(閑話)徐晃その1
・木曜日の投下です
・徐晃公明の視点です。
河東郡に黄河の祝福を受けた少女、河伯の巫女、が現れたという噂が一時期流行ったことが有った。
安邑県の近くの里に、評判のよい狐落しの老婆が居たのだが、彼女が言うにはその巫女は「齢10歳に満たずして洛書九数図を読み解き、河伯から賜った新たな数図をたちまちのうちに書き上げた」のだと言う。
その噂はなぜか気が付くと立ち消え、狐落しの老婆も口を閉ざして引退してしまっていたので、河東の住民もすっかり忘れていた。
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次に皆がその言葉を思い出したのは、ある日突然に安邑の城内に現れた河伯教団の神輿を見たときである。
神輿には面紗で顔を隠した妙齢の美少女が上等な絹の服に身を包んで乗っていた。その時、たまたま病に倒れるものが多く、太平道が符水を使って病を癒していたのだが、巫女とその従者たちはまず符水を否定し黄河の恵みを説いて回っていた。
巫女は病んだ貧民に、黄河の恵みたる水で身を清めるよう命じると、清めおわった者にひとりひとり声をかけ、粥と薬を施して回った。不思議なことにそれだけで治るものが多かったのである。
さらに巫女は病重き者の枕元に付き添い、痛む部分を擦っては「疼哉痛哉疾飛去」と唱えたところ、力萎えた者は力を取り戻し、皮膚に病ある者は回復し、熱のある者は熱が冷め、みな巫女の徳に感謝した。
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徐晃公明が老いた母を背負って河伯教団の門をたたいたのはそのころの話である。
徐家は安邑県から北へ二百里行ったところにある楊県ではそれなりの家であったが、早くから父を亡くしたため親戚を頼って母を連れて安邑に移り住んでいた。
家の唯一の男手として徐晃は13の年で元服した。幸い体は丈夫だったので、毎日山に入って、薪を背丈より高く積み上げては日々の糧を得ていた。そして父のように県庁の属吏となるべく空いた時間で書を借りて読んでいた。
しかし、ある日、母が病気になってしまった。徐晃は母を医者に診せたいと思ったがそのような余分な銭はどこにもなく、困っていた所に河伯の巫女の話を聞いた。
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徐晃が初めて見た巫女は、自分と同じ、いやもっと若い少女であった。しかし、その娘は奇麗な絹服を着ているのに、あえて貧民の間に入り、病の様子を見ては粥と薬を配るのである。
巫女は徐晃の母を見ると大変驚いた。すぐに身を清めさせると「さぞや大変だったのでしょう……」と大変悲しそうな顔をして母の手の皴を撫でるのであった。
母は巫女の従者から粥や薬を与えられ、これで終わりかと思ったら、巫女はまたやってきて。「ここまで苦労されるとは何があったのでしょう?」とじっくり話を聞いてくれるのであった。
徐晃は驚いた。僕にとっては大事な大事な母上だが。外からみれば貧相な寡婦で貧民でしかなく、親戚ですらろくに援助をしない。なのにこんな時間をかけて話を聞いて巫女に何の得があるのだろうか。
父が死んだことや、親戚の扱いや、いくら働いても暮らしが楽にならないこと、ついに病気になって息子に迷惑をかけたことについて思う存分ぶちまけた母は、少しすっきりしたようであった。
「それは大変でしたね、お肌にも表れるはずです。病気になって気が弱くなるのはわかりますが、粥と薬を召し上がってゆっくり休んでください、きっとお肌も良くなります。……こんな孝行な息子さんがおられるじゃないですか。それだけでとても幸せなことだと思いませんか?」
母はそれを聞くとうっすらと涙をこぼし、「はい、はい……ありがとうございます」と何度も繰り返して礼を言っていた。
そして、母は教団の人たちと一緒に暮らすうちにすっかり元気を取り戻したのである。
「晃や、まじめに真っ直ぐな子に育ったね。黄泉下におられるお父様もきっと喜んでおられるよ。巫女様にも大変お世話になった。だから、受けた恩は真っ直ぐに返すんだよ」
「はい!母上!」
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すっかり具合が良くなったので、徐晃が母を連れて帰ろうとしたときに、太平道の人間が押しかけてきて騒ぎになったことが有った。
太平道の人間は巫女の悪口をがなり立てたので、徐晃は腹を立てて言い返した。母が実際に治ったのだ。周りの貧民たちも大勢集まって言い返していたのだが、そこに巫女が現れた。
巫女は……いくら誹謗中傷を受けようとも一切怒らず、むしろ貧民たちが悪口を言うのを謝ったのである。
しかし太平道の人間はさらに調子に乗って巫女を批判し、貧民たちの怒りが頂点に達しつつあった。
そして太平道の人間が「太平道の術で治らないのは信仰がないからだ」と言い募った時、巫女は一言だけ、初めて太平道を一言で評した。
「信仰のないものを治せない術に力などない。治せないものを見捨てる術に道などない」と。
そのあと、激怒した太平道の人間と大喧嘩が始まった。
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しかし、それこそが巫女の狙いだったと後で聞いたのである。
慈善を行うように見せかけていた太平道は実は反乱を企む黄巾党であり、その暴動で武器を持ち出したのを機会に太守の董卓に一網打尽の目にあったのだ。
その後、河東郡以外の河北関東の地では黄巾党が挙兵し、大勢の人間が家を焼かれ、財産を奪われ殺されたが。河東郡だけは奇跡的に平和を維持できた。
粥と薬を配って、話を聞いて回っているだけの巫女が、結果的に大勢の命を救ったのである。
河東郡の人々は「河伯の巫女」がいるかぎり邪教は河東に入り込めないのだと口々に讃えたが、巫女自身はまったく変わらずに粥と薬を施す日々を過ごしている。
何があろうと変わらない。本当に真っ直ぐなのはこういう生き方なのだろう。
徐晃は少しでも恩返しができないかと粥を焚くための薪を教団に運ぶようになった。




