104話 とある鬼人の戦い
荒野を抜けた先、人間の世界の外縁部。
目だつ都市はなく、辺境の開拓村や征服された異種族の町がまばらに点在するのみの僻地だ。
「ふん、まだ来んのか。今回は外れか」
その僻地の高台で、1人の鬼人が愚痴をこぼした。
彼の名はムラト。
ここ数ヶ月、近隣を荒らし回っている鬼人である。
「すいません、お頭……ひょっとしたらヤツら、商路を変えたのかも――」
「戦は相手があることだ。思い通りにはならん。しばし待ち、日暮れ前には退くぞ。人間は夜目が利かぬ。日没よりは動かぬものだ」
手下にしたブタ人の報告を聞きながら、ムラトはゴロリと地面に寝転んだ。
戦の前には体を休める……当たり前の心得だが、並みの者では緊張してこうはいかない。
この態度こそ、歴戦の戦士のものだ。
ブタ人は「ほうっ」と小さくため息をついて感心し、見張りに戻る。
現在、ムラトには彼の他に8人の獣人が従っていた。
アジトには女子供もいるので、総勢は15人にもなる。
この周辺はかつてブタ人の国があり、人間に征服された後は奴隷とされていた。
自然と解放した奴隷はブタ人が多く、ムラトの手下はブタ人ばかりである。
ムラトと鬼人の老婆以外、全員が近隣の人間に虐げられていた奴隷たちだ。
必死で高台より街道を見張るブタ人をながめ、ムラトは「ふん」と鼻をならした。
(奴隷を戦士に仕立て使うか。気にくわんが、よい思案だ)
ごちゃ混ぜ里では鬼人以外でも戦士であり、人間の軍を退けたという。
(スケサンにホネイチといったか……あのスケルトンどもの統率と練度、装備もかなりのものだ。あの軍を作れば人間と戦える)
ムラトは間近でスケルトン隊の訓練を見、その精強さに驚いたものだ。
もともと彼は決して蒙昧な気質ではない。
上手くいった例を目撃したのに、意地を張って退けるような愚は犯さない。
ごちゃ混ぜ里を離れた後、ムラトは細かく移動しながら人間を襲撃し、奴隷がいれば声をかけ続けている。
『俺と共に人間と戦うならば、連れていってやろう』
ついてきた者はわずかな数だ。
無理やり連れていき、戦わせてはモノの役にも立たないだろう。
だが、自ら戦うことを選んだ者たちは弱いなりに必死だ。
この者らを鍛え、軍隊を作る。
ムラトが学んだのは『自らの意思で決めさせる』ことだ。
いままでの鬼人の常識では考えられないが、これもごちゃ混ぜ里で学んだことである。
(あの者が王であったなら、鬼人の国は滅びなかったのではないか?)
ごちゃ混ぜ里のことを考えると、ムラトはいつも深い後悔にさいなまれる。
とある鬼人の若者は背が低く、角がなかった。
ただ、それだけで成人して間もなく国を出た――いや、出ざるを得なかったのだ。
そして、わずかな時間で国を興し、王となった。
(あの者を追い出したのは我らだ。ならば、俺が国を滅ぼしたのか……?)
現実はそう簡単なものではない。
1人の働きで国が保てるはずもない――そのくらいはムラトも理解している。
しかし『だが』『もしも』と考えずにはおられない。
ムラトは見てしまったのだ。
和をもって諸族をたばね、徳によって国を治め、純潔の鬼人をもひしぐ武勇の王者を。
「――したよっ! 来ましたよ! お頭っ!」
ブタ人の呼び声で現実に引き戻されたムラトは素早く立ち上がり、街道に目を凝らす。
そこには3台も連なる荷馬車、さらに左右には護衛らしき者の姿も確認できた。
「でかした、待った甲斐はあったぞ。思ったよりも大物だ」
獲物を見つけたムラトが獰猛な笑みを見せると、ブタ人は軽く怯んだようだ。
このブタ人にとってムラトは頼れるリーダーであり、暴力の象徴なのである。
「手はず通りにせよ。1対1で戦うな」
「分かりました!」
ムラトの指示を受けた大急ぎでブタ人が仲間の元へ向かう。
ブヒブヒと走るブタ人の姿は頼りないが、それでも貴重な戦力である。
(ふん、馬車に4人ずついたとして12人か。3人も殺せばカタがつくが、多めに殺してやるとするか)
ムラトはゆっくりとした動作で体を動かし、筋肉をほぐしていく。
体が暖まるころには、戦いへの喜びで四肢に気が満ちるのを感じた。
見れば高台の真下まで荷馬車は到達したようだ。
高台を迂回するように荷馬車が進むと、隘路に突如として土砂が崩れ落ちた。
(よし。上手くしてのけた)
ムラトは声も発せず、高台を飛ぶように駆け下った。
街道では音と土煙で驚いた馬が暴れ、御者と護衛が必死で押さえつけている。
そこへ、後ろからムラトが急襲した。
素早く槍を繰り出し、瞬く間に2人を突き殺す。
驚くべき手練の殺しだ。
「うわっ! なんだアイツはっ!?」
「例の山賊だ! 荷を守れ!!」
ばらばらと荷車から下りる人間はムラトの予想を上回り、御者を含めて30人ほどか。
だが、なにも問題ない。
「ゴオオォォォォォォッ!!」
ムラトは片手に槍を構え、盾を掲げて突撃する。
立ち向かう人間は武器を操る羆に襲われるようなものだ。
まだ態勢を整えていない人間たちでは太刀打ちのしようもなく、文字通りに蹴散らされていく。
彼らが弱いのではなく、鬼人が強いのである。
「いまぞっ!! 者ども、かかれいっ!!」
ムラトの号令に応じ、土砂の脇より配下が鬨の声を上げる。
わずか8人、少数ではあるが土煙に紛れ、人間たちに数は分からない。
「オークだっ!?」
「逃げろ!! 囲まれるぞ!!」
こうなれば、もはや立て直すことはできない。
人間たちは算を乱して逃げるのみだ。
「おおおぉぉっ!! 俺は森の魔王の尖兵ムラトだっ!! 貴様らを皆殺しにしてやるぞっ!!」
ムラトがなおも追い散らし、その間に手下が手分けをして荷車をあさる。
なれた動きは山賊そのものだ。
「疾く退くぞ! 荷はなんだ!?」
すぐに追撃を切り上げたムラトが訊ねると、ブタ人たちは「武器です!」「こちらは食料です!」と大声で応じた。
残りの1台は先ほどの男たちを運んでいたようだ。
「よし! 馬は逃がせ! 持てるだけ持ったら離れるぞ! 残りは焼いてしまえ!」
すぐに1人が高台のキャンプ地に走り、焚き火より火を運ぶ。
そのまま火をつけられた荷車は勢いよく炎上した。
「潮時だ。このままアジトに戻り、引き払うぞ」
荷物を担ぎ、引き上げる道中でムラトがアジトからの退去を指示すると、ブタ人たちは驚きの声を上げた。
「なぜですか? 今日は大勝利ではないですか?」
「この武器で人間の村を襲ってやりましょう!」
勇ましげに壮語を吐くブタ人たちを見て、ムラトは小さく舌打ちした。
正直、説明するのは面倒だが、彼らを育てねばならない事情もある。
先達が経験を伝えることで、鬼人の若者は戦場での機微を知る……ならばブタ人にも教える必要があるだろう。
「いいか、武器と食料を大勢が運んでいたのだぞ。これは兵の移送だ。俺たちが続けて暴れたから都市から兵を送られたのだ」
ムラトの言葉を聞き、ブタ人たちは顔を見合わせた。
あまりよく分かってない様子にムラトは再び鋭く舌打ちをする。
「今日勝ったことでさらに兵が集まる。人間は数が多いのだ。アジトが囲まれる前に場所を変える、分かったか?」
ここが警戒されれば他の守りが薄くなる。
故に『森の魔王の尖兵』などと派手なことをいったのだ。
先ほどの人間らが、少しでも脅威を大きく感じれば後が楽になる。
この説明を聞き、ブタ人たちは「おおっ」「さすがお頭」などと驚いている。
さらにムラトへの尊敬を深めた様子だ。
「ならば森の魔王とやらはデタラメですか?」
「いや、それは本当だ。そいつは俺の倍ほども強い」
ムラトがつまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らす。
それを見たブタ人たちは「ほっ」と息を吐き出した。
冗談だと受け取ったのだ。
彼らにとってムラトより強い者など想像もつかない。
「安心しろ。いざとなれば荒野を抜け、大森林へと逃げる。そこの魔王は同族だ」
この自らの言葉でムラトは小さな気づきを得た。
ごちゃ混ぜ里を頼ることも可能なのだ。
(そうか、戦えぬ者は森へ逃がしてもよいかもしれぬ)
あの角のない鬼人ならば、なんとでもしてのけるだろう。
「お頭、どうされました?」
「いや、なんでもない。次は大きく場所を変えるぞ。4日は移動する」
ムラトはニヤリと笑い「はやく歩け」とブタ人たちを叱咤した。
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ブタ人
いわゆるオーク。
だが、女のブタ人も普通におりエルフや女騎士を好んで襲うことはない。
体が大きく、劣悪な環境に耐える強さがあるため、人間の社会では奴隷として多く使役されている。
本来は長い牙が生えるのだが、奴隷とされたブタ人は人間に牙を切られている。
繁殖力も強いが、数が増えることを恐れた人間に去勢されることも多い。
人間への恨みは深く、ムラトへの協力も復讐心ゆえである。




