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#120 十字軍スペイン艦隊の襲来

 スペインの艦隊は太平洋を横断し、那古野へと船を進めていた。

 アカプルコを出航し、現代で言うところのハワイ、グアムを経て。

 別働隊である、東回り航路を行く十字軍と期日を示し合わせてだ。


 だが、フィリピンにて寄港する予定が思わぬ嵐に遭遇した。

 大きく航路変更を強いられるも、豊富な水を有する無人島を発見し事無きを得たのであった。

 しかも、北極星の位置を調べてみると、緯度的にはフィリピンよりも目的地に近い事が分かった。

 更なる調査により、島国の位置も判明した。

 スペイン艦隊は一斉に帆を張り、目的の港へと向かう。

 大海原には何十もの船跡が描かれた。


 数日後、艦隊は風雨と波に揉まれながらも、目的とする湊の灯火を望遠鏡の先に捉えた。

 しかも、明日は丁度期日。

 日の出と共に、長い航海を強いられた元凶を破壊し尽くし、異教徒を殺し尽くし、全ての富を奪い尽くす。

 そう、船底に積み込まれた兵は静かに闘志を燃やした。

 その熱量は船を焼き焦がすかと思わせる程であった。




  ◇




 俺は尾張に帰り着いていた。

 馬を幾度も変えた末に。

 当然、昼夜の別なく。

 今、日はとうに暮れている。

 雨も未だ振り続いており、視界は極めて悪い。

 それでも、暗闇の中はっきりと浮かび上がる那古野の光。

 火が放たれた類とは、まるで違った。


「太郎!」

「はい! まだ無事でようございました!」


 しかし、同時に刻限が刻々と迫っているのが分かっていた。


「太郎! 望遠鏡を用い、沖に目を凝らしてみよ!」

「……な、波間に光!?」


 雷光の下、一瞬水面に見えた黒い塊。

 船だ。

 それも一隻や二隻では済まない数の。


(まさか、あれ全てがガレオン船か!? 昨日今日用意しても間に合わないだろうに!)


 波の所為か、大きく揺らめいていた。


「あれは……南蛮船ではございませぬか!」

「で、あろうな!」

「何故、あの様に中途半端な沖合に停泊しているのでしょうか?」

「ふむ、確かに分からぬ!」


 嵐を避け、比較的波が穏やかな湾内を停泊場所に選んだのだろうが。

 だが、もしかすると——


「が、もしかしたら、日付変更線の所為かも知れぬな!」

「日付変更線?」


 思わず、結論が先に口から出た。


「左様! 那古野に攻め入る日時を明日の夜明けと示し合わせていたのならば、だ。あの者らは日付を変えねばならぬ事を知らぬ!」


 太郎は首を傾げた。

 「マゼランの艦隊が西回りで世界一周をした際、日付がズレていた」と言っても、伝わらない様だ。

 まぁ、良い。

 だとするならば、分水嶺は今夜だ。


「いずれにせよ、急ぐぞ! 太郎は湊にそのまま行け! 鷹の目衆らと共に鯨狩りをする、と居る者全てに申し伝え、集めさせよ!」

「ははっ!」


 俺の後に太郎が続き、その後にいまや僅かとなった母衣衆が連なった。


 それから数刻後の、草木も眠る丑三つ時。

 俺は光が漏れぬ様締め切った納屋の中で、差配していた。


「黒檀太郎! 御主ら鷹の目衆はスペイン相手に戦えようか!?」

¡Sí!(無論っ!)

「なれば鷹の目、山窩、河原の、御主らに那古野の命運を託す!」

「ははっ!」


 太郎が呼び集めた者らを前にして。

 その太郎はこの場にはいない。

 余程疲れていたのだろう、気を失ったかの様に倒れたまま、納屋の隅で寝入っていた。


「つまり、鷹の目衆らの夜目を頼りに船を出し、鯨用の銛を船に撃てば宜しゅうございますね?」

「綱を結んだな。それも、舵の付け根にだ」


 河原者は兎も角、漁師の頭は難しい顔をしていた。


「出来ぬか?」


 俺の問いを受け、漁師の頭は更に難しい顔となった。

 当然だ。

 荒波の、しかも雨も降る悪天候の中、明かりも無しに船を出せと言うどころか、南蛮船に近づき、銛を穿てと言われているのだから。

 しかもそれは、ただの捕鯨用の銛ではなかった。

 綱の両端に銛を結んだ代物だ。

 だが、やがては覚悟し、俺に顔を向けた。


「将軍様に対して、出来ぬ、とは申せませんや。よう、分かりやした。儂らの命を掛け、やらせて頂きます!」

「有難い! 御主らに那古野の命運を託そうぞ!」


 彼ら漁師だけに任せる訳ではない。

 南蛮船からの攻撃から彼らを守る様、山窩や河原者だけでなく、那古野に居残っていた侍も護衛として共に行くのだ。

 つまり、元黒人奴隷、山窩衆、河原衆、更には漁師と侍が一蓮托生となり、南蛮船に細工を施す。

 だからこそ、彼らは頷いてくれたのであった。

 しかもだ、


「頭殿、太郎を任せたぞ?」

「あっしらに出来る事は荒波に船を盗られぬ様にするだけでさぁ」

「それでもだ。頼む!」

「……では、任されてみましょうかね」


 庶子とはいえ、俺の子が共に行く。

 今は寝ている当人が言い出した事だ。




  ◇




 夜明けよりも半刻程前、途中から付いて来れずに遅れた、近衛を担う者達が那古野に帰り着いた。


「よう間に合ったな! 蔵人! 利益! それに利家も!」


 他には林弥七郎を中心とする弓達者達が。

 居残った兵を含めて、総勢五千強で俺はスペイン艦隊を迎え撃つのだ。

 織田家が有する南蛮船は全てが大坂に留まっており、那古野には一隻も無い。

 「波風が穏やかになり次第、那古野に戻れ」と命じたが、果たして間に合わなかった。

 残る船と言えば漁船と、南蛮船以前に用いられていた古い軍船、もしくは商人が荷を運ぶ二百石程の帆船のみである。

 対するスペイン艦隊はと言うと——


「信行様! 沖合に停泊している南蛮船は何隻にございまするか?」

「近くまで忍び寄った太郎から、五十余隻と聞いておる」

「た、太郎殿から、でござるか!?」

「利益、何ぞ問題か?」

「湾内とはいえ、波はまだまだ荒れ狂うばかりだったでございましょうに」

「その通りぞ、林弥七郎。戻るなり、バタリと倒れおったわ!」


 そう、太郎らは雨風高波、更には落雷によって少なくない犠牲を払い、俺の命に応えた。

 後は夜明けを待つばかりである。

 そしてその夜明けは、瞬く間に訪れた。

 知多半島の向こう側から、曙光が差し始めたのだ。


 浜に出た。

 風は変わらず強く吹くも、雨は止んでいる。

 しかし、波高し。

 高波うねる水面には船、船、船。

 全てが南蛮船の、大船団であった。

 帆を張れば風を大いに受け、船足はあっと言う間に上がり、那古野大湊へと至るだろう。

 それを示すかの様に、那古野に最も近しい船のマストから帆が垂れ下がった。

 風をはらみ、帆が大きく膨らんだ。

 南蛮船がゆっくりと進み始め、徐々に速度が乗り始めた。

 その後に続く何隻かの同型船。

 同じくゆるりと動き始める。

 刹那——


「ああ!」

「船が、あらぬ方へと曲がり始めましたな」


 最も早く帆を上げた船が、旋回しだしたのだ。

 船は真横を向き、船尾を晒す。

 そこからは一本の線が、元いた船団へと伸びている。


「綱だ!」

「舵から伸びておるぞ!」


 舵に打ち込んだ銛に結び付けた綱である。

 綱の反対側は当然、別の船だ。

 つまり、ある意味一方の船が曳航している形なのだ。

 当たり前だが、船足の早い方が海から受ける抵抗は小さい。

 加えて、打ち込んだ銛により舵は固定されている。

 振り子の如く一方を中点として旋回する、それは致し方のない事であった。

 と思っていたのだが、


(あぁ!?)


 その綱が切れた。


(太郎と鷹の目衆らが命懸けで行ったと言うのに……)


 反動を受けたのか、南蛮船は大きく揺れている。


「……見よ! 船乗りどころか、船までが慌てふためいておるわ!」


 俺は自らを誤魔化した後、大きく息を吸った。

 潮の香りが肺に満たされる。

 それを一気に吐き出し、


「掛かれや!」


 鬨の声を上げた。

 同時に、種々様々な小舟の軸先が白波を一斉に切り始める。

 南蛮船に向かって。

 目に入る全ての水面に、数百もの船跡が生まれていた。

 南蛮船の大船団に向かって。

 見ようによっては、鯨の群れを襲う鯱の如しである。


「信行様! 我らも向かいましょうぞ!」

「ああ、太郎! いかいでか!」


 俺の乗る船も、鯨を屠らんとする鯱となった。

 海は俺達の行く手を阻むかのように、高波で迎えた。

 目に映る景色はまるで、北斎の描いた荒波である。

 音など、耳を塞ぎたくなる程。

 海に慣れた漁師ですら怖がり、一瞬でも気を抜けば船縁から海に投げ出されそうになっていた。




  ◇




 そんな中、南蛮船の大船団は未曾有の大混乱に見舞われていた。


「……提督! ウルダネータ提督!」

「なんだ!」


 船団を率いるウルダネータは苛立っていた。

 漸く、念願の遠征が叶ったと言うのに、直前で足踏みしているからだ。

 原因は分かっていた。

 船尾から垂れるロープが舵に絡まっているのだ。

 それを取り除きさえすれば舵が戻り、船はまた前へと進むだろう。

 高波さえなければ。


「波間に小船が見えたと報告が!」

「波にさらわれたボートではないのか!?」


 風と波の音の所為で、声を荒げなければ聞こえない。

 それもまた、彼には苛立たしかった。


「それが何隻も見えたとか!」

「なら、他の者も目にしたのではないか!?」

「いえ、それが舵に絡まったロープや帆の維持に出払い、誰も海を向いてはおりませんでした!」

「誰でも良い! マストに登らせろ!」


 いつの間にか、ウルダネータの船は船団に出戻る形に。

 そして、ちょうどその時、


「……提督! ウルダネータ提督!」

「今度はなんだ!」

「て、敵襲です!」


 一本の火矢が船の帆に突き刺さる。

 赤く揺らめく炎に焼かれゆく。

 目を釣り上げたウルダネータの顔が、同じ色に染まった。


「おのれ! 何者だ!」


 船尾の船縁から身を乗り出さんばかりとなった彼が目にしたのは、彼も知る男。

 小舟に乗り、大弓をあらん限りに引き絞る織田信行の姿であった。

 ウルダネータは艦長室から銃を届けさせる。

 日の本には未だ出回ってはいない、騎兵用の短銃を。

 火種を確かめ、そして静かに構えた。

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