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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第五章 <天の峻嶺>
95/245

番外6 <詩人たちの楽堂> (中篇2)

1.


 散開した<冒険者>に向けて、金色の光が放たれた。

<死せる交響楽団(オーケストラ・オブ・ザ・デッド)>の通常攻撃である<狂気(マッドネス)>という遠距離攻撃だ。

ダメージもさることながら、厄介なのは避けた後にこそある。


「……やはり<音符>を生み出すか!」


壁に当たった光線が蟠り、形を変えて奇怪な<音符>へと変わるのを目にしたクニヒコが呻いた。

15秒ごとに<悲嘆(サッドネス)>という光線と交互に放つこれらの光線は、プレイヤー以外のオブジェクトに直撃するとそれぞれ<狂える音符>と<悲しみの休符>を産み出す。

無限の戦力増強。

このボスが同レベル帯の中でも、強敵とされる原因のひとつだ。

下手をすれば15秒ごとに30から50レベルの敵を生み出すこの攻撃がある為に、

このボスを攻略する際には一人がヘイトを稼いで攻撃をすべて受け止め、

その間に他のメンバーが戦う、という戦術を取る必要がある。

だが、今クニヒコたちが対峙する<交響楽団>のレベルは95。

その攻撃は簡単に耐え切れる威力ではない。


その上。


「……来るぞっ!」


<楽団>が爆発した。


そう思えるほどの閃光が周囲に向かって放たれる。

<楽団>が45秒おきに放つ全方位向けの光弾、<情熱(コンフォコ)>だ。

こちらは部下を生み出すことはないが、全員に均等に放たれる灼熱の攻撃は、防御力の低いサツキにいたってはHPの6割以上を奪い取る。


「サツキ! 細かい指揮はお前に任す!」


周囲の気温が激変したからか、かすかに焦げ臭い煙が漂う回廊で、膝を付いたサツキに叫んだクニヒコの目がギラリと光った。



「法師、全力召喚してください!」

「エエで! ユイAはん、アンWさん、アキNはん、ナオMはん、ミチコKはん、アヤカOはん、チーリンLはん、みなさん打ち揃うておいでやす!」


杖を掲げたレオ丸が、MPの消費を無視して大量召喚を開始した。

流れるように失われていくMPを霊薬(ポーション)で補う彼の元へ、忠実な従者たちが異空間から姿を現す。

凄腕<召喚術師>たるレオ丸が誇る、まさに彼の奥の手だ。

彼女らはただのモンスターではない。

趣味的という言葉では言い表せないほどの努力の結果として、世界各地から彼の元へ集まったこれらの召喚獣は、いずれも元は、今の<楽団>とすら互角に渡り合えるほどの高レベルモンスターなのだ。

召喚獣と化したために大幅に弱体化しているとはいえ、そう簡単に滅ぼされるような面々ではない。

レオ丸の指示の元、一斉に襲い掛かった彼女たちを見て、クニヒコは次のメンバーに叫んだ。


「義盛!タルさん! 回復専念だ! 全員のHPを6割以下にさせるな!」

「任せとけ!」


応じる叫びとともに、2種類の呪文が放たれる。

<楽団>は様々な状態異常を引き起こす<演奏>を持つ。当然その中には、<悲しみの休符>が得意とする、沈黙の状態異常(バッドステータス)をもたらすものもある。

その時のために、霊薬回復は最小限に。

<幻想>級の槍を持ち、トリッキーな<森呪遣い>の性能もあって攻撃職にも劣らないダメージソースを持つレディ・イースタルと、

キャラの性能と本人の腕によって、並みの戦士以上の前線構築能力を持つ義盛。

ふつうのパーティであれば前線すら張れる二人を後衛に専念させるのは短期決戦という意味では下策だが、この戦いはゲームではない。

あえて接敵させないことで、パーティのダメージ管理を確実に行う。

クニヒコの選択した戦術はそういうものだった。


<冒険者>たちのフォーメーションが切り替わる。

クニヒコを切っ先、エンクルマを後陣に据えた遭遇戦闘用の陣形から、クニヒコ、伊庭八郎、エンクルマの3人にユイAたちを加えて前線に立てた前面強襲用の陣形へ。

後方にはサツキが立ち、立て続けに呪文を唱えながら敵味方のHPを管理し、

さらにその後ろにはレディ・イースタルと義盛が、レオ丸とナーサリーをはさむように立っている。

世界各地の同業者(レイダー)たちが築き上げた、<エルダー・テイル>における戦術のひとつだった。


「ナーサリーさん! あなたは<コンサートマスター>頼む!」

「心得た」


<五月の王>の弦を立て続けに鳴らしながら、ナーサリーの声が戦場に響いた。

彼の本来の楽器である<金星音楽団のセロ>の代わりのように、弓弦の音を伴奏に<吟遊詩人>の声が響き渡る。

古代、日本で弓の弦を鳴らすことは武器としてのそれだけではなく、一種の呪術でもあった。

まさしく何かの呪いのように、少なくはあるが的確に、<五月の王>は敵のHPを削いでいく。

ボスモンスターへのダメージ増加能力は、初見の<交響楽団>へも有効だった。


全員への指示を出し終え、クニヒコは前へと向き直った。

戦術は組み上げた。後は、アイザックの元で戦闘指揮官(コマンダー)として鍛え上げられたサツキが、

戦況に応じて適切にアレンジしてくれるだろう。

<黒翼竜の大段平>には申し訳ないが、と彼は大剣を構え、防御専念の構えを取った。


これで、()れる。


 ◇


「……フン」


<冒険者>たちの戦闘を、少し離れて眺めていた人影が鼻を鳴らした。

そのかすかな音は、戦場音楽に瞬く間にかき消され、当の自身にも届かない。


「……オモシロヤ」


続いて放たれた、無感動な声もまた、誰の耳にも残らなかった。



 ◇


「<情熱(コンフォコ)>まであと10秒! カウントします! 9,8……」


無秩序な騒音と閃光を撒き散らす敵を見据えて、サツキが叫んだ。

本来の『狙撃手(シューター)』ではなく指揮官に専念する彼女は、噂に聞くシロエの<全力管制戦闘>ほどの凄味はないものの、レイダーとしては水準以上だ。

その指揮は安全基準を常に取った危なげのないものだった。


「……っぐ!」


再び放たれた閃光の嵐に、全員が耐えたのは一瞬。

次の瞬間には、八郎の<真・大和守安定>が巨体のわき腹を抉りぬき、きらきらと黄金色の欠片を飛び散らせる。

小癪な女<武士>に向き直りかけた<楽団>に、<アンカー・ハウル>が突き刺さり、

忌々しげに歪な巨体は黒衣の騎士に向き直った。


<黒剣騎士団>でいえばアイザック。

<D.D.D.>ならばクラスティ。

<シルバーソード>ならディンクロン。

<ハウリング>のナカルナード。

<放蕩者たちの茶会>の直継。


腕のいい大規模戦闘(レイドバトル)用<守護戦士(ガーディアン)>に必須の条件とは、攻撃力や防御力ではない。

そんなものは腕前以前、最低限の生存条件だ。

彼らが共通して持っているのは、高い敵愾心(ヘイト)の管理能力。

味方の攻撃力を読み抜き、敵のヘイト移動率を計算し、適切なタイミングでタウンティングを掛ける。

ただ無秩序に<アンカー・ハウル>をかき鳴らすのではない。

相手が他者に向き直り、そして再び自分のほうを向く。

それだけの行動が、数秒、時に十数秒の時間を稼ぐのだ。

当の<守護戦士>たちでさえ気づかない者が多い、それは隠れた彼らの特技だった。


そして、クニヒコもまた、体験と経験でそれらを身に着けた<守護戦士>の一人だ。

今、彼はそうした戦術のすべてを駆使して、全員の盾となっていた。


「敵のHPはあと3割だ。そろそろ土壇場に入るぞ」


そう、クニヒコが仲間たちに告げたとき、不意に<楽団>が巨体をぶるぶると震わせた。

まるで内側からほとばしる力を抑えきれないかのように、光が体内で乱舞し。

放たれる。


「………!!」


ぶふ、とエンクルマが血を吐く。

その血の色は毒々しいほどに暗赤色だ。

HPバーは、通常状態を示す青ではなく、どこか友人の剣を思わせる緑に染まっていた。


彼だけではない。

クニヒコ自身にも猛烈な痛みと吐き気、倦怠感と疲労が立て続けに襲っている。

声も出せない。<沈黙>を食らったのだった。

彼には、後ろの全員も同じ状況にあることが分かっていた。

<死せる交響楽団(オーケストラ・オブ・ザ・デッド)>が危機に陥ったときに放つ特技、

<独唱歌(アリオーゾ)>が叩きつけられたのだ。

<冒険者>たちの回復や身体強化を根こそぎ剥ぎ取り、無数の状態異常効果を叩き込むそれは

「初見殺し」と言われるほどに凄まじい。

このボスを倒せてはじめてベテランパーティ、とゲーム時代では言われたものだが

ゲームが現実になったこの世界においては、その恐ろしさはさらに倍化されている。


それだけではない。

独楽のようにくるくると回りながら、<楽団>は360度全方向に光線をたたきつけた。

もはや単独の敵を狙ったりもしていない。プレイヤーをはずした光線は、次々と<音符>や<休符>を産み出していた。

回復の為に霊薬を取り出す<冒険者>たちをあざ笑うかのように、物理的な衝撃力すらもたらす光線が打ちかかる。


「……!」


クニヒコとレディ・イースタルは揃って顔をしかめた。

事前に<死せる交響楽団(オーケストラ・オブ・ザ・デッド)>の攻撃を予測し、対策を立ててはいたが

彼らの知る60レベルの<楽団>と、目の前の95レベルの<楽団>とでは、放つ攻撃の密度も圧力も桁違いだ。

サツキが後退していく。 口を封じられた彼女は、その攻撃力も防御力も殆ど封じられたに等しい。

レディ・イースタル自身、<アルラウネ>を帰し、<梟熊(オウルベア)>を呼び出して盾にしながら後ろへ下がり、その隣では黒衣の<吸血鬼妃>に護衛されながらレオ丸が同様の行動を取っていた。

残るメンバーは壁のように立ちはだかり、光線で肉体を焼かれながらもそれぞれの武器を振るう。


その時、放たれる光線に合わせるように音が響いた。


聞き覚えのある曲だ。

かつて地球で一世を風靡した、あるバンドの代表曲ともいえる音の音程をめちゃくちゃにはずし、適当に音を入れ替え、短調に変えたような音。

その作り手の意図を全力で曲解し、悪意をつけ、無秩序に惑わしたような、それは聞く者にひたすら不快感を覚えさせるための音だった。

さらに別の曲。

子供達に親しまれるある幼児番組のメインテーマが、歪な音の塊となって広がる。

音と同時にダメージと状態異常効果が更に<冒険者>たちを打ちのめす。

まるで、悪魔が人間を、地球人を、その文化を全身全霊で嘲笑うかのように、

ひどく冒涜的で奇怪なメドレーは延々と続いた。

誰もが何も言えないこの場にあって、ただ怪音だけが場を支配する。


「……!!」


その時。

後衛職は交代する、という事前の打ち合わせとは別の行動をとった<冒険者>がいた。



「……! …」


横にいたサツキが思わずひるむような激怒の顔で、ナーサリーはいきなり<五月の王>を仕舞った。

戦いを捨てたのか。


そう、誰もが誤解した時だ。


巨大な物体(エンドピン)が地面に叩きつけられる、どかりという音が響いた。

続いて調律の音色。

そして、調べが流れ出す。


特技の発動にはいくつか制約がある。声もまた、その一つだ。

だが、声なくして発動する特技もある。

それが、<吟遊詩人>の演奏特技だった。

<五月の王>ではなく、<金星音楽団のセロ>を構えたナーサリーは、この場にあって唯一、魔法を使うことができた。

声ではなく、その楽器で。


音が広がる。

<楽団>が奏でていたのはあるメロドラマの主題歌だった。

メロドラマどころかホラーじみたその音に、音が叩きつけるように重ねられる。

同じ曲、本当のメロディが<冒険者>たちのささくれ立った鼓膜を癒していく。


「……は、ははは」

「ナーサリー……?」


声が戻って最初にこぼれ出たのは笑いだった。

凄まじい憤怒の表情そのままに、<吟遊詩人>が笑う。

怯えたようなレディ・イースタルの声を無視して、彼はやおら呟いた。


「……仕方ないのかもしれない」

「え?」

「<楽団(きみたち)>は君たちなりに音楽を愛しているだけかもしれない。

命じられた本能(プログラム)の通りに動いているだけかもしれない。君たちには悪意はなく、亡霊になってまで音を生み出したかっただけなのかもしれない。

だけど」

「………」

「君たちのその音は、作り手をこれ以上なく侮辱している。

……僕が聞きたかったこの世界(セルデシア)の音楽は、楽譜に託した音楽は、断じてそんな音じゃない!

聞け、音楽家たちの亡霊! 本当の曲を!」


演奏が始まった。

それは大地を蹴る音、武器のひらめく音、その他ありとあらゆる音を押しのけて、その場の全てを支配する。

40人もの合奏に、たった一つのチェロと声。

普通なら比較になることすらない音の繋がりが、徐々に、確実に交響楽団を押さえ込んで行く。

狂った単音をチェロが立て直す。

不快な連弾を正しい旋律が打ち消す。

それは、まさに<吟遊詩人>にしか出来ない、<吟遊詩人>でしかなし得ない戦いだった。


ダメージなどはもちろんない。

特殊効果があるわけでもない。

この場において、ナーサリーの行動はゲーム的にはあまりに無意味で、人によっては自己満足と言い切るかもしれない。


それでも、彼は歌った。


<楽団>の音が徐々に小さく、かすれていく。

誰もが分かるように攻撃の手が緩み、<冒険者>たちを打つ光線が少なくなっていく。

サビのメロディを、チェロが優雅かつ躍動的に奏で終えた時。

<楽団>は、ついに耐えきれなくなったように沈黙した。

同時に、真っ赤に染め上げられた亡霊たちのHPバーが最後の青い部分を失って崩れ始める。

<人外無骨>の一振りで、亡霊に止めを刺したエンクルマは、振り抜いたその姿勢のまま、ナーサリーのチェロに合わせるように囁いた。


「歌は、正しく歌んが正道や」


オペラのクライマックスのように、<武士>の声が回廊に響き渡る。

それが<死せる交響楽団>の最期だった。





誰もが動きを止めて、砕け散った<楽団>の後を見つめていた。

幾つかのアイテムと、金貨。

そして遺された黄金の楽譜を。


「すまない。君たちの全てを否定したつもりはない……もし、セルデシアで魂が蘇るとするなら、今度はもう一度合奏して欲しい」


鎮魂歌のように、ナーサリーの声が風に混じる。

音楽は戦うための武器ではない。

そう信じて来た彼にとって、怒りに任せた行動は決して本意ではないのだろう。

貴重な<秘宝>級や<製作>級のアイテムには目もくれず、楽譜を丁寧に拾うその手には、やるせない哀愁が漂っていた。


「ボスは、倒せたか」


周囲を見渡してクニヒコが息を吐いた。

決して楽勝ではなかったが、ともあれ撃破したのは確かだ。

こちらは八人、負けるとは思わなかったが、緊張した戦闘だったのは確かだ。

親玉たる<死せる交響楽団>を倒した以上、この地域にいる<音符>や<休符>も総て消えたはず。

サファギンやオーガは健在だが、元より彼らはそれほど危険ではない。

安堵のため息を漏らそうとした彼は、ふと仲間たちが緊張した表情のままであることに気が付いた。

そして自らも気付く。


この<楽聖たちの神殿>を包むいかがわしい邪気は、まだ消えていない。


レオ丸がそれに気付いたのは偶然だった。

彼とて<冒険者>、ドロップアイテムに興味がないわけでもなかったが、そんなことより彼は傷付いた従者たちの回復が先だった。

<召喚術師>として、回復させた従者から順に返していた彼の目が、回廊の彼方を見る。


そこに佇む、奇妙な人影を。


「お、ワシら以外に誰か攻略しとる……わけが無いわな。誰や、オマエ!!」


警戒の叫びに人影が身を翻すのと、気付いた八郎が駆け出すのとは同時だった。


「八! 猪突するな!」


クニヒコの制止を無視して、八郎の足がかき消える。

瞬く間にトップスピードに駆け上がった彼女の手から、抜き放たれた刀が閃いた。


ザン。


人影が八郎の顔を見る。

次の瞬間、彼女の洋装軍服が血飛沫をあげて切り裂かれた。


「……ぐふっ!」


全ては一瞬。


仲間を切り倒されたエンクルマが、怒りのままに槍を構える。


「まて! 回復と状況把握が先だ!」


走り出そうとした彼を、再び放たれたクニヒコの怒号が止めた。


「ばってん、八姐が!」

「落ち着け! 死んでいない! 義盛!タル!」

「ええ!」

「分かった!」


<障壁>と<脈動回復>が、八割がた消し飛んだ八郎のHPを青く染め直すのを見て、クニヒコは先頭を切って彼女に駆け寄った。

既に人影は無い。


「何をされた? 敵を見たか!?」

「ごめんなさい……見えなかった。人間のようではあったけれど」

「法師?」

「すまん。ワシにもよう分からんかった。 せやけど、多分モンスターや。一瞬ステータス画面が見えた」


レオ丸の言葉に頷き、クニヒコは人影が消えた回廊の向こうを見た。

そこには、影どころか動くものは何もない。

がらんとした空間に、滞留した埃がふわふわと漂っているだけだった。


「……ここは新ゾーンだ。 旧来の敵だけが出る可能性はもとより低い。

みんな。すまないが回復を終えたら引き続き探索するぞ」


しかし、無人の回廊は、その後も、地上へ向かう階段に達するまで、いかなる生物をも<冒険者>たちに見せることはなかったのだった。




2.


 外は冷たい雨だった。


しとしとと降る水は、この季節特有の芯まで凍えさせる寒さを連れ、雨具もない8人の体を打つ。


「あちゃあ……こらアカンね」

「まあ、しょうがなかばい。早う屋根のあるところで休まんね」


天を仰いでうんざりした顔のレオ丸に、エンクルマが肩をすくめる。


「どうします? あの<楽聖たちの神殿>は」

「もう一度攻める。今のままだと根本的に解決したとは言えない」


その後ろで義盛の問いかけに、クニヒコが即答した。

彼の目は、出てきたばかりの階段を鋭く見下ろしている。

その顔に、振り向いたエンクルマが笑った。

訝しそうに見たクニヒコに、彼が楽しそうに答えた。


「クニヒコしゃん、ゲームやった頃は顔は見えませんやったけど、そん声は昔のあんたそんままやね。

大規模戦闘(レイド)は完璧に終わらんとレイドやなか。あんたはよく、そういっておったとよ」

「……今の俺はレイダーじゃないぞ。 ただの坊主だ」


ぶすりと答えた彼に、周囲から笑いが上がる。

自他共に認める本物の坊主であるレオ丸が、おかしそうに涙を流しながらクニヒコに言った。


「ま、外見はともかく、きちんと戒を守っていればエエんや。

嘘をつかん、悪いことをせん。殺すな……ちゅうのはこの世界じゃ難しいけどな。

せやけど、悪人あり、悪鬼ありのこの世界で、殺生に背を向けて、見ない振りをするのが正しいか、

それは誰にもわからへん。

後輩や昔の仲間の、頼れる先輩でいるのもまた、功徳やで」

「……ともかく、一旦休んでからもう一度この階段を下りるぞ」


クニヒコがそう告げたとき、彼らの誰とも違う、おかしそうな笑い声が響いた。


 ◇


「オモシロヤ」


その声を何と言えばよいのだろうか。

先ほどの<死せる交響楽団>の演奏にも似た、悪意と狂気で織り上げられたような声。

人の声のようでありながら、軋んだ機械が無理やり人に似せたような、どこか無機質な音の連なり。

一言聞くだけで、発した者は人間ではない、と即断できるようなざわつく音。

面白い、と言いながらも全く感情が込められていないその声を聞いた8人の、最初に感じた印象は例外なく上のようなものだった。


ダンジョンの出口側の<冒険者>たちに、男は再び言った。


「ツヅケヨ」


 命令。

誰も応じなかったことに焦れてか、再び人影が命令を下す。


「ツヅケヨ」

「誰や……貴様(きさん)


エンクルマの呻きに答えたのは人影ではなかった。


「エイレヌス。80レベル、ノーマルランク……だが、変だ」


誰も知らない名前(エイレヌス)をステータス画面から読み取ったレディ・イースタルが呟く。

彼女の目には、人影―エイレヌスというモンスター―の表示は、妙にぼやけ、霞んで見えていた。


「雑魚じゃないの」

「待ちなさい!」


大太刀を構えた義盛の前を、八郎の刀が横切った。


「八姐!」

「あいつは危険よ。少なくとも私にはあいつの攻撃が見えなかった」


八郎の声は苦い。自分より10以上低いレベルの相手の行動が読めず、大ダメージを受ける―ゲーム時代であればあり得ない結果だ。

渋々刀を下ろした義盛の前で、仲間と頷きあったクニヒコが口を開いた。


「エイレヌス……お前はこのゾーンのボスなのか」

()


どうやら<冒険者>と会話できるだけの知能はあるらしい。

情報が取れる。

クニヒコは、一連の正体の分からない異変や、新ゾーンの不気味な様相の原因を目の前の男と推定する。

男から感じるざわつくような不安感は、あの<楽聖たちの神殿>で感じたそれと同じだったから。


「お前が<狂える音符>を<詩人たちの楽堂>から外へ出したのか?」

()


 その短い返答に、<冒険者>たちの顔が強張る。

実際に確認していない以上、その質問は半ばあてずっぽうなものであったが、結果はまさかの是認だ。


「お前は何者だ」


唾を飲み込んでクニヒコが決定的な問いを放った。

考え込むような数瞬の後、不意に男が顔を上げる。

反動で、深く被っていたフードがばさりと後ろに落ち、一行の―元からの―女性である3人が思わず息を呑んだ。


そこにあったのは美貌だ。

男女すら判別できないほど整ったうりざね顔の顔立ちは長いまつげに彩られ、肩までの金髪が波打つようにその周囲を彩っている。

その目と口は閉じられ、瞳の色は判別できないが、男女いずれであっても、見る者を魅了させずにはおかない、<冒険者>の最も美しい者すら及ばないであろう、端正な美がそこにあった。

だが、目を取られたのも一瞬、全員が武器を構え、召喚獣を呼び出す。

仮面じみたその顔、閉じられたままの口から、再びエイレヌスが言葉を発したからだった。


「吾ハ<陰王>ノ『エイレヌス』。<破壊>ノ『エイレヌス』。<破壊>ヲ望ムカ」



雨脚が強まる。

モノトーンの陰影が交差する、かつてのベッドタウンの跡地で、<冒険者>と不明な敵との死闘が始まった。



「野郎っ! <アンカー・ハウル>!!」


クニヒコの叫びに答えるように、目を開かぬままエイレヌスが一直線に駆けた。

ボロボロのローブに覆われた腕がスッと上がり、正面の<守護戦士>に向けられる。

手すら見えない、何の意味もない行動。

そう思った周囲の仲間は、次の瞬間驚きに止まった。


「う、お、お、お、お、お………おおおおっ!!!!」


クニヒコが吼える。

戦意を鼓舞するための意識的な咆哮ではない。

狂乱した獣に似た、理性をなくした咆哮だった。

レディ・イースタルはその光景を見たことがあった。

その時は、クニヒコではなく、西で出会ったドワーフの<施療神官>が同様の目をしていたのだ。

クニヒコ自身に理性があれば、彼もまた言うだろう。

かつて『朽ちた不夜城』で対峙した、黒衣の女<暗殺者>もまた、同じ目をしていたと。


「死ねぇっ!!」

「クニヒコ!?」

「クニヒコさん!!」


どかん、という音が聞こえるほどのスピードで、重厚な<守護戦士>の騎士鎧が飛んだ。

一挙手で振りかぶった<黒翼竜の大段平>が、すさまじい勢いで振り下ろされる。

その刃を下から見上げるエイレヌスが、再び片手を差し上げた。


「……っがぁっ!!」


まるで映画の逆回しのように、<守護戦士>が吹き飛ばされる。

その鎧の胸甲には、きっちりと一本、巨大な傷跡が金属を断ち割り、肉すら抉って血を吹き上げていた。


「クニ!」


叫んで放たれた<ハートビート・ヒーリング>が、瞬く間に傷を癒していくが、気絶したらしい彼は倒れるままだ。

冷静だったクニヒコの突然の強攻に、呆気に取られていた中で、次に大槍の<武士>が飛び出した。


「き、貴様(きさん)!!よくも!!」

「待って! おかしい! 止まって、エン兄!」

「なんでか!! クニヒコしゃんば、()られたんぞ!」


制止の声に怒鳴り返すエンクルマに、怒鳴られたサツキも叫ぶ。


「八姐といいクニヒコさんといい、変だよ!! フォーメーション組まないと!」

「そぎゃん悠長なことば……!」

「いや、案外大事かもしれないな。サツキ、指揮を頼めるか?」

「え、ええ。……エン兄、ヘイト稼いで。素早く。ナーサリーさんは援護と<五月の王>をお願いします。法師、再召喚で攻撃。八姐と義盛はエン兄のフォロー。タルさんは全体回復。クニヒコさんを起こすのもお願い」

「……仕方なか」

「OK」

「エエで」

「任せて」

「わかった」

「おう」


それぞれの役割を了解した<冒険者>が散り、どこか面白そうに事態を見つめるエイレヌスを見た。


「ツヅケヨ」

「それしか言えんのかいっ!! 天蓬天蓬急急如律令 勅勅勅!アキNはん!ユイAはん!」


パン、と拍手を打ったレオ丸の頭上がぞわりと蠢き、中から異界の生物が姿を現す。

かつて鬼と呼ばれ、神と呼ばれ、今ではレオ丸の護法善神として縦横にその力を振るう、喰人の女鬼。

そして首を斬られて死してなお、戦いの為に己が身を動かす、忌むべき無貌の騎士。

自らを守る、信頼する護衛たちに、彼は指を差して向かうべき敵を指し示す。


「あれや! あんじょう気をつけたってや!」

「はーい、旦那(だん)さん、おおきにー」

「オッケーでぇす! 頑張りまっすよー」

「……ワシのかっこエエ場面がワヤや……」


がっくりと肩を落としたレオ丸を気にもせず、軽い口調で従者たちが向かい、

その後を<冒険者>たちが追う。

立ちすくむエイレヌスに、なだれのようにそれぞれの武器が、拳が落ちかかる。


「あっ!!」


<喰人魔女(キルケー)>のアキNが叫んだ。

彼女の腕から血が滴り、腕を押さえて彼女が牙を剥く。

続いて剣を叩き付けた<首無し騎士(デュラハン)>のユイAもまた、胸に巨大な傷を入れてたたらを踏んだ。

彼女たちに先を越されて<武士の挑戦>を打つ暇がなかったエンクルマが、その彼女たちを交互に見る。


「ツヅケヨ。吾ヲ<破壊>セヌカ」

「……お前の技、わかったぞ」


傷が入ったままの鎧を手で支え。

二人の従者を助けて距離を置いたエンクルマの後ろから、クニヒコの疲れ果てた声が響いた。



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