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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
幕間 <典災>
182/245

131. <修道神殿>

1.


 修道神殿とは、なんであろうか。

あくまでゲーム、<エルダー・テイル>の仮想世界だったセルデシアが、現実の宗教間の争いに対して、きわめてナーバスになっていたのは、周知のとおりだ。

その姿勢は、少なからぬユダヤ系プレイヤー――アメリカを始め、各地の経済界に強い影響力を持つ富豪とその子弟たち――の反発にも負けず、現実ではイスラエルという名前を持つ一地域を、まったくの空白地帯として設定したことにも伺える。

キリスト教、イスラーム、仏教(ブディズム)、その他各国の様々な宗教。

現実の地球をモチーフにした世界を構築するに当たり、彼らはそうした要素を可能な限り排除した。


 とはいえ、宗教というのは人の歴史、精神世界と不可分の要素のひとつだ。

まして、中世的ファンタジーをモチーフとするのであれば、中世的な価値観しかもっていないであろうNPC(じゅうみん)たちに、現代人たるプレイヤーが引かない程度のモラルを構築させる必要がある。

アタルヴァ社が、『ウェニア』、『ユーララ』といった神々を設定したのは、そうした理由が主だった。


 そして恣意的な理由によって作り上げられた神々とはいえ、仮想世界(セルデシア)が現実となった大地においては、彼女たちは紛れもなく神だ。

神々の信奉者たちは教団を作り、神殿を立て、教勢を盛んにし、特に既存のキリスト教をモチーフにした西欧・北欧サーバにおいては、無視できない力を蓄えていた。

そうした彼らセルデシアの神々の信徒たちの作り上げた組織のひとつに、修道神殿がある。

そこは、現実の世界で言う修道院に、そのありようは極めて近い。

通常の神殿とは異なり在家の信徒を持たず、そこに暮らす司祭や神官たちは、俗世間とはなれた場所で、瞑想と思索、労働と聖務の日々を送るのだ。

たとえば、宗教色の薄いヤマトサーバで<ミラルレイクの賢者>がやっていたようなことを、

彼らは西欧サーバでしているのだった。


だが当然ながら、いかにファンタジー世界といえども、それだけで食っていけるほど世の中甘くはない。

彼らが行った仕事、それが、持っている知識や平穏な生活をサービスとして他者に提供すること、

つまりは、貴族の子弟を預かり、教育を施す教育機関としての役割だった。


 ◇


「お疲れだったでしょう」


 エリシールを預ける修道神殿にたどり着いた翌日、ふかふかのベッドでゆっくりと眠ったユウたちは、そう言う神殿長とともに朝食を取っていた。

野草のサラダ、白いパン、焼いた雉肉、干した魚など、贅沢ではないが心づくしの料理だ。

疲れが出たらしいエリシールは、今は再び熱を出し、神殿の一室で眠っている。

3人の<冒険者>にとっては、不謹慎だがむしろ願ったりかなったりだった。

なまじ顔を合わせれば、お互い別れがつらくなるに決まっているのだ。


「このあたりに<冒険者>様が多く訪れられたのは、7代前の神殿長の時代、100年以上前と聞き及んでおります。

遠くから、ようこそいらっしゃった。これもユーララのお導きでありましょう」


見たところ40代前後か、地位の割には若そうな神殿長は、そういって敬虔に両手を組んだ。

彼は長い銀髪をしているが、白髪なのではなく元からその色の髪のようだった。

とらえどころの無い人物だ。

精力的な印象を与えるが、どこか謎めいた笑みをたたえている。


そんな彼につられ、3人も思い思いに神への敬意を表した。

彼ら3人は、いずれも宗教という精神世界からは遠いところにある者たちばかりだ。

セルデシアの神々が、単なる世界の香り付け(フレーバー)でしかないことも重々分かっている。

それでもここは神殿であり、目の前の男は神殿を率いる男なのだった。


「エリシール・ダンバトンの件、なにとぞよろしくお願いします」


エルの言葉に、神殿長は重々しく頷いて答えた。

その豪奢な神官服の裏側に縫い付けられたポケットに、小さな羊皮紙が丸まって入っている。

エリシールの父親、ダンバトン伯爵からの、所領の寄進と引き換えの、後見を依頼する手紙だった。


「ユーララは慈悲深く賢くあられる。伯爵閣下の望みは十分に果たされるでしょう」

「それを望みます」


ロビンの言葉に再び頷くと、神殿長は手元のナイフで肉を切りながら、何でもないことのように尋ねた。


「あなたがたは、これから何をなさるのです?」

「<ウェンの大地>に行きたいのです」


間髪入れず、ユウが答える。

迷いのないその口調に、神殿長はわずかにたじろいだようだった。


「……ウェンの大地に。それはまた、何のために?」

「この世界の秘密を知るために」


次に答えたのはエルだ。

3人を順に見回した神殿長は、ふと目尻を和らげ、言った。


「さすがに<冒険者>、旅の理由がなんとも興味深いものだ。

このセルデシアの秘密が、かの大地にあるというのですな?

面白い。

我々も、古代の叡智を求め、思索と研究を続けて来ましたが、異邦人である<冒険者>であれば、更なる探索も可能となりましょう。

何しろ、<冒険者>は神代の生き残りであられるがゆえに」

「なんだって?」


思わず素っ頓狂な声を上げたユウに、神殿長は不可思議な笑みのまま、謎かけのように言葉を投げた。


「……であれば古代からの来訪者にして知識の探求者たるあなたがたには、謝礼をしなければなりませんね」




2.


 ユウたちは修道神殿の地下深くに潜っていた。

ここは、神殿長以外は立ち入ることも許されない場所であり、当然ながら3人も知らない。

潜っていくにつれ、中世風の回廊だった通路のデザインは徐々に、あの<エターナルアイスの古宮廷>やその他のアルヴ建築のような、青く輝く列石で彩られたものに変わり、

カツン、カツンという石畳を蹴る足音も、徐々に音すらしない謎の物質に変わっていった。


「……ここは、アルヴの聖域か何かだったのですか?」


音すら無く前を進む神殿長の背中に、エルが声をかける。

松明を手にしたまま、振り向きもせずに神殿長が答えた。


「そうでもあり、そうでないとも言えます」


なぞめいた返答を残し、神殿長は先を進んでいく。

彼は、ステータス画面を見る限り、レベル60にも満たない単なる<大地人>だ。

ただ、サブ職業の<学者>という名前が、宗教者としてだけではない、彼の本当の役目を暗示しているようでもあった。


「この世界が誕生してどれだけが過ぎたのか。

……我々、エルフ、ドワーフ、アルヴも含めた『人類』の歴史は、どこかの時点で断絶しています。

我々の知識は、技術は、誰に、どうやってもたらされたのか。

……それを知る術を、我々<大地人>は持ち合わせてはいない」


独白のように流れる神殿長の声に、ユウたちは返答を飲み込んで押し黙った。

彼女たちは知っている。

この世界が作り物だった時代を。

だが、それを無神経に声に出すには、ユウもエルも、年を取りすぎていた。


「世界には様々な方法で、この世界の謎に挑む人々がいます。

はるか東方の書物の泉(ミラルレイク)守人(もりびと)たち。

竜国(ナーガ)に遺された、<天へと至る塔>を探索する一族。

そして、あなたがた<冒険者>にまつわる建造物を維持、管理するために、どこかから現れ、決して秘密を漏らすことの無い一族。

すべての修道神殿がそうではありませんが、この神殿もまた、そうした人々が作り上げたものです。

……この修道神殿が、グロストの小高い丘の上に建っていることは見てこられたでしょう。

ここは元から丘だったわけではないのです。

神殿の創始者たちが、丘を作り、神殿を建て、ユーララを祭りつつ確かめていたのです。

この地下に眠るものを」

「<ミラルレイクの賢者>……この修道神殿は、神殿の姿をまとった場所、ということですか」


エルの言葉に、振り向いた神殿長は小さく苦笑した。


「いえ、古代は知らず、今の時代においてはここは単なる神殿に過ぎません。

上にいる神官たち、司祭たちはこの場所のことも、修道神殿本来の役割も知りませんし、

エリシール・ダンバトン嬢もこの場所のことを知ることはおそらく生涯、ないでしょう。

過去の知識に触れるというのは、禁忌に触れることと同義なのです。

……今回あなたがたをお連れしたのも、エリシール嬢を護衛したあなた方への褒章であると同時に、

契約をなされたからだということをお忘れなく」

「分かっているよ」


サインさせられた羊皮紙をひらひらと振って、ロビンも肩をすくめた。

<筆写師>が作ったその紙の契約は、たとえ<冒険者>であっても破ることはできない。

そしてそこには、『神殿長の案内した場所について、互い以外に一切の口外を禁ずる代わりに、神殿長の望む範囲において知識を与える』と、

<大地人>特有の読みづらい字で書かれていた。


「あなたがたは弧状列島ヤマトの住人だ。<忘れ去られた書物の泉>のことは良くご存知でしょう」

「ええ」


エルが頷く。

賢者ミラルレイク、そして彼の後継者たちが帯びた称号は、大規模戦闘(レイド)クエストやイベントクエストをこなした彼女にはなじみが深い。

ゲーム時代には、都合のいいステレオタイプな『賢者』あるいは『マッドサイエンティスト』だった彼らにまつわるクエストは、エルの知る限り両手両足の指で数え切れないほどにある。


「古の賢者ミラルレイクの後継者たち……ただ、修道神殿以上に孤高を貫いた彼らと異なり、私の先駆者たちは知識を探索するうちに、恐怖に囚われたのです。

歴史は人の生き死にそのもの。それを忘れるというのは、並大抵のことではない。

……つまり、忘れられるだけの理由があったということです。

それを無知なる者が掘り出して、世界に災いをもたらすことがあってはならない」


無音のまま、ひとつの扉の前に神殿長は立った。

周囲の青い光に照らされたその扉は、人の身長のゆうに三倍は巨大だ。

狭い回廊は、いまや人一人すれ違えないほどになり、周囲の幻想的な光が無ければ、

閉所恐怖症に陥りそうなほどだった。

それを押しのけるかのような、巨大な扉。

そこに掛けられた、錆の浮いた鎖と、その中央の南京錠に鍵を差し込みながら、神殿長は告げた。


「知識を追い求めるよりも、知識を封印すべし。

賢者たちは得た知識と秘密をこの扉の奥に隠し、その鍵をたった一人の弟子に託しました。

彼はユーララを祭り、初代の神殿長となり、代々神殿長の職位を継承するものに限り、

この修道神殿の本来の任務を語り伝えたのです。

私もまた、8年前にその知識を引き継ぎ、守り伝えていく者。

何事も無ければ、私もまた今際の際に、次の神殿長に伝えて死んでいっただけでしょう」


ガシャ。


錆がこすれあう音とともに、ゆっくりと鍵が回っていく。

扉を封印するように、しっかりと置かれた鎖の力が抜け、封印が破られる、なんともいえない薄気味の悪い雰囲気があたりに漂った。


「だが、あなたがたが来た。この世界の秘密を知るために」


ユウたちの前で、長く油もさしていなかったのだろう、耳障りな音を立てて扉がきしんでいく。


「私たちの知る知識など、各地の賢者たちに比べれば何ほどのこともないですが。

お伝えいたしましょう」


そして、扉は開けられた。



3.


 そこは、巨大な広間だった。

巨大ではあるが、がらんどうではない。

回廊にもあった青い石を天井に配し、壁際には無数の書物が収められた本棚、あちこちには実験器具らしい錬金術的な装置や、朽ちかけたメモ書きとおぼしき紙切れがところせましと落ちている。


「<知識の神殿>」


ロビンが、現れたアルファベットのゾーン名称を無意識のように呟いた。


「そう。ここが本来の修道神殿の心臓部にして、かつての賢者たちの研究所。

古代を探索するための、偉大なる宿営地(キャンプ)でした」


神殿長は、静かに部屋の中央に歩きながら囁いた。


荘厳な、知の足跡を前に、ユウもエルもロビンも言葉も無い。

地下にどうやってこんな空洞が、というのは愚かであろう。

おそらく、この場所を建設したのは、過去の賢者たちではないのだから。


「これ……ステンレスだ…」


エルが、床に転がっていた何かの部品らしい金属片を手に取り、呟いた。

鉄にクロムメッキを施したそれは、当然ながら古代・中世レベルの人々に作られるものではない。


「ここは神代の遺跡の一部です。

そして、この奥には更なる謎へ向かうための<妖精の輪>があるといわれています」

「この奥に、さらに続いているのか」

「ええ。あの扉の向こうに」


神殿長が示した先には、先ほどくぐった扉に比べればはるかに小さい、しかし3人には見慣れた形の扉があった。


「……回転式の、自動ドア…か、あれは」


それは、長い年月のうちに埃と汚れによって、本来の透明さを失っているものの、

間違いなく回転扉だった。

過去の賢者が無理やりあけようとしたのか、かすかにひび割れが浮かんでいる。


「まずはお話しましょう。 我々の知りえる、過去の知識を」


神殿長がそう言ったのは、部屋の中央に置かれた椅子―――何の飾りも無いそれが、パイプ椅子だということにユウたちはしばらくして気がついた――に彼が座ってからだった。



 ◇


「あははは、あははは、あははははははは」


暗い回廊に笑い声が響く。

いったいどのようにして開けたのか、その笑い声の主は、地上の多くの神官たちや従者たちの誰の目にも触れないまま、ひたすらに歩いていた。

奇妙におぞましい、少年のような笑い声を響かせて。


「あははは、あははは。<共感子(エンパシオム)>、あははははは」


その声をとがめる者は、立ち働く誰の中にもいない。

まるで姿も見えず、声も聞こえないかのように。


「あはははははははは。エイレヌス、<陰王>、あははははははははは」


そしてその笑い声は、隠された通路の入り口に立った。



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