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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
幕間 <典災>
181/245

130. <別れの前に>

1.


酷く重たい目覚めだった。

寝てはいたが、あまり休めてはいないことを、あちこちでぼきぼき鳴る関節と、首に残る鈍い疼痛がロビンに教えてくれていた。

少年の頃、父親とともに野犬を追って半月近く野宿した時も、ここまで酷くはならなかった。


「歳をとった……のかな?」


苦笑して起き上がり、粘つく口内を水で濯ぐ。

街や村で買った水は、純水かと思うほどに味が無いが、夜のうちに溜めておいた雨水は違うらしい。

ボロボロの桶から汲んだ濁った水からは、懐かしい普通の水の味がした。


「起きたか」


ロビンの後ろから声がした。

いつもの黒装束を脱ぎ、思い切り良く諸肌脱ぎになって硬い草を束ねたもので背中をゴシゴシと擦っている。

その不思議な習俗ーーカンプマサツと言うらしい。彼女に言わせれば健康の秘訣だそうだーーは、最初こそロビンの欲望を効果的に刺激していたが、見慣れた今となっては年寄り臭さしか感じなかった。

なんとはなく、「坊主、お前もやれ」とストレッチばかりしていた、故郷の老人たちを思い出させる。

そういえば、以前も「Hechima(彼には意味が取れなかった)はないか」などと言っていたが、日本の奇習なのだろう。


そんなことより、と彼は、白い背中に赤い線を作るのに夢中なユウから視線を離し、焚き火の前に来た。

春とはいえ肌寒い英国の朝は、焚き火が無いと凍えることもある。

早く起きたエルがつけていてくれたのだろう、赤々と燃える炎に、ロビンは鍋代わりの鉄板を掛けた。


「おはよう」

「おはようございます」


朝の白湯を飲んでいたのか、カップを手に談笑していたエルとエリシールが、揃って顔を向けた。

楽しい時間だったのだろう、普段の険が取れたエルの顔は驚くほど健やかだ。

笑い声を立てるエリシールも、貴族として凛とした顔とは違った、年相応の柔らかい表情をしている。

何とは無しに、ロビンは身体の痛みが薄れるような気がしていた。

我関せずとカンプマサツに興じるユウ、のんびりと茶ーではなく、湯を飲むエルとエリシール。

それは、幸福な日常の一コマだ。

ゲームをしていた頃とは違った、それはこの世界がもたらしたちょっとしたワンダーだった。


ほっこりした気分のまま、熱くなってきた鉄板を、毟った苔で拭い、野猪(ワイルドボア)から取った豚脂(ラード)を引く。

切って塩につけておいた鹿肉を人数分鉄板に敷くと、それはじゅうじゅうと香ばしい音を立て始めた。


「お、そろそろ飯か」


やってきたユウーーさすがに服は着ていたーーに頷くと、焼いた肉を取り分け、改めて苔で鉄板の汚れを取り去って、今度は頼んで汗血馬の鞍の下に置いていた猛馬(ムスタング)の肉の塊を取り出した。

鞍下で揉まれ、繊維を切られてムースのように柔らかな肉を手でちぎり、鉄板に敷き並べる。

片手では、バッグから堅パンを幾つか取り出すと、千切って肉汁を吸い込ませた。

顎の力が弱いエリシールのために、パンの耳を取り去ることも忘れない。

(こな)れて焼かれた馬肉、つまりは極めて原型に近いタルタルステーキが焼きあがる頃には、裂いた野草と合わせ、朝食というには豪華な食事が出来上がった。


「こりゃ、いつにも増してうまそうだね」


エルが涎を垂らさんばかりに言えば、隣のエリシールも頷く。


「<冒険者>さまたちはすごいです」


 彼女の幼年期の味覚は、果物などを除けば味が無い食べ物ばかりだったろう。

そんな、いわばまともな味覚を知らない少女に、人によっては生臭いとか血の臭いがすると敬遠する肉料理を出すことに当初、ロビンは一抹の不安を覚えていたが、蓋を開けてみると全くの杞憂だった。

臭いより何より、「味がある」ということへの渇望。

それがエリシールをして、すぐさまロビンの料理のファンならしめたのだった。


暫く咀嚼の音だけが響く。

この旅の中で、料理番は他ならぬロビンが一手に担っていたが、これはなにも苛めやレディファーストの神経によるものではない。

単に、<狩人>である彼には、野生の食材に限ってではあるが、調理のスキルがあっただけだ。

<大災害>以来1年、<冒険者>たちは、人間の三大欲求のひとつである食事について、世界各地で涙ぐましいまでの試行錯誤を重ねていた。

その過程で出てきたのが、一部サブ職業の調理技能だ。

近年は、<毒使い>などの調理に全く関係ない職業でも、ある程度の食材処理ならできるようになってはいたのだが。


現代でなら高カロリーもいいところの食事を、四人の男女は躊躇いなく食べる。

どれだけの暴飲暴食でも体型に反映しないユウたちはもちろんながら、エリシールの食べっぷりも相当なものだ。

自分で歩くことはあまりないとはいえ、騎乗して荒野を旅するには体力が大前提だということを、幼いなりに理解しているのだろう。

勿論、ロビンの食事が、バリエーションには些か難があっても美味、ということも大きな要素だろうが。


食べ終わると、めいめいはそれぞれのことをし始める。

この日は動かないことを、三人の<冒険者>は事前に取り決めていた。

理由は、前日エリシールが微熱を出したことだ。

<冒険者>にとっては強行軍どころか、やや緩やかなペースでの旅だったが、<大地人>の、しかもまだ成長しきっていないエリシールにはきつかったのだろう。

すでに目的の修道神殿まで、馬を飛ばせば1日足らずの距離だ。

エルの呪文でエリシールを癒しながら無理に馬を飛ばすより、1日休んで翌朝早く出発すれば、夕暮れには神殿に着く。

ロビンたちの結論はそうしたものであり、エリシールも強いて反対はしなかった。


何より、3人の誰もが少し感傷的になっていたのだ。

この、利発であどけない、勇気ある伯爵令嬢と、あと1日で別れなければならないということを。



ユウは剣を振っていた。

毎日ではないが、気が向いたらしているいつもの訓練だ。

最初は素振り、片手での飛び素振りから入って、徐々に動きは激しく、ダイナミックになっていく。

直線を描いていた軌跡は徐々に不規則になり、舞うように伸びる青と緑の剣光は、見えない対戦相手の死角から急所を狙う。

それでいて足は緩やかに円を描くのみでさほど動かない。


実戦では、時に<ガストステップ>のような移動特技を織り交ぜ、戦場を縦横に駆けるユウだったが、一方ではそれだけでは駄目だということも分かっていた。

幾つかの経験から、仲間を背にして戦うことをユウは1年かけて学んでいる。

対人戦(デュエル)では使える、足捌きを駆使しての移動も、たとえばエルにとっては支援の足を引っ張る行動に成り得た。

2人とも絶対に口に出しはしないが、ユウもエルも、互いが互いにとって背中を預けるに足る仲間だと理解している。

殺し合い、嫌悪しあい、言いたい放題をぶつけたからこそ、夕日の河原で殴り合った少年のような、奇妙な仲間意識を持つに至ったのだった。


だからこそ、エル(あいつ)に笑われるようなことはしない。

そう思えばこその訓練だった。


背後では、さらに奇妙な光景が繰り広げられていた。

雑木林が途切れた、ちょっとした広場の真ん中に立つのはエルだ。

その僅か数メートル先には、イチイの大弓を構えたロビンがきりきりと弓弦を引き絞っていた。

その鏃の先はふらふらと動き、相対するエルに狙いを悟らせない。

エルは鎧も兜もつけず、手には青い長剣をいささか不恰好に引きずっていた。


弓で数メートルならば、それは至近距離と同じだ。

だが、エルはあっさり首を振ってロビンに頷き、ロビンもまた、なんの躊躇いもなく矢を射放った。

瞬間、エルの首が僅かに左に傾く。

それだけで、矢はエルの首筋を掠め、背後の木にびぃん、と音を立てて突き立った。

もちろんエルは無傷だ。それだけではなく。


「銃とは使い方が違うんだから、もっといろいろ動いて撃てよ」


とか、


「頭や腹ばかり狙うな、この世界は一撃死しないモンスターも多いんだ。利き手を狙え」

「呼吸を合わせるな。狙撃(スナイプ)じゃないんだ。相手は呼吸を読む。外して撃て」


だのと、ロビンにアドバイスまでしている。

重ねて言うが、彼我の距離は数メートルだ。

一歩踏み込めば、そこは長柄武器の間合い、という場で、エルは、ロビンの正確無比な射撃を寸前でかわしているのだった。

ロビンの矢をエルは重鎧のまま無造作に避ける。

鎧の継ぎ目のような場所を狙う矢に対しては、自らの鎧にあてて弾いた。

受けたダメージを<反応起動回復(リアクティブヒール)>で癒しながら訓練は続く。

こうした無茶な訓練をするのは今回が初めてではない。

エルは、この小さなパーティの戦線維持の要が自分だとわきまえていた。


 ◇


 <暗殺者(アサシン)>のユウは攻撃役(アタッカー)だ。

もとより攻撃力の高い職業(アサシン)であることに加え、どんな副作用があるかわからない口伝を考慮に入れずとも、多彩な致死毒を操る彼女は、パーティの攻撃の基点となる。

そして<盗剣士(スワッシュバックラー)>のロビンは援護役(シューター)といえる。

通常、パーティの遠距離支援は<妖術師(ソーサラー)>や<召喚術師(サモナー)>の役割だが、MPと再使用規制時間に縛られる彼らと違い、矢を放つだけならロビンのスピードは魔法よりはるかに速い。

元の世界での経験もあって、動く目標であっても彼は難なく射抜いていく。

頼れる援護者だった。

通常のパーティならいるべき残る二つの役目、壁役(タンク)回復役(ヒーラー)を重装備で前線に立てる<施療神官(クレリック)>であるエルが担うことで、

この3人は最低限のパーティ足りえる。


だが、エルを除く二人はパーティプレイをするには問題がありすぎた。


まずユウだ。


彼女の問題点は、彼女が長年ソロの対人家(デュエリスト)をやってきたための弊害とも言えるものだった。

簡単に言えば、他人と協調性が薄いのだ。

ユウから聞いた冒険の話で、彼女も集団戦をそれなりにこなしたことは窺えたが、大規模戦闘(レイド)で戦ってきたエルから見ればまだ甘い。

感覚で動きすぎるのだ。


ユウの経験した戦いは、相手が常に特定された、狭い戦場でのことだった。

受けられる支援は自分の持つアイテムのみ、そんな戦いをした人間は、自然自分の感性を研ぎ澄ませるようになる。

それは時折状況を覆す一手になり得るが、仲間にとっては支援しづらいことこの上ない。

端的にいえば、他ならぬエルとの戦いで、仲間であるクニヒコやレディ・イースタルが戦場にいるにもかかわらず、ユウは戦場そのものを大量の爆薬で吹き飛ばした。

それははっきりいえば、ソロプレイヤーの戦い方なのだ。

自分のほかに仲間はいない、周囲の人間は才覚があれば生き延びるだろう――そう思えばこそ、彼女は躊躇なく、敵味方でひしめく廃船を内部から爆破したのだ。

だが、それではエルとしても支援できない。

何の因果か、仲間である以上は、ユウの死はパーティ崩壊と同義語になると同時に、ユウの身勝手な戦い方で仲間が死ねば、それもまた敗北なのだ。


一方、ロビンは単純に経験が浅い、ということに尽きる。

それはゲーム、というよりも<大災害>以降、実際に戦った経験が少ないことだ。

その結果、優秀な技量を持っていてもそれを生かしきれていない。


エルはユウについては早々にさじを投げた。

そもそもが、そこまで親身に教えるほど、ユウに対して無条件の好意を抱いているわけでもない。

だが、ロビンについては別だ。

本来、それなりに面倒見のいいエルは、自分の訓練にかこつけて、ロビンを鍛えているのだった。

なまじ、遠距離攻撃専門であるために、ロビンはできるだけ相手と距離をとって戦おうとする。

それはそれで、弓兵としては必要なのだが、<冒険者>の戦場は多岐に渡る。

狭い洞窟の奥で戦うケースなどであれば、ロビンの行動は敵前逃亡でしかない。

何より、ロビンには自分に不利な戦場で、それでも最適解を見つけて戦うという能力が欠けていた。

戦場を選ぶという贅沢は、古今東西の戦士が望んで得られない見果てぬ夢だ。

そうなったとき、ロビンもユウ同様に、理性を放棄して戦う傾向があった。

ユウと違うのは、彼女が滅茶苦茶な攻撃に向かいがちなのに対し、ロビンは茫然自失してしまう事が多いということだ。

実際、彼は目の前でエルが長剣を振り上げている中、弓を撃てと言われ、明後日の方向に飛ばしていた。

野獣相手だとうまくいくことから、エルはロビンを単純に「人同士の殺し合いに慣れていない」と考えていたが、それはどうやら真実のようだった。


だからこそ、エルは時折反撃を交えた近距離での戦闘を、彼に教えているのだった。



 ◇


 <冒険者>たちがそれぞれ、熱気を帯びて訓練している中、一人無聊を囲っていたのがエリシールだった。

前日の微熱がよほど3人を驚かせたのだろう、今もエリシールは、アンデスのミイラと見紛うような格好で、ぼうっと3人を見つめている。


 改めて<冒険者>とは不思議な人種だと思った。

幼いエリシールには、これまで<冒険者>と接した経験がほとんどない。

ただ、自分をそうしたように労わり、父や母とも親しく言葉を交わすような存在ではなかったことは、

家臣や領民たちから聞いたことがある。

一年前。

ダンバトンにとっては遠い噂でしかなかったが、<冒険者>が混乱している、争っているという不気味な話は、古代の怪物程度の信憑性ながら、エリシールの耳にも入っていた。

状況はわからない。


 だが、目の前の3人がいなければ、自分はあの荒野で化け物に殺されていたのだと思えば、

そうした<冒険者>の混乱をもたらしたものに、感謝したい気さえ起きてくるのが、現金だとも思う。


「……しゅうどうしんでん、かあ。きっと今よりは、たのしくないだろうなぁ」


 エリシールがぽつりと呟いた言葉を聴いたのは、パンくずを狙いにきていた鳥だけだった。



2.


 時間はゆっくりと過ぎていく。

太陽が中天に懸かり、傾き、世界を紅色で染め上げるころ、4人は早い夕食の準備に取り掛かった。

といっても、ロビン以外に対してやれることはない。

ユウは近くの雑木林に薪を取りに行き、エルはさっさとテントを張る。

エリシールはといえば、火の番と食材を確認して取り出すという程度だ。


「あー、こりゃカビか。それにこっちは虫だな、畜生」


湿気た肉と、大きな穴の開いた芋を見ながら、ロビンは苦々しくぼやいた。

残念そうな口調に、おろおろと隣のエリシールが慌てる。

そんな彼女の頭を撫で、ロビンは残った肉と野菜から、適当なものを選んでいた。

ダンバトンで補充した食材の在庫は少ないが、修道神殿はそれなりに大きな場所らしい。

護衛の報酬として、今後の旅の食材を分けてもらうよう、ダンバトン伯爵からの書状もあるとあって、

ロビンは言うほどは気にしていなかった。

彼は<狩人>なのだ。


朝と同じように鉄板を火にかけ、くべる。

今日はちょっとしたサプライズがあるのだ。


ロビンは心中、『うまくいくように』と祈りながら、昼のうちにユウが鳥の巣から失敬してきた卵を三つ、勢いよく割った。


 ◇


 卵に小麦粉、牛乳、砂糖を混ぜる。

とろとろにしたところで、フライパンに引いて熱する。

両面がこんがりと焼けたところで、チョコレートやクリーム、蜂蜜を入れれば完成だ。


思い出すだけでよだれが出るそれは、この世界、この場所では幻想以上の何かでしかない。


だが、ロビンたちは明日別れるエリシールに、何かをしてやりたかった。

甘味といえば果物だけ、という原始時代のような食生活を強いられていた少女に、命以外に何かを渡したかったのだ。


「大丈夫か?」


エルが覗き込む。


「わからん」


ロビンは、<鋼鉄の兜>という、何の変哲もないアイテムを抱えながら呻いた。

打ち出された鉄でできた、密閉性の高い兜を、わざわざダンバトンで買ってきたのには訳がある。

装備するためではない。

今、ロビンが持つそれには、クリーム色のどろどろしたものが――もちろん脳漿ではない――半分ほど入っていた。


取ってきたばかりの、どんな鳥のものかよくわからない卵。

ダンバトンで買い求め、ユウの<冷気>の毒を容器の上からぶちまけて無理やり保存した牛乳。

砂糖は見つからなかったので諦め、小麦粉の代わりに硬いパンを戦槌で砕いたパン粉。

パン粉では粘りが出ないため、かなり多くを投入したが、

それでも生地のあの柔らかさなど微塵もなく、それらを混ぜ込んだ物体はどろどろと蠢いていた。


「何とかならないか……これ。失敗が目に見えているぞ」


エルがため息をついた。


「俺は<狩人>なんだ。失敗しても文句は言わないでくれ」


ロビンが切なそうに返すと、手にした兜の中の物体を再び一心不乱に混ぜ始めた。

パン粉を除いて、扱っている食材はすべて<狩人>が調理可能なものだ。


「ちょっとでも小麦粉か、せめてベーキングパウダーでも買ってくりゃよかった」

「……そこまでやると<料理人>以外は失敗すると思うがな」


二人が話す少し後ろで、ユウがエリシールに物語を聞かせている。

自炊など二十年以上したことがなく、作るといえば毒しかできない彼女では、

料理の役にはまったく立たないため、エリシールをひきつける囮の役をしているのだ。


「……そして陰陽師は、がたがたと震える正太郎に言いました。『災いはすぐそこまで迫っている。怨霊はまずそなたの妾を取り殺したが、霊の恨みは果てしがない。怨霊が死んだは七日前なれば、今より四十と二日、物忌みなされ。一歩も外に出ず、誰が来ても戸を開けるべからず。

怨霊はあの手この手でそなたを外に出そうとするだろう。それが妻の声でも、親の声でも、このわしの声でも聞いてはならぬ。よいか。決して、言い渡したぞよ』

正太郎は神仏に祈りながら、家の扉を閉め、あちこちに護符を貼り、布団をかぶって震えておりました。

しかし四十一日が過ぎたころ……」

「ねえ、ユウ、この話、こわくない?」

「……大丈夫だ。この話は悪が滅んで正義が勝つ、勧善懲悪の話だからね」

「……ならいいんだけど…」


「…何を子供に話しているんだ、あいつは」

「さっきは『ことりばこ』話してたぞ。ああ、これは日本のホラーでね。あらすじは」

「いい。聞いた」


おりしも時刻は黄昏時だ。

当初の目的を忘れ、ユウは周囲の環境にも助けられて、過剰な演出と描写で『吉備津の釜』を語っている。


「……日本人って、なんというか、じめっとしたホラーが好きだよな」

「ああ、お前ら白人は『マッドマックス』みたいなのが好きだしな。ほら、手が止まってるよ」


かしゃかしゃという音、そしてユウのおどろおどろしい物語を背景に、時間は過ぎていく。

やがて、さすがのロビンも音を上げかけたころ、ようやくにして一応焼いたら固まりそうなほどには生地はまとまった。

幸いというべきか、原色のスライム状の何かになってもいない。


十分に熱した鉄板に、こぼさないようにそれを注ぎいれる。

焼き加減を見るロビンは、一方で分離した卵白を泡立てていた。


「こっちはダメか」


見る見る変色し、食べ物だったとは到底思えないものに変わった卵白を見て、ロビンは殺した卵に申し訳なく思いつつ、焼きに集中する。

時間はわずか。肉の脂できれいな飴色に両側が焼けたところで、ロビンは皿代わりのパンに取り、

獣脂蝋燭を上に突き刺した。

ほかに煮込んでいた肉や野菜、よく筋を切ったステーキとともに、周囲に甘い匂いが立ち込める。

ふう、と期せずして同時に息をつき、ロビンとエルは背後を振り向いた。


「おい、できたぞ」

「ん、これからいいところだったんだが。クリスがはぐれた部下と再会したとき、部下はゾンビになっていた、というクライマックスなのだが……」

「ホラーばかり話すのはやめろ!! エリシールが震えてるじゃねえか!!

いいからさっさと来い!」


「……これ、何のにおい?」


砂糖を入れていなくても、何とはなしに甘く漂う香りに、エリシールの鼻がひくひくと震えた。


「いや……ええと。 ……エル、頼む」


ぱん、と軽く手を合わせたエルは、自らの体の後ろに隠していたものを前に出した。


「……これは?」


目を丸くするエリシールに、エルが照れたように言う。


「いや、まあ、その年でまともな菓子を食べてこなかったんだろう?

ちょっとしたプレゼントだよ。……パンケーキだ。味はまあ…本物ほど甘くないけど」

「食べていい!?」


普段の貴族らしい振る舞いを忘れ、勢いよくたずねたエリシールに、エルは苦笑して頷いた。


「少しだけね。 ケーキは食事を済ませてからだ」


短剣で小さく切られた角状のそれを、エリシールは恐る恐る触った。


「…あつい」

「焼いたばかりだからね。何とか、形にできていると思う」


ロビンの説明を待つ前に、両目を閉じてエリシールがパンケーキを口に含む。

咀嚼するその顔が、不意ににま、と緩んだ。


「……おいしい」


よほどに美味だったのか、涙すら流してエリシールはケーキを噛み砕く。

ごくん、と喉を鳴らして名残惜しそうに飲み込むと、彼女は上目遣いで、見守る3人の大人を見た。


「ねえ、もう一口だけ食べていい?」

「貴族が約束を破るのか?」

「……もう一口だけ!! おねがい!」

「しょうがないな」


ユウのおどけた声に、必死に返すエリシールを見て、ロビンがもう一切れ、ケーキを取り分ける。


「私らは元の世界で食べているからね。ここにある分は全部エリシールのものだ。

貴族として食べ物は大事にして、残さず食べるようにね」


これ以上なく幸せそうにケーキをほおばるエリシールを見て、お、とユウが声を上げた。


「そういえば、忘れてた」


煙草に火をつけるのに使う、発火するだけのアイテムで、一部を削り取られたケーキに刺さった蝋燭に火をつける。

それだけで、焚き火とわずかに色の違う、優しい明かりが4人を照らし出した。


「誕生日じゃないだろうが、お祝いだよ。エリシール・ダンバトン、君は立派な貴族だ。

修道神殿でもくじけず、がんばってな」

「これは君の勇気に対する、私たちからの贈り物と思ってくれ。それに」


エルが懐から取り出した小さな短剣を渡す。


「これはお祝いだ。自分の身が危なくて、逃げる道がなくなったとき、最後に使いなさい」


渡された短剣――女性用を想定してか、優美なものだ――を見て、呆然としていたエリシールは、不意にしゃくりあげた。

そのまま、さっきまでの幸福な表情が嘘だったかのように泣き崩れる。

その変化におろおろしたのはロビンだけで、ユウとエルは、黙って号泣する少女を見つめていた。


「あした、おわかれだから? だからおわかれのプレゼントなの?」

「そのとおりだ」


あっさりと答えたユウは、しかし重ねて言った。


「だがまあ、君と我々の道は違う。我々同士でも、ちょっとずつ違う。

だから人間、出会いは嬉しいし、別れは悲しいんだ。仏教の言葉で『愛別離苦』というんだが……

親とも、友達ともいずれ別れて、君は君だけの道を行くんだ、エリシール」

「まあ、いざというときは助けを呼べよ。俺たちじゃないかもしれないが、近くにいれば助けに行くし

他の<冒険者>にはいろいろいるけど、助けてくれる気のいい奴も多いしさ」

「永遠の別れじゃないしね。また会いましょう、エリシール」


三者三様の言葉に、顔を上げたエリシールが泣き笑いの表情のまま、息を吸った。


「ほんと、みんな、いつもどおりなのね」

「ああ」

「おう」

「これが普通だからね、私たちの」

「……そうね、ありがとう、ユウ、エル、ロビン。

あなたたちのことは忘れないから」


正面から3人の目を見て、エリシールが言う。

その顔に、ロビンは照れたように顔を背け、エルはやさしげに微笑み、ユウはきっぱりと頷いた。


その後は、やや湿っぽかったが、この旅一番のご馳走を前にしての宴会になった。

ロビンが、自分でもパンケーキが焼けた理由として、昔カウボーイや狩人の非常食に使われたんだ、などと薀蓄を語り、

ユウが「護身用の武器が短剣一本じゃ不安だ」と、鞄一杯の毒――その中には、<激痛>と<痒み>が同時に襲ってくるものだの、飲んだ瞬間内蔵が発火するといった正真正銘の致死毒も入っていた――を渡そうとしてエルに殴られたり、といった殺気立った一場面こそあったものの、

<冒険者>たちは、自分たちの旅の中で聞かせやすい部分を誇張して語り、対するエリシールはダンバトンで出会ったあれこれを語る。

ユウが華国の絶景を語れば、ロビンは<妖精王の都>の瀟洒なエルフ建築を、エルは果てのない大砂漠のことを話した。

エリシールは驚き、行ってみたい、と驚嘆の声で応じる。

食事の最後、果物のかかったパンケーキを食べるときは、心から惜しむようにエリシールは一口一口、ゆっくりと噛んでは顔をほころばせていた。


そして、夜。


空は満天に星がかかっており、光をさえぎる雲は天のどこをみてもなかった。

次の日も、良く晴れるだろう。


次の日は、夜明け前に出発することになる。

まだ起きたがるエリシールをなだめ、4人はテントで横になった。

いつもなら男女で別れるところだが、今日は特別だった。


「みんなと手をつないで、いっしょに寝たい」


そう、エリシールが頼んだからだった。


「私やユウを襲うなよ」


エルがおどけて言い、ロビンが「襲うわけないだろ!」と返す。

そんな一言一言が、無性に楽しかった。

だが、夜は更けていくものだ。


二等辺三角形のように寝転がった<冒険者>たちの中心で、エリシールは3人に両手を握られながら、寝入っていった。

嗚咽交じりの声が安らかな寝息に変わるころ、3人もまた、眠りの中へと落ちていった。

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