50:決断の時Ⅰ
有事の際に王宮内がどう動くか、それを把握しているだけでも奇襲の成功率は格段に上がる。
そのうえ、国内はアレクシスを低く評価し、彼を連れ出したパーシヴァルすらも同類と考えていたのだ。魔女の助力を得ているとはいえ、王宮から逃げた彼等がこうも早く舞い戻ってくるとは考えていなかっただろう。
それも、よりによってオルドと共に。日も登り切らぬうちに。この反逆はきっと彼等にとって想定外に違いない。
現に王宮に辿り着いても騎士の一人も駆け寄ってくることなく、警備が強固になっている様子はない。
多少の警戒はしているだろうが、それでも根底にはアレクシスに対して嘲りに近いものがあるのだ。
『国費の使い込みを言及され、王宮から逃げた不貞の王子』が、これ程までに早く、そしてオルドという戦力を得て戻ってくるとは思うまい。
掛けた呪いが強すぎるあまり、油断という仇になった。
「これなら最小限の接触で済みそうね。市街地の人は当分私達が来たことに気が付かないし、外野は居ないものとして考えていいわよ」
そう優雅に笑って話すのはジーナ。
彼女はいまだ眠っているコンチェッタを抱え、ゆらゆらと揺らしながら優雅に言ってのけた。だが言動の軽さとは裏腹に、彼女は今この瞬間も魔術を放っている。
市街地の人がこの行軍に気付かないように、彼らが王宮に来ないように。
アバルキン家の魔女が放つ人除けの魔術だ。
きっと市街地の人達はいまだ心地よい眠りに着き、起きている者がいても王宮にはくるまい。本人は除けられている等と露程も思わず、珍しく寝坊したり己のままに行動し……そして王宮に足を向けずに過ごすのだ。
魔術を使いつつも平然としたその態度に、モアネットが流石だと彼女を見上げ、次いで聞こえてきた声に視線をやった。
パーシヴァルが数人の騎士を連れてこちらに来る。
彼は戻って来るやオルドに対し「終わりました」と告げた。その声色はどこか沈んでおり、表情も真剣味を通り越して少し強張っている。
だがそれも当然だろう。彼は王宮に着くや数人の騎士を連れて周辺にいる見張りの元へと向かったのだ。そしてその動きを封じた。
パーシヴァル曰く、見張りの騎士は等間隔に配置され、独自の連絡方法で定期的に異変が無いかを伝達しあっているという。それを熟知しているからこそ、かつて仲間だった見張りを倒し、そして『問題はない』と伝達したのだ。
裏切りに加えて偽り、決意したとはいえ気分のいいものではない。
「これでしばらくの間は気付かれないでしょう。伝達通路も断っておきました、気付いたとしても増援に時間がかかるはず」
「そうか。あとは屋敷内にどれだけ居るかだな」
「この時間であれば屋敷に控えている騎士もそう居ないはずです」
「よし。屋敷に居る奴らはこっちの騎士達で対応する。良いかお前ら、ここは魔女の巣窟だから油断するなよ」
己の部下へとオルドが告げる。
彼が選び抜いた精鋭の騎士達だ。人数こそ少ないがその戦力は相当なのだろう。
だがいかに精鋭の騎士とはいえ魔術の前では太刀打ちできない。むしろエミリアの魔術に囚われた場合、精鋭であればあるほど敵に回られた時のリスクは高い。
それを考慮したうえでの人選。信頼とも言えるか。
「良いか、今日に限っては俺への不平も暴言も不問とする。少しでも俺への不満を抱いたらすぐに言え」
そうきっぱりとオルドが言い切るのは、もちろん魔術対策である。
謂れのない不満や不平は魔術を掛けられた前兆だ。その兆しが見えた者から気を失わせる……という考えである。
不問にすると宣言するのは、オルドに対しての暴言を咎められると気にかけて胸の内に隠していれば、誰にも気付かれずに魔術に絡め取られてしまうからだ。
それを聞き、騎士達が互いに顔を見合わせた。不平どころか暴言すらも不問とするとは、魔女の魔術はそれほどなのか……と。
そんな騎士達に視線をやり、次いでモアネットがオルドを見上げた。
「不問とは大きく出ましたね」
「そりゃな。これだけ鍛え上げた騎士達だ、あいつらに取られて堪るか」
「さっそく給金上げろとか長期休み寄越せとか訴えが出てますよ。あと、オルド様が仕事をサボるのをどうにかしてほしいって」
「元気なのは良いことだ。よし、入るか」
騎士達の訴えを悉くスルーし、オルドが手にしていた王宮内の見取り図を広げる。
もちろん、彼等の訴えが冗談であると知っているのだ。己の緊張を解すためと、そして冗談を言うことで逆に忠誠心を伝えている。それが分かっての両者のこの応酬だ。
だがそれもどことなくぎこちなく、取り繕いきれない緊張の色が窺える。それでも彼等は冗談を口にし、引きつった笑みを浮かべる。
余裕のなさを悟られまいとする、男のプライドというものか。ならばここは彼らの意を汲もうと、モアネットもまた言及することなく頷いた。
王宮内は普段通り、いまだ侵入者に気付くことなく緩やかな朝を迎えようとしていた。
そんな中を少人数で抜ける。といってもたとえ息を殺したところで気付かれないわけがない、明朝と言えど王宮だけあり人の行き来はあるのだ。
警備を務める騎士に、メイド。そういったものに対してオルドの支持は一貫して「しばらく眠ってもらえ」であった。殺すなり気絶するなりさせろというわけだ。そこに男女の違いはなく、年若いメイドでも変わらない。女だから……等という情をこの男に期待するのが間違いだ。
それでも極力パーシヴァルにはやらせず、アレクシスの視線をそらさせようとするあたりが何ともこの男らしい。
そんなオルドの気遣いに対して、屋敷内に思い出も見知った顔もないジーナはと言えば、
「あらコンチェッタ、また噛みついたのね」
と、唸りながら騎士の足首に噛みつくコンチェッタを褒めたたえていた。
いくら太ましくふかふかしているとはいえ、コンチェッタは猫だ。それも使い魔。野性味を感じさせる唸り声と素早さで飛びかかり、魔術を宿した鋭利な牙と爪で的確に足の筋を狙う。もちろん、足首を狙うのは行動不能にするためだ。
噛まれた騎士が呻き声と共に崩折れ、足首からは血が伝い水溜りを作る。さすがジーナの使い魔だ。
そんなコンチェッタの活躍に負けじと、意外で獰猛な活躍をするのがロバートソンである。
カサカサと目にもとまらぬ動きでメイドに近付くと、悲鳴をあげる隙すら与えずその手に飛び乗って噛みつく。その素早さは見事の一言で、壁や天井を伝い時に大きく跳ねる動きは並大抵の者ではとらえられまい。
哀れ噛まれたメイドは足元が覚束なくなり、周囲に危機を知らせるどころか助けを呼ぶことも出来ず廊下の端にもたれ掛かってしまう。
「さっきから気になってたんだけど、ロバートソンが噛むとなんで皆ふらふらするの? ……え、痺れ? 痺れるの?」
痺れるのかぁ、とモアネットが呟く。
どうやらロバートソンはいつの間にか痺れる毒を身に着けたらしい。きっと使い魔になったことで強くなったのだろう、なんて頼りがいのある使い魔だろうか。
そうして時に遭遇した者を打ち倒し、入り組んだ王宮内を進み……モアネットがふと足を止めた。
何かゾワリと寒気が伝った。その寒気のもとは……腰から下げたポシェット。そこにあるネックレスだ。
「……モアネット、貴女も気付いたのね」
「はい、エミリアが起きました」
「どうやら落ち着いて長居も出来そうにないわ」
そう告げるジーナの声は先程より低く、己の魔術に邪魔が入って不快だとでも言いたげではないか。コンチェッタもまた同じように「ヴー」と唸りをあげ、ふかふかの尻尾をより膨らませている。
魔女二人のこの発言に周囲も察したか、騎士達が改めて警戒の色を強めた。オルドが彼等に目配せをする。
「よし、ここで二手に分かれる。お前達は役目が終わり次第すぐに王宮を出ろ」
「はい」
「落ち合う場所は分かってるな。そこで待て、もしも俺への疑惑や不信を抱きはじめたら俺を見捨てて戻れ」
「……はい」
念を押す様に告げられる「見捨てろ」という言葉に騎士達の表情が強張る。
だが次いで彼等は深く頷くと共に「ご無事で」と告げた。
「どうか気を付けて……」
とは、そんな別れ際のモアネットの言葉だ。
不安を抱いたその声に、案じるようにパーシヴァルが鎧の肩に手を掛ける。
「大丈夫だ、きっと無事で帰ってくる」
「……はい」
そう互いに励ますように交わすも、別れを惜しむ時間はないと騎士達が急かしてきた。それにモアネットが応じるように頷けば、騎士達が足早に駆け出す。
屋敷内の明かりを受けて鎧の銀色が輝く。
その輝きが去っていくのを、残された者達は案じるように見届け……そして彼等とは別の場所へと向かった。
「何が起こってるの……」
とは、まだ深い眠りについていたところを無理に揺り起こされたエミリア。
そんな彼女の戸惑いに、駆けつけたメイドは上着を差し出すと共に部屋を出るように促した。
普段は優しく、まだ眠いと目を擦って訴えるエミリアを愛しむような表情で優しく起こしてくれるメイドだ。
幾度となく聞いた苦笑交じりの「もうお昼ですよ」という言葉も今朝に限っては彼女の口からは発せられず、それどころか「早く、急いで」と厳しい口調で急かしてくる。
その表情は険しく、さすがのエミリアも寝ぼけた意識ながらによっぽどの事だと理解した。
「静かに。周囲に気付かれないようにこちらに……。ローデル様もいらっしゃいますから」
「ローデル様も? ねぇ、何があったの……?」
メイドに手を引かれるように部屋を出て、息を潜めつつ廊下を歩く。
王宮内はメイドの態度を抜かせば普段通りだ。静かで、人の行き来も日中より少ない。朝の弱いエミリアはこの時間に起きたことはないが、逆にこの時間まで起きていたことは何度かある。
だけどどうしてか、妙な胸騒ぎがする。いったい何かと胸元に手を添えれば、お守りのネックレスが手に触れた。何があろうと、上質の宝石のネックレスを着けている時でも服の内にしまい着けていたこのネックレス……。
それが今朝だけは妙に気になる。欠けて肌を痛めているのだろうか?そんなことをぼんやりと思う。
そうして通された部屋には、ローデルの姿があった。
彼の表情は険しく、それでもエミリアに気付くと僅かながらに表情を緩める。
「エミリア、無事でよかった」
「ローデル様、これは……?」
「叔父が騎士を連れて攻めてきたんだ……。それに兄上まで魔女を連れてきている」
「そんな、アレクシス様が。魔女ってもしかして……」
寝起きに聞かされるには衝撃的すぎる話に、エミリアが一瞬にして顔色を青ざめさせた。
だがそんなエミリアの問いに、ローデルは説明している時間はないと彼女の手を取る。
「エミリア、ひとまず安全な場所に逃げよう」
「逃げる……?」
「あぁそうだ。伝達役をやられたのか、騎士達の増援には時間がかかる。下手に動くより安全な場所に身を隠して、騎士達が彼等を討つのを待とう。たとえ彼等が魔女を連れていようと、居ない王族は倒せない。逃げさえすれば、僕達を探す時間が逆に足止めになる」
だからと促してくるローデルに、エミリアが事態を理解しきれぬまま頷き……次いで室内に響いた扉の音に息を呑んで振り返った。
キィ、と高い音がして扉が開かれる。
エミリアがローデルに寄り添い、それでも誰が来るのかと縫い付けられるように視線を向け……
「……モアネットお姉様」
姿を現した全身鎧の名を呼んだ。
頂いたご意見を元に、コンチェッタの描写を一部増やしました。




