おししょーは、憎悪に支配される。
魔王が発した言葉の意味を、ティーチは即座には理解出来なかった。
「詰んでる……?」
「そう。人の魂は……勇者の魂は厳密にはただの人間とは違うけど……別の存在に己を定着させることなど、本来は出来ないんだよ」
ティーチにも、それは理解出来た。
魔導や神秘に詳しいわけではないが、魂というモノが肉体と同様に『己』という人間を形作っている以上、それらを切り離すことが簡単であるはずがない。
だが、ブレイヴであれば、そういうことも出来るのだろう、……と、特に疑問も持たずにそう思っていた。
魔王は、こちらの信じ難い気持ちを、認めたくないと思う気持ちを見透かしたのか、楽しげな様子で言葉を重ねる。
「自然の在りようから離れた魂は、変質するんだ。例えば、そうしたモノの扱いに慣れた死霊術師であろうとも、死霊王などに成り変われば瘴気に侵され、狂気に囚われる。勇者が仮にも理性を保っているのは、彼が竜の魂を持つ者であるからに他ならない」
チラリとブレイヴの方に目を向けた後、魔王はこちらに目を戻した。
「己を保ったまま本来の姿を捨て去ることに成功した者が、仙、神、あるいは魔王などと呼ばれていることもある」
「元は人か、お前さんは」
「おっと、口が滑ったかな?」
まるで気にした様子もなく首を傾げる魔王は、皮肉げに口元を歪める。
「まぁ、僕は狂ってはいない。君たちにしてみれば、もしかしたら理解出来ないかもしれないけどね」
そう肩をすくめてから、魔王は指を立てる。
いちいち芝居がかった仕草だ。
「話を戻そう。そうした人を超越した存在であっても、一度変異してしまえは元に戻れはしない。不可逆なのさ」
「……奴の言ってることは本当か? ブレイヴ」
ティーチは、彼の顔を見れないまま、ボソリと問いかける。
『そうだよ』
「そんな……!」
あっさりとした肯定に、スートが息を呑み、ティーチは一瞬で頭に血が上った。
「だったら、何でわざわざそんな姿になってまで俺たちの元へ来た!?」
ティーチは歯を剥きながら、ブレイヴを思い切り怒鳴りつけた。
「どうして俺たちに、嘘をついた!!」
『最初からオレを殺しに行けと言って、テメェが引きずり出せると思わなかったからだ』
ブレイヴと、幾度喧嘩したか知れないが。
彼は、当然ながらこちらの怒気に怯んだりなどしない。
『だが、魔王は殺さなけりゃならねぇ。そいつは絶対だ。殺らなきゃ、犠牲がオレと王妃だけで済まねェ』
淡々と、まるで他人事を語るかのように、ブレイヴは静かにそう口にする。
『それを成し得る力を持ってるのは、仲間とお前だけだったんだ、ティーチ』
「出来るわけねーだろうが!!」
彼が仲間と自分の体を取り戻すと言ったから、それを助けてくれと言ったから、ティーチはしぶしぶ従ったのだ。
「俺に、殺せってのか!! お前さんを!! 王妃を!! ……お前さんだけならまだしも、王妃は愛した女房じゃねぇのか、ブレイヴ!!」
ティーチの叫びに、ブレイヴは毛玉の目を細めて表情を歪める。
痛みを感じているかのような彼の様子に、ティーチは我に還った。
『最初に魔王に体を奪われたのは、王妃……マーシィだ。他の奴らとは違う。カノンたちと違って、ただ洗脳されてたわけじゃ、ねぇ、魂を瘴気に侵されたら、もう、元には戻らねェんだよ……』
ーーーバカか、俺は。
ブレイヴが、悩んでいなかったはずがない。
口は悪いが、共に過ごした仲間や家族に対して、どうしたって心の底から非情にはなれない男なのだ。
『アイツが誰かを殺す前に。魔王に操り人形にされて、永遠の地獄を生きないように。……救ってくれ、ティーチ。オレとマーシィを……頼むよ』
最後の一言には、まるで力がなかった。
誰よりも強く、真っ直ぐに、人を救う為に生き続けた男のーーー。
ーーーその報いが、この結末か。
女神とやらが本当に存在するのなら、運命を定めているのなら、きっとそいつは、冷酷非情なクソ女だ。
「許さねェ……」
ティーチは、偃月刀の柄を折り砕く勢いで握り締める。
「そんな救いを、お前さんに望ませた全てを、俺は許さねぇ……!!」
「お、おししょー……?」
怯えたようにスートが口にした言葉は、ティーチの耳には届かなかった。
ブレイヴの顔で、彼では絶対に浮かべない表情を浮かべた魔王。
その横で、全くの無表情に立つ、黒衣を纏う美貌の王妃。
そして、二人を守るように祭壇の前に立つアーサス。
彼の体は、剣を持つ右手から立ち登る蛇のような瘴気によって半分以上が覆われて、肌が紫色に変色し始めていた。
ーーーアーサス。
本来は、気の弱い男だった。
日和見で優柔不断で、臆病な男だった。
しかし彼は、操られていたとはいえ、自分を育ててくれた暗殺者の一団を手に掛けたことを悔い、なけなしの根性をかき集めてティーチ達と共に戦い、助けてくれた。
ーーー仲間を奪う奴は、許さねぇ……!!
ティーチは、今までの人生で初めて、憎悪に支配されていた。
「魔王サマルエ……!」
仲間を奪った男に、その命を弄ぶ魔性に対して半身になると、深く膝を曲げて腰を落とし、切先を地に擦るように偃月刀を構える。
ミシミシと頭の芯が音を立てるほどの激情に、偃月刀が、纏った鎧が染まる。
赤を基調とした勇猛な印象の武具が、漆黒の装飾を禍々しく纏い、炎と聖気に彩られていた鎧がバキバキとひび割れて肥大化し、割れ目から血のような色合いの真紅の輝きが漏れる。
あらゆる天地の気を吸収する能力が、闇の力を吸い込んで、我が物とし始めていた。
『ティーチ!』
「貴様は必ず殺す……!! 俺は、勇者ブレイヴの対……律に背き、権を拒み、悪意を転じて、貴様を制す鏡……!!」
顔を覆うフルフェイスの兜に備わった目を、鎧の割れ目から漏れる光と同じ深紅に染めて。
ティーチは、名乗りを上げた。
「潜む悪鬼を喰らう【影】、ティーチ・ザコード。推して参るーーー!」




