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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
135/245

96. <交渉>

また、会話だけで一話終わってしまった…

1.


「こんばんは、奥方様」


 その声は、突然ユウの横から投げかけられた。

自室の扉を開けかけた手を止め、振り向いたユウに小柄な人影が見える。


 グンヒルデだ。


初対面のころの誠実そうな顔は嘘だったかのように、明かりの少ない廊下に長い影を刻んで、少女の姿をした騎士団の大幹部はユウの全身に視線を向けた。


「もう眠るの?」

「疲れているんでね。ついでに、私はこの世界の誰とも結婚したつもりはない」

「あら、じゃあ団長とのことは遊びってわけ?」


珍しいことだ。


ユウは、楽しそうに言葉を放つグンヒルデを見ながら、ふと思った。

ローレンツの部屋の夜、あの夜以来、彼女とユウの関係はよく言っても冷戦状態だ。

ユウがそれほど彼女と接点を持つ立場にいなかったことや、騎士団総力を挙げての大規模戦闘(レイド)に参加することがなかったために、現状ではその対立は、ユウの毒薬の製造速度が遅くなる、といった程度にとどまっている。

グンヒルデもそれをよいことに、まるでユウという<冒険者>が最初からいないように振舞っていた。


だが、この日の夜。

彼女は共代わりなのか、隣にあのマルシネを従えて、そこにいた。


「……何か用?」

「いいえ、せっかく団長の近くにいる女同士、少し話をしてみたかっただけよ」

「それは、それは」


後ろのマルシネの困り果てた顔を見れば、ただの『雑談』のためであろうはずもない。

どこか挑戦的なグンヒルデの目に、ふとユウは自分の姿が映って見えた。


この街に来て以来、久しく見なかったあのアキバの闇の<暗殺者>が、そこで獰猛な笑みを浮かべていた。



 ◇


(帰りたい)


マルシネはただそれだけを願いながら、ふかふかとした椅子に座っていた。

グンヒルデの部屋。

それは一言で言えば、『少女趣味』だった。


あちこちに飾られた花。

<大地人>に頼んで、古服を継ぎ合わせて作られたパッチワークのぬいぐるみ。

一角に置かれた机に束になった紙の束が何を意味しているのか、考えるまでもない。

頭上には瀟洒なシャンデリアが置かれ、無機質な<魔法の明かり>を別のもののように絢爛に輝かせている。


来客用のソファに、互いに相対してユウとグンヒルデが座っていた。

その二人に直角になるように、彼も座っている。

そんな三人の目の前に置かれた茶は、徐々に湯気を失い、鈍い色に変わってきつつあった。


「今日も、寒い夜ね」


一人だけ茶をおいしそうに飲みながら、グンヒルデはそう呟き、窓の外に目を向けた。

外は一面の暗闇だ。

現代と違い、この世界の明かりは魔法にせよ蝋燭にせよ、貴重なものだ。

<大地人>は夜明けの光とともに起き、夕暮れの光とともに眠る。

そんな彼らの街は、昼とは別のように黒々とした姿を、窓の向こうに沈めていた。


「そう思わない? ユウさん」

「そうだな」


目の前の茶に手もつけず、ユウは答える。

一瞬視線を絡ませた二人の女から、マルシネは恐怖に近い感覚で目をそらした。


(もう嫌だ)


マルシネはゲーム時代から、グンヒルデというプレイヤーの仲間――いや、信奉者だった。

同時に、ユウという知り合って間もない日本人のプレイヤーの腕前に対する尊敬もある。

そんな彼女らが、互いに敵意を隠すこともなく机を囲む今の状況は、単なる一プレイヤーでしかない彼の度胸の範疇を超えていた。


「団長は最近優しくしてくれないのかしら? 一人でいることが多いわね」

「あいにく、あの男に優しくされた経験など一度もないな」

「へえ? 噂では一時は毎晩彼の部屋に忍んでいったようだけども」

「くだらない噂だ」


言い捨てたユウの口の端がにやりと吊り上る。


「私は<暗殺者>だ。 忍んでいく相手は、獲物だけだ」

「あら、怖い」


漫画に出てくる嫌味な姫君そのものの態度で、グンヒルデもユウに視線を飛ばす。


先ほどから、このような中身のない、ただし悪意だけは互いに満ち溢れた会話ばかりだ。

マルシネがいっそ居眠りするか、と思った時、唐突にグンヒルデは本題に入った。


「あなた、私につきなさいよ」

「……意味がわからないな」

「馬鹿の振りはやめたら? ローレンツじゃなく私に従いなさい、と言ってるの」


マルシネは元からない眠気が一気に吹き飛ぶのを感じた。

ゲーム時代からその高飛車、かつ妙な物言いでそれなりに知られたグンヒルデだったが

今の発言は極め付きだ。

そもそも、彼女の態度は相手を懐柔するもののそれではない。

だが、ユウは感情のよく見えない、東洋人特有の表情で、眉を一本上げただけだった。


「ほう? で、私のメリットは?」

「私の元での安全と、目的の達成。 あなたはそもそもこの街にいたくて居るわけじゃないんでしょう?

私には多少のコネもあるわ。

フランスから新大陸までの船も手配してあげる。

あなたは晴れて、元の旅にもどれるというわけ」

「なるほど。で、お前さんのメリットは」


ぷふ、という音がした。

グンヒルデがさもおかしそうに、顔を上げて噴出した音だ。


「あなた、何も知らないのね。 それともヤマトではあなた、そんなに強いわけじゃなかったの?

93レベルの対人特化の<暗殺者>なんて、敵に回せばどれほど危険か、私もわからないわけじゃないわよ」


マルシネはそんな主君(グンヒルデ)の言葉に、内心深く頷く。

実際、彼のこの場における役割はユウが激発したときのための護衛だ。

だが、それが至難とさえ呼べる任務であることを、ほかならぬ彼自身がよく弁えていた。

相手は攻撃速度に、いわば特化した<暗殺者>だ。

<盗剣士>も決して遅い職業ではないが、それでもステータスや装備の差で、ユウとは雲泥の差があるだろう。

そして、<エルダー・テイル>12職業の中でも、もっとも個人へのダメージに特化した<暗殺者>に、

それを補強する<毒使い>。

加えて相手は長年にわたる対人戦(デュエル)の経験に加えて、

<災害>以降の数多の戦いを潜り抜けてきたであろう、戦歴がある。

勝てる相手ではない。


そんな相手に臆せず高飛車な口調を続けるグンヒルデに、むしろ感心しながら、マルシネは彼女の言葉を待った。


「あなたは、いわばローレンツの最高の鬼札、間違いなくこの街における切り札(ジョーカー)なの。

私も、ユーセリアも、そんなあなたを、あなた自身が思う以上に警戒しているの」

「その割にはずいぶん無防備に私の前に座っているな」


脅すようなユウにも、グンヒルデの笑顔は消えない。


「あなた、いい年なんでしょ? いまさら罵倒の一つや二つ、聞いたところで気にするとも思えない。

あなたはかなり冷静な人だわ。

自分に利益が見込まれない限り、むやみに戦端を開いたりはしないと思えるの」

「それは、ずいぶん買いかぶられた」


毒気が一瞬抜けたか、苦笑するユウにグンヒルデは身を乗り出す。


「だからあなたにメリットを提示したの。こんな街の田舎騎士で満足しているローレンツでは提示できないメリットを。

どう? あなたの貸借表に見合うメリットかしら?」

「権利の次は義務を聞くものだ。 お前さんが私に望むことは何だ? 私を持ち駒にして何をする?」


横でマルシネが興味深々に見ているのをちらりと眺め、グンヒルデは揺れるシャンデリアを見上げ――告げた。


「もうすぐこの街は戦乱に巻き込まれる」



 ◇


「どういうことです?」


そう問いかけたのは、黙って聞いていたマルシネだった。

彼は、目を丸くさせて自分の盟主に視線を当てる。


「どうしてこの街が? うまく交渉でグライバルト侵攻の犯人を引きずり出し、

その街に遠征をかけるはずでは?

この街を戦火に包まないために、そうした策を施し、<大地人>の住民たちにも苦難を強いているわけではないんですか?」

「そうよ。少なくともローレンツの頭の中では、ね」


グンヒルデは肩をすくめて続けた。


「でも、そううまくはいかない。なぜなら、この街には内通者――裏切り者が居るから」


さらりと告げた答えに、ユウもさすがに目を開く。


「裏切り者たちは、ローレンツの策を逆手にとって、最初の交渉相手には躍らせた誰かをつれてくるはずよ。

さしずめ最初はラインベルクあたりでしょうね。

それをいいことに攻め寄せてくるのはかつてのラインベルク伯、エゼルベルトとその兄、ツェーミット子爵エリンゲンの手合い、ってことかしら。

エゼルベルトはともかく、エリンゲンには<冒険者>の傭兵がいる。

うまくすれば、彼らはグライバルトとラインベルク、二つの自由都市を手にできる」

「なるほど、裏切り者はさしずめ『引き込み』か」


意味がわかったらしいグンヒルデが鷹揚に頷く。


「私としては、どのみちローレンツとはやっていけないと思うの。

そんな時に、あなたが彼の元に居るのはいろんな意味で危険だし、あなたにとっても利益がないわ。

だから逃がしてあげようっていってるの。

いくつか私のために仕事をしてくれればね」

「お前さんのそのセリフを、逐一あいつに伝えているとは考えないのかね」


あきれたようなユウの声をグンヒルデが笑い飛ばす。


「このことくらい、団長ならとっくに知ってるわよ。私が裏切り者候補なのも知ってるわ。

でも、別に私は殺されても居ないわよ」

「自分の『手駒』を寝返らせたら、その余裕もなくなりそうなものだけど」

「ま、考えておいてね。 今日の話はそれだけよ。 返事は今度聞くから」


ユウの完全に脅迫めいた言葉を最後に鼻で笑い、呆れた顔の彼女と、汗をだらだら流しているマルシネを尻目に、グンヒルデはそう一方的に話を打ち切って、ひらひらと手を振ったのだった。



2.


 ユウは自室に戻り、毒を調合しながら首を考えていた。

もちろん、思考を占めているのはグンヒルデの言葉だ。


正直、ユウには意外にすら思えた。

ローレンツの言葉、そしてここ最近の彼女の態度から、もっとグンヒルデというプレイヤーは直情的な女性だと思っていたのだ。


(やはり、ただの姫ではギルドの二枚看板にはなれないんだろうなあ)


グンヒルデは、態度こそ従来どおり高飛車だが、その発言だけを取ってみれば実に冷徹だとわかる。


 彼女は何らかの情報網から、グライバルトをめぐるこの騒動が、ローレンツや<大地人>住民の目論見とは違う形になる可能性が高いことを踏んだ。

加えて、自分自身がローレンツに疑われていることも率直に理解している。


その上で、状況を覆し得る毒使いの<暗殺者>というユウを、この街から引き離そうとした。

いくつかの仕事を手伝えとは言ったが、おそらく彼女は、もしユウが翌朝に『街を出て行くから船を紹介してくれ』と言えば、二つ返事で応じるだろう。

彼女の主要目的は、得体の知れない要素であるユウの排除であって、ユウを用いた何らかの行動ではないからだ。


 ユウは、久しぶりに頭の別の部分が活発に動き出すのを感じていた。

ひとつの刃としてのユウではなく、人の手を読み、先回りしていく、地球のサラリーマンだったころに使っていた頭だ。


その頭脳を用い、ユウは無意識に毒を調合しながら考えを広げた。



 グンヒルデは、グライバルトが混乱、そして戦場となることを洞察している。

それを見越してなお、ユウに街から出て行くことを提案したのは、混乱する状況下で自分、ひいては自分の派閥が生き延びることを確信しているからだ。

その確信は、チェスのように盤面全体を見回したことによるものか。

それとも、彼女の後ろに誰か黒幕が居るのか。

それによって、ユウに与えられた提案の意味はまったく異なるものとなる。


 前者であれば話は簡単だ。

来る状況下において、彼女はローレンツの切り札を一枚、切り離そうとしただけと言える。

後者であれば。

ローレンツに積極的に敵意を向ける何者かの意向が強く作用したことは間違いない。


では、グンヒルデに入れ知恵をした黒幕とは何者なのか。


もっとも簡単な案は、今回のグライバルトへの攻撃を意図した者、ということになる。

グンヒルデが典型的な姫プレイヤーであれば、懐柔は簡単だったろう。

財産よりも、ほんの少しほかの<騎士団>のメンバーより名誉と地位を与えればすむ。

たとえば、グライバルトの名誉領主、騎士団長などと言えば。


だが、グンヒルデは姫と言ってもそこまで物が見えないプレイヤーではなく、

何より無限に復活するローレンツをどう排除するかが争点となる。

では、とユウは以前星を見ていた、怜悧な風貌の軍師役に思いを馳せた。

単独では数が少ないグンヒルデ派だが、ユーセリアと彼の派閥と組めば、人数で言えばローレンツ派に匹敵するだろう。

それだけではない。

ソロプレイヤーを含め、有象無象の集団に近いローレンツ派と比べ、二人の派閥は二人に従ってこの街に拠点を据えたものたちだ。

忠誠心、団結力と言う意味では敵手を凌ぐ。


(何より、互いの利害が競合しないというのが利点だな)


ユウは、実利を尊ぶ人間特有の、奇妙に醒めたユーセリアの目を思い出していた。

グンヒルデがほしいのは『姫』としての名誉。

ユーセリアがほしがる可能性があるのは、統治者、あるいは権力者としての実利、というわけだ。

名目上の騎士団長にグンヒルデを据え、自分がその下で実質上のトップとなる。

それは、奇妙にもヤマトで見たミナミの体制、それに近いものに思えた。


今の街への攻撃を利用し、まずは共通の敵であるローレンツを潰す。

その後は協力するなり、互いで権力争いに走るなり、ひとつの頭を失った三頭政治というのは脆いものだ。


(クラッスス死後のポンペイウスとカエサル、レピドゥス隠居後のアントニウスとアウグストゥス……

バランスが取れていた権力が崩れるのは、権力の一角が滅びたときだ)


では、グンヒルデを通じてユウに退去を命じたのはユーセリアなのか。

それとも。


「……どっちみち情報が少なすぎるな」


やがてユウはそう呟くと、大きく息を吐いた。

ユーセリアを直接問いただそうと思ったが、彼はおそらく喋ることはないだろうし、

何より彼の元には護衛の<冒険者>も多い。

奇襲すれば勝てないことはないだろうが、彼らはモンスターとは違う。


八方塞がりだ。


ユウはもう一度盛大にため息をつくと、単調な作業へと戻った。

同時に唯一、ローレンツにした約束を思い出す。

まだ、この街の<冒険者>たちの内情に気づく前、

ユウがこの街にとどまることを告げた、そのときの約束だ。


『お前さんがこの街を守るなら、できる限りでお前さんの力になるよ』


残るか去るか、一晩考えて得たその約束を、いまだにユウは違えるつもりはない。

自分が『鈴木雄一』でもなく、『ユウ』でもなく、それらの混合物としての自分であると、

ユウ自身が覚悟を決めたその言葉を、彼女は捨てる気だけは毛頭なかったのだった。



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