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紋術士は、回想する。


 ―――カノンは、水売りの出身だった。


 それも、モグリの。

 ただでさえ蔑まれる、ゴロツキのような水売りたちの目を掻い潜ってそんなことをしていたのは、カノン自身が貧民街の捨て子だったからだ。


 最初、ブレイヴに出会ったのは、彼が自分から水を買った時。


『へぇ。お前の水、美味いな』


 そう呟いた彼に。

 表向きはニコニコと、内心では、大して世間ずれしていなさそうな様子で、相場より高い金を出したことをせせら笑いながら、言葉を返した。


『新鮮だからね♪』


 するとブレイヴは、軽く片眉と口の片端を上げた。


『嘘だな』


 即座に切り返された言葉に、一瞬、表情を変えてしまった。

 彼はしてやったり、という顔で、得意そうに言葉を重ねる。


『それ、魔法で精製せいせいしたんだろ? 街で噂になってるぜ。妙に美味い水を売る女がいるってな。しかも、本物の水売りが目をつけ始めたって話もある。ヤバいぜ、テメェは』

『……っ』


 目をつけられた。

 その言葉に、カノンは眉根を寄せた。


 ブレイヴの言葉は、事実だ。


 カノンは、紋を扱う才能があった。

 その頃は分からなかったが、街をフラついていた妙なジジイが落とした符を拾って奪い、どう使うのか試してみたら、使えたのだ。


 符を当てるだけで、腐りかけた作物が新鮮になったり。

 ボロボロで薄くなった布がまた厚く丈夫になったり。


 そうして、糞尿や汚水混じりの川の水も、濾過ろかされて綺麗に。


『どうすんだ?』

『アンタに関係ねーしょ!?』

『あ、おい』


 カノンは傍に置いていたかめを抱えて、その場から逃げ出した。


 別にブレイヴから逃げたって、どうにもならないような話だったけど。

 彼がどういうつもりで警告してくれたのかを理解出来るほど、その頃のカノンは賢くもなかったのだ。


 水売りの男は屈強で、気性が荒い。

 

 ブレイブに言われた通り。

 程なくカノンは水売りたちに見つかって、監禁され、殴られた。


 どうやって水を得ているのか。


 カノン自身よりも、水売りの男たちの興味はそこにあったようだ。


 だけど、口を割らなかった。

 符が、自分にしか……正確には扱う才能がある者にしか使えないことすら、その頃は知らなかったから、口を割ったら殺されると思った。



 ―――無知は、辛い。



 カノンは何も知らなかった。


 水を売る前は、生きるために、ゴミを漁る以外の生活も知らなかった。

 水を売り始めてからも、信用できる相手なんて一人もいなかった。


 人の優しさも、温もりも。

 何も知らなかった。


 

 ―――最初にそれを与えてくれたのが、ブレイヴだった。



『だから危ねーって言っただろ。逃げる前に話くらい聞けよ』


 彼は助けてくれた。


 どうやったのか知らないが、こちらの居場所を突き止めて殴り込んできた。


 いきり立つ水売りたちを叩きのめした後、カノンをもうこの街から連れ出すからと説得して。

 最後に金まで払って、カノンの身柄を引き受けた。


 なんで助けてくれたのか。


 そう問いかけると、ブレイヴは明るく笑った。


『テメェ、自分がスゲェって自覚、ねーのか?』


 そうして、彼に最初から同行していたらしいウィズとグラスに、引き合わされて。


 カノンは、紋術士になった。

 なし崩しに旅に同行するうちに、様々な物事を知った。


 ブレイヴたちが、魔王を退治する為に旅をしていることも、話されて。


『どうする?』


 と、彼はそう訊いた。

 カノンが、自分たちの行動の意味を理解出来ると、そう判断したのだろう。


『テメェはもう、十分一人で生きていけるからな。危ねーことはゴメンだってなら、ここで別れようぜ』


 そう、顔は笑いながら、しかし真剣な目で告げるブレイヴに、カノンは即答した。


『一緒に行くよ♪ 面白そうだから♪』


 嘘だった。


 絶対に言わないけど、ブレイヴはカノンの恩人だった。

 ウィズも、グラスも、自分に知識や知恵や、他にも目に見えない色々なものを与えてくれた。


 ブレイヴとは、死線もくぐり抜けたし、バカなことも一緒にいっぱいした。


 彼が見つけてくれたおかげで。


 カノンは、人間になれた。


 魔王を倒した後に、王になったブレイヴが作る国が見たかった。

 彼を支えることで昔のカノンのような暮らしを……辛い思いをする者が、少しでも減ればと思い、協力することを決めて、辺境伯になった。



 ―――そのブレイヴが、死ぬ?



 カノンは、呆然としていた。


 受け入れられなかった。


 ブレイヴは、強くて。

 短気で、おちゃらけてて、でも心の底では、優しくて。


 いつだって挫けなくて。


『ティーチ。オレとマーシィを……頼むよ』


 そんな弱々しい口調で、声音で、話す彼が、信じられなかった。


 ―――嫌だ。


 ブレイヴが死ぬ。

 そんなのは、嫌だ。


 なのに、ティーチは。


 ―――ブレイヴの体に、刃を向ける。


 凄まじい憎悪と殺意が、吹き荒れている。


「ティーチ……ティーチ!!」


 思わず、カノンが叫ぶと同時に、ティーチは地面を蹴った。


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