(閑話)誉め言葉
「使君! 使君!」
そう呼びかけられた青州刺史は煩げに部下を見やった。最近は連日の宴会でどうにも酒が抜けきらないのだ。
騒々しい部下に笏で一撃くれてやろうかとぼんやりと思案していたところに部下の言葉が響いた。
「何? 州の父老たちが徳を讃えに来るだと?」
何と面倒な。と刺史は思う。まぁ、魂胆は見え透いている。おべっかを使って、ついでに賄賂でも包んで里の労役の免除でも頼みに来たのであろう。大した小遣い稼ぎにはならぬが、会ってやらんこともない。
しかし、今日はどうも酒が抜けん。明日にしようかと思っていると部下が言葉を付け加えた。
「むう……鳩杖持ちか……」
漢の国教は儒教である。儒教は老人を貴ぶ。そのため、年齢70になれば王杖を授け粥を与える。さらに80・90歳になると鳩の飾りのついた鳩杖というものを授け、役人並みの特権を与えることになっている。なぜ鳩かというと、鳩は何でも丸のみにするので老人が喉を詰まらせないで長生きするようになるということらしい。
とにかく、鳩杖持ちを粗略にすると儒教的に宜しくないのである。
刺史はやむを得ず、父老と面談をすることにした。
― ― ― ― ―
「使君の政治はまことに古の聖人の道」
「民はみな使君の徳を讃えておりますぞ」
ずらっと居並んだ老人の集団が口々に刺史を褒めたたえる。しかし刺史は手持無沙汰に聞き流すだけである。
さっさと賄賂を出して帰ってくれ、頭が痛い。
どうにも頭がうすぼんやりとしている。
「このたびは民のために、州郡を挙げて治水と新田開発をするとのこと」
「使君の神のごとき施政のご恩に民はみな泣いて喜んでおります。今にも工事は始まりましょうや?」
新田開発? そういえばそんな口実で税を絞ったかな?
「まぁそのうちな、そのうち」
刺史が適当に回答すると、父老たちはお辞儀をして去っていった。
賄賂もなしか!!!?
刺史はぼんやりとしながら父老たちを見送ると、時間を無駄にした怒りで部下を笏で殴りつけた。
― ― ― ― ―
洛陽の大宦官、張譲からの使者が飛び込んできたのは翌月のことだった。刺史任命の工作で大恩のある張譲の使者を刺史はニコニコしながら恭しく出迎えた。
しかしその笑顔は、使者の老宦官が挨拶もそこそこに文書の束を投げつけてくるまでだった。
「はぁ?! なんだこの文は?!」
刺史が驚いて張譲からの信を繰ると「黄河新聞」という見慣れない紙束が挟まっている。目で紙面を追うと次々に謎の文章が飛び出してきた。
「青州刺史の偉大な治水政策!」「百年に一度の大新田開発!」「父老は泣いて刺史に感謝!」
「なんだこれは新聞だと?! なんだこの怪しげな文章は……そもそも治水など何もしとらんぞ?!」
「してようがしてまいがどちらでもいいのです」
張譲の使者の老宦官が冷たい声で告げる。
「すでに新聞の記事については天聴に達し、陛下が大変お喜びです。さらに史侯の提案にて刺史にお褒めの勅使を遣わすと言う話に」
「はぁああああああ?!!!!!」
刺史は愕然として老宦官を見つめた。
「張常侍が工事が終わるまえにお褒めというのは順序がおかしい、成果が出るまでお待ちくださいと取りなしていただいたから良かったようなもの……いきなり勅使が来られたらどうするつもりだったのですか」
「ど、どうすると、い、言われても、その……」
破滅だ。皇帝に虚偽の報告をしたようなものだし、皇帝の命令を利用して税を私物化したことがばれたらどんな罰を受けるか分かったものではない。
「ど、どうすればよいでしょうか?!」
「いずれにせよ使君が得意げに言いふらした功績を今からでも成し遂げるしかないでしょう」
老宦官が吐き捨てるように言う。
「言いふらしてなど居らん!!!」
「ならばなぜ新聞に載るのですか……そんなことより工事です。」
「いや、しかし、工事の費用など……」
「お仲間の太守たちと相談して捻出なさい、私財をため込んでいるのでしょう? あ、追加の徴税は厳禁ですよ? 次に新聞に何を言われるか分かりません。もし、万が一にでも、この件で貴方を任命した張常侍に迷惑がかかるようなことがあれば、わかっていますね?」
「あ、あ、あ……」
刺史は目の前が真っ暗になって足から崩れ落ちた。
― ― ― ― ―
青州全体で一大治水工事が始まったのは程なくのことであった。
※
・後漢書 志第五 礼儀中
仲秋之月,縣道皆案戶比民。年始七十者,授之以王杖,餔之糜粥。八十九十,禮有加賜。王杖長九尺,端以鳩鳥為飾。鳩者,不噎之鳥也。欲老人不噎。
中秋になれば戸口調査(案戸比民)を行う。始めて70になるものは王杖を授け、粥を与える。80、90はさらに礼を加える。王杖は長さ9尺、端に鳩を飾る。鳩は噎ばざる鳥なり、老人が噎ばざるを欲す。




