番外12 <人形の家> (中篇2)
その前に中篇1を書いてます。
1.
「で、ゲフィオンは何を言ってきたの?」
「鷲頭獅子の大群に二人の<冒険者>が襲われた。救助する……と告げてそれっきり」
ギィ、と重々しいつくりの椅子が揺れた。
この修道院が神殿だったころに使われていたと思しき石の椅子だ。
今は上にクッション代わりに厚布を張り、ロージナの所有となっている。
手に負えない、とばかりに肩をすくめた修道院長に、アールジュはわずかに眉を顰めて言った。
「鷲頭獅子? ……野良の個体は群れでは出てこないはずよ。
それに……あれの生息地域はもっと南のはずだわ」
「さすが<吟遊詩人>、詳しいね」
にやりと笑ったロージナに、アールジュは机の前に立ったまま、腰を曲げてロージナを見た。
「で、どうするの? 本当に鷲頭獅子なら、いくら93レベルでも3人ぽっちじゃ勝てないわ」
「ん…まあな。まして今は、<エルダー・テイル>の世界じゃない」
ゲーム時代では、いくら空を飛べるといっても、ゲーム的な制約から、鷲頭獅子は不慣れな地上戦を強いられることが多かった。
だが、今は違う。
彼らは狭いモニターというくびきを逃れ、自由に大空を飛翔できるのだ。
弓使いならまだしも、飛び道具といえば短剣を持っているに過ぎないゲフィオンには
高みに舞う鷲頭獅子を追うことはできない。
ロージナはおもむろに姿勢を正した。
その不気味なほどに真剣な眼光が、参謀をもって任ずるアールジュの目を射抜く。
「これは……ある意味、ちょうどいいと思う……と言ったら、軽蔑する?」
「……! ロージナ、あなた、まさか」
「ああ……<修道院>は何もしない。援護も、救助も」
「ロージナ!!」
たん、と音が響いた。
アールジュの細い手が、ロージナの巨大な机を叩いた音だ。
叩き付けた痛みをそのままに、アールジュが叫ぶ。
「あなた、その<冒険者>とゲフィオン、どちらも見捨てる気?!」
「……ああ、そうだ! それがどうした!?」
ふらり、とアールジュが後ろに下がる。
その目には、深い失望と、そしてほんのわずかな軽蔑が見て取れた。
そんな自分への非難を真っ向から見返して、ロージナが続ける。
「ゲフィオンは正体不明の<冒険者>だ! しかも90レベルオーバーの!
強さに血道をあげる男の<冒険者>――あのならず者どもがもしゲフィオンの存在を知れば!
大挙してこの島に押し寄せてくるんだぞ!
その時、この<修道院>ができることがあるか!?」
「二人の<冒険者>たちだってそうだ! そいつらがゲフィオンみたいな規格外の存在を前にして
それを他人にしゃべらないという保障がどこにある!?
もしそうなったとき、アールジュも私も、責任を取れるのか?
たった一人の得体の知れない新人を助けて、みんなをもう一度奴隷に……もっとひどい、人権すらない境遇にもう一度戻してごめんねと、あんたはみんなに言えるのか!」
「……ロージナ」
「私はこの<傷ある女の修道院>のリーダーだ!
ゲフィオンのためでも、そいつらのためでもなく、この集団のために私は判断する。
ゲフィオンも、たとえ私たちが戦える人間全員で援護に駆けつけても、
そんな大群の鷲頭獅子に敵わないことくらいわかっている!
なら、あいつは裏切りだとは思わない。
……たとえあいつが死んで、どこの大神殿に流されたとしてもね!! ……それに」
叫び続けたためか、はあ、と一拍息を置き、ロージナは憎憎しげにアールジュを見上げた。
「そいつらは居もしない家族と、隣人ごっこをしているんだろう。
そんな連中、特に男のほうに<外観再決定ポーション>なんて渡したところで飲むわけがない。
であれば、修道院にも迎えることはできない。
ここは女だけの聖域だ」
アールジュがひそかに渡したポーションの存在すら知られている。
さっと顔を青ざめさせた彼女に、ロージナは叩き付けるように言葉を繋げた。
「アールジュ。あんたも考え違いをしているようだね。
ここは万人の聖域じゃない。
私はこの世界に来て傷ついたプレイヤーを誰も彼も抱えられるほどの大人物じゃない。
ここは赤十字でも、国境なき医師団でもないんだ。
だから、誰を助けて誰を見捨てるかは私が決める」
ついに最後まで聞かず身を翻そうとしたアールジュのローブの裾を、ロージナの手が掴みとめた。
女性とはいえ<守護戦士>の万力の膂力に掴まれ。ビリと嫌な音が響く。
「……どこへ行く。言っておくけど、私はあんたを行かせないよ」
「……離して! 離せ!」
「行かせない」
その声は呪詛のようだった。
「あんたのことも分かっている。あんたが地球じゃ女ではなかったこともね。
その上で、あんたは<修道院>に必要だ」
「……ゲフィオンは<修道院>には不要だとでも!?」
「ああ……こないだまであいつはいなかった。この間までの私たちに戻るだけさ」
即座に断言するロージナに、今度こそ失望に満ちたアールジュの視線が直交する。
冷たい、だがかすかに揺れる目をした<守護戦士>と、
怒りに燃える<吟遊詩人>は、しばらく互いの目を真っ向から睨み付けていた。
◇
時は僅かに遡る。
吼え猛る凶獣の只中で、ゲフィオンは踊っていた。
彼女の周囲には敵しかいない。 文字通り、敵以外はすべて虚空だった。
呼び出した召喚獣たちを操り、さながら大破した空母を守る護衛機のように迎撃しながらも
ヘレナは呆然と、鷲頭獅子たちを足場に高空を舞う彼女を見上げていた。
「……信じられない」
その唇から、呪文にまぎれて言葉が漏れる。
彼女を守る騎士のごとく、急降下を行う鷲頭獅子を迎え撃ちながら、ジョセフも「同感だ」と呻いた。
彼女たちの目の前で、ゲフィオンは信じられない動きをしている。
仲間の死に突撃してきた一頭の鷲頭獅子に向かって大地を蹴ったゲフィオンは、その鷲頭獅子と交差した瞬間、さらに速度を増して空中に飛び出した。
当たり前のように、ゲフィオンに踏み台にされた不運な鷲頭獅子の脳天には、頭蓋すら貫く穴が一本開いている。
いくら、対個人の戦闘に特化した<暗殺者>とはいえ、一撃で倒すことは、ことゲーム時代に限って言えば不可能だった。
ゲフィオンはその不可能を、脳と言ういかなる生物でも急所になりうる場所を破壊することで可能にしたのだ。
そして、そのまま<ガストステップ>で鷲頭獅子の支配域に文字通り飛び込んだ彼女は、別の個体の背に着地すると、立て続けに刃を振るった。
黄金色の毛並みが瞬く間に赤く染まり、その鷲頭獅子は敵を振り落とそうと滅茶苦茶に暴れ始める。
周囲の鷲頭獅子たちも、落とせば終わりとばかりに、苦しむ仲間の背中に向けて爪を振るい、嘴をたたきつけようとした。
そこに、ゲフィオンの手から銀の光が投げつけられる。
加速を十分につけたまま、<アトルフィブレイク>で瞬時に麻痺したその鷲頭獅子は、
十分に付いた運動エネルギーを保ったまま、グライダーのように苦しむ仲間に激突した。
その上から、別の個体の嘴が突き刺さる。
もちろん、すでにゲフィオンはそこにはいない。
最後に突っ込んだ三頭目の鷲頭獅子の背を、いつのまにか空中で一回転していたユウの左手が薙ぎ払った。
「<ヴェノムストライク>!」
苦しんでいた一頭目の鷲頭獅子は、麻痺した二頭目、毒でもがく三頭目の重量を支えることはできなかった。
もつれ合うようにして地面に激突したときには、既に彼らに戦う力は残っていない。
それをジョセフと、そしてヘレナの召喚獣たちが屠っていく。
同じように、ゲフィオンが屯する鷲頭獅子に飛び移るたびに、戦闘能力を奪われた凶獣たちは地面へと、二度と戻らぬ急降下に移っていく。
重量級のモンスターが次々と落下する地面には次々と大穴が空き、
先ほどまでに倍する土煙に混じって、濃密な血と死臭があたりを満たした。
「ほんと、信じられない……」
愕然とするヘレナの周囲は、次々と光になっていく鷲頭獅子のせいで、さながら爆撃直後のようだ。
振動と衝撃で崩れていく廃墟の中、二人の家だけがまだしっかりと建っている。
彼女の全身は死んだモンスターが消えるときの光に溢れ、奇妙なほどに幻想的だった。
「やっぱり、どう思っていても、ここは地球じゃないのね……」
ヘレナの目から一筋落ちた液体が、周囲の光をプリズムとなって七色に分けた。
◇
「あとは……5頭か!」
ゲフィオンは呻いた。
内心でまずい、と思う。
殺しすぎたせいで、鷲頭獅子の体を足場にして飛ぶ、その足場が少なくなりすぎたのだ。
彼らも獣なりに、敵の状況を理解しているのだろう。
こまめに短剣や爆薬でヘイトを稼いではいたが、それでも個体同士の距離を取りつつある。
足場にした鷲頭獅子がもがくのを、あたかも騎乗するように両足で挟んで抑えながら
そろそろ潮時か、とゲフィオンは思った。
なぜ、急にこれだけの鷲頭獅子が、廃墟になった村を襲ったのかは分からない。
ヘレナたちのせい、とも言い切れない。
このセルンド島で道に迷わせたのがヘレナの召喚獣のせいだったとしても、
その召喚獣は既に倒されているからだ。
他にも同類のモンスターを従えていた、と仮定するのも無理がある。
戦闘に入って以降、彼女にも鷲頭獅子にも認識能力の乱れがないからだ。
地上に居るゲフィオンにさえ膝を付かせ、何時間も同じところをぐるぐる回すほどの攪乱能力があれば、
少なくとも地上に近いところに居た鷲頭獅子には、その影響が出てもおかしくなかった。
(何のせいだ)
首の付け根を切り飛ばされ、石のように墜落していく鷲頭獅子の背中を蹴って宙に舞いながら、ゲフィオンが思う。
抜き取った鷲頭獅子の羽を足場に<ガストステップ>で飛び、別の鷲頭獅子の背骨を蹴り飛ばしながら
再び考えは埋没していく。
ゲフィオンにはひとつ心当たりがあった。
(大規模戦闘)。
何がトリガーなのか、何をすれば止まるのかも分からないが、ただ異常な事実は嫌が応にも、その言葉を脳裏に蠢かせる。
大規模戦闘なら、解決は不可能だ。
いや、彼女だけではない。
身を寄せるロージナたち、<傷ある女の修道院>の総力を挙げても解決はできないだろう。
素人が、生ぬるい気持ちで挑んでも無残に大神殿に放り込まれるだけ。
現実化した世界だからこそ、レイドという冒険は運と力と仲間に恵まれた一部だけの、
犯すべからざる場所なのだった。
突然、ゲフィオンの肩に灼熱が走った。
見れば、腕をちぎらんばかりの深さで、鋭い爪痕が深々と穿たれている。
視線を転じた彼女の目と、殺意に満ちた鷲頭獅子の目が交わった。
(迂闊!)
返礼代わりに、わざわざ近づいてきたその鷲頭獅子の嘴ごと、顔を真横に両断し、
ゲフィオンは自分の不甲斐なさを呪った。
こともあろうに、戦いの最中に余計なことを考えるとは。
(何があったかなんて、皆殺しにして考えればいいだろうに!)
自分への怒りと、肩にひりつく痛み、それらがゲフィオンの感情をどす黒く染めていく。
その、半ば自分への八つ当たりめいた怒りが向かう矛先は、無論のこと周囲のモンスターに他ならない。
ゲフィオンは、かろうじて動く手で、青い刀を振り下ろすと、もう一方の手の刀を口にくわえた。
鷲頭獅子の、ややスパイシーに感じる血が、彼女の脳を現実に引き戻す。
そうだ。
今は戦っているんだ。
なら、戦闘に集中する必要がある。
ゲフィオンの手から短剣が乱れ飛んだ。
最初の二本こそ特技だったが、残りはすべてヘイトを集めるための単なる短剣だ。
空いた左手で、銜えた刀の端を伝うように口に呪薬を流し込む。
<修道院>の<調合師>に作ってもらったそれは、焼け付くような肩に彼女の体を伝ってたどり着くと、
すっとその痛みを軽減した。
同時にぼこりとゲフィオンの肩が盛り上がる。
異常に活性化された回復能力が、ステータスバーの青色とともに、肩の肉を盛り上がらせているのだ。
合わせたわけでもないだろうが、破れていた<上忍の忍び装束>もまた、ほろほろと糸が動き、
逆再生のようにもつれ合って直っていく。
痛みが無視できるまでに引いたことを確認して、ゲフィオンは身を翻した。
既に騎馬代わりにした鷲頭獅子は絶命している。
残る獣たちが、不快な小動物を八つ裂きにすべく向かってくるのを見て、
きれいに受身を取って地面に転がったゲフィオンは今度こそにやりと哂った。
ちょうどよく、狙ってくれる。
ならば、あとは小細工は無用と言うものだ。
◇
「二人とも! 何をぼうっとしている!!」
突如叩きつけられた怒声に、ヘレナとジョセフは思わずびくりとした。
敵の大半を、ゲフィオンが空中で止めを刺すおかげで、二人の仕事はほとんど掃除人めいたことだけだ。
そんな彼らが弛んでいることを責めるように、ゲフィオンの怒声は続いた。
「家族が居るんだろうが! さっさと助けて来い!
今度は地上が戦場になる! 動けないとかどうのとか言う前に、引きずり出して来い!」
「で、でも!!」
「うるさい! 大事な家族を圧死させたいのか!!」
叫び返すヘレナの言葉を断ち切って怒鳴り散らすと、ゲフィオンはもはや次の言葉を聴かずに走り出した。
ほとんど急降下爆撃機のように、真上から突っ込んでくる一頭を、腹側によけてやり過ごし、
自分の髪のすぐ横を、轟音とともに駆け抜けるそれに刀を突き刺す。
哀れなその鷲頭獅子は、自らの速度で自ら腹から二枚におろされ、臓物をぶちまけて転がった。
地面を削りながらその一頭が止まったときには、既にヘレナたちを狙った別の一頭に、
<ラピッド・ショット>が突き刺さっている。
さればとばかりに、数頭で降下してくる集団に、ゲフィオンの腕が振り上げられる。
投げ上げられたそれは、その集団の眼前で音を立てて破裂した。
悲鳴が上がり、毛が焦げるちりちりという音が響く。
算を乱した鷲頭獅子に、刀が飛ぶ。
自分でも不思議なほどの気分だった。
数十頭の鷲頭獅子の群れ。
どんな慣れた<冒険者>でも、いや、慣れて居ればこそ、真正面から戦うなど思いもよらない。
だが、事実彼女は戦い、そして圧倒している。
先ほどの肩の傷を除けばほぼ無傷で、だ。
化け物。
<傷ある女の修道院>の多くのメンバーであれば、その言葉が脳裏をよぎるであろう。
ゲフィオンは知る由もないが、ロージナが今の彼女を見れば、危険な存在だという認識をますます強めることは間違いなかった。
それでも、ゲフィオンは戦い、この調子であれば勝利するのは間違いなかった。
だが、その瞬間。
地震でもないのに、ゲフィオンの視界が唐突にぐにゃりと歪んだ。
2.
「な、なにがあった!?」
ゲフィオンは、本来の名前であったころであれば決してしないだろう失敗をしていた。
突然の異変に動きを止め、混乱のまま叫んだのだ。
周囲では、無傷のはずの残る鷲頭獅子たちも、あるものは背中から地面に叩きつけられ、
あるものは飛び方を忘れたかのように無意味に翼をもがかせている。
間違いなかった。
昨日の召喚獣と似た、そうでありながら異なる個体が、何らかの能力を使ったのだ。
「エリーゼぇっ!! ああ、よく、よく無事で!」
「ヨナタン! ヨハン! 父さんが逃がしてやるからな!」
頭を抑えて呻くゲフィオンに、場違いに明るい声が響く。
ヘレナとジョセフ、二人の<冒険者>の声だ。
どちらも、家族を救い出せた喜びに満ち溢れていた。
そう、満ち溢れすぎていた。
まるで舞台劇の役者のように。
あるいは、ハリウッドの映画俳優のように。
「二人とも……家族を逃がしたら、こっちに来て」
手伝え。
その言葉は、ついにゲフィオンの喉から漏れなかった。
代わりに漏れたのは、悲鳴だ。
「ぅひっ!?」
それは、彼女たちが手にしている物体を目にしてのものだった。
◇
ジョセフとヘレナが、走ってくる。
その両手に物体を愛おしそうに抱きかかえて。
後ろに、それぞれの配偶者を連れて。
それは、役者が変われば、感動的なシーンになっただろう。
だが、ゲフィオンには、ただ異様と映っただけでなく、
当たり前のようにそれまで共闘していた二人の<冒険者>が、突然怪物に変わったかのような
そんなショックすら与えていた。
「ゲフィオンさん!」
「く、来るな!」
思わず叫んでいた。
ぬるぬるした『娘』を大切そうに頬ずりしながら、ヘレナが不思議そうに言う。
「どうしたんですか?」
「そうですよ。どうしたんですか」
ヘレナの隣でジョセフが不思議そうに聞いた。
切なそうに叫ぶ足元の鷲頭獅子の一体を、行きがけの駄賃とばかりに彼の足が踏み抜く。
そうしながらも、彼はばたばたと小さな翼を羽ばたかせる『息子たち』を、
その鋼鉄のような腕でしっかりと捕らえていた。
「そ、そいつらが『子供たち』だったのか?!それに後ろ……そいつらが」
「ええ。セルデシアに来てから、妻と子供たちは寄ると触ると喧嘩ばかりでしてね。
しょうがないから別の部屋に置いていたんですけど、みんな無事でよかった」
そんなジョセフの肩に、漆を塗った彫像のような『妻』がゆらゆらと倒れこんだ。
「あんたたちは……狂ってる」
戦いのことも忘れ、視点が定まらない自分のことすら忘れて
ゲフィオンの乾いた喉が、かろうじてそんな言葉を搾り出す。
その彼女を、心底不思議そうに、二人の<冒険者>が見つめていた。
人では、なかった。
いや、ゲフィオンが予測したような人形ですら、なかった。
ジョセフが両手で押さえつけているのは、三回りほど小さいが、先ほどまでゲフィオンが戦ってきた凶獣たちと同じ生物。
鷲頭獅子の雛、それが二頭だった。
鷲頭獅子たちが襲ってきたのもゆえないことではなかった。
どのように奪ったのか、方法は分からないが、ともあれ鷲頭獅子たちは、盗まれた雛を取り返しに来たのだ。
群れを作らない鷲頭獅子が群れをなして来たのだから、よほどのことをしたに違いなかった。
そして、ジョセフとヘレナの後ろでゆらゆらと立っているもの。
一見して人間だ。
だが、水分も脂肪もなくしたような細い体、全身に無残につけられた傷、
漆で塗りこめたような黒い肌、そして彫像のような顔。
北欧サーバに現れるアンデッドの一種、<湿地の不死者>だった。
湿地遺体というものがある。
一種の天然ミイラで、北欧にままある泥炭でできた沼地から、時折発掘されるものだ。
泥炭と言う、酸素が極めて少なく、強酸性という環境に置かれた死体は、何千年立っても死んだ直後の姿や表情を保つ。
地球で湿地遺体を掘り出したある人物は、古代の死体だと思わず、最近発生した殺人事件の被害者だと勘違いしたとも言う。
湿地の不死者は、そうしたヨーロッパの風土に合わせてデザインされたモンスターだった。
ゲーム時代は、一般のゾンビに比べて見た目のインパクトが少ないせいか、ゴーレムと間違えるプレイヤーもいたと言われている。
無論、記憶のないユウにそのモンスターの詳細な由来など知る由もない。
だが、土だらけの口をだらりと開け、うつろな目でさ迷うそれらを見て、
「ご主人や奥様はちょっと変わっていますね」と思えるほど、ゲフィオンも頭のねじが外れていたわけではなかった。
鷲頭獅子の雛も、湿地の不死者も、決して強敵と言える敵ではない。
ゲフィオンがもっとも絶句したのは、ヘレナが抱いている『娘のエリーゼ』だった。
昨日戦った<幻惑の海魔>を、サイケデリックに光り、タコの足を持つ巨大なイソギンチャクだとすれば。
ヘレナが抱きかかえているそれをなんと形容すればいいだろうか。
見るものに強制的に頭痛を起こさせる、不気味な虹色の光を持つことは変わらない。
だが、海魔がイソギンチャクなら、これはいわばカブトガニの甲羅をまとった海毛虫だ。
うぞうぞとうごめく偽足のいくつかは触覚のようにひょろりと伸ばされ、
アゲハチョウの芋虫のような無機質な偽眼が、無表情にゲフィオンを見つめている。
甲羅を含めた全身から噴き出すぬるぬるした体液で、ヘレナの服といわず顔と言わずどろどろにぬれているが、彼女は気づいてすら居ないようだった。
80レベル、パーティランク。
それは間違いなく、今回の事件の元凶たちだった。
「……う、おえぇぇっ!!」
困惑する――その表情すら今は不気味な――ジョセフとヘレナの前で、ゲフィオンは思わず朝食を吐き戻していた。
見た目のインパクト、ヘレナたちの真実、三半規管をぐちゃぐちゃにかき回す感覚、
それらがまとまり、ついにゲフィオンの耐え切れる範囲を超えたのだ。
「どうしたんですか? エリーゼ、ほら、ご挨拶なさい」
「や、やめろ、近づかないで」
「どうしてです? マリア、はは、分かってるよ。そろそろご飯だろ?
ほら、そこに鶏肉があるからさ」
「あ、じゃあカールもご一緒させてください」
「ふふ、互いの配偶者が仲がよいと言うのも、それはそれで困りものですね?」
場違いに平和そうな会話が響き、同族――もしかしたら親かもしれない鷲頭獅子たちに噛み付こうとする『母親』を、ジョセフの腕の中の雛たちが必死にもがいて止めようとしている。
それを見ながら、ひどい頭痛の片隅でゲフィオンは己を呪った。
なぜ、もっと調べなかったのか。
なぜ、彼らの言うことを鵜呑みにしてしまっていたのか。
なぜ。
無数の疑問の前に転げまわるゲフィオンを、不意にひやりとした風が包んだ。
いや、実際に風などは吹いていない。
ヘレナとジョセフが、いつの間にか無表情に、苦しむゲフィオンを見つめている。
「なぜ、エリーゼたちに挨拶もしないんですか」
別人のような、ヘレナの無機質な声が周囲に響いた。
ゲフィオンだけでなく、生き残りの鷲頭獅子ですら、その声に含まれた冷たい敵意に動きを止める。
「マリアや子供たちに、何か文句でも?」
これはジョセフだ。
手に雛を抱えたまま、カツン、と片足のつま先が地面を削った。
「はやく、ゲフィオンさん。家族に挨拶をしてください……挨拶しなさい」
ヘレナの声にあわせ、毛虫もどきがゆらゆらと触覚を揺らめかす。
まるで『母』の声にうなずくように。
「あんたら……そいつらは家族じゃない。モンスターだ」
「なんですって!?」
衝撃は唐突だった。
先ほどまで鷲頭獅子と戦っていた三頭猟犬――タイベリアスがゲフィオンに真横から体当たりをしたのだ。
無様にごろごろと転がったゲフィオンが、瓦礫のひとつにぶつかり、呻く。
その口から不意に血が吹き上がった。
三頭猟犬の巨大な足が、彼女の胸を上から押さえつけたのだ。
豊満な胸がひしゃげ、圧迫された骨がぼきぼきと折れる。
プレスされるような圧力に、矢も盾もなくゲフィオンは悲鳴を上げた。
「ぐ……がぁっ!!」
「あなたも結局、人の家族を捕まえてモンスターだとか」
「失礼な連中と同じだったんですね。信じていたのに」
「ホーエンの連中と同じだ」
「家族を思う気持ちは、所詮ゲームしかしないゲーマーなどには分からないんでしょうね」
「なら、死ね」
「そうね。死んでエリーゼたちの昼食になりなさい」
「あの世でたっぷり反省してください」
「そこの鷲頭獅子たちと同じところに送ってあげる」
言葉に合わせて、ギャウ、と悲鳴が響く。
いつの間に殲滅されたのか、残り一頭になった鷲頭獅子がばたばたともがいていた。
その体にしがみつくように、<湿地の不死者>が牙を突き立てている。
モンスターは死ねば消える。
だから、生きたまま食べる。
合理的で残酷な結論だった。
「まだ死なないでね。死んだら食べられないから」
ヘレナが歩きながら、にこやかに言った。
その腕の中でおとなしくしている海毛虫もどきが、かちかちと丸い口吻を開閉する。
その向こうには、ずらりと並んだ牙が見えた。
「大丈夫。大きなお肉でもエリーゼはちゃんと食べるの。
安心していいわよ?」
「うちの子にも少し残してくださいね。エリーゼちゃんは大食いだからなあ」
「失礼ですわ。あなたのお子様たちもそうじゃない」
「育ち盛りですからね。将来はいいお嬢さんになれそうだ」
「そういってもらえると、お世辞でもうれしいですわ」
おぞましい世間話をしながら、ヘレナたちが歩いてくる。
ひゅ、と触覚が伸び、動けないゲフィオンの足をぺちぺちと叩いた。
まるで、これから食べる肉の新鮮さを確かめるように。
その感触に、再びゲフィオンが悲鳴を上げる。
「やめ……やめろ! 離せ!」
「嫌ですよ。離したらあなた、逃げてしまうから。あれだけ身軽なんだもの」
嬲るようにヘレナがいい、海毛虫もどきが口吻をがばりと開けた。




