図書館の底
一般的の利用者が立ち入ることが出来ない閉架。スタッフでないと入れない裏の書庫のような場所。そこに一揃いの巻物が収められているのは、きっと今では私しか知らないだろう……。あの出来事以降は。
いつの頃からあるのか。データ上では存在している。だけれど実物を見た者は基本いない。私も先輩のAさんから書架整理の時にこっそり教わった。
「あのね、Bちゃん。あれはさわっちゃだねだから」
見上げる棚の先にあるそれは固く結ばれた箱に入っていた。何故なのか聞いても、困ったような顔をされるだけ。たださわってはいけないのだと、私は心に刻んだ。
その日は、台風を目前に来館者も少ない日だった。私はそつなく仕事をこなすCさんに声をかけて、閉架の整理に向かった。予約本の返却が思いの外多かったのだ。
元々が美術館だったこの建物は、地下がやけに広い。最新の館では移動式の棚があって省スペースながら、豊富に収納出来るものが、ここでは部屋をふんだんに使っていけるのだ。
黙々と片付けながら、どうしてもトイレに行きたくなり、地下四階のトイレの個室に入った時、電気が消えた。
「停電……? 嘘でしょ?」
――無音
私が身動ぎしなければ何の音もしない。だけど、どこかから水の滴る音が聞こえてきた。雨漏り? 浸水? どちらもまずい。
音がする方へ、持っているペンライトを照らして向かっていく。
――水音
それは普段貸し出される物も無い美術品に近いものがしまわれた部屋。鍵は……開いている。何故、と思う間に、中から水が溢れてくるのが分かって無理矢理押し入る。ゆとりあるスペースの上段、そこに巻物系が一式陳列してある。そこから、水が止めどなく溢れてくる。ペンライトを口に咥えて、覗きこんだら――眼があった。
思わず息を飲む。それは触れてはいけない、直視してはいけないものだと本能が告げる。深淵の彼方から覗いて来るような瞳に怯えながらも、私は横にあった巻物の蓋をどうにか掴むと、無理矢理被せる。
――出せ
――解放しろ
音無き音が私を苛む。それに返事を返さぬままに、私は強く蓋を閉めて、それに付随している紐でぐるぐると巻き付ける。
――だ……せ……
私はドアを震える手で閉めると、振り返らずに階段をかけ上がった。
地上階では何も無かった。ただいつものようにCさんが本の修繕をしながら、閉館の準備をしていただけだった。
私は温かい珈琲を喉が焼けそうな程に注ぎ込むと、目の前の業務に没頭し、無かったことにした。
程なく辞めたあの図書館。元々は川の上にあったのだという。それを景観の為に埋め立てて、鎮魂の社を作ったけれど、いつしかそれも忘れ去られたらしい。
ただ、私が見たのは何だったのか、今でも口にするのも恐ろしい。
ただただ、深淵からの瞳。しかし、私はいつかそこに行ってしまうのかもしれない。
底に行ってしまうのかもしれない。あの瞳はもう、私の脳裏から離れない。
ずっと、ずっと、どこまでも、私の頭蓋の中でこだまするのだ。
――出せ
――ここから出せ
そうやって私を苛むのだ。
以前書いていたショートショート用のネタがなんだか膨らんでしまいました。
以前勤めていた図書館に、巻物があった事。
地下深かったこと。そして、誰もいなくても気配があったことは、ノンフィクションであったとお伝えしておきます。
暗闇でした。そこは。




