短編:魔女を殺せる護衛騎士と休業中の王子様
「ねぇパーシヴァル、いつまで僕のこと〝王子”って呼ぶの?」
とは、長閑な日に放たれたアレクシスの言葉。場所は王宮にある彼の執務室。
山を成す書類を一枚眺めてはサインをして、次の一枚を……と繰り返す単調な公務の最中、そういえばと言いたげに話し出したのだ。
きっと仕事に飽きがきてのことなのだろう。現にサインを書き終えた書類をまとめて傍らに置き、再び書類へと手を伸ばし……はせず紅茶へと手を伸ばしてしまった。
手にしていたペンを机に転がす姿は、かつての彼を知る者が見れば目を丸くさせただろう。
以前のアレクシスと言えば、公務の最中は私語一つ口にせず、自ら雑談を切り出すなどもっての外。決められた時間に休憩を取るだけで黙々と公務をこなす真面目を絵に描いたような男であり、そしてその姿は謙虚で努力家な良き王子だったのだ。
それが今は「ちょっと休憩」と勝手に手を止めて小休止を入れてしまう。それもサインし終えた書類はもちろん未処理の書類さえも机の隅に追い遣り、机の引き出しからクッキーを取り出すのだ。これは『ちょっと』で済むか怪しいところである。
そんな彼の変わりように、ソファーに腰かけて書類のチェックをしていたパーシヴァルが苦笑を漏らす。彼の対面に座っていたモアネットも「随分と捻くれたものだ」と兜の中で笑みを零した。
アレクシスが二人分のクッキーを投げて寄越す。これもまた以前のアレクシスからは考えられない事だ。
パーシヴァルが礼を言ってそれを受け取り、モアネットもまたキャッチしようと弧を描くクッキーに手甲を伸ばし……コンと兜にぶつけた。
しまった、とモアネットが手甲で兜を押さえれば、パーシヴァルとアレクシスが揃えたようにそっぽを向いた。笑っているのだろう、なんて腹が立つ。
「……それで、呼び方がどうしたんですか」
モアネットが若干低い声で、言葉の裏に『キャッチミスについては触れてくれるな』という意味と威嚇を込めて尋ねれば、小さく肩を震わせていたアレクシスがゆっくりと顔を上げた。
その口角が若干引きつっているが、モアネットは見ないふりをした。数歩とはいえ離れた距離が惜しまれる。隣か向かいにでも座っていればテーブルの下で足を踏んづけてやるのに……パーシヴァルのように。
「モアネット嬢、結構痛いんでそろそろ許してほしいんだが……」
「知りません。えい、両足のせちゃえ。なんだったら全体重かけちゃえ」
「笑って悪かった! 頼む待ってくれ俺は軽量化の魔術効かないから!」
魔術が効かない魔女殺しのパーシヴァルにとって、モアネットが足を乗せればモアネットの重さプラス鎧の重さが直に足に掛かる。全体重を乗せられたら堪らないと慌てて謝罪するのを聞き、モアネットが満足したと兜の中で笑みを零した。
そうしてクスクスと笑っているアレクシスに向き直る。彼は自分に視線が向けられると気付くや笑みを隠し、「呼び方の話だっけ?」と話を戻してきた。パーシヴァルもそれに便乗して「俺の呼び方が何でしたっけ?」と話の軌道修正を図る。
なんて白々しい主従だ。そうモアネットが呟きつつ、それでも二人の会話を邪魔するまいと最後に一度ぐりっとパーシヴァルの足を踏みつけて自らの足を引いた。
「俺が王子を……とは、どういう事ですか?」
「一応叔父さんの仕事は手伝ってるけど、後を継ぐとは決めてないし。そもそも王子休業中だから。王子って呼ばれるのもなんか違う気がしてさ」
「そうですね。しかし今更他の呼び方となると……」
「パーシヴァルは呪われた僕を助け出してくれたんだ。呼び捨てだって構わないよ」
「そんな風に言っていただき光栄です」
感謝と共に主従関係を超えた信頼を示すアレクシスに、パーシヴァルの表情に感動の色が浮かぶ。
だが事実、パーシヴァルは魔女に呪われ悪評と不貞の噂で孤立していたアレクシスを救い出した。魔女殺しゆえに魔術が効かなかったという理由もあるが、かといってそれが全てというわけでもない。
不貞の噂が蔓延りアレクシスの評価が地に落ちる中、それでも彼の潔白を信じ続けた。家名も騎士の称号も失うことは厭わないと、アレクシスを連れて王宮を後にした。その覚悟があってのことだ。そして不運のとばっちりを受けながらも解決まで導いた。
アレクシスはそんなパーシヴァルの忠誠心に感謝し、そして感謝と信頼を寄せているからこそ呼び捨てでも構わないと告げたのだ。
主人からのこの意見に騎士が喜ばないわけがない。
「そこまで考えてくださっていたんですね。ならばこれからは俺もそれに応え、あっ君、と呼ばせて頂きます」
「あれ夢じゃなかったんだ」
「あっ君、やはり嫌でしたか? もし気分を害されたのであれば仰ってください、あっ君」
「待ってパーシヴァル、距離感が掴めない。砕けた愛称と畏まった口調で近いのか遠いのか分からない」
せめてどちらかに寄せて……とアレクシスが訴える。そんな彼の言葉にモアネットは兜の中で僅かに考えを巡らせ、
「良いじゃないですか、あっ君様」
と、便乗することにした。
引っ掻き回したら面白そうだと思ったのだ。
隙あらばこき下ろしてやろうと思っていた王子には今は敬意と友情を抱き、同じようにけちょんけちょんにしてやりたかった護衛騎士には愛情を抱くようになった……が、空回っている彼等を見るのが楽しいことに変わりはない。
それはそれ、これはこれ。全てが解決した今も隙あらば引っ掻き回したい。
「いったい何が嫌だって言うんですか、あっ君様」
「モアネット、敬称が二重になってるよ」
「あっ君、もしも無礼だと感じたなら申し訳ありません。王位継承を保留しているとはいえ権威あるあっ君に失礼な態度を……」
「だからパーシヴァルは距離が掴めないんだって」
アレクシスがどうしたものかと言いたげに訴える。
……と、まるでそれに割って入るように室内にノック音が響いた。モアネットがギコッと兜を音たてて扉へと向き、パーシヴァルも誰か来たのかと視線を向ける。
アレクシスだけが眉間に皺を寄せ「嫌な予感がする」と呟きつつも入室の許可を出した。
ゆっくりと扉が開かれ、姿を現したのは……、
「おいおいお前達、なに騒いでるんだ。ちゃんと公務は終わったのか、あっ君」
と、ニヤニヤと笑うオルドである。
「やっぱり来たか……。絶対に茶化しにくると思ってた」
「通り掛かったら面白そうな話をしてるのが聞こえたからな、これは混ざらなきゃ勿体ないだろ」
「そういう性格だよね……。というか、公務は終わったのかってこれ本来は叔父さんの仕事だからね。手が回らないって僕に押し付けてきたやつだよ」
「感謝してる。あっ君」
「黙れおっさん」
低い声と共にアレクシスが睨みつけるが、対してオルドは笑うだけだ。それどころか「良い愛称じゃないか、あっ君」と更に煽ってくる。
もちろんパーシヴァルもモアネットもこの程度で考えを改めるわけがなく、「あっ君」「あっ君様」と彼を呼んだ。
「みんな楽しそうに……。いいよもう、好きに呼んで」
「あらぁ、じゃぁ私達も呼ばせてもらおうかしら。あっくーん。パンを食べなさい、あっくーん」
「……ふぃぃな」
スルリと華麗に部屋に入ってくるなりアレクシスの口にパンを突っ込むのは、言わずもがなジーナである。今日も彼女は美しく、美味しそうなパンの香りを纏って更に魅力を増している。……声は野太いが。
そんなジーナの魅力に引きつけられ、モアネットが嬉しそうに「ジーナさん!」と彼女に駆け寄り、そして兜の口元にそっとパンを押し付けられた。きっと挨拶替わりなのだろう、そう考えて受け取っておく。
次いでモアネットがおやと己の足元に視線をやったのは、コンチェッタがンナンナと鳴きながら足に纏わりついているからだ。ふかふかの毛で覆われた手を伸ばし、鉄で覆われたモアネットの足をちょいちょいと突っついてくる。
抱っこしてほしいのだろうか? そう考えモアネットが抱き上げれば、どうやら当たりだったようでコンチェッタが満足そうに瞳を細めた。
次いで再びンナンナと鳴いて何かを訴え出す。オッドアイの瞳が向かうのは……アレクシスだ。
「アレクシスさ……あっ君様王子、コンチェッタが何か用があるみたいですよ」
「敬称がついに三重になったね。コンチェッタ、僕に何か用? パン食べる?」
おいで、とアレクシスがパンを口に咥えて両腕を伸ばせば、コンチェッタがもそもそとモアネットの腕から彼の腕へと移動していく。
その慣れた動き、そして献身さに、モアネットが思わず「使い魔猫に使われてる」と呟いた。まぁ、アレクシスも満更でもなさそうなので問題は無いだろうが。
そう考えつつ再びおやと兜をギシと傾げたのは、コンチェッタが中々アレクシスが咥えるパンを食べ始めないからだ。
普段であれば容赦なく食らいつき、ふんすふんすと鼻息荒く食べ進めるというのに。どういうわけか今日はアレクシスの腕の中でジッと彼を見上げている。
「こんふぇっふぁ、ろうしらろ?」
「あっ君様王子、コンチェッタが何か言いたいみたいですよ」
アレクシスを見上げるコンチェッタがむぐむぐと口元を動かしている。
いったいどうしたのかとモアネットが覗き込めば、アレクシスもまた己の腕の中で見つめてくるコンチェッタを覗き込んだ。
周囲もそれに気付き、何かあったのかと視線を向けてくる。ただジーナだけは流石主人だけあってコンチェッタを理解しており、「頑張ってコンチェッタ!」と応援していた。
「コンチェッタ?」
「……にゃっ」
モアネットが名前を呼んで促せば、一瞬だけコンチェッタが口を開けて小さく声を漏らす。だがむにっとした口元が僅かに開いて白く小さな牙を見せるだけで、言い切らぬうちに再び閉じてしまった。
むぐむぐとコンチェッタが口元を動かせば、それと連動して長く立派な髭も上下する。
そうして再びコンチェッタが意を決したと言わんばかりにアレクシスを見上げ、毛量の多いふかふかの尾をぶんと一度揺らした。
周囲の視線がコンチェッタに集まる。なかでも抱きかかえているアレクシスは腕の中に視線を落としてジッと見つめ、「こんふぇっふぁ?」とパンを咥えたまま尋ねた。モアネットがギシと首を傾げれば、パーシヴァとオルドもモアネットの後ろについて覗き込んでくる。
そんな視線を一身に受け、コンチェッタがゆっくりと口を開き……、
「にゃっうぅうん……」
と、なんとも言えない鳴き声を上げた。
シンと室内が静まり返る。
それを破ったのはジーナのまさに感動したと言いたげな「頑張ったわねコンチェッタ……!」という言葉と拍手である。それに続くのは、ふん!と勢いの良いコンチェッタの得意げな鼻息。
これにはモアネットが兜の中で目を丸くさせる。アレクシスも同様、唖然としつつ……それでも己が咥えるパンに食らいつくコンチェッタの頭をふかふかと撫でてやった。
「感謝も勿論だけど、友情の気持ちがあったんだけどね」
とは、あっ君騒動から数十分後。
茶化すのに飽きたオルドが執務に戻り、ジーナはパンの補充のためにと厨房へと戻っていった。ソファーに座るモアネットの膝には丸くなって眠るコンチェッタが居り、そしてモアネット自身もうとうとと船を漕いで兜を不規則に揺らしている。
そんな中、再び公務に戻ったアレクシスがポツリと呟いたのだ。ソファーに座りつつ書類を眺めていたパーシヴァルがチラと横目でその様子を窺う。次いで小さく笑みを零すと「分かってますよ」と告げた。
「友情も伝わってます」
「その割には、随分と遊んでくれたけど」
「そりゃ友情があるからです。友人相手にはそんなもんですよ……アレクシス」
そうパーシヴァルがクツクツと笑みを堪えるように告げれば、アレクシスが僅かに目を丸くさせ、次いでしてやられたと苦笑を浮かべた。
…end…
「……解せぬ(ギシッ)」
「どうしたんだモアネット嬢? 険しい顔……をしてるのかは兜で分からないが、兜をきしませて随分と悩んでるな」
「色々と解せないんです(ギゴギコ)」
「いったい何が解せないんだ? 魔術関係だと力になれるか分からないが、俺に話してくれ」
「パーシヴァルさん……相談して良いんですか?(ギチチチ)」
「当然だろ、俺達は夫婦なんだからな」
「それじゃまず一点、久しぶりの更新なのに貴方とアレクシス様がメインで私がほぼサブと化してる件について(ギッ)」
「おっとなんだか眠くなってきた。ほらモアネット嬢、俺の腕の中においで」
「その嫌な逃げ方やめてください。まぁそれはさておき、本当に解せないことは別にあるんです(ギチチチ)」
「いったい何だ?」
「この『重装令嬢モアネット』が書籍化するんですが、まぁそれはさて置いて(ギッ)」
「……え? ちょっと待ってくれ、今なんかさらっと凄いこと言ってさらっと置かなかったか?」
「発売は3月頭を予定している事とか出版はビーンズ文庫さんからだとか書籍化による本編削除は無しだとかも置いておいて(ギッギッ)」
「待て待て、ちょっと待て」
「本編長いんでぶった切った結果、パーシヴァルさんが鎧フェチみたいなところまでの収録になることもさて置いて(ギィィ)」
「置き過ぎだモアネット嬢。それで、そういった事を全てさて置く程に解せない事って何なんだ?」
「それはですね……(ギッ……)」
「そ、それは……?」
「私にイラストの仕事が入ってこなかったことです!(ギシッ!!)」
「……」
「当時はにゃんこしか上手く描けなかった私ですが、最近ではアレクシス様と絵画教室に通ってめきめき画力を上げていますからね。てっきりイラストの仕事が入るかと思ったのに……。パーシヴァルさん、聞いてます?(ギシッ?)」
「……詳しくは2017/01/14の活動報告をご覧ください」
「解せぬ(ギシッ)」
「とりあえず鎧に油をさそうな」




