人材改革
「曹公の孫子注釈は素晴らしいものでした。出版の売り上げもなかなかのものです」
「うむ」
褒め上げているのは皇帝の側近でありとあらゆる悪だくみを上奏する尚書の賈詡。
そして煽てられて上機嫌なのは曹操だ。鬼の御史中丞として百官の規律違反をビシビシとただしている。賄賂など贈ろうものなら即座に告発されるので名士たちに恐れられている。
以前、曹操が趣味でまとめていた孫子の注釈書がなぜか皇帝の耳に入り、献上するように迫られた。
もとから少しずつ手を入れていたものだが、いったいどこから皇帝の耳に入ったものやら。
とりあえず大急ぎで取りまとめて提出したところ、高評価で宮中に納められ、また出版の許可もでた。
最近は紙の量産が進みずいぶんと安くなったので、書物は木版で大量に印刷されるようになっている。
全武官必携ということで大量に印刷されて配られ、また趣味で買い求めるものも多く出ているのだ。
「なので、教科書を書いていただきたいのですが」
「どうやってなのでにつながるのだ……教科書とはなんだ?」
「百官につくべき人間が、学ぶ必要のあるものを手引書にまとめたいのです。官僚の基本となる法と倫理をまず第一。次に各職にあわせた手引き書。算術や土木、農業や工業の指導、均輸と経済、商業指導、医療指導などです」
「ふむ、六経など儒学の経典からはずいぶんとずれるな。これらは勉強する必要がないと?」
「それらは古の儀式や占いなどの手引書ではありますが、周の時代からすでに数百年。制度や暮らし向きはずいぶん違いましょう」
「しかし古の制度こそ理想という話があるが?」
これは革命だ。曹操は賈詡を鋭く見据える。
「いにしえの制度が理想ならば我々は木の上や洞窟に住んで火を捨てねばなりますまいな。陛下もあのような宮殿は捨て、草を結んで民とともに土を運んで治水しなければなりませぬ。それが理想といえましょうか?」
「ははっ、違いない。学者どもが古代が理想というならばまず自分の生活を古代に戻せというわけだな」
喜ぶ曹操を見て、賈詡は軽く、そして実感をもって言い放った。
「人の進歩は止められぬものなのです」
「人の進歩は止められぬか。学者どもは古代の聖人を理想として常に世の中を古代に戻そうとしてきたが、それは」
「時代の変化を理解していない愚かな考えでしょう」
「わかった、そうしよう」
「……最近、おぬしの発言に木鈴殿(董青)の姿が見えることがあるぞ」
ぼそりとした曹操の呟きに、賈詡が震え上がる。
「あ、いや、その、主公(董青)がいろいろと書き遺して居られて、それを読んでおりますのでそうなりますでしょうか」
「それ俺にも一度見せてくれ」
「は、はい」
- - - - -
「なんで全部書き上げなきゃいけないんですかー」
「主公が思い付きでいろいろ足されるからです!遺書を実現しているのに遺書の内容がどんどん増えていくのですからちゃんと書いてくだされ!」
董青です。全自動悪だくみ機が私にひたすら文章をかけと迫ってきます。
うう、私の字体をマネするとかしてくれたらいいのに、自分で全部書かなきゃいけないとか……。うちの子の面倒みたい!え、おばあちゃんが返してくれないって返してー。
というわけで、曹操さんがものすごい勢いで書き上げたので教科書は揃いました。
弁くん皇帝がこれにお墨付きを与え、漢全土の役所に印刷されて配られます。
地方官や武官や文官など全部を歴任し、官僚制度を熟知した曹操さんの書いた手引書なのですぐに役に立つと極めて好評。
ここまで来てから次の改革である国家公務員試験です。
とはいえ、名士たちの利権になっている県令レベルの任命権を取り上げるにはまだ時期尚早。
ということで曹操教科書を使って中央で官吏学校を作ることにしました。
そして名士たちが県令や幹部に採用した人たちの幕僚、属僚として押し込むのです。
今の採用制度では、地方幹部に任命されたら自分ひとり、もしくは食客(私設秘書)などをつれて地方に乗り込み、実務は地方出身の役人に任せっきりとなります。
これでは人材の質が揃いませんし、地方ごとに行政のやり方が全然変わってしまいます。
また、私設秘書の維持費は公費ででませんので、汚職の原因にもなります。
よって、中央で人件費を持つ公務員集団を教育するのです。
新任の県令や幹部たちは今まで自腹で私設秘書を雇っていたのが、国の費用で部下をくれるというので喜んで受け入れました。
ですが、中央で人件費を持つということは、人事権は中央にあるのです。
曹操さんの御史台で監察するという名目で、人事調査を行い、優秀なものは特別枠で幹部採用されることになりました。
曹操教科書を学んで実務経験を得た人たち、さらに曹操さんの勤務観察を経た人たちはかなり優秀で、次々に幹部昇進を果たします。
名士が名声や人柄で推薦した人たちと、官僚学校で専門の教育を受けた人たち。競争させるとその差は歴然としていました。こうして少しずつ名士たちの推薦枠が削られ、官僚学校からの昇進に切り替わっていきます。
最終的に官吏学校の入学試験と卒業試験が公務員試験となっていくのでした。




