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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
240/245

182. <書き換えるモノ>

1.



 ユウとトーマスは、同時に地面を蹴り飛ばした。


「「<アクセル・ファング>!」」


まったく同時に特技が発動し、互いの刃がきしみ合う。

交差は一瞬。 逆手から切り上げるユウの一撃を、トーマスは膂力に任せてなぎ払った。

一瞬後、互いのつま先が地面を削る。

足指の力だけで勢いを殺し、振り向いた二人が刀を振ったのはまたも同時だ。


「「<ガストステップ>」」


数メートルはあった距離を文字通り瞬時に詰め、ユウは横薙ぎ、トーマスは突きの形だ。

ぎゃりぎゃりと刃先が互いを削る不快な音が響く。

だが、それもまた一瞬だ。

ユウとトーマスは再び離れ、互いの隙を伺うように目を見開いた。



 あまりの破損のため、突き刺すようにしてしか使えない<毒薙>は『見せ』だ。

これまでしてきたような、二刀で暴れ狂うような戦いは、もうできない。

加えて、もう一本の<風切丸>も限界だった。

加えてトーマスはきわめて厄介な敵だった。


「ええい!!」


 ユウは一気に間合いを詰めた。

一投足の距離にやや足りないところで、腰から一条の光が飛ぶ。

刀すら見せかけとした、ユウの必殺の毒が込められたナイフだ。

だが、ほとんど刹那の時間しか与えられなかったにもかかわらず、顔をそらしたトーマスの横をむなしく光が駆けすぎる。

代わりに振るわれたのは投擲後の腕を狙った、トーマスの刀だ。

彼がユウを殺さないというのは真実だろう。 だがそれは五体満足のまま残すことを意味しない。

すんでのところで切断の運命から腕をかわすと、ユウは足を振り回した。

トーマスの足が迎撃し、互いの骨から痛みと異音が響く。


 互いに、速すぎる。

<冒険者>の、特にステータスのどれかに大きく成長ソースを振った<冒険者>の能力は常人はおろか、他の<冒険者>と比べてもさらに遥か上を行く。

ユウ自身、相手を力ずくでねじ伏せたことは幾度もあるが、ユウが両手の全力で行うことを、例えば筋力の高い<守護戦士>や<武闘家>は片手で行う。

同じことが、ユウとトーマスの場合は敏捷性という能力の面で言えた。

全力を出した二人のスピードに、動体視力と肉体の反射速度が追いつかないのだ。

たとえて言えば、現代の戦闘機同士の近接戦闘(ドッグファイト)のようなもの。

交差する一瞬で仕留めなければ、終わらない。


「これは困ったな……っと!」


互いに打つ手が少なすぎる状況に、言葉を発しようとしたトーマスの刀が慌てて跳ね上げられた。

表情を変えないまま、奇襲を防がれたユウにトーマスの肘が振るわれる。

ユウは頬骨ぎりぎりでそれを避けると、崩れた体勢を利用して一気に足を地面すれすれに振った。

足払いだ。

それを一瞬足を上げて避け、トーマスがユウの腰骨を狙った蹴りを出す。

足の動きの起点になる腰を砕けば、一気に有利になると踏んでだ。


だが、その足に向けられたのはナイフ。

奇襲に、トーマスはそれでもかろうじて反応してみせた。


「……っぐ!」


筋肉の動きと体のバランスで強引に軌道を変えた足はユウの腰ではなく、鳩尾やや右に突き刺さる。

激痛に眉を潜めつつ、ユウもまた<風切丸>で敵の首筋を浅く切り裂いた。

ひゅぱ、という音とともに血飛沫が上がる。

だが、量が少ない。 動脈を切るには至らない。


 トーマスはバックステップで、ユウは側転するように三度(みたび)距離を取り、二人の<暗殺者>は息を喘がせた。


「…………」


 ユウをにらむトーマスの眼は昏い。

発言を暴力で邪魔されたことにカチンと来たのか、開きかけた唇を引き結び刀を胸の前に引き付ける。

ハリウッド俳優がよくやる片手剣の構えに近いが、隙の無さは流石に<冒険者>だ。

本来、この構えは攻めより守りに強い。

彼はユウを嵩にかかって攻めるのではなく、相手の攻めを迎撃する戦術にシフトしたといえる。


(……まずったな)


ともすれば明後日の方向に行こうとする意識を目の前の戦闘に集中させながら、ユウは内心で舌を巻いた。

トーマスの顔から油断が消えたのだ。

もともと、ユウの見たところでは彼はこの戦いに決して集中していたわけではなかった。

彼自身がいみじくも言ったとおり、この戦いは彼にとっては『訓練』だ。

ほかに意味があるとすれば――逃げ散った部下へのアピールだろうか。

その為にも手負いの侵入者をあっさり撃退して見せようとした、その見栄が消えた。


 ユウとしては、あえてトーマスに喋らせ、隙をついて倒してもよかった。

それをやめ、彼の口を強襲で封じたのは、ひとえにその勝ち方をしたくなかったからだ。

ユウもまた、見栄を張っていたといえる。

『自分の最後の戦いを、つまらぬ勝ちで汚したくない』という見栄だ。

それがどこか戦闘に上の空だったトーマスを本気にさせるとわかってなお、そうしたのだ。

だが直前の自分が下したその判断を、早くもユウは後悔しはじめていた。


 相手は自分に迫る速度の<暗殺者>で、しかも部下と<装置>を後ろに控えさせ。

それ以外にもどんな手札を切ってくるかわからない。

そんな相手に勝ち方を選ぶほど、自分に余裕があるわけではないのに!


「……きさ」


 今度はユウが発言を留められる番だった。

パチン。

トーマスがいきなり、刀を持っていない方の指を鳴らした音だ。


「!!」


 ユウは、膝が落ちかけるのをかろうじて堪えた。

それまで出番を弁えた交響楽団(オーケストラ)のように退いていた『音』が蘇る。


「……<装置>……っ!」


 ただの箱にしか見えない、台車に乗った奇妙な物体。

それは主人に忠実な従者のように、トーマスの後ろで不気味な楽を響かせる。

音がユウの意思を砕き、肉体は本人の意欲と関係なく全身を脱力感で満たしていく。


ついにユウが膝をついた。

跪拝するようなユウを見下ろすトーマスは、あからさまな隙にも攻撃をかけようとはしなかった。


「プランBだ」


指を二本立てた<教団>の幹部が言う。


「プランA。僕自身が君を殺す。 この世界にはフィットネスジムもないからな。軽い運動のつもりだったが、生憎君はまだ余計な力を残しているようだ。

だからプランB。 君は<装置>に屈する。 楽だし、どっちみち<装置(これ)>を作ったのは僕だ。

僕が君を倒したことには変わりない」

「フン」

「生憎だけど」


 トーマスはしかめた顔を微かに緩めて言った。


「一応素材は厳選しててね。 単なる設置物(オブジェクト)ではあるが、簡単には壊せないよ。

嘘だと思うならやってみるといい。 君のステータスが無意味なものになる前に」


 ユウはその声も聞き取れなかった。

脳裏に騒音(ノイズ)が走る。

レベルが落ちていく。 94……93……92。

覚えたはずの特技が薄れていく。 <シェイクオフ>、<ラピッドショット>……<アサシネイト>。


<暗殺者>としての奥義も忘れさせられ、ユウは今度こそ突っ伏した。

背を丸め、頭を抱えて痙攣する彼女に、トーマスが嘲った口調で付け加える。


「言っておくけど。 実態以上に苦しいふりをしておびき寄せようとしても無駄だ。

今まで君が戦ってきた敵には、こういう時に前に出るようなバカもいたんだろうがね。

僕はただ待っているだけで、君を沈めることができる。

君のレベルが10くらいになったら相手してやろう、ユウ」


(……だ、め、か)


おびき寄せる策も見透かされている。

時間は今、自分の敵だ。

レベルまで彼を下回り、特技も――<ヴェノムストライク>すらも使えなくなったら、もはや為す術はない。


 ユウは腹を括った。



2.


 人気のない広場は、ゆっくりと朝から昼へと向かおうとしている。

<聖域>の郊外からは徐々に喧騒が近づいてきていた。

この広間に<不正規艦隊>が来るのも遠いことではないだろう。


と同時に、この広場の周辺から、怯えたような息遣いが聞こえる。

九分九厘、トーマスの部下だ。

ユウに蹴散らされて逃げ出し、さりとて主将を残して撤退もままならず、監視しているというところか。

トーマスの援護に入らないのは、彼の『訓練』の邪魔をしないようにしているのと――


(おそらくは<装置>があるからだ)


つまり、彼らはユウが身をひるがえし、逃亡にかかるのを阻止すればいい。

個々の戦闘能力ではユウに劣る彼らも、数を頼めば捕獲あるいは殺害は可能とみているのだろう。


(なら、そいつらを利用してやる)


最も近い息遣いは。

響く低温の中、ユウはゆっくりと身を起こした。

トーマスの刀がぴくりと震える。

いまだユウは戦闘能力を失っていない。 攻め込むべきか、あるいは虚偽(ブラフ)と断じて堅守の姿勢を崩さぬべきか。

トーマスが一瞬考えた間に、ユウは大地を蹴っていた。


 頭を極端に低くした姿勢で、ユウが疾走する。

向かう先はトーマス……だが、彼の一跳躍の間合いに入る直前で、ユウは急激に向きを変えた。


「!!」


(ユウ)の狙いは自分か、<装置>か。

つま先の向きに戸惑ったトーマスが我に返った時には、すでにユウは目標のすぐ近くにいた。

広場を取り巻くいくつかの建物。

その一つ、納屋の木製の壁が、彼女の爆薬で粉砕される。

濛々と上がった白煙の後ろからユウは、一人の<教団>員を担いでいた。

消防員の背負い(ファイアーマンズキャリー)と呼ばれる、両肩で相手を横抱きに担ぐような抱え方だ。

瞬時に何をされたのか、動かないその男の口に何かを流し込むと、ユウは男を担いだまま走り出した。


「人質のつもりか!」


呆気にとられていたトーマスが大地を踏みしめる。

ただでさえ彼の速度はユウと互角、完全武装の<冒険者>を背負った彼女と比べれば明らかに勝る。

しかも両手で担いでいるためにユウの手は空いていない。

刀も両腰に提げたままだ。

そらしたユウの胸に刀を突きこむべく、トーマスが走る。


あまりに不利な体勢。

その光景に、トーマスはついに欲が出た。


部下を助けて敵を倒す(・・・・・・・・・・)

ただ倒すだけであれば<装置>に任せられるが、こんな誂えたような場面だ。

顔と名前すら覚えていないような下っ端でも、助ければ彼の名声は高まる。

畏怖だけでなく敬意と崇拝もまた、勝ち取れるかもしれないのだ。

トーマスは欣喜雀躍した。

そう仕向けられた仕掛け人を、目の前にしていたにもかかわらず。


「貰った!!」


トーマスが加速する。 <ガストステップ>だ。

突き出された刀が、がちりという音を一瞬立て、直後にずぶりと肉の中に沈んでいく。

元の世界で出会っていれば、刃物を向けるなど思いもしない豊かな胸を、豆腐のように彼の刀が切り裂いていく。

HPが加速をつけて減っていき、ユウが美麗な唇から血を吐いた。


だが。


「っでぇい!!」


 女声の叫びの直後、固いものがトーマスの頭蓋を直撃する。

それが、ユウが振り回した部下の頭であると気づいた時には、既に目に火花が散っていた。

もとより頭蓋骨とは硬いものだ。

気絶や目に見えるダメージこそなかったが、トーマスの目がほんのわずか、眩んだ。

そしてそれだけでユウには十分だった。


一挙手一投足の間合いでトーマスが止まる。

それだけで良かったのだ。


 トーマスは、不意に奇妙な感触を感じた。

自分の頬をすべすべした何かが撫でる感触だ。

顎から頬、眦に向かうその感触はあまりにも嫋やかで、場違いだった。

その手――それはトーマスにはあまり覚えはなかったが、間違いなく女の手だった――が目に届いた瞬間、指がやさしく曲げられる。

そして。


「っ、ぐあっっ!!」


トーマスの片目が激痛に襲われた。

ぶちゅり、と優しくすらある手つきで、眼球が潰されたのだ。

反撃より先に彼の手がなおも眼底を抉ろうとする指を払い、目を押さえようとする。

弱点たる脳と感覚器官を守ろうとする、人間としての反射だ。

その光景を土煙の中に見て、ユウがわずかに口元を上げる。


ユウの出会ってきた敵であれば。

目を潰されても躊躇わず反撃を行ったろう。

トーマスによく似ていた敵――速度を誇る、ユウ自身の<鏡像(ドッペルゲンガー)>などであれば。

だが、トーマスは無意識に攻めより守りを重視した。

それが敗北への道だと、気づくより先に。


払われたユウの指が自然に流れ、ギュッと閉じられたもう一つの瞼を開ける。

敵の目の前で目を閉じる。

それは残された目を守る当然の対応だったかもしれないが、あまりに短慮でありすぎた。

だから。


「うああ、っがあああ!!」


残された目も容赦なく引き摺り出され、トーマスが叫ぶ。

だらりと下がった眼球の、それでも本体とつながった視神経を爪で引きちぎって、ユウはお返しとばかりに彼の股間に膝を叩きつけた。

目潰しに、金的。

HPの有無にかかわらず、容赦ない連撃でトーマスが頽れる。

まだ周囲の部下たちは主将の異変に気が付いていない。

悲鳴から何かが起きたことは察しているものの、それがなんだとは理解していないのだ。

それほどに、短時間での出来事だった。


 ユウは収まりつつある煙の中から飛び出した。

敵が無事で、しかも仲間の<冒険者>を抱えているとあって、部下たちがあちこちから立ち上がる。

その数は、ユウが把握していた数よりもはるかに多い。

真正面から突破しようとすれば、数で押しつぶされるだろう。


ユウは、男一人を抱え上げているとは思えない軽やかな足取りで地を駆ける。


「なんだ!?」

「トーマス先生は!?」

「<福音装置>を守れ!」


混乱しながらも弓や呪文の狙いをつける<冒険者>たちをせせら笑うように彼女は<装置>の前にたどり着くと、風を切る音が響くほどの勢いで、担いでいた男を投げた。

同時に、男の体がぶくぶくと膨れ上がっていき。


爆発する。


 一瞬で<装置>が台車ごと吹き飛ぶ。

がらがらと地面を箱が転がりまわり、ユウを襲っていた耳鳴りが不意に止んだ。

音が止まったのだ。


「な……アルフが!?」

「爆発……した!」


 ユウの周囲の男たちが、目の前の異様な光景に思わず息をのむ。

その隙に、ユウは一足飛びに手近な屋根に駆け上がった。

呆然と見ていた<付与術師(エンチャンター)>らしきローブの男を蹴り倒し、手元のナイフでその喉を掻き切る。

ひゅう、と笛のような音が響く合間にも、周囲の馬車や水瓶を破壊しながら<装置>は転がりまわり――あちこちに傷を受けた無残な姿で、ドォン、という音を立てて横倒しに転がった。

その頃には、トーマスの無残な姿をも、部下たちは目にしている。

抉られ赤い穴と化した目を押さえ、血尿を流す股間に染みを作りながら痛みにのた打ち回る『先生』の姿に、部下たちは大なり小なり呆然としていた。


「か……回復を!」

「させない」


<癒し手(メディウム)>の眼をナイフで一文字に抉り斬り、続いてそばにいた弓使いらしき男の弦を切る。

残った腕に握られた刺突針(スティレット)が正面から男の鼻を貫き、血と鼻水を噴き上げた。

状況は混乱し、士気は崩壊の一歩手前だ。

そうなれば、周囲から鳴り響く戦闘音楽も、彼らを浮足立たせる伴奏曲に過ぎない。

ことこうなれば、ユウの慣れ親しんだ戦場でもある。

相手の混乱を突き、恐慌に陥れてその間に叩き潰す。

アキバや華国でしてきたことの単純な応用動作だ。

全員のHPを削る必要はない。

目を失えば人は狙いをつけられない。

手指を落とせば人は武器を握れない。

喉を斬れば人は呼吸することはできない……。

そして毒を用いれば、精密な攻撃すら必要ないのだ。


傍目には無造作に見えるほどに殺戮を繰り返しながらも、ユウは一方で<装置>をじっと注視していた。

あの奇妙な箱が、ユウを窮地に陥らせたことは疑問の余地がない。

あれが破壊されず、<不正規艦隊>に向けられればどうであろう。

<教団>側の頽勢を一気に覆すことすら、不可能ではない。


「ば、化け物(モンスター)……」

「ご名答」


 ユウは、怯えたように呟いたまだ若い<守護戦士>の目に向かってそう答えると、躊躇いなくその目を切り裂いた。



 ◇



 なぜ、<冒険者>が爆発したのか。

種を明かせば何のことはない、毒だった。

ただ、その中身は尋常なものではない。

<サンガニカ・クァラ>と古代アルヴの地下都市で採取した素材による毒だ。

氷山に咲く<幻惑草の種>、そして<アルヴの呪詛>と呼ばれる寄生植物のまだ生きている茎。

それに<酸素喰い>を混ぜ、既存の爆薬と合わせたものだ。

無数の試行錯誤を経て英国で完成したその毒は、飲んだものにいくつかの状態異常効果(バッドステータス)を引き起こす。

幻惑。麻痺。窒息。そして<寄生>。

<寄生>とはその名の通り、寄生することで相手の行動を意のままに操る効果だ。

ゲーム時代は単に一定時間、<冒険者(アバター)>がプレイヤーの操作を受け付けなくなるというだけの効果だったのだが――この世界においては文字通り傀儡となる。

最初に麻痺毒をナイフで打ち込み、動けなくなった相手にユウはそれを流し込んだのだった。


ユウの悪辣な点は、それを爆薬と混ぜたということだった。

単に操るだけでは、大した効果は望めない。

特技も使えないし、本来の体の切れを十分に生かすこともできないからだ。

だが、『意のままに操る』上に、それが爆薬ならば。


ユウが作り上げたのは、いわば人を生きたまま爆弾にする、人間爆弾とも呼ぶべき毒なのだった。


「お前がいいな」

「!! ……ひぃっ!!」


ユウは仲間に治癒をかけようとする一人の女性<森呪使い(ドルイド)>を見た。

それだけで、彼女の呪文が止まり、口から悲鳴が溢れ出る。

腰の抜けたらしい彼女にユウはつかつかと歩み寄ると、むしろ優しいとすらいえる手つきで彼女の顎を持ち上げた。

場所と時間と、ついでにユウの性別が違っていれば、その<森呪使い>は恐怖ではなく、期待と歓喜を表情に表わしていたかもしれない。

だが、ユウの手はそんなものを一顧だにせず、ガチガチと歯を噛み鳴らす彼女の前に瓶を出し、命じた。


「口を開けろ」


その声に、<森呪使い>の顔が絶望に染まる。

わずか一瞬に満たぬ間、かすかに口を緩めたその女性に、ユウは躊躇いなく同じ毒を流し込んだ。


「……っひ!?」


悲鳴を上げかける姿のまま、その全身が凍りつく。

周囲の仲間たちは彼女を助ける余裕がない。

トーマスがユウの逃亡を警戒して、部下を分散配置させていたことがここでも仇になったのだ。


二つ目の爆薬と化したその<森呪使い>を、ユウは無造作に屋根から蹴り落とす。

その先にあるのは、ぶすぶすと炎と奇妙な燐光を上げる、<装置>。

哀れな<森呪使い>は、その<装置>にぶつかる直前に光を放ち――再び周囲に爆音が轟いた。



 そして、砂塵が晴れてのち。

そこには、歪んだ上部構造をほとんど吹き飛ばされ、中を露わにした<装置>があった。




3.



「……人……?」


 誰かが呟く。

ユウも内心で同じことを考えていた。


<装置>と呼ばれた箱の中にあったのは、ユウが予想したような無数の機械や魔法動力の集合体ではなかった。

だらだらと流れる不可思議な黒い液体の中に浸されていたのは、筋骨逞しい一人の男だ。

鎧などはなく、半裸に近い格好の耳にはヘッドホンのような分厚い機材を当て、口は地球における手術の際に患者が付ける人工呼吸器のようなもので覆われている。

腕には注射器の怪物のようなものを刺し、何かの液体が絶えず流し込まれていた。

その液体の色を見てユウは察する。


(あれは……毒か)


おそらくは麻痺か、あるいは生命維持だ。

周囲を黒い水に包まれている中で長時間生命を生かそうと思えば、何らかの形で酸素と栄養を与えなくては話にならない。


あまりに異様な正体に、悶絶し続けるトーマスを除いた敵味方は声もない。

何より、ユウは男の顔に見覚えがあった。

今は立場上敵同士だが、一度は共闘し、そして<教団>に取り込まれる可能性があった彼女を逃がしてくれた男。

ユウの記憶のままならば、こんな場所にいるはずでない男。

地上で、棺桶の中の湿性ミイラのような姿をさらすのではなく、海原の上で船を駆っているはずの男。


スワロウテイルだった。



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