出産準備
洛陽の董家屋敷。
その房子の壁際に弓矢や剣矛などの武具が飾り立てられいます。
周りには雄雉や牡馬、雄虎の絵や木像が並べられ、まるで節句の飾りつけです。
その部屋の席の上には高齢のお婆ちゃんが座っています。
そのお婆ちゃんが私を見てハッキリとした声で問いかけました。
「青や、ちゃんと男の子が産まれるように飾り付けをしているかい?」
「あ、はい」
そうです。これらは男の子が産まれるようのおまじないなのです。
男の子っぽいものを並べることで男が産まれるわけです。
私は董卓パパの後継ぎを産む約束をしているので、董一族としては男子への期待が大きいようです。
「あとは、男子食は食べたかい?」
「あ、いや、その……」
「青や、またサボっているのかい!」
「申し訳ありません祖母様!」
そう、私が叱られているのは祖母で、董卓パパのお母さんです。
御年87歳なのに極めて元気そうで全く死にそうにありません。
この時代でも平均寿命が短いだけで、長生きな人は80歳90歳というのは稀によくあります。
だから80歳や90歳で表彰される人がいるんですね。祖母様も80歳で国から表彰され、鳩杖を持っておられます。
「青は昔から好き嫌いばっかりして、だから肉付きが悪いんだよ」
「いや、でもその、青虫の踊り食いは肉にならないと思います、なので牛肉豚肉のほうが強い子になると……」
男子食という、「これを食べれば男子間違いなし」という食べ物があります。
むかしの聖人であらせられる禹の教えなので間違いないそうなのですが、
青虫の踊り食いや、蜂の子と雄犬の陰の干した粉とかを食べさせられるのはちょっと……。
好き嫌いとかいう次元ではなく、全力で遠慮させていただいております。
「ご勘弁ください」
と平にご容赦をお願いしていると、祖母は詰まらなさそうに横を向いてお茶をすすりました。
「まあ、いいよ。青は強情だからね。やりたくないことはやらないだろ……で、聞きたいことってなんだい?」
ようやく本題に入れました。
「お産についておしえてください」
― ― ― ― ―
祖母がゆっくりと記憶をたどるように話しだします。
「お産ねぇ、卓を孕んだのは……あれは順帝の世だったかね。お前のお爺さまが潁川で県尉をやっておられたころだよ。宮殿は火事で焼け落ちるし、蝗は暴れまわるし酷い年だった」
それはひどい。
「いよいよお産が近づいたらね、天気が悪くなって」
はい。
「嵐はおきるわ」
うわぁ。
「いざ生まれるときにはひと際大きな雷が降り注いでねぇ……」
……なんでそんな魔王の登場場面みたいなんですか……。
「えらく大きな子ですごく元気に泣いてねぇ、お爺さまも喜んで喜んで。卓の兄の身体が弱かったからね」
「え?お産はどうでしたか?」
「お産なんてちょっと我慢したらスパーンって産まれるものさ。大きな雷がゴロゴロ、ビシャーンって音がしてびっくりしたらもう産まれてたよ」
いやいや。もう少し役に立つ助言をいただきたいのですが……。
私は大分膨らんで着たお腹をさすりながら聞きます。
「卓は学者にしようと思って、潁川でも有名な先生をつけて勉強させていたのに、まじめにやりやしない。戦の話や涼州の話ばっかり聞きたがって。
卓にはお前は潁川の子だよって、字を仲"穎"、同じように旻にも叔"穎"って字をつけたのにねぇ」
漢人の名前には姓名とは別に普段使いする字があります。長男から順番に孟、仲、叔、季とつけるので董卓パパの兄上は猛高です。
董卓パパと董旻おじさまは潁川郡の生まれだから仲"穎"と叔"穎"なのですね。
「綸氏県尉のお勤めが終わって、涼州に帰ったら遊侠やら羌族とばっかり遊んでね、まぁそのお陰で弓矢が上手くなって将軍として出世できたんだけど、あたしゃあの子には学者になってほしかったんだよ」
はぁ、なるほど。董卓パパの若いころはそんな感じで……いや、出産の心構えとか経験とかお伺いしたいのですが。
「ウチの家系は安産だよ、考えるより産むほうが早いよ」
「あ、ありがとうございます」
役に立たないいいい?!
「立派な男子を産んで、今度こそ学者にするんだよ」
わ、わかりました……
― ― ― ― ―
うーん。
男子ばっかり求められるのもどうかと思いますよ。女子なら女子で立派な巫女に育てあげればその辺の男にも負けないでしょうし。
というか、それ以前に私は今が不安なんです。
世の中の人は普通に孕んだり産んだりしていますし、男の人は種を撒くだけで気楽でしょうが、私にとっては一大事です。
なにせ初めてのお産。何もわかりません。
「そうよ、特に初産は大変なんだから、ずっとお腹は痛いし、産まれそうになってから長いし」
「そうですよね?!どうやって過ごしました?」
お姉さま、つまり牛輔義兄さまの奥さんである姉にもお話を伺いました。
「もう歯を食いしばって牀にしがみついて我慢するしかないの」
「うう、恐ろしいですね……危なくないんですか?」
「危険よぉ、血も沢山でるし」
「え、血がでるんですか?!」
「私や貴方は丈夫だから何とかなるわ。でも身体の弱い子は血が出すぎてお産でなくなることもあるのよね」
「ふえええ」
何と恐ろしいことでしょうか。ますます不安になります。
医術の知識も中途半端な私にできることは血を増やすために骨髄や内臓を良く焼いて食べたり、日々の散歩や体操などで体力をつけることしか……。
「あと、旦那は役に立たないから。苦しんでても様子を見に来ないし、血が出たと聞いたら逃げ出すもの。そもそも私が妊娠してたらほかの女のところ行くし」
……え、いや、公明さんはそんなこと……ないよね?
余計に不安になる私でした。
― ― ― ― ―
洛陽の河伯教団本部の私の房子。
一応武具や雄の動物などの節句飾りのような男子祈願の品は飾ってもらってはいます。
いよいよお腹が大きくなってきました。暖かくして羹を飲んだり、牀の上で体操などして体力を蓄えます。
そんな私に、一切の空気を読まずに痩せた若白髪のおじさんが話しかけてきました。
「主公、董将軍の上洛を受けて袁紹一派がざわめいております、お下知を!」
「……あう……私は今までにない危機でそれどころじゃないんですがー!?」
本当にこの空気を読まないおじさんはもう……。
「いや、子供を産むだけではないですか、それよりも国家の大事が」
「……賈詡!国家も大事ですが、私は!今!命をかけているのです!」
私はたぶん初めて賈詡さんを怒鳴りつけてしまいました。
「も、もうしわけござりませぬ!」
平伏して謝る賈詡さん。
隣の公明さんが何かオロオロしています。
いや、旦那様を叱ったわけじゃないです。
うーん、男には分からないことですから仕方がないんでしょうけど。
政治ですか。
「袁紹一派は何をするか分からないので良く見張っておいてください、新帝には報告を入れていますか?」
「はっ、新帝陛下からは外戚の皆様には静かに服喪を続けてほしいと指示が」
うーん、それで何進大将軍はだまっても袁紹たちは黙ってなさそうですね。
「服喪もいいんですが国家の大事にもっと新帝が動いてほしいんですけど……」
まさか、こんな大事なときにしっかり服喪でお休みするなんて思っていませんでした。新帝周辺がちゃんと動いてくれないと三国志を防ぐ計画が破綻です。
「お父さまについては、事情を問いただすべく使者を送っていますのでそれ次第で」
と言っていると、部屋の外で入室を求める声が。
「主公!趙子龍ただいま戻りました!董将軍からの信をお持ちしております!」
さっそく趙雲さんに信を持ってきてもらいます。
なるほど。
手紙には「董太后派閥と宦官派閥から同時に上洛命令……董太后は同姓だからほとんど親戚で味方。宦官の張譲と趙忠は白ちゃんを皇后にすると約束してくれたから、董一族の未来のために上洛しようと思う」と。
今、董卓パパが軍隊を率いて洛陽にきたら、三国志始まっちゃうじゃないですかーーーーー?!!!
あっ……。
久々に目の前がまっくらになりました。
「主公が倒れたぞーー?!」
※出典 馬王堆帛書 胎産書
漢代の妊娠出産マニュアルです。妊娠の毎月で胎児がどう成長するか、身体によい食べ物、避けるべき食べ物、男女産み分けのおまじない、胎教についてなど細かに書いてあります。




