#122 エピローグ
西暦一五七〇年、織田信行による天下治平は成った。
その際、もっとも活躍したのが岡本新砲であった。
長大な射程と威力は他の追随を許さず、急峻な山の頂に設けられた〝天空の城〟すらも破壊し尽くす程に。
だが、障害がなかった訳ではない。
その際たるものが、薩摩の島津であった。
〝薩摩三和土〟なる代物で、堅牢な城塞を新たに設けていたからだ。
これが、十字軍侵攻による被害が取り分け少なかった理由でもある。
あの岡本新砲ですら一撃では崩せぬ程であったとか。
しかし、所詮は一地方の大名。
日の本の大半を手に入れた織田信行に敵う筈がなかった。
最後まで粘る島津を下し、日の本の民は漸く安寧を手に入れたのだ。
それにしてもだ、織田信行とは何と激動の日々を送ったのだろうか。
西暦一五五八年に実の兄である織田信長に謀殺されかけたのが、全ての始まりだと伝えられてはいるが。
何とか回避するも、その直後にはお家騒動が勃発している。
その争いは一時沈静化するも、最後にはやはり、となった。
兄弟による国を二分する血みどろの争い。
引き分け、和解したとする記録も残るが、最後に勝ったのは織田信行の方であった事は歴然とした事実である。
以降、織田信行は戦に明け暮れた。
いや、まるで戦の女神に愛されているかの様に、紛争の方から織田信行に次から次へと近づいたのだ。
同年、今川義元と海道の雌雄を決した桶狭間の戦い。
翌年の西三河侵攻。
同、駿河併合。
全ては織田信行の勝ち戦である。
〝軍神〟と今では謳われる、その片鱗がこの頃から垣間見えていた。
二年の休息期間を経た、西暦一五六二年。
国境を頻繁に侵していた美濃と北伊勢に対し侵攻し、完全に制圧。
都合五カ国を領有する大太守となった。
この出来事は、日の本の諸大名を大いに揺るがした。
それどころか、時の権威である征夷大将軍、足利義輝を激しく焚きつける事となった。
この事は、当時彼が認めた書状からも読み取れる。
足利義輝は全国の諸大名に「織田信行を討つべし」と送っていたのだから。
世に名高い織田包囲網、その始まりである。
西暦一五六四年、織田包囲網は遂に結実した。
征夷大将軍足利義輝の大号令の下、都合十数万の大軍勢となって。
尾張那古野を目指したのだ。
軍勢には錚々たる大名が参加していた。
北条、武田、朝倉、畠山、更にはあの上杉までも。
対する織田の、当時保有する兵力は五万から六万とも言われている。
圧倒的な兵差。
しかし、それをひっくり返したのが、織田領内に住まう領民達であった。
そう、戦に無関心であった民が立ち上がったのだ。
その勢いのまま、織田信行は自ら足利義輝を討ち取った。
稀代の英雄が生まれた瞬間である。
英雄は自らを亡き者にしようとした諸大名を許さなかった。
忽ち、併合していったのだ。
武田、北条、関東の諸大名を。
そして、最後の大物として上杉輝虎を攻めた。
織田信行が京都から関東を自らの領土する、それは時間の問題であった。
ところがである。
ここで、皆も知る歴史的大事件が起こった。
そう、悪名高い極東十字軍である。
言わんや、日本だけを狙った十字軍の遠征だ。
総兵数三十万とも言い伝えられている。
だがそれすらも、織田信行は負かした。
少なくない犠牲を払って。
特に佐久間盛重の死は彼にとっても大きかったと知られている。
越後に作られた巨大な寺院がその証だ。
織田勢以外にも多くの傷跡を残した。
当時の主上、正親町天皇の第一皇子しかり、近衛前久しかり。
多くの尊い血筋が日の本から連れ去られたのだ。
心を痛めた織田信行は西暦一五七十年、遂には外征に乗り出した。
現在の沖縄、台湾、フィリピン、グアム、ハワイ、マレーシア、インドネシア、インド、アラビア。
激戦に次ぐ激戦。
特にインド全土を舞台にした、毘沙門天を僭称した上杉輝虎との一戦は今なお熱く語り継がれている。
領土に関しては、インドネシアとアラビアの砂漠地帯、そしてオーストラリア大陸に執心していたとか。
第一皇子や足利義秋、島津義久に鎮守府の開府、もしくは豪州探題を強いる程に。
その理由は近代になってから漸く理解された。
油と鉱石だ。
ただ、これに関しては疑問も残されている。
それは「なぜ油や鉄鉱石がこの地から出ると知っていたのか」だ。
これは学者の間でも様々な議論が交わされているが、今では日本中の金山銀山、越後の草水を見出した織田信行が超常的な勘で知り得た、と言うのが共通の解釈となっている。
また、交易の発達にも多大な貢献をした。
木下藤吉郎によるマレー半島を横断するクラ運河、武田信玄によるスエズ運河だ。
これにより、東洋の距離は随分と縮まり、東西の交流は驚く程活発になった。
西暦一五八四年、織田信行が那古野に凱旋。
その時持ち帰ったオベリスクは未だ、那古野大湊に残っている。
彼の輝かしい実績の証として。
そうそう、織田信行の疑問として挙げられる最大の物は〝螺鈿細工の地球儀〟である。
褒賞として多くの臣下に下げ渡されたコレ。
実に良く出来ていた。
いや、良く出来すぎているのだ。
当時の海洋技術では決して分からぬ程に。
そもそも、当時最大の海洋国家であるポルトガルやスペインが知らぬ大陸ですら、その地球儀には描かれているのだから。
そして、この謎こそが私の研究テーマなのである。
今日、これから調べるのは件の地球儀の一つ、極東十字軍により略奪された代物だ。
大変貴重な品だ。
恐らくだが、最初期の物だろう。
「教授! 準備が整いました!」
私は大きく頷き返し、レントゲン室へと向かった。
西暦一九二〇年九月の事である。
◇
目が覚めた。
辺りは暗い。
俺がオフィスに残っているのも知らず、誰かがフロア全ての照明を消したらしい。
(それにしても、妙な夢を見た……)
しかも、随分と長い時間。
職場のオフィスチェアが、グレードアップする程に。
背中に感じる厚さが、表面の感触が、寝る前と全然違っていた。
(あれ? 俺、寝ている間に昇進した?)
そんな訳ない。
俺は会社一の穀潰し。
万年ヒラリーマンなのだから。
リクライニングを起こし、立ち上がる。
パッとライトが灯った。
人感センサーだ。
そして、俺は気付く。
ここが三十畳程の個室だと言う事に。
俺の机が、十人掛けミーティングテーブル程のサイズを有する事に。
更には応接セットまで。
加えて——
(パソコンのモニターでかっ! しかも多いよ!)
良く見れば、服装も何だか上品且つ上等だ。
ギャンブラーな俺には到底合わない類のな。
(あー、気持ち悪い。兎に角、気持ち悪い)
理解できない所為だ。
(ここは何処だ?)
窓の外を見る。
景色は様変わりしていた。
(拉致られた? 居眠りした俺が起きないように? 服まで着せ替えさせて? 流石に無理がある。居眠り程度の浅い眠りの中、そんな事をされたら直ぐに目覚めるだろうからな)
となると、ドラマみたいに薬を嗅がされたか……
それこそ、俺にする意味が不明だ。
刹那、
——コンコン
誰かが上品にノックした。
俺は思わず、デスクの下に隠れた。
条件反射的に。
悪い事をしている気分になったからだ。
「……様、いらっしゃるのですか?」
ドア越しに女の声が届いた。
間違いなく、俺こと山田太郎の部屋ではないらしい。
様付けて呼ばれる事は記憶の限り無いからだ。
(そんな事よりもだ。このままやり過ごせるかだな)
しかし、その願いは叶わなかった。
女はそのままドアを開け、室内へと足を踏み入れる。
そして、真っ直ぐデスクの近くまで来たかと思うと下を覗き、俺の顔を確りと確認した上で——
「織田信行様、やはりこちらでしたか」
後で知ったのだが、俺はどうも件の非嫡子である山田太郎の男子直系らしい。
その様な訳で、俺は現代でも、織田信行として生きて候。
◇
西暦二〇××年 ボストン ブルックライン
「ここが?」
少し喋るだけで、吐息が煙の様に色着いた。
「米州探題である前田様が申すには、ですが」
傍にいる女性も吐く息が白い。
それも実に濃密な。
色の濃さが、気温の低さとして表れていた。
「しかし、随分と早く調べ上げたな」
「なんでも、米州探題が代々引き継いだ書にも、信行様が仰られた対象に関して記されていたとか」
「〝米州探題機密文書〟か」
「はい」
頭髪の薄いトレジャーハンターが探していそうな書類だな。
それよりもだ、
「あの子か?」
今は視線の先に居る、歳の割には背が低く、線の細い少年が大事だ。
(やはりな。子供の頃のトラウマが原因だと思ってたよ)
彼は何故かこの寒空の下、庭にある木にもたれ掛かり、震えを懸命に抑えながら本を読んでいるのだ。
目だけが別世界の如く楽し気に。
傍目からは実に幸せそうに見えた。
(虚飾、八つの枢要罪の一つ、か。七大罪からは削除されたな。その理由は〝時の支配者である王侯貴族や聖職者らが皆該当するから〟と邪推してみる。……そんな事よりも、なら俺は怠惰の罪だったのか?)
彼が手にする本のタイトルはと言うと——
「航海用海図辞典……」
あれだな、鉄オタが時刻表見て一人悦に入る、そんな類の本だ。
あれ?
だとすると、楽し気なのは気のせいじゃないのかも。
「ええ、彼の事です」
「じゃぁ、津々木。お前は母親を頼む」
「お任せを。〝児童保護機関の職員クラリス〟として伺って参ります」
俺は今一度「頼む」と言い残し、少年の方へと足を向けた。
彼は俺が近ずくと本から顔を上げ、恐る恐る見上げる。
そして、
「こ、こんにち……は」
心細そうに口を開いた。
「ああ、こんにちは。それにしても、こんなに寒いのに、外で読書かい?」
少年は一瞬目を丸くするも、
「母さんが、お友達が来ている間は外にいろって。そ、それに……外で本を読むのが好きなんだ。その方が目に良いって言うから」
再び目尻を下げ、おずおずと答えた。
「そうか。もしかして、良い船乗りになるには、目が良くないとダメなのかい?」
「そう、そんな感じ……です」
暫しの沈黙。
堪らず先に口を開いたのは、少年だった。
彼は身構え、
「あの、家に用ですか?」
と問うた。
「どちらかと言うと君にだね」
少年はますます身構えた。
「な、何で……ですか?」
「君をスカウトに来たんだ。航海士を目指す、将来有望な若者をね」
若者を育成する。
戦国時代から続く、織田家の家業であった。
少年は、
「航海士!?」
嘘偽りなく目を輝かせた。
俺はクスリと微笑んだ。
「ああ、そうだよ」
少年の纏う空気がまるで変わる。
期待に溢れ始めたのだ。
「そう言えば、挨拶がまだでしたね。初めまして! 僕の名はアルバート! アルバート・シーガーです!」
シーガー、船乗りを由来とする苗字だ。
歴史が大きく変わった為、存在するかも当初は心配した。
が、男子直系ならば変わらないらしい。
もっとも、それが確認出来たのは俺が認識出来る範囲まで、だったがな。
「ご丁寧にどうも。ただ、私は君に会うのが初めてじゃないんだ、アル」
「え?」
いや、あの時は自己紹介する暇もなかったか。
ならば、良いのか。
「失礼。私の名は、昔も、今も、そして……」
これから先も、織田信行として生きて候。
ー完ー
と言う訳で、二年にも及んだ拙作「織田信行として生きて候」が完結いたしました。
楽しんで頂けましたでしょうか?
さて、折角ですので宣伝を幾つか。
【宣伝その一】
新作「七星将機 三国志」の連載を始めました。
気が付くと三国志時代は黄河のほとりにいた主人公が数多の群雄と出会い……みたいなお話となります。
良ければ、お時間のある時にでもお読み頂ければと思います。
URL : https://book1.adouzi.eu.org/n6774ev/
【宣伝その二】
本作の第三巻が六月三十日に全国の書店、ならびにネットにて発売されます。
晩杯あきら様の素晴らしい表紙が目印です。
是非とも、お手にとって頂ければと思います。
いやしかし、本作の完結までお付き合い頂き、誠にありがとうございました!
皆様のお陰を持ちまして、書籍化という得難い経験をすることが出来ました!
重ね重ね、本当に有難うございます!!!
最後に、今後の皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げ御礼のご挨拶とさせて頂きます!
--更新履歴
2018/06/28 「兄である織田信行に謀殺されかけた」の信行を信長に修正。肝心なところを……OTL




