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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第8部 <森>
171/245

124. <マリアン>

1.


「私は、行かなければ行けないのです、どうか!」

「いや、今度こそ危険な目に合わせられない、どうか思いとどまってここにいてくれ」

「ですが!」


 ユウが寝ている横で、押し問答は続いている。

肉屋(ミートチョッパー)やグローリーハースたち<冒険者>と、レイドボスから<古来種>に戻ったマリアンとの間で、その無意味な言葉のドッジボールは続いていた。

グローリーハースたちも急いでいる。

このようなやり取りを望んでいるわけでもなかったが、さすがに先ほどまで必死になって助け、

父親(タクフェル)恋人(ロビン)と抱き合って泣いていた女性を怒鳴りつけることはできない。

マリアンには好都合なことに、周囲の目など気にもせず怒鳴りつけるであろう二人(ユウとエル)は、ともに目覚めていない。

邪毒そのもののようなアイテムを飲み込んだユウはもちろんながら、

エルも緊張の糸が切れたのだろう、青い長剣を拾おうとしてばたりと倒れ、そのまま眠っている。


 既に、この廃屋と言っていいタクフェルの小屋にいる<冒険者>は10人ほどだ。

残りは既に中隊規模編成(フルレイドパーティ)を組み、森の奥へと進軍していた。

彼らの任務は進撃路の確保と、可能であれば<蝕地王>と一戦交えて戦術を確認すること。

決戦はユウやグローリーハースたち、主力メンバーとスイッチしてから、というのが指揮官であるグローリーハースの命令だった。

マリアンは、その決戦メンバーの中に自分を加えろ、と言っている。


「あのなあ、親父さん(タクフェル)の気持ちも考えてやれよ!! なんでわざわざ拾った命を、化け物相手に捨てようとするんだよ!!」


堪忍袋の緒が切れた肉屋の怒鳴り声に、マリアンは一歩も引かず言い返した。


「私が<古来種>で、癒し手だからです!! 自分が何であろうと、どうなっていようと、

傷つく他人を見て黙っていることはできません! そう誓いました!

それを蔑ろにしては、これから自分は癒し手でい続けることはできません!!」

「それが親父さんや彼氏をもう一度悲しませることになってもか」

「……それでも、です」


マリアンは唇を噛み、一瞬だが黙って彼女を見詰めるタクフェルと<緑衣の男>――この名前は既に相応しくはないが――を見た。

だが、逡巡は一瞬。それでもなお、彼女は言い切る。

その目は、自らの命や肉親の情愛よりも、世界の正義のために戦う<古来種>の威厳に溢れており。

そのことがなおさらに<冒険者>たちに苛立ちを募らせた。


「何であんたをモンスターのまま殺さず、何べん死んででも助けたと思う。

俺たちも、先行した連中も、レベルが下がった奴も少なくない。

苦しみもがいて死んだ奴なんて、もっと多い。

でも、俺たちは後悔していない。 あんたを大事に思う人たちに、あんたを戻してやれたからだ。

あんたの言葉は、そうした俺たちの思い、タクフェルの思い、<緑衣の男>の思い。

それらすべてを踏みにじるものなんだぜ。

人の心も分からなくなって、<古来種>と……いや、人間と言えるかよ」


一人の<暗殺者>が吐き捨てた。

その言葉に、気丈に前を向いていたマリアンの顔もさすがに俯く。

その目から零れ落ちるのは毒液ではなく、透明な液体だ。

悔し涙に濡れるマリアンに、別の男が声をかけた。


「それにな。……たぶんあんたはもう、戦える体じゃない。

そこの<緑衣の男>と同じくね。

自分が思っているような癒し手としての力は、ほとんど失われているだろう」

「どういうことですか?」

「それはおれが説明する」


黙って、労しそうに恋人を見ていた<緑衣の男(ロビン)>が静かに進み出た。

全員が黙って、悲しげなもう一人の<古来種>を見る。

周囲の視線を一身に受けながら、彼は静かに語りだした。


「マリアン。残念ながらおれたちは、もう以前の力を持ってはいない。

いや、正直なところをいえば、死ぬ寸前だといってもいい。

詳細な理由は話せないし、知らないが、君が怪物になって彷徨っている間、そうなってしまった」

「え? でも、じゃあ全界十三騎士団は? 赤枝の仲間たちはどうなったの?」

「……一人残らず行方不明だ。あのエリアス・ハックブレードだけは、どこかで姿を見たという噂はあるがね。

今じゃその真偽すら、わからない」

「じゃあ、あなたは? ロビン、あなただけは何で無事なの?」

「騎士団に戻らなかったからさ。 ……君が沼に沈んでから百年ちかく、俺は騎士団には戻っていない」

「……!」

「察してくれ、マリアン。<冒険者>たちも、君が知る彼らとはもはやまったく別物だ。

同じようにこの世界も変わっていきつつあるんだ。

おれや君では……その変化についていけない」


沈黙したマリアンに、ロビンは切々と訴える。


「もはや俺たちに使命が下されることはなく、誇るべき仲間たちもいない。

俺たちはこの世界に残された最後の<古来種>かもしれないんだ。

だからせめて、俺を最後の一人にさせないでくれ……」

「……」


ふるふると震えていた手が、不意にがくりと落ちる。

マリアンは、堪えていたものが決壊するかのように、声を上げた。

成人の女性の声ではない。

身も世もなく声をあげる、幼い女児の泣き声だ。

誰しもがそんなマリアンから目をそらした。

最も辛辣なセリフを吐いた<暗殺者>すら、手にした短剣に目を落とす。

『お前はもう役立たずだ』と言われることが、マリアンのように庇護する者もいない中、必死で自分の力を見せ続けた人間にとってどれほどのダメージになるのか、

この場の誰もが分かっていた。

だが、それでも言わねばならなかったのだ。

もう一度タクフェルたちを絶望させることだけは、彼らにはできなかったから。


 ◇


 唐突にマリアンの全身を汗臭い肉が包んだ。

娘よりも頭ひとつ低い、父親の腕だ。


「もう、おぬしはがんばらんでも良い」

「お……父……さん」


マリアンにとって、父親の抱擁はおそらく生涯初めてのことであったろう。


「おぬしが癒し手だからとか、<古来種>だからとかで責めるものはもうおらん。

おぬしがただの村娘でも、この<冒険者>たちは必死になって助けたろう。

そういう男や女たちを、信じてくれい。

おぬしは、ここにいてよいし、ここにいるだけでよいのだ。

わしの娘だし、ロビンの恋人なのだからの」

「……お父さん!」


娘の手が、父親のずんぐりした背中に回される。

初老の男と妙齢の女性、あたりもはばからず泣き声を上げる二人は、やはり親子だからか、

奇妙なほどに似ていた。



2.


前衛交代(スイッチ)


指揮官のアブシンベルの低い声に、無言のまま<冒険者>たちは陣形を変えた。

それまで敵たる<湿地の不死者>や<灰斑犬鬼>の攻撃を凌ぎ続けていた第1パーティが、

静かにもうひとつのパーティに先陣を譲る。


ここは既に森の奥、<蝕地王の墳墓>という名前のボスエリアだ。

既に封印を脱した<蝕地王>がいつ襲ってきてもおかしくない。

いや、これまでの進軍で姿を見せていない<屍竜>も同様だ。

メンバーの顔は、極度に緊張によって汗がだらだらと垂れていた。


昼なお暗い森の、さらにその深奥は、昼であっても光はほとんど差さない。

ただ、<冒険者>たちを嘲笑うかのような鳥の聞き苦しい声だけが、彼らの周囲をざわめく観客のように取り巻いていた。


「進撃路は確保できたな」


暗い自然の森とは、ただでさえ迷うものだ。

だが、ユウが単身<蝕地王>の下に行けたように、この森は幾何学的な造形のためか、

進むだけならばそれほどでもない。

問題は、撤退路だ。

中隊規模戦闘(フルレイド)における戦闘の要は、どれほど速やかに予備戦力を前に出せるかによる。

レイドボスの強力な攻撃によって、刃が毀れるように脱落していく仲間の代わりに

セーフゾーンで待機していた仲間をどれほど速やかに戦線に投入できるか。

それができるのとできないのとでは、時間当たりのダメージ量は優に数倍の開きがあるのだ。


「行くぞ」


なおも自分たちを森のそこここから見詰める、虚ろな瞳を見返しながら、

アブシンベルたちはなおも進軍を継続することを決めた。



 ◇


 結局、マリアンは残ることに決めた。

説得が功を奏したというより、百年にわたって酷使され続けてきた肉体は、

いかに強靭な<古来種>のそれとはいえ、ついに音を上げたのだ。

それでも<深き黒森のシャーウッド>から脱出するのを良しとせず、ロビンやタクフェルとともにセーフゾーンに留まることを選んだのは、彼女の最後の矜持であったろう。

それでもほっとする一同の前に、戦槌を杖のように使いながら、よろける足取りで近づいてきた人影がある。

エルだ。

彼女の体は、蘇生により無傷になっているはずだが、それでもなお揺らめくような視線は、

彼女が、死んでいる間に何かを見てきた証だった。


「……戦況は」


それでも気丈に尋ねる東方のレイダーに、グローリーハースが答える。


「今、レイドパーティを組ませて探索中だ。

<蝕地王>も、もう一頭の中ボスも姿は見えない。

俺たちは待機と回復だ」

「そうか」


丸太に凭れるように足を投げ出し、渡された水筒にエルは口をつける。

女ドワーフの口が再び開いたのは、優に一分以上経ってからだった。


「……ユウは」

「まだ眠っている」


短い肉屋(ミートチョッパー)の返事に、これも「そうか」とだけ答え、エルは脱力するように目を閉じた。

もう一人の90レベルオーバーの<冒険者>であるユウは、いまだ目覚めない。

丸太の陰で横になった彼女の全身は時折緑色の光がスパークしており、先ほどの光景と合わせ、全員に酢を飲み込んだような異物感を与えていた。


「本当に目覚めるのか……あいつ。いや」


人として目覚めるのか。


誰もが言えないことを心の中で思ったとき、目を閉じて脱力していたエルが水筒を口から放した。

そして言う。


「目覚めるさ。 あいつは<毒使い>だ」

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