91話 黒やぎ
ある日、モリーは川で奇妙なモノを拾った。
どうやら人間のようだ。
織物をつくる繊維を染色に来たのだが、荷物もちに弟のピーターを連れて来ていて助かった。
「本当に連れていくの? ねえ、本当に連れてっていいの?」
「何べんもうるさいわね。ぐずぐずいわずに担ぎなさいよ」
ぶつぶつと口答えをするピーターの尻をピシリと叩き、モリーは繊維を入れた籠を持つ。
置いていくなんてできるわけがない。
あの人間はボロボロで、放置したらすぐに死んでしまうだろう。
それに何より――あの人間はモリーを見て「きれいだ」といってくれたのだ。
実はモリーは他人にそんなことをいわれたのは初めてだった。
大抵の人は彼女を褒めるときは『しっかりもの』だとか『編み物上手』とかいうのだ。
里長のベルクやアシュリンはいつまでも子供扱いして『かわいい』といってくれるが、それだって『きれいだ』とはほど遠い。
なんだかモリーはこの人間に情が移ってしまったようだ。
情の濃い女なのである。
「でもさ、姉さん……こんなの内緒にできないよ。コッソリ僕らの家に運び込むのも難しいし」
たしかにその通りだ。
ごちゃ混ぜ里は大きくなり、常に人目はある。
運良く自宅に運びおおせても人間など隠しきれるものではない。
(どうしようかしら、たしかに内緒にできないし)
うんうんと悩んでいると、折よく巡回中のスケルトンたちと出会った。
たしか先頭のスケルトンはホネジュウロクだと分かるが、他はよく知らない。
最近は人間との争いが激化し、スケルトンの数も増えたのでモリーも把握しきれてないのだ。
「ちょうどよかったわ。ホネジュウロクさん、この人をさっき見つけたんだけど意識もないし具合が悪そうなの。館まで運んでもらえるかしら」
モリーがお願いすると、ホネジュウロクはカクリと頷き、後ろのスケルトンに人間を担がせた。
「なにぼやぼやしてるのよ、アンタはこれを持つのよ」
モリーはピーターに籠を押しつけ、スケルトンたちに続く。
里でスケルトン隊は信頼されている。
彼らと共に動けば怪しまれることはない。
「……なんで僕が」
後ろから聞こえる弟からの不満は無視した。
弟は姉のために汗をかくものなのだ。
「わっ! そ、それはなんだっ!?」
館に向かう途中で、里長の妻アシュリンに見つかった。
いま里長のベルクと、それに次ぐスケサンは入江に出張中で不在だ。
彼女に許可を得れば問題ないだろう。
モリーは懸命にアシュリンを説得した。
なにせ、自分に好意を持っている(かもしれない)雄なのだ。
ここで『捨ててこい』といわれてはたまらない。
「う、うーん……こ、コイツが住みたいっていったらいいんだろうけど、このままじゃ死ぬな」
森の植物に詳しいアシュリンは里の薬師だ。
人間を診断してくれてるが、かなり具合が悪いらしい。
「まず、これは万年咳だ。ずいぶん拗らせてる。そ、それに手は何か毒が入ってるし、身体中に傷があるな。す、脛の傷が悪い。頭も怪我してるな、たぶん骨が割れてるぞ――」
アシュリンは「たぶん無理だ」と残念そうに呟いた。
「そんなっ、私は助けてあげたいんですっ!」
「うーん、と、とにかく痛み止めだな。あまり苦しませるのはよくないぞ」
モリーの剣幕に圧されたのか、アシュリンは苦しむ人間に痛み止めを与えることにしたらしい。
「い、痛み止めか……ベラドンナ、シロヤナギ、ハマウツボ、アオジソ、コカかな。こ、これは強すぎるから落ち着いたら飲ませるのを止めるんだ。あまり飲ませすぎると体が利かなくなっちゃうぞ」
できたての薬を口移しで飲ませると、荒かった呼吸が穏やかになったようだ。
その間にアシュリンは次の薬を用意してくれている。
「ま、万年咳はここまで拗れると抜けないかもしれないぞ。この薬はキナ、コウノキ、トコン、キカラスウリ。強い痰切りと咳止めの薬だな。ひ、一晩生き延びたらこれを飲ませろ」
モリーは「間違えないように」と何度も薬草の種類を尋ね、分量までしっかりと覚えた。
「そ、そこまで心配しなくても足りなくなったらまた分けてやるから大丈夫だ」
「でも、ちょっと心配ですから」
モリーの熱心さにアシュリンも苦笑しながら丁寧に教えてくれた。
なんだかんだで面倒見がよいのだ。
アシュリンに「ダメでも落ち込んじゃダメだぞ」と釘を刺され、人間を家に連れ帰ることにした。
(死んでほしくないけど……やっぱり難しいのかな)
モリーはアシュリンの言葉に少し落ち込んだが、人間の腫れ上がった手や傷だらけの体を清め、手当てをした。
ひどい虫刺されや化膿した怪我もあるが、このくらいの処置は森の民ならばできる。
「服は……ピーターのじゃ小さいかしら?」
「ちょっとくらい平気じゃない?」
なんだかんだでピーターも手伝ってくれる。
優しい弟なのだ。
看病の甲斐もあってか、翌朝に人間は目を覚ましモリーを喜ばせた。
「……ここは、どこだ……?」
「もう大丈夫ですよ、ここは私の家です。ゆっくり休んでください」
薬のせいか、朦朧としつつも男は「スタブロス」と名乗り、モリーに深く謝した。
(ああ、なんてかわいい人なのかしら!)
声はかすれ、目もうつろだが、その弱々しい姿にモリーはたまらない愛おしさを感じた。
この男はモリーの庇護なしでは1日たりとも命を長らえることはできないのだ。
そう考えただけで下腹の辺りに熱を感じる。
「ここは、どこですか?」
「ここはごちゃ混ぜの里です。私は――」
スタブロスはハッと表情を変え、身を強ばらせた。
同時にモリーの角や瞳に気がついたようだ。
だが、彼には身構えるほどの体力はまだない。
「大丈夫です。大丈夫――この家にいれば大丈夫」
スタブロスの手にそっと、自らの手を添え、モリーは優しくささやく。
「ここにいれば、私が守ってあげますよ――」
☆★☆☆
スタブロスは徐々にだが順調な回復を見せた。
いくらか傷痕が残り、肺に後遺症は残ったものの命を拾ったのだ。
若さゆえの生命力だろう。
体調が戻るにつれ、スタブロスのやつれた雰囲気は抜け、幼さの残る童顔はモリーを大いに喜ばせた。
「も、もう大丈夫かな。ちゃんと面倒みるんだぞ」
アシュリンはたまに様子を見にきては薬や食べ物を分け、世話を焼いてくれる。
あまり人間に対する忌避感はないようだ。
「うーん、こいつが望むのなら追い出す理由はないが、人間を嫌がる者もいるぞ?」
「うむ、里には戦ったばかりの人間を好ましく思わない者も多い。慣れるまではあまり外に連れ出さぬようにな」
ベルクとスケサンは少しモリーの心配をしたが、スタブロスの居住を認めてくれた。
「でもな、何かあったら責任はモリーがとらなきゃいけないぞ。分かってるか?」
ベルクが真面目な顔でモリーに注意をし、スタブロスに「この娘を裏切ったら生きたまま腹を裂くぞ」と脅しつけた。
これは病床の身にはこたえたらしい。
その日から数日、スタブロスは怯えきっておりモリーは慰め続けた。
甘えるスタブロスをあやしながら、モリーは心の中でベルクに感謝した。
親身に看病してくれる若い女性に男が惹かれるのはある意味で必然である。
2人が男女の関係になるのに時間は必要としなかった。
同居していたピーターは追い出し、ここはすでに愛の巣である。
ピーターは「なんで僕が」などと文句をいっていたが、どうせ彼にお嫁さんが来たら新しい家をかまえるのだ。
多少早まっても問題はない。
モリーとスタブロスは色々な話をした。
家の中では話すくらいしかやることがないからだが、それでも飽きることはない。
スタブロスの故郷、エーリスのこと。
家族のこと。
実家の肉屋のこと。
ごちゃ混ぜ里では物の売買は隊商が来たときに立つ市のみなので、いつも開いている店というのはモリーには不思議だった。
「……帰りたいですか?」
「うん、そりゃね。その時はモリーと帰りたいな」
スタブロスがいうには人間の神様を信じれば人間の都市にも住めるらしい。
だが、モリーが「森を離れることはできません」と伝えるとしょんぼりしてしまう。
「いつか帰るとしても……今は体を治さなければいけないわ。具合はどう? 痛いとこはありますか?」
「ああ、そうだね。のどがまだ少し……あとは痛くはないけど、体がまだ上手く動かせないんだ」
モリーは「それはいけないわ」とスタブロスから身を離し、薬湯を用意した。
ベラドンナ、シロヤナギ、ハマウツボ、アオジソ、コカ――アシュリンから教えてもらった薬草をほんの少しだけ取り出し、お湯で煮だす。
このくらいならばモリーが自分で手に入れることはできる。
ここは森なのだ
「……ありがとう、モリー。キミにはどうやって感謝をすればいいのか――」
「ううん、いいんですよ。私はスタブロスさんと一緒にいるのが嬉しいんです」
スタブロスは薬湯を飲み、しばらくして「少し楽になったよ」とぼんやりした表情で笑う。
「楽にしていてくださいね、汗を拭いてあげますから」
モリーはスタブロスの服を脱がせ、その上に身を重ねる。
(ああ、なんてかわいいのかしら。ずっと私がお世話をしてあげる)
自分の下でなすがままになっている男を見て、モリーはニンマリと笑った。
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万年咳
罹患すると風邪によく似た症状があらわれ、次第に咳が止まらなくなる。
初期のころから治療をすれば数ヶ月で咳は止まり重症化することは稀だが、放置すると多くの場合命に関わる。
スタブロスはかなり重症であり、痙攣性の咳発作から呼吸が止まってもおかしくない状態だった。
感染率は高く、看病には注意が必要。
モリーが平気なのは過去に免疫ができていたためだと思われる。
適切な治療をすれば死亡率は数%程度(抗生物質があればもっと下がるだろう)だが、放置すればほぼ助からない恐ろしい伝染病である……スタブロスが人間でなくとも感染者を歓迎する者はまずいない。




