48:魔女の魔術と二体の鎧
少人数で王宮に向かうならば、部隊を組みなおす必要がある。
そう話すオルドに誰もが頷き、準備が整うまでの数日を彼の屋敷で過ごすことになった。
モアネットはジーナを師に魔術の教えを受け、パーシヴァルとアレクシスはオルドと彼の騎士達と共に作戦を練る。そうして互いの進捗確認がてら夕食を共に……という日々だ。
決断の日を前にしているとはいえ、この旅が始まって以来ようやくの落ち着いた時間と言えるかもしれない。
そんなたった数日の長閑な時間。
モアネットは鎧を纏い、自室のソファーに腰掛けていた。向かいに座るジーナが窺うようにこちらを見つめてくる。彼女を映す視界は普段のものと違い、一部が遮られ全体的にも暗い。
見えにくい……そうモアネットが兜の中で眉を潜めた。
視界に映りこむ銀色は普段の色とは違い、手足を動かすたびに鳴る音に違和感を覚える。それどころか妙な息苦しさと閉塞感すら感じてしまうのは、それほどまでにあの全身鎧に慣れてしまったからだろうか。
それを思えば己への憐れみが湧く。だが今は嘆いている場合ではないと、モアネットが目の前の鎧に手を伸ばした。見慣れた、そして着慣れた全身鎧がそこにある。
対して今モアネットが動かしているのは見慣れぬ手甲。纏っているのは洗練されたデザインの綺麗に磨かれた全身鎧。屋敷の廊下に並べられているうちの一体である。
それを纏う違和感の中でも意識を集中させれば、目の前の見慣れた全身鎧がギシリと動き出した。触れてもいないのに鎧が動く、これはなんともホラーな話ではないか。
「良いわモアネット、その調子。辛くはない?」
「大丈夫です。結構慣れてきました」
「物を操るのは熟練の魔女でも条件が合わないと出来ないことなの。それに酷く体力を使うでしょ。でもコツを掴めば多少は楽になるから」
ジーナの説明を聞きつつ、モアネットが目の前の全身鎧に視線をやった。
着慣れぬ鎧の中で命じれば、見慣れた鎧がギシギシと動く。試しにとジーナの膝の上に乗っているコンチェッタを撫でるように命じれば、銀一色の指先がゆっくりと動きふかふかの毛を撫でた。人の動きとは言い難いそのぎこちなさに違和感を覚えたのか、コンチェッタがスンスンと鉄の指先を嗅ぐ。
「指を動かせるなんて、随分と慣れてきたみたいね」
「ジーナさんのおかげです。ジーナさんが教えてくれなければ、こんなこと出来るなんて思いもしなかった」
モアネットが兜の中で感謝の言葉を口にすれば、ジーナもまた微笑んで返してきた。「先輩魔女だもの」という彼女の言葉はどこか誇らしげだ。
そんな中、コンコンと軽いノックの音が室内に響いた。
モアネットが声を掛ければ、ゆっくりと扉が開かれる。
姿を現したのはパーシヴァル。彼は部屋の中を見るやキョトンと碧色の瞳を丸くさせたが、室内にジーナと、そして鎧が二体あれば驚くのも無理はない。
「……モアネット嬢?」
二体の鎧を交互に見る彼の姿は間が抜けている。
それが面白く、モアネットが兜の中でニヤリと口角を上げた。次いで「パーシヴァルさん、どうしました?」と声を掛ける。
……二体の鎧から。更に二体同時にギシリと兜を傾げて見せれば、いよいよもってパーシヴァルの頭上に疑問符が飛び交う。
それでも彼は己をからかうように動く二体の鎧をジッと見つめ……、
「こっちだ!」
と、勢いよく一体を指差した。
丁寧に磨かれた全身鎧。本来であれば廊下に飾られているはずの鎧である。
だがその鎧はパーシヴァルに指差されたことで一度ギシリと動き「よく分かりましたね」とカシャンカシャンと鉄の手で拍手を贈った。
もちろん、こちらの鎧にモアネットが入っているからである。
「凄いですね、パーシヴァルさん。どうして分かったんですか?」
「同じように動いても、僅かにこっちの鎧の方が動き出しが早かったからな」
「なるほど」
「それに、これはきっと愛のちか」
「さすがね、パーシヴァル! やっぱり魔女殺しの力は侮れないわ!」
割って入るようにジーナが声をあげ、モアネットに抱き着く。
その瞬間にパーシヴァルがぐぬぬと唸ったような気がしたが、ジーナに撫でぐりまわされてはモアネットも彼の様子を窺うことも出来ない。彼が何かを言いかけたような気もするが、それを尋ねることも出来なさそうだ。
「ねぇモアネット、さすが魔女殺しの力よねぇ」
「魔女殺しの力というか、どちらかと言えば動体視力と観察眼じゃないですかね」
「確かにそうね。動体視力と観察眼、他の可能性は一切考えられないわ」
ジーナの断言に、モアネットがそこまで言い切るものかと兜を傾げる。
次いでパーシヴァルに視線をやれば、彼は一瞬だけ碧色の瞳を細めていたが、それでもこちらに近付くと空の鎧の隣に腰掛けた。
「……中は?」
「兜にロバートソンが居ますよ」
モアネットの説明を受け、パーシヴァルが二体の全身鎧を交互に見やる。
次いで彼は考えを巡らせるかのように瞳を細め……、
「成長に伴い、新しい鎧に……?」
と呟いた。
「ヤドカリと同じ生態で考えないでください」
「分かってる、冗談だ。それでこの抜け殻はどうするんだ?」
「脱皮でもありませんから!」
モアネットが喚くように訴えれば、パーシヴァルが楽し気に笑う。
そうして改めるように「それで」と告げてくる表情は、十分に茶化して楽しんだとでも言いたげではないか。モアネットが一度彼を睨みつけ、次いで目の前の全身鎧に視線をやった。
普段纏っている鎧だ。意識を集中させて心の中で命じれば、ギシと反応してゆっくりと片手を上げた。
「魔術で鎧を動かしてるんです。短い時間ですが、操っている鎧からの視界や聞こえてくる音も私に伝わってくるんです」
「驚いたな、魔女っていうのはそんなことまで出来るのか」
「ロバートソンが入ってようやくってところですけどね。長い時間の操作は私の体力がもたないし、強い衝撃を受ければ直ぐに解けてしまいます」
それを聞き、パーシヴァルが感心したかのように息を吐き、おもむろに隣に置かれた鎧をコンコンとノックした。
それに対してモアネットが二体の鎧から「うるさい」と文句を発する。モアネットの耳には今鎧の中で聞いている音と、そして目の前の鎧の中にいるロバートソンを通じての音も届いてくるのだ。
そもそも、この魔術はモアネットが長年鎧を纏っていたからと、そしてロバートソンが中に入ってくれているから使えている魔術だ。長年纏い続けていたことで鎧が魔術の一旦を担い、使い魔であるロバートソンが操るための仲介になる。
そしてジーナから魔術を使う効率的な方法を教わり、ようやく保っていられている。それらが無ければ目の前の鎧はピクリともしなかっただろう。物を操るというのはそれほどまでに難しい魔術なのだ。
もちろん、使えているからといって得意げになる余裕はない。
二重の音声に酔うか、体力が尽きるか、どちらにせよ長くは使えない魔術だ。
だけど、この中により強い魔術を込めればもう少し……。
そう考え、モアネットが小さく息を吐いた。
だが次の瞬間パーシヴァルに名を呼ばれ、はたと我に返って兜を上げて彼を見上げる。
「……モアネット嬢、どうした?」
窺うように声を掛けてくるパーシヴァルに、モアネットがギシリと磨かれた兜を傾げた。
どうした、とはどういう意味か。パーシヴァルの瞳には茶化すような色はなく、それどころか心配しているかのようにさえ見える。
そんな彼の瞳を見つめ、モアネットが「何か?」と尋ねた。
「どうしたって、何がですか?」
「いや、なんだか貴女が辛そうに見えたから」
パーシヴァルが兜を覗き込んでくる。それに対してモアネットは兜の中でキョトンと目を丸くさせた。
変な話ではないか。辛そうも何も、纏っているのは物こそ変わったが全身鎧。当然だが顔も全て鉄の兜で覆われており、彼には何一つ見えないはずだ。
「辛そうって、兜じゃ何も見えないじゃないですか」
「いや、そうなんだが……それでも何だか、辛そうに見えたんだ」
自分でも不思議なのか、パーシヴァルの返答は歯切れが悪い。それでも彼は兜を覗き込んでくる。
碧色の瞳が真っすぐに自分を捉える。まるで見つめあっているようだ……と、そこまで考え、彼の瞳に驚きの色を見てモアネットが息を呑んだ。
しまった、と己の迂闊さを悔やんで慌てて顔を背ける。
普段纏っている鎧は特殊な構造で目元を隠し、そのうえ魔術をかけて誰にもモアネットの目元を覗けないようにしている。そしてこの鎧も同じように魔術を掛けていた。こちらからは見えるが、向こうからは見えない。今までずっとそうしてきた。
だから安心しきっていた……。
「この鎧でも目元は見られないだろう」と、油断しきっていた。
パーシヴァルは魔女殺し。
一切の魔術が彼には効かない。もちろん、目元を隠すための魔術もだ。
つまり彼にとって今モアネットが纏っている鎧は只の鎧。そして屋敷に箔をつけるためだけに飾られていた鎧は、もちろんだが特殊な作りなどしていない。
兜を覗き込めば、当然だが隙間から瞳が見える……。
「す、すまない……!」
慌てて身を引き謝罪を口にするパーシヴァルの姿は、「見てしまった」と言っているようなものだ。
それに対してモアネットは兜の中で視線を彷徨わせつつ「私も迂闊でした」とフォローを入れた。
気不味い空気が流れる。
だがそれも、優雅に笑いつつも「魔女殺しと覗きについて」を説きだすジーナと、心配しているのか鎧の中から出て兜の顔面に張り付くロバートソンのおかげで直ぐさま普段通りの空気に戻った。それどころか、コンチェッタまでもが鳴き出して先程より少し騒がしいくらいだ。
……だというのに、モアネットはしばらく落ち着きを取り戻せずにいた。
鼓動が早鐘を打つ。心音が漏れてしまいそうなほどに体の中で響き、落ち着けと自分に言い聞かせても一向に落ち着かない。体の中が熱い。
人に見られるのは苦手だった。
視線を注がれていると思うだけで心臓が締め付けられ、向こうからは見えていないと分かっていても冷汗が背を伝った。
圧迫感と恐怖、そして見られているというだけでこれ程に苦しむ己への憐れみ。そんなものが体も意識も全てを占めていたのだ。
だけど不思議と、今胸を占める感覚はそういった不快感とは違う。
そんなことを考えつつ、覗き魔の烙印を押されかけ必死に弁解するパーシヴァルの横顔を見つめた。




