(閑話)董卓伝その1
・金曜日2回目の投下です
・後世の歴史書視点です
・『』の中が非三国志的な出来事です。それ以外は三国志での出来事です。
董卓は字を仲穎と云い,隴西郡臨洮県の人である。
若いころは任侠を好み、羌族と交友していた。隴西の実家で農業をしていたが、大切な耕牛を潰してまで羌族を歓待したため、羌族は礼に家畜千頭を贈った。
郡や州で軍人として働き、異民族と戦った。段熲将軍の推薦で、袁隗の部下となった。
桓帝の末(167年)、羽林郎に取り立てられた。武勇に優れ、怪力を誇り、左右に騎射できた。
軍司馬として中郎将張奐に従って功があった。絹9千匹を賜った。卓はすべて部下に配った。張奐にも絹を贈ろうとしたが嫌われて断られた。
広武県、蜀郡、西域などの辺境の役職を歴任し、并州刺史、河東太守に昇った。 戎狄との戦いは百数回を数えた。
『黄巾の乱に際し、董卓は河東郡の黄巾の悪心を見抜き、乱を起こす前に討伐した。河東郡では黄巾党および群盗はおこらず、平和を保った。董卓は先見の明を讃えられた。』
中郎将として張角を討伐したが、功績が無かったので皇甫嵩に代わった。
『曹操は董卓の兵備、兵糧の手配は一切の抜かりがなく、良将であると評した』
『董卓が河東郡にて謹慎中に、河伯賊が白波賊、匈奴と語らって反乱を起こした。河伯賊はかねてより河東の民に礼を教え、薬を施していたため、その衆はたちまち数万に上り、河東郡太守のいる安邑を囲んだ。』
『太守は賊を討伐するために兵を集めたので、太守の客となっていた董卓が参加した。董卓の部曲の李傕、郭汜が賊将と一騎打ちを行い、一勝一敗あった。』
『董卓は賊の真意が反乱にないのを見抜き、使者を送って問いただした。はたして河伯賊の首領、河伯君は戸籍を献じて降伏を願ったが、太守はこれを疑って討伐せんとした。』
『董卓は太守に告げて曰く。
「太守閣下、古の習いに降伏する者は戸籍と地図を捧げるとあり、これを版図と云う。閣下の武威と仁徳は無限にて無窮、河伯賊、白波賊、匈奴は閣下を慕ってまさに帰服せんとす。卓はこれを祝す」
太守は返答して曰く。
「賊すでに反す。討伐せねば太守の責を果たせず」
董卓曰く。
「閣下は着任したばかりにて閣下の明徳を貪官汚吏が覆い隠す。賊の本は良民であり、追い詰めて賊にした者が責を負うべし。
古語に「兵は凶器、戦いは逆徳、争いは最後の手段」とあり、討伐せんとすれば費用は数百万銭に及び、混乱あれば近隣の黒山百万の賊、鮮卑ら異種が来寇せんとす。
降伏を容れ、宜しく河伯の長を校尉に任じ、他郡の賊に備えられたい。そして政を糺し、貪官汚吏を整理すれば、太守は一銭、一兵をも損せずして乱を治め、太守の功は万丈の山のごとく高くなりましょう」
太守は喜び、「董君の言や然り」として、河伯君を破賊校尉に任じた。これにより河東には賊がいなくなり、汚吏は恐れて官職を返上した。河東の民は戦乱を逃れ、礼を守り、仕事に励み、豊かな生活を送った。』
韓遂らが涼州で反乱したので董卓は中郎将に戻り、皇甫嵩の副官として長安に駐屯した。
・やっと本編に戻れます。いいねください。




