差した短刀を静かに抜き……、戻す。マンホールの蓋を開き地上へ出る。
朝日が……、昇っていた。
朝虹がかかっている。明け残った月が、西に浮かんでいる。
処刑は今日の正午からだ。
眩しい太陽に背を向け、未だに色濃く影が残る裏路地へと歩き始める。
栄光の日が来た。
暴君に向かって、俺たちの血まみれの旗が掲げられた。
今から……。たった一人の革命が、始まる――
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
正午を迎えた階円広場は、予想以上にごった返していた。
昨日の静けさとは打って変わり、市兵達の怒号や奇声が飛び交う。子供・老人を問わず、全員参加の国令がでている為、処刑を見届けるのは強制だ。その表情は暗い。
この鋼鉄都市ビラガルドの市民は市兵を合わせ2000人程度だと聞いていたが、おそらく何人かは城の護衛に市兵は置いているだろうし、来ていない人間もいるだろう。
そもそも、この国がまともに人口を数えたのかどうかすら危うい。
所々でレジスタンスのメンバーが見受けられる。準備は万端のようだ。だが、あいつらは何もしなくていい、俺が全て終わらせるのだから。
吊るされたセアの家族たちは既に死んでいるかのような目だ。いや、最早あれは人形だ。あの人間達は、例え救われようとも、もう人間として機能しないだろう。
……ならば、助ける必要などない。
ルークスの連中が吊られているのを見たセアの表情は正気を失い、今にも狂い暴れそうになっているが、それを側のスレイアが抑える。
やはり、セアを俺のところから外して正解だった。あんなことで、集中を乱されては困る。
一つ息を吐く。
すると再び、昨夜のことが頭をよぎる。
唇にはまだミアとの感覚が残っていた。
自分の……、嘘の自分のことは全て吐き出した。
ミアの……、ため。そう言って自分を奮い立たせる。
背後で待機するダンも昨日の雰囲気とどこか違っていた。真剣な目そのものだ。
……なるほど、な。
俺は、静かに覚悟を決める。
するとビラガルド城から馬車が迫ってくる。
広場から城まではかなりの距離があるので馬車を走らせれば5分ほどかかる。
馬車が広場に辿りつくと従者と護衛らしき人物たちが玉座を設置しそこに国王を誘う。
ジャラジャラと音を立て歩く国王の体格はよく目つきは醜悪そうに吊りあがり豪華な服と貴金属が至る所につけてある。巨大な金色の王冠がその頭上に乗っている。
国王の醜悪な笑みはあの頃と変わっていない。
だが今度こそ、こいつを殺して……、市民を従えて、ここから世界を変えてみせる。
それこそが……。俺があの日誓った、強さの証明だ。
身構える。今いる場所は予定通りの定位置だ。
市兵も至る所に配置されているようだ。この国の男性は16歳を超えると必ず国に徴兵される。それが何に備えてかは知らないが、おそらく相当な修練をしているのだろう。
この国を軍事国家にしたいのか。
おそらくほぼ全市兵が駆り出され、階円広場に腰掛け、処刑を見守る。
何度目か知れぬ緊張感が体中を駆け巡る。
冷や汗が浮き出、下肢が停滞し小刻みに震える。
やれるか――?
急に不安と恐怖に襲われる。
失敗したら? 初撃を外したら?
強く拳を握る。大丈夫、今までと同じだ。思い出せ。何度も、やってきただろう。
例えどれだけ月日が経とうとも、体が……、心が覚えているはずだ。
やれる……、殺れる……、殺れるっ!!
様々な感情が矢継ぎ早に脳に浮かぶ中、国王は立ち上がり手をかざして観客たちを静止させる。
そして国王は高らかに宣言する。
「これよりビラガ国王の名の下に処刑囚31名の処刑を開始する!!」
「ワァアァァァア!!」という市兵の喚き声とともに一斉に広場が盛り上がる。
……本当に狂っているな。そう思う中、国王の言葉は続く。
「彼らはビラガ国の派遣した使者を無残にも惨殺し我らに叛逆の意志をしめした! これはビラガルド憲符第三十条第三項に反するものである! よって、ここに死刑判決をいい渡す!」
国王が拳を突き出すと「オオォォォォォォ!!」と市兵が湧く。
執行人は今か今かと待ち構えている。
俺は短刀・鬼斬刀【暗黙】を持つ手に力を込める。
じっとりと湿った汗が柄を濡らす。
そして……、国王は高らかに言い放った。
「処刑……、執行!!」
瞬間、
「アサシンスキルXX!絶焉華――ッ!!」
全身全霊を込め……、咆哮した。
――――絶焉華。
これは高密度に圧縮された源素力を媒体に憑依させ打ち出す技だ。
そして接触部位から黒華と呼ばれる華を咲かせそこから致死毒を体内に擦り込ませる。同時に死体は黒炭と化す。
源素力を憑依、圧縮させながら右下から左上へと振るうのみの低コストのモーション。
視認した対象を標的化し、光速の速さで確実に射抜く。
速効性の高い細胞破裂と現地での死体廃棄、無音と一瞬の暗殺を可能にする。
これが暗殺究極技だ。
もちろん、デメリットもある。
源素力の過剰憑依による血流圧迫、皮膚炎症、そして何より脳から腕部への接続拒絶による腕部機能停止。
使用後、一定期間XV以上のヒールスキルで永続治療をしなければ生涯使用不可能になりうる。
絶焉華はその一撃に全てを賭け百発百中の命中率だからこそ最強最速の一撃必殺となるのだ――――
これが俺の最後の一撃……。
もう剣を取ることもない。いや……、取る資格などない。金に動かされただ悪戯に人を殺し続けた自分には。
国王を完全に視認する。
決める……、決める……、決める――ッ!!
そして俺は己の信念、覚悟、決意、復讐、人生、そして心の全てを乗せ……、貫く――ッ!!
――刺突音と共に、白銀の刃は身体を貫く
――血を吐く
――世界は一度、時を止めたかのように、視界に血の一滴、一滴が目に止まる
――刃は、貫いていた
――……俺の、胸を
絶焉華は使用者のスキル中断によって地へ落ちカラン、と乾いた音を立てる。
背後を振り返る。
そこに立つダンは静かに冷徹な瞳で俺を見下ろしていた。
一振りの剣を俺に突き刺しながら。
「ダン……、お前……っ」
ダンは突き差した剣を抜く。
血が抜かれる感覚と共に、痛みと痺れの激しい痛覚に嘔吐感を覚える。
「この世界に、綺麗事を並べるだけの王なんていらない」
はは……っ。
「お前は、王にふさわしくない。俺が国王を殺す」
ははは……っ。
「革命は……、終わ――」
「――お前、人を殺すのは初めてか?」
「はぁ?」
こいつは、傑作だ。
そして、ダンにしか聴こえないような声で、口にする。
「ダン……。俺が気づかないとでも思ったか? お前のその裏切りに。それにお前、一突きで人を殺すなら心臓を一刺しするだけなんて生温い、頭蓋骨を断ち割って大脳から潰さないといけない。それにそんな震えた手で急所を刺し抜くなんてなあ……、不可能なんだよ」
「何……、言ってやがる」
「殺意一つ消せないトーシロが、舐めた考えで暗殺士を殺せると思うなよ」
「はっ! 虚勢を張るのも大概にしろ……っ! 現にお前は」
「あぁ、だから感謝するよ。お前のおかげで――」
嗤う。
「――最高のステージが出来上がった」
大義を掲げ、背後からの裏切り者で刺され、最期の言葉を叫ぶ。はたから見れば、俺は悲劇の主人公だ。何もない状態で演説するより、その効果は何倍も高くなる。
俺を取り囲む観客は市兵は一様にして俺を凝視している。ダンの裏切りに声を失ったレジスタンス、笑みを浮かべる国王。
最高のシチュエーションだ。
彼女の顔が浮かぶ。ミアの表情は、今は見えない。
……見ていろ。
俺が今日、世界を変えてやる。
胸から血を流しながら、俺は張り裂けそうな声で叫ぶ。
「聞けぇ、市民よ! お前たちは今までずっと矛盾した非情な処刑の数々を見てきた、この国王や貴族の絶対王政に付き合わされてきた! お前達がこの国に、生きることに諦観してることは知っている。きっと誰かが何とかしてくれると期待していたのも知っている。だからっ、俺たちレジスタンスが立ち上がった! もう絶対王政は終わりだ!!
この裏切者は、陰謀を企てる国王や貴族の群れは何を望んでいる?! 誰のためにこの卑劣な足枷は久しく準備されていた?!
この侮辱の憤怒と鬱憤を今こそ絶つ時だ!」
突然の俺の演説に、市民は戸惑いざわめきだす。だけど、それでいい、不意な演説こそ。心の用意のないままで唱えた言葉こそ、より心に届く。
すると国王が立ち上がり反駁する。
「黙れ、この下品で鄙俗な俗物が! 何が絶対王政は終わりだ、オレたちはただ罰するべき者を罰したのみだ! それは粛清である。国民にこの国の治安の強固さを言い聞かせるための公開処刑だ!」
「見たか?! 下劣なる暴君どもを。あのような王が俺たちの運命の支配者になるなどありえない!武器を取れ、市民よ! 市兵よ! 真に死すべき人間は誰か考えろ! 隊列を組み進め!
俺たちの汚れた血がっ、この国の土を満たすまで!」
その瞬間、場の空気が昇華した。
そして、大きな咆哮が轟く。剣を立てた半数ほどの国兵とレジスタンス。そして、幾人かの女と老人。
「ふざけるなよ……、市民風情が! 市兵よ、奴らを一人残らず殺せ、断罪だ! 敵は……、卑しいレジスタンス。そして、祖国を裏切った国賊共だ!!」
その怒声に突き動かされた国兵が立ち上がる。
「真なる市民たちよ、今こそ剣を取れ! 道は示された! 俺たちはこれより、この国を変革する――っ!!」
「「ぉぉぉぉぉおおおお!!」」と、どちらの声とも似つかぬ大喝破が轟いたその瞬間、剣戟音と喝破音が国を震わせた。
そして俺は、人知れず笑みを浮かべながら呟いた。
「さぁて……。この国との全面戦争の、幕開けだ――っ」




