20. <役割>
砕け散る壁。
崩れ落ちる床。
階下の食堂から呆然と自分を見上げる宿の主人。
母に咄嗟にしがみつく事もできず、目を見開く主人の娘。
その、目。
その瞬間、ユウは痛みを忘れた。
崩れる宿屋よりもすばやく、その両足が曲がる。撓められた足先すべてに力が宿る。
宙を舞う瓦礫を蹴り飛ばして急降下。
1秒にも満たない僅かな間に体をまわし、足先に伝わる衝撃を膝を曲げて逃がす。
ぐっ、と丸まった次の瞬間には、その腰は上がり、弾丸のように<暗殺者>は発射された。
「<アクセルファング>!」
ただの疾走では足りない。抜き手に武器代わりの板切れを持ち、<冒険者>は彼女にしかできない方法で、さして広くもない宿の食堂―そうなくなりつつある瓦礫の山―を一瞬で飛び越えた。
瓦礫が床に到達し、<大地人>を打ち倒すまであと4秒。いや、3.5秒。
板切れを持ったまま、竦む母子をユウは抱きしめ、
次の瞬間、腰を捻って真横に発射した。
ガシ、と爪先が土間を抉り、僅かに開いた弾道を正確にたどって母と娘が消える。
やや山形の弾道をたどった人影は、ごろごろと道に倒れこんだ。
腕は折れたかもしれないが、命に別状はないだろう。ユウは転瞬に満たない時間で考える。
残り2秒。
<冒険者>の肉体は、あり得べからざる反応速度に応えてくれた。
思念の速度そのままに、ユウの足が抉った土の欠片を踏み込み、再び加速する。
化鳥が飛ぶように、水平に飛んだ人影は、そのまま両足で中年男の体を抱え込んだ。
勢いを殺すことなく、片足が馬上槍そのままに脆くなった壁を吹き飛ばす。
残り1秒。
蹴りこんだ勢いのまま、ユウは自らも崩れ落ちる宿屋から脱出しようとした。
その瞬間、限りなく広がった彼女の知覚に、箪笥らしき木材が飛び込む。
それは奇妙に三角形を描いて仰向いた自らの目に映った。
直撃する。
その重量物がみずからの顔に激突するであろう事実を認識した瞬間、ユウは抱え込んだ宿屋の主人を放した。
いきなりの開放に無重力状態のように浮かんだ彼を、加減した力で蹴り飛ばす。
男も脱出できた。
あと0.3秒。
宿屋の主人を蹴ったことがブレーキとなり、ユウの体にある運動エネルギーがその方向を失う。
彼女は、顔面を直撃するであろう凶器が自らに当たる寸前、目を閉じた。
グジャッ
聞こえた音は、自らの顔面がつぶされた音だと、ユウは信じた。
1.
ロカントリのある地域には、一本の断層帯が広がっている。
約一万年に一度の確率で大地を割るそれは、既に人類種族がその存在を見失って久しい。
弧状列島ヤマトの住民は、自らの足元で静かに口を広げるそれを知らぬまま、時を過ごしてきた。
しかし一万年に一度とはいえ、それは消えたわけではなかった。
その日。
巨大な断層は、地面のいかなる変動によってか、突如牙を剥いたのだ。
人々が逃げ惑う。
かつての市域のごく一部、はるか古代の駅舎とも魔法施設ともいわれる遺跡を中心とし、
川が大きく屈曲するあたりにあったロカントリの村は、不幸にも爆発的な自然の猛威の真っ只中にあった。
なまじ今のヤマトが石造建築主体であったことが不幸に働いた。
朝であり、ほとんどの住民が村の中にいたことも不運だったろう。
結果、崩れ落ちる家々と飛び交う瓦礫は、食うや食わずで脱出する住民を襲い、
次々と瓦礫の中へ押し込め、また飛礫でその全身を砕いていく。
「地獄だ」
鎧も、装備も、テイルロードの人々の供養にと肌身離さず持っている肩掛けの遺品も瓦礫の下に置き忘れ、
ただ大剣一本をシャツに担いだ黒騎士が呆然とつぶやいた。
目の前で広がっているのは惨劇であった。
彼の視界の中で、多くの<大地人>が瞬く間にHPを真っ赤に染め、泡と化して消えていく。
視界すべてを覆う自然の災害の前に、数々の敵を打ち倒してきた剣も意味を成していなかった。
「……呆然としている場合か」
砕けた鼻から鼻血を出しながら、クニヒコに肩を借りたユウは正面を見つめた。
頭を砕かれる瞬間、横殴りの大剣の一撃が彼女を救ったのだ。
唯一、鼻を除いてであったが。
「この世界には警察も消防も自衛隊もいないんだぞ。俺たちで助けよう」
「そうだな。あいててて……」
後ろから現れたレディ・イースタルが、杖をつきながら同意する。
腰をひどく打ったのか、老婆のように腰を曲げたまま、彼女は片手に光を集めた。
「<ガイアビートヒーリング>!」
詠唱と同時に輝いた光が3人と、宿屋の主人をはじめ周囲を照らし出した。
「手分けをしよう。ユウ、お前は足が速い。ここから西岩国駅を目指して助けていってくれ。
クニヒコは家が比較的密集している川のほうへ。俺は錦帯橋方面に向かう。霊薬は?」
「取ってくる」
鼻が治ったユウがクニヒコから離れざま、垂直に飛び上がる。
数秒後、片膝をついて着地した彼女の手には3人の<ダザネックの魔法の鞄>があった。
「蘇生POTはユウとクニヒコが多めに持っていてくれ。クニヒコは装備を忘れるな。ユウは急いで頼む。
72時間の壁というが、この世界にろくな栄養はない。1時間でも子供や年よりは死にかねない」
矢継ぎ早に指示をするレディ・イースタルに、手早く装備を整え、剣をさした2人が頷いた瞬間、
ドォン、という音とともに再び地面が揺れた。
それまでの揺れを遥かに超える、まさに地面の爆発だ。
あちこちで大地が裂け、平地が衝立のように折り重なる。
常人では立っていることも難しい激震の中、レディ・イースタルはそれでも杖を振った。
「<ウィロースピリット>!」
突如周囲の木々から蔦が伸び、崩れかける家々に次々と緑が巻きつく。
やがて、蔦はしっかりと絡みつき、崩落を食い止めた。
「従者召喚!来い!グレイウルフ!」
続けて振り下ろした杖の先に黒点が生まれ、獰猛な表情の狼が唸りながら現れる。
「狼!俺と一緒に来て人を見つけたら救え!すぐにだ!」
そういって駆け出すレディ・イースタルの背が激震の中で奇妙に現実感なく揺れていた。
◇
「うおおおっ!」
<黒翼竜の大段平>がうずたかく積もった瓦礫を吹き飛ばす。
その下から、憔悴しきった顔の老婆が顔を出した。
すかさず駆け寄り、クニヒコは両手で周囲の土を掻き出すと勢いをつけて引っ張り上げる。
「あ……あ……」
「いいから婆さん、これ飲んで」
疲労と怪我でHPを真っ赤に染めた老婆の体がみるみる蘇生する。
<守護戦士>である彼のHPすら全回復する秘蔵の霊薬だ。瞬く間に老婆は生気を取り戻した。
「婆さん、広場へ逃げてくれ。次の地震が来るかもしれん」
そういって、逃げる老婆を見送った彼の耳に絶叫が入った。
「誰か、誰か!!赤ちゃんが!シオリが!家の中に!!」
「駄目だ、お前まで死ぬ!」
母親らしき女が半狂乱で叫び、後ろから必死で夫と子供が止めている。
「誰かぁっ!」
「待ってろ、絶対助けるからな!」
大規模戦闘の隅々に届く、クニヒコの轟吼が女に答え、
はっとして家族が振り向く横を、巨大な体躯が駆け抜けた。
もはや剣を振る間も惜しい。
「<オーラセイバー>!」
爆発したように引きちぎられた瓦礫の中を、クニヒコは駆ける。
「子供はどこにいた!」
「寝室です!奥の右手!」
もはや部屋の間取りなど確認しようもないが、それでも原形を残す壁の向こうに小さな手が見えた。
その手が、自ら切り裂いたテイルロードの小さな手と重なる。
「もう死なせん!もう!」
無心で引き上げた赤子のHPは既に0だった。
僅かに体が発光しつつある。人の寿命を終え、肉体が魂魄へと還っていくのだ。
赤ん坊は死んだ。瓦礫で頭を打ったのだろうか、奇妙なほど傷のない顔で。
だが。
クニヒコの目から涙が零れ落ちる。
こんな人生は許さない。
こんな死は許さない。
誰が許しても、自分だけは、自分と友人たちは。
「絶対に許さん!食らえ!」
バッグに手を入れ、<蘇生>の霊薬を引っ張り出すや否や、握力だけで口を砕き、
そして拳が赤子の動かぬ口に叩き込まれた。
一瞬。
光が止まる。
次の瞬間、赤子のHPがクニヒコの意地が引いたごとく青く染まった。
「クソが!次だ!次に死に掛けた奴は誰だ!!」
泣き声をあげる赤子、無事なわが子の姿に泣き崩れる母親を見ながら、
自分でもよくわからない怒りのままにクニヒコは雄叫びを上げた。
◇
黒い影が走る。
時折の余震に震える大地の中で、その影の速度はひと時も緩まない。
ユウが駆けているのは村の郊外にあたる地区だった。
現実世界では岩国山、こちらではロカントリの山と呼ばれる山のふもとだ。
地すべりが土砂崩れを呼んだのか、うず高く堆積した土砂でこの辺りの家々は軒並み埋もれている。
本来、彼女は<暗殺者>であり、大型の物体―土砂を消し飛ばすような技はない。
膂力も<大地人>から見れば絶大だが、<冒険者>の中では非力だ。
そして彼女のサブ職業は<毒使い>であり、この場においては何の意味もなさない。
それでも彼女は駆ける。
「誰かいないか!聞こえているなら返事しろ!助けるから!」
「……ぇ」
かすかな声がユウの耳に届いた。
その音を頼りに彼女は走る。
向かった先には、土砂に半分以上が崩された粗末な家があった。
「……けてくれ、たすけてくれ!」
「待ってろ!」
いうや否や、ユウは刀を抜き、既にどこが入り口かもわからない瓦礫の山に刃を突き立てた。
度重なる酷使に、刀が悲鳴を上げる。
それとも、殺し合いをしない持ち主に抗議をしたのか。
わからないまま、鋭い刃は次々と岩を斬り、やがてやわらかい土砂に行き当たった。
躊躇いなくユウはその土砂に手を突っ込む。
上半身を潜り込ませるように掘った両手が土に濡れ、爪がぽろりと剥がれ落ちた。
同じように手で掘ることを朝から何度繰り返しただろうか。
既に手のあちこちに傷を作り、顔も黒髪も乾いた泥と土でぼろぼろだった。
掘った先に汚れた手が見えた。
「ふんぬっ!」
声にそぐわぬ掛け声とともに、ユウに引っ張られ、若い男の顔が空気に触れる。
ふは、と息を吸うその顔に、ユウは息を切らせて尋ねた。
「この、家に、他の、住民は?」
「いない。俺だけだ」
「家族は?」
「親父は畑に出てた。おふくろはいない」
「わかった。もう出られるな?広場へ逃げろ、また地震が来るぞ」
「あ、ああ」
その手に霊薬を押し付け、ユウは身を翻した。
彼の父親は畑にいたという。周りに何もなければ無事かもしれないが、
土石流に飲まれた可能性もある。
「あ、おい!あんた、名前は!」
叫ぶ男の声も無視して、ユウは次の被害者を目指して走り去っていった。
◇
少年は薄れ行く意識の中で絶望していた。
何の変哲もない朝食の風景。視界が揺れ、暗闇に閉ざされたとき何が起きたのかわからなかった。
家が倒れたのだ、と気づいたのは、全身を土砂に埋め込まれた後だ。
どのような幸運か、わずかに口と鼻だけが小さな空間に面していたために彼は窒息を免れた。
どうしよう。
どうしよう。
父ちゃんと母ちゃんは。弟と兄貴は。兄嫁姉さんは。
小さい妹のタウリは。
家族の声はなく、そして骨を砕かれた激痛の中で、少年は気づいた。
死ぬのだと。
明日を見ることなく、見事に育った田圃の稲を刈り取ることもなく、友達に会うこともなく死ぬと。
神様。
神様。
どうかせめて、弟たちは生かしてください。
そしてせめて、苦しまずに死なせてください。
神様。
突如彼の鼻が空気が流れる臭いを感じた。
同時に感じる、強い獣の臭い。
父親に聞かされていた。森では、死ぬ間際の獲物を好んで食べる獣がいると。
腐っておらず、抵抗もできない動物はそうした生き物にとって最高の獲物なのだと。
いやだ。
ひどい。
苦しまずに死なせてと頼んだ次の瞬間、動物をよこすなんて。
食い殺されるのはきっと痛いだろう。
ユーララ様は本当は悪い神だ。
父ちゃんも母ちゃんもまじめに生きてきただけなのに。
「おい、大丈夫か?生きてるか!」
だが、待っていたのは牙による激痛ではなかった。
それこそ女神のような声が響く。
「……か」
「よし生きてるな!ちょっと痛いが我慢してくれよ!」
周囲の土砂が消えてゆく。鋭い爪を備えた狼の足が掻き出していくのだ。
やがて目を覆った土砂が晴れた。
かすむ目に最初に映ったのは、まばゆい輝きだった。
それが金髪だと思う間もなく、異なる光が彼の視界を包む。
「<ハートビートヒーリング>!」
あり得ない方向に折れ曲がっていた手足が伸びる。
痛みに消えかけていた意識が、活を入れられたようにはっきりとした。
機能を取り戻した目に、今まで見たことがないほど美しい顔が映った。
「大丈夫か?HPは回復したが、痛いところは?」
「え、あ、あ」
「ショック症状か?まあ仕方ないな。だが家族はどこだ?この奥か?」
間近にある美貌が尋ねる声を声と認識できないまま、それでも少年は機械的に頷いた。
揺れる睫毛の起こすかすかな風すら感じるほどの近くで少年は呆然と美女を見る。
その女性は、何かに頷く仕草をすると彼からすっと離れた。
「ああ、そっちか。狼。わかった。引き続き掘ってくれ。俺もやるから」
妙にぞんざいな口調のその女性を見て、思わず少年は呟いた。
「ユーララさま……」
「あ?神頼みか?元気が出たなら広場へ行けよ。家族は死んでも助けるからな。<ガイアビート・ヒーリング>!」
少年は美女の声の意味が理解できないまま、呆然とその場に座り込み続けた。
徐々に助かった、という気持ちが涙となって彼の目から零れ出す。
わあわあと泣く少年は、それから更に泣くこととなった。
変わり果てた姿で見つかった<母ちゃん>が、女性の「<ネイチャー・リバイブ>!」という声で
土気色の顔に再び生気を蘇らせたからだった。
2.
クニヒコとレディ・イースタルは合流し、川沿いを汗血馬で走っていた。
生き残った人々は村の広場に一塊になって集められている。
<ウィロースピリット>で周囲の草木が自然の防壁となり、重なる余震から人々を防ぎ抜いている上、
その場にはユウが残っていた。
身が軽い彼女であれば、倒れ掛かる瓦礫から人々を救うことは簡単だ。
結果、<守護戦士>と<森呪使い>、二人は肩を並べていた。
元の世界では川沿いまで住宅が密集していたが、この世界ではこの地域は田圃が広がる田園地帯である。
人の家はなく、朝から耕作をしていた人々は一足早く逃げてしまっていた。
津波を恐れたクニヒコがちらりと目をやるが、川は僅かに増水しているものの津波の兆候はない。
ほっと息をつき、その安心からクニヒコは口を開いた。
「そういえば、あんた生理は大丈夫か?」
「忘れてた」
狼を従えて駆ける彼女の答えは簡単だ。
「まあ、こんな状況じゃ仕方ないな」
「もう女になったとか、声が変わったとかそんなことはどうでもいい。
俺の力で助けるべき人を助けるだけだ」
「ああ」
強く頷くクニヒコの胸元でしゃら、とテイルロードの遺品が鳴る。
ユウが奇跡的に無事だったそれを、鞄と一緒に救出してくれたのだ。
「テイルロードは、二度と起こさせん」
「ああ。見ろ、もうすぐ錦帯橋だ」
二人は手綱を引き、屈曲する川の頂点を目にした。
村人に聞いたところでは、川向こうにも集落があり、数家族が住んでいるという。
二人は錦帯橋を抜け、その道まで向かうつもりだった。
しかし。
「あれ、見ろ。錦帯橋が……」
「なんてこった……」
呆然とした呟きが漏れるのを抑えられない。
かつて神代の時代、日本三名橋にも数えられた木製の優美なアーチ型の橋は
衝撃に耐え切れなかったのか、中央で真っ二つになって折れていた。
かつては洪水で消えた以外、度重なる地震にも耐え抜いた橋だったが
今回の衝撃には耐え切れなかったのだろう。
苔むした礎石から伸びる橋脚だけが、寂しげに午後の光に佇んでいる。
「どうする?」
「浅瀬を渡るしかないな……!!」
答えたレディ・イースタルの顔が不意に引き締まる。
即座に杖を抜き、ぶんと振りぬいたその半ばにガキ、と音を立てて短剣が突き立った。
「何だ!」
「何だとはご挨拶ですね、裏切り者」
クニヒコたちがやってきた下流側の反対。
上流から現れた6人の<冒険者>の先頭で、<盗剣士>が嫌らしく嗤った。
◇
「やっぱりグルでしたか。まあそんなことだと思いましたよ。思えばあのときのあなたのうろたえぶりは変でしたからね」
手にした別の短剣を弄びながら、〈Plant hwyaden〉の追っ手、コーラスは穏やかに言った。
しかし穏やかなのは口ぶりだけで、内心の激情が渦巻くように彼の全身から噴き零れているようだ。
その後ろでは、テイルロードで彼と一緒だった<妖術師>のサルマのほか、いずれも〈Plant hwyaden〉のギルドタグをステータス画面に貼り付けた<冒険者>たちが無表情に二人を見ている。
その中に、かつて<グレンディット・リゾネス>でレディ・イースタルの片腕だったユーリアスの姿が見えたが、彼もまた、知らない何かを眺めるような目で、冷然とかつてのギルドマスターとその友人を見据えていた。
「ようやっと見つけました。そこのユーリアスさんの言うことを真に受けて明後日の方向を探していましたんでね」
「そんなことを言っている場合か!状況はわかってるのか!?」
クニヒコの叫びにも彼は余裕の笑みを崩さない。
「もちろん分かっていますよ。地震が起きたんですよね。
どうでもいいじゃないですか。どうせ私たちは地震ごときじゃ死にませんよ」
「<大地人>は死んでるんだぞ、馬鹿やろう!」
レディ・イースタルが激情に駆られて叫ぶが、その内容よりも声そのものに、コーラスは目を瞬かせた。
「おや、あなたも随分きれいな声になったじゃないですか。
〈|Planthwyaden〉でも結構な人数、いますがね。やっぱり名実ともに女性になったんですか。
これはちょうどいい。
いくら色事と飯にしか興味のない貴族どもといえ、その声ならいちころですからね」
「バカガキ、状況が分かって抜かしてんのか!」
「状況を分かってないのはそっちだ!!」
突然コーラスの顔が荒々しく変わった。
同時に投げられた短剣を、今度はクニヒコが弾き落とす。
「いいか!お前らは我ら〈Plant hwyaden〉のお尋ね者だ!今ここで降伏してミナミへ連れ戻されるか、ぶち殺されて<大神殿>に戻るか、二つに一つ!!
ぐだぐだふざけたことを抜かさずさっさと選べ!」
「コーラス。俺たちの今回の任務は地震の被害状況の調査だ。生き残った住民の救助と、情報の採取も含まれる。今はこいつらを追う時ではない」
後ろからかつての上司を見つめていたユーリアスが口を挟むが、
コーラスは大きく振り向くとその彼に指を突きつけた。
「黙ってろ、裏切り者が!お前も同罪だ!信じて尊敬していた気持ちを踏みにじりやがって!
いいか、ミナミに帰れば貴様も査問行きだからな!覚悟しておけ!」
黙った同僚にふん、と鼻を鳴らすと、コーラスは再び2人に向き直った。
「で?今度の答えを聞いていませんがね?さっさと決めてくださいよ。もうレディ・イースタルの自由意志はないですから」
「貴様!!」
蛇のようなぬめる視線を友人に向けられたクニヒコが、思わず汗血馬を煽って前に出る。
その姿にコーラスは嘲笑を向けた。
「今度は赤馬の騎士様気取りか、元<黒剣騎士団>。
いいだろうよ。さっさと殺してアキバに叩き帰してやるから、元のお仲間に慰めてもらいな」
「下衆野郎が……」
クニヒコが馬上で<黒翼竜の大段平>を構え、徒歩のコーラスも精緻な彫刻の入った細剣を抜いた。
テイルロードではついに見せなかったが、これが彼の本来の主力武器なのだろう。
少なくとも<秘宝級>であろうそれは、主の顔を奇妙に細長く写した。
「コーラス!」
「黙れ!」
再度のユーリアスの制止を振り切り、彼が大地を蹴ろうとした瞬間。
「<ライトニングチャンバー>」
響き渡った声とともに、<盗剣士>の姿が雷鳴の中に掻き消えた。
「な!?」
呆然とする2人の前で、まるで事前に練習でもしていたかのように、コーラス以外の5人が仲間の肉体に刃をつきたてていく。
武器攻撃職に過ぎない彼がいきなりの波状攻撃に耐えられるはずもない。
「なんで」
一言だけを残し、力なく倒れた彼の肉体が掻き消えるのを見ながら、クニヒコは呻いた。
「どういうことだ。お前ら。何で仲間を殺す」
「命令違反だからです」
聞こえるはずもないであろう、その声にこたえたのはサルマだった。
あくまで冷静な視線を崩さないまま、数式を説明する数学者のように淡々と彼女は告げた。
「私たちの任務は、ユーリアス卿が言ったとおり地震の調査です。あなた方の捕縛ではない。
よって、あなた方と戦端を開くコーラスの行為は重大な任務の過誤につながると判断しました。
これはユーリアス卿が<第三席>ゼルデュス卿に確認し、承認を得た行為です」
ユーリアスが軽く頷く。
彼は黙ったように見せながら、密かに念話でミナミにいる〈Plant hwyaden〉の重鎮、ゼルデュスに連絡を取っていたのだ。
そして躊躇いもなく味方を後ろから撃った。
自分たちが助かったにもかかわらず、その無情ともいえる行為にレディ・イースタルは思わず身震いした。
「ユーリアス……お前……」
「あなた方が我々〈Plant hwyaden〉の追うべき対象であることは変わりありません。
単に今回は任務の優先度が違っただけです。
次に会えばレディ・イースタル。あなたを守るものは何もないとお考えください」
「……そうかよ」
表情も変えずに言うユーリアスに、何を思ったかレディ・イースタルは身を翻した。
そのまま告げる。
「広場に行け。村人の生き残りがいる。お前らも日本人なら、災害にあったときどうすべきかは分かっているだろう。
〈Plant hwyaden〉がどうのこうのとは言わん。連中を助けてやってくれ」
「調査の範囲内であれば」
サルマの返事を聞く前に、レディ・イースタルは川岸に降り、狼とともに渡り始める。
それを見たクニヒコも馬を彼女の背中に向けた。
そのまま言う。
「ユーリアス。それにお前ら。感謝する」
「……」
去っていく二騎を見ながら、ユーリアスはいつの間にか取り出したリュートを一節、爪弾いた。
轟々と燃える村を背景に、その音は仲間の耳にだけ届き、消えていった。
◇
夜である。
〈Plant hwyaden〉の<召喚術師>が呼び出したサラマンダーによってつけられた炎は、
家々の残骸で作られた薪に火をつけ、轟々と音を立てて燃えていた。
結局、ユウたち、そして救助に加わったサルマたち〈Plant hwyaden〉の努力もむなしく
多くの村人が大地の闇へと消えていった。
今は、明かりすらない闇の中にある廃墟のどこかに、彼らは眠っている。
生き残った<大地人>たちは泣き叫ぶだけの元気もなく、呆然と炎の周りに座っていた。
周囲は、いわば巨大な墓標だった。
彼らの村と、親しい人々たちの。
家族、あるいは知り合い同士で肩を寄せ合う<大地人>たちに突然リュートの音色が響く。
村を失った悲しみを表すことすら出来ないまま、座り込んでいた人々は呆然とリュートを爪弾く一人の<冒険者>の姿を見つめた。
やがて、<冒険者>は静かに歌いだした。
地球ではそれなりに知られた、物悲しいがどこか爽やかさを秘めた曲だった。
親しい人の死を悼む歌だ。
意味が分からないままに、<大地人>のあちこちからすすり泣きが漏れる。
それは瞬く間に広がり、広間には泣き声が満ちていた。
ゆっくりとしたリュートの伴奏は、生者だけでなく、死者をも慰めるように、広く、静かにロカントリに響いていく。
いつの間にか、いくつかの声がユーリアスの声に合わさっていた。
サルマが膝を抱えたまま、口を少しだけ開いて歌っていた。
泣きながら唱和する〈Plant hwyaden〉の召喚術師の顔を、彼に呼び出されたサラマンダーが不思議そうに見つめている。
嗚咽で途切れがちな声で、クニヒコが合唱していた。
地声の大きい彼は、はっきり言えば演奏の邪魔だったが、周囲の誰も、肩から外した変な装身具を抱きしめて野獣じみた泣き声をあげる彼を止めようとはしなかった。
輪から離れた片隅に隠れるように、ユウとレディ・イースタルは並んで座っていた。
「また、助けられなかった」
絶望的な声で嗚咽する彼女の背中をユウがぽんぽんと叩く。
「この人々も、川向こうにいた連中も助けられたじゃないか。
前と違ってお前さんは最善を尽くせたよ」
「だが、俺のMPがもう少し残っていれば、<ネイチャー・リバイブ>の再使用規制時間をもう少しシビアに考えられていれば。<蘇生>の霊薬をもう少し持っていれば。
助けられた命があったのに、俺は……」
ユウは空を見上げた。
満月だ。さっきまでは血のように赤かったそれは、今は見事な白金色で東の空へ輝いている。
「なあ。何で私たちは<冒険者>になったんだと思う?」
「あ?何だよやぶから棒に」
涙声で聞き返すレディ・イースタルに直接答えず、ユウは月を見つめ続けた。
おそらくは自分たちがかつて見上げた月と同じであろう光を。
「私たちはさ。たぶんこういう時のためにこの力をどっかから手に入れたのさ」
「……」
「死ねない、痛みも疲れもない、記憶も声も何もかも失っちゃいるけどな。
考えてみろよ。お前の<ガイアビート・ヒーリング>も、呼び出した狼も、私のスピードも、クニヒコの膂力も。
〈Plant hwyaden〉の連中だってそうだ。
そして今、ユーリアスはその歌でみんなを慰めている」
「……」
「対人屋だった私が言うのもなんだがね。
<冒険者>ってのは殺したり殺されたりするにも便利だが、こういうときにも便利だと思うよ。
現実世界じゃ何万人もの自衛隊や警察や消防、ボランティアや米軍、いろんな人々が命を賭けてする救出を、死ぬことも大怪我することもなく出来るんだからな。
まあ、姿かたちも声もお互い色気づいたが、結果的にそれがこの町の少なくない人々を助けることになった。
よかったんだよ」
「そうか……そうかもな」
レディ・イースタルも見上げる。
広場では、ユーリアスが次の曲を歌い始めたようだ。
先ほどまでの哀切に満ちた歌ではなく、彼らの時代よりかなり前のヒット・チャートだった。
「上を向いて歩こう、とはいい歌作るよな、日本人も」
「ああ」
音が流れていく。
ユウたちはいつしか互いに折り重なるように眠るまで、月を見上げ続けていた。
これだけは書きたかった。
文章力のなさが、恨めしく感じます。
そして岩国市のかたがた、ごめんなさい。




