おししょーは、仙人に出会う。
「綺麗な星空だ」
ティーチは、スートを連れてふらりと散歩に出ていた。
もう後、一日で要塞都市に着く辺り。
ティーチは、辺境伯の街を出た後も、スートの元気がないのが気になっていたのだ。
「おししょー、こんな時に外に出ていいんですか?」
「許可はもらってるよ。なぁ?」
『そーだな』
少し遠くなった、灯りを灯している行軍の陣営をスートがチラチラと気にしているので、ティーチは肩の上のブレイヴに話を振る。
『バックラーは堅物だからな。俺たちを潰せと命令を受けてても、持ち場は離れない。この時点で夜襲を受けることはねーよ』
「今日が最後なんだよ、気が抜けるのは」
「……行軍してるのに気が抜けるおししょーが凄いですよ」
「ずっと張り詰めてたら疲れるだろ」
ははは、とティーチは笑い、アゴの無精ヒゲを指で撫でた。
「なぁ、スート」
「何ですか?」
「焦っても、どーにもならねーってのが、気持ちで納得出来ねーか?」
そう問いかけると、スートは押し黙った。
ーーー才能の差。
レイザーにそれをまざまざと見せつけられ、ティーチと村で過ごし鍛錬することによって少しずつでも育まれていたはずの自尊心が、また砕かれてしまったのだろう。
気持ちは、痛いほどによく分かる。
ブレイヴに迷惑をかけることを懸念し、尻込みした自分。
スートの師匠として、どういう態度を取ればいいのか未だに正解の分からない自分。
それでもティーチはある程度開き直れるズボラな性格だが、スートは真面目だ。
ゆえに、『自分には何もない』と思ってしまったら、思い悩んでしまうのは仕方のない話なのだろう。
ーーーでも俺は、お前さんにゃ笑ってて欲しいんだよなー。
スートには、人を明るい気持ちにする力がある。
何も、戦いに優れていることだけが素晴らしいことではないのだ。
しかし、それは彼女自身では気づけない力でもある。
ブレイヴ達が魔王退治の時にスートをティーチに預けるのを、おそらく最後まで悩んだのも、その力があったからだ。
彼女が笑顔でそこにいて、明るく振る舞っているだけで、気持ちが和む。
それは戦地においても、日常においても稀有な、得ようと思って得られるわけではない、それ自体もまぎれもない天賦の才なのである。
だが確かに、人の想いは態度でしか見えないから、実感は出来ないだろう。
スートに接する者は、親しみを込めて接するのだから、彼女の日常でしかないし、それを稀なことと察するには、彼女はまだ幼い。
だからティーチは、別の話をまたすることにした。
「最初にお前さんと暮らし始めることになった時、俺は言ったと思うんだが。俺たちみたいな凡人にゃ、素で強ぇ奴に追いつけるような速さはねーから、自分の足で、自分の速さで歩こうってよ」
「……分かってます」
スートは、ティーチの顔を見なかった。
うつむいて、どこか拗ねたような顔で、それでも返事は戻ってくる。
「でも、おししょーは強いじゃないですか。私よりも、ずっと」
「んなこたねーよ」
「あります! だって、カノンさんにも、レイザーにも、おししょーは勝ったじゃないですか!」
「お前さんやブレイヴたちの力を借りてな。一対一ならとっくに負けてる」
「それでも、倒し方を考えたのも、それを実行に移したのもおししょーなんです!」
スートは、語気を強めた。
「私には出来ないんです! 盾になることくらいしか!」
ティーチは、話し始めたのでとりあえず聞くことにした。
彼女は快活で、心を偽って人に接したりはしないが、実は自分のやりたいことや葛藤をこうして他人にぶつけることは、ほとんどない。
人の役に立つことを、特に下心もなくやってしまうような優しい子だ。
どうしても譲れない時……ブレイヴ達と別れた時のような状況でなくとも、こうして自分の意見をぶつけてくれるようになったのも、かなり親しんでからだった。
「それだって、結局は言われた通りに動くだけで、自分で戦ったら……皆の中で、まだ、一番弱いんです……!」
『スート、そいつは……』
ブレイヴが口を挟もうとするのを、ティーチは手で制した。
そうして足を止めると、スートも少し先に進んでから立ち止まる。
背中と腕には力がこもっており、悔しさが背中と、震える拳から滲んでいた。
「私だって……もっとやれるはずです! 私だって! でも、頑張りが足りないから! 人に迷惑をかけてばっかりで!! 足手まといです!!」
「そんなことはねぇ」
「あります!! もっとちゃんと歩いてれば! ……私一人だけ、人よりも、歩くのが、遅いんです……」
肩を落とすスートに、ティーチは頭を掻いた。
「一人じゃねぇよ。お前さんの歩みが遅いってんなら、そいつは俺の責任だ」
「……」
「言っただろ。一緒に歩こうって。お前さんの歩みが遅いなら、そいつは一緒に歩いてる俺がヘボいから上手く手を引けてないだけだよ。お前さん自身の責任じゃねぇ」
「おししょーは、ちゃんと見ててくれてます! 私が遅いから、ゆっくり歩いてくれてるだけじゃないですか!!」
バッと振り向いたスートは、唇を引き結び、目に涙を浮かべていた。
堪えているのか、頬を流れてはいない。
「そうだよ、俺は、お前さんをずっと見てる。だから、成長してることをちゃんと分かってる。出会った頃のお前さんは【纏鎧】することは出来なかった。剣を操ることも出来なかった。盾になれるほど強固な防御魔法を扱えなかった」
スートの歩みは、決して遅くなどない。
それどころか、並の戦士に比べればおそらく強い部類だ。
周りにいる者たちが、あまりにも破格すぎるだけで。
「今は違う。だから……」
と、言いかけたところで、ティーチはふと奇妙な気配を察した。
目を向けると、視線の先……月明かりに照らされる、草原の少し窪地になったような場所に微かな光が灯っているように見える。
「……なんだ、あれ?」
「え?」
『竜の気配がするな……』
気づいていなかったらしいスートがそちらに目を向けると、ブレイヴがボソリとつぶやいた。
「翼竜か? 危険そうな雰囲気はしねーが……」
『一応見に行ってみるか?』
すぐ近くに辺境伯軍がいる。
なんらかの事情で刺激してしまうと不味いかもしれない、とブレイヴは懸念しているのだろう。
「スート。一応、鎧を纏っておけ」
「分かりました!」
ゴシゴシと袖で目をこすり、スートは気持ちを切り替えたようだった。
あたふたとしないだけ、それも成長だと思いながら、ティーチも黒い木刀を引き抜く。
そうして、慎重に近づいて草の影から覗き込み……思わず、そこにいた竜に見惚れた。
とても美しい、見たことのない姿をした白竜だ。
透き通るような鱗と毛皮を身にまとい、長い体を寝そべらせている。
背中に生えた翼も、龍のコウモリのようなものと違って鳥のようで、細く長い。
鬣の両脇に生えた二本のツノは、後ろに向かって伸びており、黒目がちのつぶらな瞳が、まどろむように細く閉じられたまぶたの向こうに見えた。
その、ぐるりと巻くように横たわった体に、一人の老人が背を預けている。
白く長いヒゲと、同じ色の長い髪。
あぐらを掻いて夜空を見上げ、手にしたキセルを旨そうにふかしている。
ーーー仙人。
ティーチは、彼の姿を見てそう感じた。
どこか掴み所がなく、そこに実体がないかのように朧げな気配は、目にするまで察することが出来なかった。
そして彼自身も、薄青い光を身に纏っている。
スートたちも見惚れているのか、黙り込んで一枚の絵画にも似たその光景を眺めていたが。
老人が、ふとこちらに目を向けて、口元に笑みを浮かべた。
その目線と笑顔は、どこか人懐っこさを感じさせ、超越的な気配は薄れて親しみを他人に覚えさせる。
見られたのに、全く警戒心が湧かないことにティーチが戸惑いを感じていると、老人がゆっくりと口を開いた。
「ヒヒヒ、良い月見の夜さね。そんなところに隠れてねーで、こっちに来て一緒に見ねーかい?」
問われて、ティーチはブレイヴと目を見交わした。
そして、彼の言葉に返事をする。
「全く同感ではあるんだが……一体、ここで何をしてるんだ?」
美しい白竜もこちらに気づいたようで、目を向けてくるが、やはり敵意はない。
それどころか、翼竜とは違い瞳には深い知性が感じられた。
これほどの竜を従える者が、只者であるはずがなかった。
「だから、月見さね。……ま、悪ガキのイタズラで、友がケガをしちまったから休んでるついでだけどねぇ」
ポンポン、と老人は竜の体を叩いた後、こちらに手招きする。
「襲いやしねーよ。珍しい魂の持ち主たちに興味が湧いたから、ちっと話したいと思っただけさね」
「……行こう」
ティーチは言い、黒い木刀を腰布に差して近づいていく。
「ご老人。名前をお伺いしても?」
「わっちかい?」
老人は片眉を上げて、再びキセルをふかした。
「わっちは、トゥスさ。ーーー近くの山で暮らしてる、ただの小僧さね」




