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#111 上杉輝虎死す!

「お久しゅうございますな、織田信行様」

(様?)


 俺の前に座し、首を垂れているのは山科言継だ。

 何故か、着の身着のままといった体で。

 いや、それどころか所々煤けてすらいる。

 髪は乱れ、脂まみれ。

 まるで亡者の如き。

 赤く充血した目だけが、目の前の男を生者だと示している。


(一体、何があったと言うのだ……)


 朝廷からの勅使だと思えばこそ上座を勧めるも、固辞された。

 湯浴みに至っては、「時が惜しい」と無下に断わられた。

 そんな男が、唯一望んだ事と言うのが、


「何も聞かず、今すぐ春日山を登らせて下され」


 であった。


「何故に? 日も直に暮れる。今宵は我が陣内で長旅の疲れをゆるりと癒し、明日の朝にでも向かえば良いでは御座らぬか」

「それでは遅いのじゃ!」


 これまで好好爺然としていた山科言継が、珍しくも声を荒げた。


「遅い?」

「天子様が認めなされた書状を、今直ぐにでも渡さねばなりませんのじゃ!」

「日を跨ぐ事も出来ぬ程にか?」

「然り! 一刻の猶予も御座らん!」

「然るに、上杉輝虎は春日山にはおりませんぞ?」

「渡す相手は上杉憲政殿でござる!」

(上杉憲政? ああ、先代の関東管領か。まだ、生きていたんだな)


 俺は置いてある湯呑みに手を伸ばし、ゆっくりと傾け喉を潤した。


(とは言え、一刻の猶予も無いとはこれ如何に。それにだ)

「今は春日山を攻め落とす最中。いくら山科卿のお頼みとは申せ、通せる筈もなき事は十分承知で御座いましょう」


 俺の答えを受け、山科言継がにじり寄る。

 血走る眼が、乱れた髪が、ギリギリと噛み締められた歯が、まるで鬼の如く。

 それが息の掛かる距離にまで。

 鬼気迫るとは、正にこの事だった。


「信行様!」


 小姓らが慌てるも、俺は手を伸ばし「大丈夫だ」と伝える。

 その言葉とは裏腹に、俺は顔を顰めた。

 酷い臭いの所為だ。


「いんや、此度ばかりは無理を通させて頂く」


 声は古井戸の底から湧き出したかの如く。

 俺の背筋が強張る程に、低く冷たい音だった。


「……それでも駄目だと申したら?」

「この命に代えてでも通らせて頂こうぞ!」


 山科言継は懐からごく短い刃を抜き身で取り出した。

 そしてそれを——


「な、何をされるお積りか!?」


 自らの首に当てた。


「春日山に至る事が叶わぬなら、儂は天子様の命を果たせぬも同じ! この場で! この命をもって天子様に贖罪する次第じゃ!」


 山科言継の手は微動だにしていない。

 自らの命の灯火を消す事に、何ら戸惑いを覚えていない証拠であった。


(これは……いよいよ只事ではないな)


 俺は、山科言継と一人の従僕が春日山を登る事を許した。

 そしてその一刻後。


「の、信行様!」

「如何した!」

「春日山から何者かが降りて来まする!」


 それは山科言継と数名の武将。

 月明かりの下、鎧兜を身に纏わず下山した。

 そしてそのまま俺の前に現れたかと思うと、山科言継を除き平伏してみせた。

 土を厭う事なく。

 篝火に照らされ、彼らの影が揺らいでいる。

 俺は一人立つ当事者に対し、


「山科卿、夜分に何事か?」


 冷たい声音で問い掛けた。

 答えは、


「今直ぐに和睦して下され!」


 であった。


「はぁ?」


 声が堪らず出てしまった。

 それ程、意表を突かれたのだ。


「な、何を申す! 山科卿の頼みとは申せ、訳も分からず和睦など出来ぬわ!」

「信行様は天子様の命を蔑ろにするか!」

「山科卿一人の思い付きが、いつ天子様の命となったと言うのだ! 戯言も程々にされよ!」

「天子様はこの山科言継に託されたのじゃ!」

「なれば、勅書を出して見せよ!」


 そう、そもそも、未だに書状の一枚も出して来ないのだから。

 信じろと言うのが無理なのだ。


「勅書は……無い!」

「では、山科卿の話を聞く訳にはいきませんな! 天子様の御意向分からずして、天子様の名の下で和議など、恐れ多くて出来かねる!」


 後で「朕が想定していた条件と違う」と難癖付けられても困るしな。


「天子様は和議を命ずるも、約定は織田信行が定めしまま進めよ、と申されておる!」

「その様な話、聞いた事が御座いませぬ!」

「お主が耳を傾けぬからだ!」

「そういう意味では無い!」


 俺は荒くなった息を整える為、大きく深呼吸を繰り返す。

 その上で、


「そもそも、この信行が争いし相手は上杉輝虎。かの者がこの場に居らぬ以上、到底和議は結べぬが道理!」


 正論を並べた。


(ぐうの音も出まい!)


 だが山科言継は直ぐ様反論する。


「左様には非ず! この者は上杉憲政! 先代関東管領にして上杉輝虎の養父である!」

「えっ? この……(冴えないおっさんが!?)」


 すると、上杉憲政が初めて口を開いた。


「驚くのも無理は御座らぬ。先日まで寺の片隅にありし庵にて、幽閉されておったからのう」

「そ、それはまた……」


 「ご愁傷様」と喉まで出かかる。

 だがその言葉が漏れ出る前に、


「この先代関東管領の首一つで! どうかお許しを頂きたい!」


 と上杉憲政が大見得を切ったのであった。


「上杉輝虎に幽閉されし者の首で戦を収めよだと!」


 俺は思わず、声を荒げた。


「それにだ! そもそも、先代関東管領如きがこの戦の帰趨を決める場にて口を挟むなど笑止千万! 一体何様だ!」

「それはこの山科が頼んだのじゃ!」

「何故に! 上杉輝虎自身がここに参り、首を垂れるが道理ぞ! それが叶わぬならば、上杉輝虎が書状と共に名代を差し向ければ良い!」


 刹那、上杉憲政が地面に頭を押し付ける。

 続いて、顔の下から届くくぐもった声は僅かに震えていた。


「山科卿が齎された報せにより、今やそれは叶わぬ次第」

「何故だ!」


 上杉憲政は土の付いた面を上げる。

 その目元からは一雫の涙が溢れた跡が残っていた。


「春日山に籠城せし我ら山内上杉一派こそが、越後最大の上杉勢力となった故にございまする!」

「え?」


 山科言継に顔を向ける。

 彼は歯を噛み締め、苦渋を浮かべながら、


「上杉輝虎は……恐らくじゃが、山城国山崎にてお亡くなりになられた」


 と口にしたのであった。

 言葉がないとはこの事だろうか?

 あの戦国最強と名高い上杉謙信、もとい上杉輝虎が死んだらしい。


(でもなんで? まさか本当に病に倒れたとでも言うのか? もしくは佐久間盛重が手柄を立てたとか?)


 だがしかし、理由は俺が考えもしない事だった。


「上杉殿は討ち死にされたのじゃ」

(という事は……おお! 佐久間盛重! でかした!)


 望外の慶事に、俺の顔が紅潮するのが分かる。

 それに反して見る間に蒼白となっていく山科言継。

 そんな彼の言葉はなおも続く。

 唇を激しく震わせながら。


「京の都を襲った化け物に踏み潰されてな」


 いや、それどころか体まで大きく震え始めた。

 両の手で自身の体を必死に抱き、抑えようとする様が目に痛々しい。


(っていうか、化け物って何だ? 佐久間盛重の事か? ただ、踏み潰されるって……)


 俺は上杉憲政に視線を向けるも、彼もまた首を傾げている。


「山科卿、気をしっかり持たれよ!」

「お、おお、すまなんだ憲政殿……」

「ことここに至っては織田様のお力に縋るよりないのですぞ! その様な事で天子様の命運や如何に!」

(天子様の命運、だと?)

「そ、そうじゃった!」


 その後、山科言継の告げた言葉。

 それこそが——


「南蛮人共の大兵が京の都に攻め入りおったのじゃ!」


 耳を疑う内容であった。

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