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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第6章 <傷ある女の修道院>
114/245

82. <無法>

ちょっと短いですが、これで本章は終わりです。

1.


 決闘場に、沈黙が落ちる。

誰もが、息を呑んで状況の推移を見守っていた。


かたや、私欲と歪んだ復讐心のため。

かたや、守るべき仲間のため。

5人と1人、互いに剣を向け合う<冒険者>たちの動きが止まる。


ロージナは、目の前で繰り広げられる激戦を、<軽騎兵(フサール)>ルイスに止めをさした格好のままに見つめていた。

ヤマトでたった一人、虐殺に手を染めた忌むべき殺人鬼(ひとごろし)

華国で、数限りない<大地人>を死に追いやった罪人。

そして、仲間を捨て、たった一人で遥かなる<神峰>に挑んだ孤高の<毒使い>。

その凶暴な二つ名と、今の目の前の<暗殺者>は全くその印象が異なる。


ふと、荒唐無稽な想像がロージナの脳裏に去来した。


彼女は、長い旅の果てに、死に場所を探しているのではないか。

自らの命も、記憶も、能力すべてもなげうって戦う、そんな場所を探しているのではないか、と。

同時に、思う。

彼女が死に場所と定めるべきはここではない。

暴虐からの必死の逃亡者の群れ、この<傷ある女の修道院>では断じてない、と。

目の前の男たちは、ユウの最期を飾るのにふさわしい男たちではない、と。

だからこそ、沈黙を破ってロージナは叫ぶ。

その絶叫は、すでに闇深い北欧の夜のしじまを破って轟いた。


「みんな! 艱難に立ち向かう強さを持て! 逃げるな!! 今こそ戦え!!」



 ◇


「<インフィニティフォース>! <キーンエッジ>!!」


<付与術師>の叫びとともに、クラレンスの拳が光り輝いた。

既に陣形は完璧だ。

前衛にクラレンスと<海賊(バイキング)>のジョシュア。

後ろに<付与術師>のペリサリオと<吟遊詩人>のアリバンドが、<修道騎士>のトラックに守られるように立っている。

本来ならば<守護戦士>のリルドア、さらに攻撃職が並び立つが、5人に打ち減らされてなお、

それは彼らの最大の攻撃陣形(アタックフォーメーション)だった。

<聖騎士(パラディン)>というのは、世界各地の同業者に比べて特殊な職業だ。

たとえば北米の<海賊(パイレーツ)>のようなトリッキーな特技はない。

北欧の<海賊(ヴァイキング)>やヤマトの<武士(サムライ)>、華国の<侠客>に比べれば攻撃力においては今一歩劣る。

だが、<聖騎士>の真骨頂とはその戦線維持能力の高さだ。

直接的な防御力では<守護戦士>に劣る<聖騎士>は、代わりに状態回復や治癒、そしてさまざまな防御特技で戦場を支配する。

ヘイトの扱いに慣れた高レベル<聖騎士>は、時にパーティひとつの猛攻すら耐え忍ぶ。

そして、クラレンスはレベルの上でも、腕前(プレイヤースキル)においても、当代一流の<聖騎士>だった。


「戦線を維持しろ! 押し包んで()るぞ!」


傭兵隊長(ギルドマスター)の気合に応じるように、<付与術師>のペリサリオの杖に光がともる。


「戦線指揮は任せてください! アリバンド!!」


声で答える代わりに、どこか寒気を覚える旋律が場を支配する。

<剣速のエチュード>と<猛攻のプレリュード>だ。

アリバンドの手にした携帯用のハープが、緩やかに旋律を奏で、<海賊>のジョシュアがにやりと笑って斧を掲げた。

その喉から、獣のような咆哮が放たれる。同時にクラレンスからも、別の言語が迸る。

<勇者の挑戦>と<騎士の挑戦>、ともにタウンティング特技だった。


叩きつけられる戦意に満ちた咆哮に、ユウの意識が塗りつぶされそうになる。

目の前の二人の戦士への、深い憎悪と殺意にだ。

目の前の男たちがすべての元凶、倒すべき敵。そんな強制される意識に、ユウは必死で抗った。

彼女の刃は、たった二振りだ。

目の前の男たちに叩きつけることは、戦況の激変を意味する。

火を噴くようなまなざしを向けつつ、なおもユウは動かない。

自分の死は、修道院の破滅を意味するのだ。

そう思いつつ、必死で戦機を探る彼女に、不意に後ろから鈴のような声が響いた。


意味は取れるものの、どこか異国的な声だ。

その声は、ローブをまとった<吟遊詩人(スカルド)>から発せられていた。


「『踊れ、踊れ、精霊たち。古の知識たちよ、舞え。戦う勇者にロキの空飛ぶ靴を与えよ』」

「<舞い踊るパヴァーヌ>かっ!!」


前進するクラレンスが叫び、リュートを爪弾きながらアールジュは微笑んだ。


「それだけじゃないわ」


ユウの全身が羽のように変わる。

地上の重力の枷が外れたような軽やかさだ。

それは、<舞い踊るパヴァーヌ>だけの効果ではない。

彼女からは見えないが、後ろではアールジュが目に見えてその演奏速度を遅らせていた。

<終わる神の空飛ぶ靴(ウォーコンダクター)>、<吟遊詩人(スカルド)>自身の速度と引き換えに、仲間一人の敏捷度を大幅に底上げする特技。

それが、<舞い踊るパヴァーヌ>と同じく、ユウの全身を包んだのだ。


「ヘイトっ!!!」


クラレンスの言葉が間延びして聞こえる。

ユウの研ぎ澄まされた知覚の中で、十分に鋭い彼の声すら、彼女の脳には遅く聞こえているのだ。


「ありがたいっ!!」


ユウは大地を蹴った。装備によってもたらされた先ほどまでの速度が弾丸だとするならば、今のユウの速度はほとんど光線(ビーム)だ。

高められたヘイトが脳をずきずきと押さえつけるが、それ以上にアールジュの歌声がユウに斬るべき敵を教えている。

わずか半呼吸。

その間にユウは、10m以上の距離を詰め、トラックの懐に飛び込んでいた。

振り上げられる、二本の刀。

それは狙い過たず、鎧を紙のように切り裂き、彼の二つの目を深々と切り割る。

同時に。


「<ヴェノム・ストライク>!!」


懐に毒の瓶がなくともかまいはしない。

秘伝にまで達せられた毒の一撃は、一瞬でトラックの視界を奪う。

奇妙にゆっくりと崩れ落ちる彼の横で、<付与術師>ペリサリオの顔がゆっくりと歪む。

その首に青い光。

頚動脈を断ち切られ、<出血>の効果を受けて、笛のようにその首が啼く。

ユウは振り向くことなく後ろを『知覚』していた。

飛び来る二つの<オーラセイバー>を一歩横に踏み出すだけで避け、なおもトラックに刀を振り下ろす。

亀のように倒れこんだ彼の頚椎めがけ、二つの光が弧を描く。


ここまでのものとは。


ユウはその場の誰もがゆっくりに見えるほどの速度域に達したまま、内心舌を巻いた。

<上忍の忍び装束>。そして<疾刀・風切丸>。

二つの装備で、並みの速度特化型<暗殺者>の、実に8割増の機動ができるユウにとっても、アールジュの支援を受けて得た速度は化け物並に感じられた。

たとえ<鷲頭獅子(グリフォン)>であろうが、<風竜(ウインドドラゴン)>であろうが、追いつける気さえする。

全身に流れる血が、すさまじい勢いで加速するのが分かる。

この期に及んで、負ける気がするはずがあろうか。

動けないうちに全員を血煙の下に沈めてやる。


そう、思ったときだった。


「<アストラル・ヒュプノ>」


首を半ば刎ねられたペリサリオが、呟いた。


「……っ!!」


眠気は一瞬。たたらを踏んでユウは堪える。

だがその一瞬こそが、ペリサリオの望んだ一点の勝機。


「<ナイトメアスフィア>!」


かすれる声でそう呟き、彼は意識を手放した。




 ◇


 ペリサリオは現実では、イタリアのとある大学に通う学生だった。

両親や年の離れた兄とは、決して疎遠ではなかったが、それよりも大学で学ぶこと、そして同年代の友人たちと過ごすことが喜ばしかった。

そんな彼が<エルダー・テイル>をはじめたのはほんの偶然だ。

遠縁に当たる親戚の青年が渡してくれた、ひとつのディスク。

それが彼をセルデシアに迷い込ませた。


冒険は楽しかった。

よく分からない事情で異世界と化したセルデシアに放り込まれてもそうだ。

親戚の青年――クラレンスと仲間たちは変わらず頼もしく、何より彼にはひそかに想う相手がいた。

同じギルドの若手、ジャニスだ。

ゲームを始めたのもほぼ同時、レベルもほぼ同じだった二人は、異世界に放り込まれた夜、ともに故郷に帰ることを誓い合った。

だが、ペリサリオの内心はそうではなかった。

親兄弟との別離は辛いが、頼れる仲間たちとともに、想い人とともに、現実では決して体験できない冒険をする。

その果てに、ジャニスとささやかな暮らしを立てる。

そう、思っていたのだ。


だが、状況は激変する。

変わってしまった兄貴分――クラレンスの指示により、ジャニスがギルドメンバーたちに犯された夜。

ペリサリオは何もできなかった。

何も、しようとはしなかった。

彼は混乱していたのだ。


「ペリサリオ!!ペリサリオ!! 助けて、助けてっ!!」


そう自分を呼ぶ愛する人の声に耳をふさぎ、顔を背けた。

やがて放心したジャニスが、ズタズタの姿で取り残された時、ペリサリオは泣いた。

<付与術師>でしかない彼に、クラレンスたち全員を相手取って戦う力はない。

無力感と絶望感、そしてすさまじい自己嫌悪に、ペリサリオは泣いたのだ。


それからは、彼はまるでクラレンスの傀儡だった。

目から光を消したジャニスの手を、赤の他人のように乱暴に引いて、奴隷市場へ売ったのもペリサリオだ。

クラレンスの指示で、泣き叫ぶ<大地人>の少女を組み敷いたのも彼だ。

彼の始めての異性体験は、恐怖と嗜虐心と、そしていいようもない絶望の呻きに満ちたものだった。

そして今。

彼は多くの『ジャニス』たちを捕えるべく、心をあえて殺してならず者のように振舞って、そこにいた。


そんな彼にとって、目の前の<暗殺者>は、自分がかつて失った何かを守り続けている異人だった。

もし、ペリサリオに勇気があれば。

あるいは目の前の<暗殺者(ユウ)>のように力があれば。

クラレンスたちを止め、今頃胸を張ってジャニスとともに歩けたはずなのに。と。


自分を目にも留まらぬ速度で切り倒したその異国の<暗殺者>を、かすむ目で追う。

それは、こうありたかったペリサリオの姿だ。

憧れに似た感情が、彼の心を占めていた。


だが。


ペリサリオの手は汚れすぎていた。

既にクラレンスたちの手下として、暴虐の限りを尽くした肉体であり、心だった。

だからこそ。

無垢な憧れは、歪んだ悪意となってユウを打つ。

二つの呪文の形をとって。


 ◇


「ぐぅっ!!?」


重力が戻る。

大地が重い。

それが、眠気を払ったユウが感じた最初の感覚だった。

<ナイトメアスフィア>は、対象の移動力を大幅に低下させる特技だ。

<大災害>以来、その低下効果は移動力にとどまらず、身ごなし全体に及ぶ。

対人家(デュエリスト)に過ぎないユウに、対人戦(デュエル)でまず当たることのない<付与術師>に関する知識がなかったことも不利に働いた。

ただ速度のみをもって挑むユウに、致命的ともいえる技を、半死半生のペリサリオが放つとは思いもしなかったのだ。


すかさず二つの挑発特技(タウンティング)が飛ぶ。

混乱したユウの頭脳は、ついにその効果に抗えなかった。


「死ねぇっ!!」


先ほどまでとは比べるべくもない速度で、ユウが駆ける。

その速度はやはり、並みの<暗殺者>をしのぐものだったが、先ほどの閃光のような速度に慣れていたクラレンスたちは、余裕を持ってそれを受けた。


二つの刃が盛大に火花を散らす。

その横から。


「ほら、お留守だ!!」


巨大な戦斧が、背骨をへし折ろうと迫る。


「貴様もかぁっ!!」


その斧を膝を上げて跳ね上げ、そのままユウの刀が這う。

真正面から受け、血を吹いたジョシュアの傷が次の瞬間癒えた。


「もう、大丈夫だ」


トラックが、回復した目を押さえながら呟いた。

続いてクラレンスの<ラニアス・キャプチャー>がユウの喉に突き刺さる。

吹き飛ばされたユウが距離をとるのを見て、クラレンスは自らと仲間たちに簡易的な<障壁>と回復をかけていく。

戦士でありながら補助の呪文も使いこなす、<聖騎士>ならではの戦い方だ。

もちろん攻撃も忘れていない。

瞬時に立ち上がったユウが対応できないタイミングで<オーラセイバー>。

その足元に赤いオーラが立ち上る。

<アサルト・スタンス>だ。

ジョシュアも同時に赤い煙をまとい、二人は先ほどのユウ同様に飛び込んだ。


「<クイック・アサルト>!」

「<戦神の一閃>!」


二つの特技を二本の刀が止める。

だが、受けることを選ばざるを得なかった時点でユウは既に不利だった。

力をこめ、押しつけるクラレンスの横、ひときわ大きく刀をはじいたジョシュアが叫んだ。


「<虎口破り(グラウス・ミョルニール)>!!」


サーバを問わず、大型武器を持つ<武士>の代名詞といえる技は、狙い過たず、ユウの動きの止まった腹部に、まさしく神の鉄槌の如く激突した。



 ◇


 目から、耳から血が噴き出す。

すさまじい激痛と吐気が、自分の意思とは無関係にユウの口から血の混じった吐瀉物を吐き散らした。

目は爆発したように見開かれ、内臓がどこか破裂したのか、むしろ恍惚感すら覚えるほどの苦痛が彼女の体温を一気に冷やす。


(おかしい)


途切れかけた意識の中で、ユウはかろうじてそれだけを考えた。

彼女も<大災害>以来、ほかのプレイヤーによって重傷を受けたことは何度もある。

地球の肉体なら一瞬でショック死するだろう一撃を受けたのも一度や二度ではない。

だが、これまで、痛みは現代人である彼女にとっても無視できるほどのものでしかなかった。

脳を揺さぶられ、朦朧とすることはあっても、直接的な痛覚で動けなくなる経験は数えるほどだ。

だが、今回は違った。


目の前の、自分よりレベルの低い<海賊(ヴァイキング)>の特技の一撃は、いまだかつてないほどの痛みを彼女にもたらしていた。

弛んだ精神の持ち主でなくても、痛みで意識を瞬時に手放すほどに。


目の前で追撃とばかりに頭に振り下ろされる戦斧の刃は、まるで子供のころに見た物干し竿のようだった。


 ◇


「ユウ!!」


ロージナは一歩も動けない自分を今日ほど歯がゆく思ったことはなかった。

目の前で、骨がまとめて砕かれるべぎりという音とともに、<暗殺者>が倒れている。

その頭に容赦なく斧が振り下ろされ、再び異音が鳴った。

頭蓋骨ごと、ユウの頭が打ち砕かれた音だ。

再び振り上げられた斧から、奇妙にクリーム色の欠片と液体がこぼれるのを見て、再びロージナは戦慄する。

先ほどまでの敵と同様、びくびくと痙攣する彼女の全身はだらりと弛緩し、意思を持って動いているようには見えない。

その全身を無数の音符が打ち、<暗殺者(ユウ)>は断末魔のように全身を強く跳ねさせた。


「何よ、これ……」


仲間の誰かがつぶやいた。


元が<エルダー・テイル>である、この異世界での<冒険者>の戦いは、こんな凄惨なものではなかった。

血こそ流れるが、痛みも目に見える傷もなく、肉体的なダメージは死ぬまで目に表れなかったものだ。

たとえ死んでむごたらしい姿になっても、数秒経てば光に包まれて消える。

そんな、「きれいな」戦いのはずだった。

先日襲ってきたヴァンダイ族との戦いもそうだ。

確かにユウの戦いは衝撃的だったが、惨たらしいというものではなかった。

それは、彼女が毒を使わなかったこともあるだろうが、彼女の刀に沈んだ<大地人>たちが、死体を大地に横たわらせるや否や消えていったという理由もあった。

それに対し、目の前の戦いはどういうものか。

ユウが手を下した敵の<冒険者>は、目をえぐられ、腕を切り落とされ、泣き叫んで死んでいった。

そして今ユウ自身もまた、残るHPと肉体を同時に解体されつつある。

その戦いの、なんと惨たらしいものか。

考えれば当たり前で、金属を振り回して相手の肉を削ぎ、骨を砕き、命を奪うのが戦いだ。

きれいなものなど何一つない。

糞尿を垂れ流し、生きながら肥料に変えられ、どんな自然死も及ばないほどの形で『葬られる』。

それが戦いであり、ロージナ自身もそれを生業とする戦士なのだった。


「うご、け……」


 足が震える。

羽根のように軽かったはずの剣が、大地にひっかかったかのように重い。


「あいつは、あいつは……」


修道院を守るために、一人で戦った。

ロージナたちを逃がすために、戦った。

まだ知り合って一月も経っていない見知らぬ他人の居場所を守るために、死に掛けている。

艱難に立ち向かう強さ、勇気。

そう誓って<傷ある女の修道院>を作ったはずの自分のこの肉体(アバター)は、ロージナが何度自分で叫んでも動こうとしてくれない。


殺し合いに対する、圧倒的な恐怖。

どんな勇気を掲げ、言葉を重ねても動けないことへの絶望感。

そして、動けないことへの、偽りの安堵。


このまま気絶すればよいのに。 ロージナは半ば本気でそう思った。

眠って朝になれば、いつもの祈りの時間が来る。

平穏で、平和で、何事もなかったかのような静謐が。

切実で――空虚な祈りを、いもしない神に祈り、逃げ出した事実を平和という言葉に塗りこめた、茶番劇の毎日が。


茶番劇で何が悪いのだろう。


ロージナは、周囲に彫像のように立ち尽くした仲間を横目で目に収めて自虐的に笑う。

茶番劇で結構だ。

アールジュすら、楽器を引こうとする手を無様にひきつらせて立ち尽くしているだけではないか。

リルルも、愛用の<風の剣(ヴァリプラ)>をだらんと下げたままではないか。

たとえこの世界の戦いが殺し合いだとして、なぜそれを自分たちが直視しなければならないのか。

殺し合いは、好きな連中だけで勝手にやっていればいい――


そのとき、かすかに開いた修道院の門を、小さい影が2つ駆け抜けた。



2.


「ふん」


動けないロージナたちに鼻を鳴らし、クラレンスは足元に転がる、『かつて<暗殺者>だったもの』を見下ろした。

嗜虐的な快感に遊ぶジョシュアによって、顔面は無残に崩壊している。

すらりと伸びていた両手足は、分厚い斧と、クラレンス自身の剣によってすべて断ち切られ、

腹からは墓標のようにペリサリオの手からもぎ取った杖が突き出ていた。

わずかに痙攣する体は血まみれで、一見すると人にすら見えない。

だが、ユウは生きていた。

彼女の防御力が優れているわけではない。

憎しみに満ちたトラックが、何度も回復(ヒール)で彼女の傷を癒しているのだ。

もっと惨めに、残酷に苦痛を味わわせるために。


クラレンスは、ユウのもはや血の色をした水溜りにしか見えない顔に剣を向けた。


「これで反省したか?」


彼の声にこたえる音は、小さな息の音だけ。

先ほど、フレンドリストからリルドアの光が消えた。

これで、彼女一人に殺された相手は4人。重傷者は1人。


「どこで生き返ってもいいぞ。お前の名前はすでにリストに登録した。見つけ次第殺してやる」


そういうクラレンスには、強敵への敬意も確かに残されてはいる。

だが、彼の全身を包むのは怒りであり、自分の隊長(ギルドマスター)としての面子に泥を塗った相手への不快感だ。

こいつがいなければ、今頃仲間全員であの腰抜け女どもを抱けたのに。


「死ね」


そんな気分のまま、振り上げもせず、クラレンスはユウのむき出しになった脳に剣を突き刺した。



 ◇


 ぱあっと、幻想的な光が広がる。

この世界(セルデシア)のどこでも変わらない、命の砕ける光だ。

ロージナは、絶望的な気分で、光に消えていくユウを見ていた。


(アールジュ)


蘇生を、と叫んだつもりだったが、自分がかすかな息音しか発していないことにロージナは気づいた。


(修道院、なんて所詮は幻想だったのか)


逃げて、逃げて、セルデシアの果てまで逃げても、いつかはこうなるのか。

この世界は、自分が世界を変えようと思うほどに獰猛で、勇気があって――

――強い人間しか、己の我を通すこともできないのか。


強さとは、数だ。

個人の武勇だ。

状況を変えようとする意志だ。

能動的に周囲を征服し、自分の意に従わせようとする圧倒的な心の力だ。


そのいずれもない自分が率いた集団が、こうして崩壊することも当然に違いない……


あまりの暴虐に、必死に唱えていた神への祈りの言葉すら出てこない。

からからに渇いた喉を伝うのは、ただ恐怖のみ。


だが。


どれほど犯され、無残に扱われ、尊厳を奪われたとしても。

目の前のユウのように殺されることよりはいいかもしれない。


そう思ったとき、別の光が彼女の眼前で太陽のように輝いた。



3.


「<ソウルリヴァイヴ>!!」


高く放たれた声が、闇夜に雷のように響いた。

その聞き覚えのある声に、ロージナはいつの間にか俯いていた顔をはっと立ち上げる。

はるかウェンの大地から、この修道院を訪ねてきた仲間。

今は聖堂で泣き叫ぶ修道院のメンバーを慰めているはずの声。

<癒し手(メディウム)>、ミリアムの声だった。


光が再び集まる。

失われていた魂を、いくばくかの経験値(たましい)と引き換えに現世へ連れ戻すために。


「おい!!」


クラレンスが鋭く叫び、ジョシュアが再び戦斧をよみがえりつつあるユウへと振り下ろした。

同時に、<吟遊詩人>のアリバンドが走る。

状況が再び変わろうとしていた。


走りながらハープを奏で、鋭く音符を放つアリバンドから仲間を守るように小柄なドワーフの女性が斧を構えて立った。


「コンコルディア!」

「回復を!!」


コンコルディアの叫びに答えるようにミリアムが呪文を唱え、その横でイドリースとジャニスが並び立った。

二人の回復職のまだ未熟な呪文が、立て続けにユウの体を打つ。

だからこそ、ジョシュアの致命的な一撃を再び受けながらも、ユウは再び死の苦痛に包まれることを免れた。


「低レベルが、こざかしい!」


歌うことすら放棄して、アリバンドが短く吐き捨てた。

ハープを腰に戻し、彼が繰り出す短いサーベルを、がっちりとした斧が迎え撃つ。


「無駄だ! こいつは」


気絶している、と斧をナイフのように軽々と振るうジョシュアの口を、別の呪文がふさいだ。


「「「<ウィロースピリット>!」」」


別の少女二人が放った叫びが、周囲の草をどよめかせ、ジョシュアとクラレンス、そしてトラックの四肢を縛った。

レベルは低く、彼らの力で稼いだ時間はわずかなものだが、それだけで十分だ。

別の<森呪使い>が放った魔法により、ユウの傷ひとつなく回復した目がぱちりと開いた。


「小ざかしいぜ!」


ぶちぶちと草を引きちぎって踏みおろされたジョシュアの踵を転がって避け、一瞬でユウは立ち上がる。

だが、その目は茫洋としたままだ。

死から引き戻される、という経験が、彼女から明晰な意識を奪っているのだった。


「戦って!!」


コンコルディアと力比べをするアリバンドに横から切りかかった、60レベルの<暗殺者>が叫んだ。


「支援する!!」


別の女性の叫びとともに、草の海と化した戦場でもがくトラックの全身にぱちぱちと光が爆ぜる。

<付与術師>の呪文だ。

ゆらりと立つユウの目は、紫に輝く光の点を無表情に眺めていた。


「私たちはあなたの戦いを見ていた。怖かった。

だから、もう二度と怖がりたくない!」


コンコルディアたちに続いて、門を開け放った少女が叫ぶ。

その声が、あたかも一発の号砲になったかのように。

ユウの全身を無数の光が取り巻いた。


鏡のような障壁がユウの全身を包む。

だらりとさがった刀の光が鋭いものからどこか鈍い色に変わった。

本来は詠唱者自身にしか効果を発揮しない<フィアース・モールド>が刃を覆いつくしたのだ。

その光に包まれた、ユウの足元から生えた翼が小さく羽ばたいた。

続いて呪文の光が彼女の全身を包む。

一端の死によって、<ナイトメアスフィア>のもたらす状態異常効果が解除された彼女に、

再び風のような動きが戻る。

<エレクトリカルファズ>を放った術者とは別の<付与術師>の放った<リフレックスブースト>だ。


無数ともいえる支援呪文を受けたユウの足が、ゆっくりと一歩を踏み出した。


「し、死に損な」


トラックは、最後まで言い切ることはついにできなかった。

ゆらりと動いたユウの足、そのシルエットが瞬時に消える。

わずか数秒後、そこには無数ともいえる<デッドリーダンス>の傷を受け、止めとばかりに<アサシネイト>で首を飛ばされたトラックの姿があった。


さきほどまでの、まさに再来。


わずか数十分前、恐るべき身ごなしでパーティを半壊に追い込んだ<暗殺者>は、それでもどこを見ているのかわからないまま、再びふらりと身を揺らす。


 ◇


「ちぃっ」


強引に拘束を引きちぎったクラレンスは再び現れた死神に背筋を悪寒が伝うのを感じた。

いまさらながらに、遊びすぎたと感じる。

仲間を殺されたギルドメンバーを収めるため、そして凄惨に殺すことによって修道院の女性たちに無言の威圧を与えるために行われたリンチだったが、結果は想定の逆だった。

怯え、震えていた女<冒険者>たち、ロージナたちに前線を任せて逃げていた臆病者たち、

目の前で殺されるユウを見た彼女たちが呼び起こしたのは、更なる恐怖ではなかったのだ。


(だがこれも一過性だ)


ドワーフをはじめ、3人の低レベル<冒険者>とサーベルで渡り合うアリバンドを見てクラレンスは思う。

あの女(アサシン)の次に警戒すべきロージナたちはまだ戦闘に参加していない。

そして移動力のさほど高くはない<聖騎士>の彼にとっても、近い位置に少女たちは立っている。

紫電(エレクトリカルファズ)の助けを借りて、トラックを瞬時に沈めたユウは女たちとはクラレンスをはさんで逆の位置だ。

今の生活になって使い慣れた、凄みのある目でクラレンスは女<冒険者>たちを睨み据えた。


「いい度胸だぜ……ジョシュア!!」

「おう!!」


戦斧を豪快に振り回し、うねる草を切り払った<海賊(バイキング)>が駆け出した。

向かう先は、回復と支援魔法を放ち続けるミリアムたちの元だ。

そして、自らはマントを翻し、いまだに虚ろな目つきを向ける<暗殺者>と対峙する。


「もう一度死ね! <騎士の挑戦>!」


瞬時に自分の体に刃が迫るのを半ば確信して、クラレンスは朗々と叫んだ。

まだ、戦いは終わったわけではないと思いながら。



 ◇


 ジャニスは気絶していない自分が不思議で仕方なかった。

目の前で仲間であるコンコルディアを切り刻むのは知り合いだったアリバンドだ。

そして彼方から重戦車のように突進してくる戦斧の巨漢は、ジョシュア。

その向こうで、今は亜麻色のマントを翻して背を向けているのは、クラレンス。

いずれも、夢に出てきただけで恐怖に叫んで飛び起きるほどの傷を彼女につけた、元ギルドメンバーだ。


彼女は前線に出るつもりなどなかった。

いや、それは周りに立つ女性の誰もがそうだったろう。

かつて傷を負ったときにそうだったように、目を閉じ、耳をふさぎ、心を閉じ込めてやりすごす。

この夜もそうするつもりだった。


なぜ、自分が門のそばまで出てきたのかわからない。

なぜ、修復中の壁の隙間から外を見ていたのかも。

そこでゲフィオン――あの寡黙な異邦人は、鬼神のように戦っていた。

その影を見るだけで動けなくなるほどにジャニスを苦しめた男たちを相手取り、

たった一人で戦っていたのだ。


その時彼女の胸に去来したのは、奇しくも、それは敵方にいた<付与術師>ペリサリオと同じ感慨だった。

私に勇気があったならば。

彼女の強さがあったならば。

あそこまで惨めに、苦しまなくてすんだのに。


壁の隙間から目を離してみれば、誰もが同じ顔で顔を下に向けている。

そして悟ったのだ。

毎日の礼拝で無意識に唱えていた祈りの文句は、そして<修道院>の誓いの言葉はこれなのだと。

気づけば、ゲフィオンは大地に横たわり、その全身には雨のように斧が振り下ろされていた。

千切れる手足、陥没する頭、無残に飛び出る内臓。


(こわい)


あの雨の夜、ジャニスは肉体こそ傷つかなかったものの、その精神はゲフィオン同様にバラバラに解体されてしまった。

だからこそ、彼女は無意識に『怖い』とつぶやいた。

それは、目の前で人から挽肉の塊に変えられつつあるゲフィオンの容姿に対してではない。

孤高の彼女が、自分のようにすべてに怯え、偽りの陽気さを体の表面に貼り付けて笑う。

そんなことになるのが、怖かったのだ。


 気づけば、ジャニスは硬く閉じられた門の閂をはずそうとしていた。

とめようとする仲間たちを振りほどき、押さえつけようとする手を払いのける彼女の手に重ねられたのは、自分よりはるかにレベルの高い<癒し手>の手だ。

見上げた彼女(ミリアム)の顔は、恐怖と混乱でくしゃくしゃに歪んでいる。


いつしか、門を開けようとする手は増えていた。

ジャニスは、きっと自分もミリアムと同じ顔をしているだろうな、と思いながら、夜の戦場に立ったのだった。



 ◇


 ユウの意識は、ほとんど死による奇妙な静謐感の中にある。

生きながら捌かれる、そんな苦痛に冷静に対処できる人間などいない。

何度も死のふちをくぐり、時にはその狭間に落ちてきたユウですらそうなのだ。

だからこそ、全身をさいなむ激痛がいつの間にか消えていたことにも、ユウは気づいていなかった。


ただ、叫びが聞こえる。

意味は取れないが、それは、今までの彼女の戦いにおいてほとんど聞くことのなかった叫びだった。

<大災害>以降、時には仲間と共に戦った彼女だが、仲間を『頼った』ことはほとんどない。

だが、今だけは違う。

よくわからない声たちが、彼女の背中を押していることをユウは感じ取っていた。

叫びと共に、大規模戦闘(レギオンレイド)主防御役(メインタンク)でも受けたことがないほどの支援魔法が自分を包んでいることも。


だからこそ、ユウは動く。

今の自我が希薄な今だからこそ、彼女の肉体は無数の声と、それによってもたらされている意志に従い、素直に動いた。


一挙動でトップスピードへ。

全身に雷鳴をまとった<修道騎士(テンプラー)>の鎖帷子(チェインメイル)を紙のように切り裂き、

爆発する彼を切り刻んで最後に首を落とす。

続いて自分に何かの感情――今の彼女にはそれが敵意(ヘイト)であることすら理解できなかった――をもたらした<聖騎士>を見た。


「~~~~~~っ!!」


男が何かを叫ぶ。

それが何なのかもわからず、ユウはただ、無数の呪文に操られるように地を蹴った。


盾。


自分の<蛇刀>を受けたその金属板を回り込むように<疾刀>が男の剣と噛み合った。

ぎりぎりと、互いに刃を食い込ませて動きが止まった刹那、男の顔がにやりと笑う。

ふっと退かれた剣が光をまとって振りぬかれる。


(<一刀両断>……)


胸をまさに4つに切り割られ、吹き飛ぶ彼女が、受けた技の名前を日本語で呟く。

そのまま草にまみれ、ごろごろと転がるが、<反応起動回復>がその傷を癒す。

痛みは、なかった。

感じ取れなくなっただけなのかもしれない。

ただ、大いに血を抜かれたその脳は、無感覚だった彼女にひとつだけ感情を呼び込んだ。


殺意を。



 ◇


「ちっ!! ジョシュア!! アリバンド!!」

「やってらあ!!」


瞬く間に回復していくユウを見て、思わずクラレンスは叫んだ。

その口調にはさすがに焦りが浮いている。


「何を遊んでる! 二、三人、適当な奴を殺せ! あるいは軽くぶん殴れば怯えて逃げるだろう!

状況がわかってんのか、てめえら!!」

「うるせえ!! こいつらチョロチョロと、目障りな状態異常をかけてきやがって」


風車のように斧を振り回しながらジョシュアが叫び返した。

一人ひとりは、確かに90レベルで戦慣れした彼の敵ではない。

だが、それをわかってか、前線に出た修道院の女性<冒険者>たちは巧妙に彼と戦っていた。

あちこちから放たれる金切り声の挑発(タウンティング)に、元より冷静とはいいがたいジョシュアはあちこちに標的を移し変えさせられ、

挙句斧が届くころには相手はさっさと離れてしまっている。

そして次の挑発だ。

目障りな回復職や支援職から片付けようとしても、間断なく放たれる<アンカー・ハウル>や<タウンティング・ブロウ>がそれを許さない。

それはまるで、互いに命を懸けての必死な鬼ごっこだった。


一方のアリバンドも似たようなものだ。

挑発をかけられ、目をそらした瞬間にコンコルディアの斧が突き刺さる。

彼女のレベルは81、決して無視していいものではない。


「女どもがぁっ!!」


あまりの惨状にクラレンスが怒鳴ったとき、不意に彼の周囲の気温が数度さがった気がした。


「な!?」


魔法か、とうろたえた彼の視線に、先ほど吹き飛ばした<暗殺者>の姿が映る。

一見すると、先ほどまでと変わらない。

そう思ったクラレンスは、背筋に氷柱をつきこまれたような気分で喘いだ。


目。


その目だ。

呪文の中には目から青い火花を出すものもあるという。


だが、<暗殺者>の目から、そんな異常な光は出ていない。

異常なのは視線そのものだった。


敵意ではない。

戦意とも違う。

憎しみ、怒り、恨みや復讐心、そういった生々しい感情でもない。

それがひどく純化された殺意だと悟る前に、<暗殺者>はすたすたと歩き出していた。

今までのように走るでもなく、飛ぶでもなく、ただ都会の通りを歩くように近づく彼女を前にして、クラレンスは身動きひとつ取れない自分を感じていた。

もし、今のクラレンスの感情を先ほどのロージナが読み取ることができたなら。

一も二もなくその感情を共有できていたことだろう。

『恐ろしさのあまり動くこともできない』

クラレンスは異世界に来てはじめて、その感情を抱いたのだから。


目の前で立ち止まった<暗殺者>が静かに、頭ひとつ高いクラレンスを見上げる。


(……は)


「殺す」


小さな宣言と共に、クラレンスの視界は真っ赤に染まった。



 ◇


 ユウの小さな呟きを、ロージナは確かに聞いた。


殺す。


守る、でも許さない、でもない。ただ絶対の、宣言だ。

この異世界において、その宣言は『相手をホームタウンへ送る』という意味でしかない。

だが、ロージナはそれ以上の意味を、仲間だった<暗殺者>から感じ取っていた。


そしてその言葉が、彼女を呪縛から解き放つ。

自分が守るべき、といつの間にか思ってしまっていた女性たちの必死の奮戦を前に、

いまだに萎えていた自分の肉体に血が通う。

おりしも、彼女の前で挑発(タウンティング)をかけたばかりの<守護戦士>が転んだ。

後ろから絶叫を上げて追う<海賊(ジョシュア)>の顔がひきつる。

それが獰猛な笑顔だと思った瞬間、ロージナは大剣で振り下ろされる戦斧を受け止めていた。


「早く逃げろ!」

「女がぁっ!」


重い戦斧を一瞬で引き戻し、手のひねりを加えてジョシュアは再び横薙ぎに払った。

その蛇のような軌道を受け止めた、ロージナの手首が悲鳴を上げる。

目の端に、よろよろと立ち上がった<守護戦士>が逃げていくのを見て、彼女は剣をすっと退いた。


「うおっ!?」

「<クロス・スラッシュ>!」


十文字の軌道が、ごつい皮鎧に包まれたジョシュアの巨躯を切り裂く。


「お前ぇ!!」

「リルルっ!」


再び向かってくる戦斧を打ち落とすように地面に押さえ込み、ロージナは叫んだ。

その声に、虚脱していた<騎兵(コサック)>もまた、目に光を蘇らせた。


「<サルマティア・チャージ>!」


かつて重装鎧をまとってキプチャクの草原を疾駆した、古代騎馬民族の名を冠した突撃特技が、狙い過たずジョシュアの筋肉で膨れ上がった太ももを貫く。

う、とうめいて腰を落とした、その<海賊>の圧力が弱まると見るや、ロージナはその顎を思い切り蹴り上げた。


「みんな! 今!」


戦斧を奪われ、ひっくり返ったジョシュアを、周囲すべてからの刃が貫く。


「うご」


もはや人間とは思えぬ、その呻きが、<海賊>の最期だった。

光に包まれ消えていくジョシュアの向こうで、なおもコンコルディアと渡り合っていた<吟遊詩人>、

アリバンドの顔色が変わる。


「やべえ!」

「追い詰めて殺せ!」


逃げようと身を返した彼の腰を、コンコルディアの斧が断ち割るのを見ながら、

ロージナはユウの万分の一の意志であっても、その「殺せ」という言葉に込められたかと、ふと思った。



 ◇


 数分の後。

戦場だった草原は、ごく一部を除いて静かな夜を取り戻していた。

まるで永遠のようだった戦闘は、終わってみればわずか一時間足らずの出来事でしかない。

満月はまだ中天に差し掛かる前で、周囲の星の光をかき消しながら静々と夜天の玉座に向かおうとしている。


戦場の一角では、先ほどまでと演者を変えての光景が広がっていた。

手足をだらんと弛緩させ、ただ低い呻きをあげているのはクラレンスだ。

そして、その向こうではごくわずかにHPを残したペリサリオが伸びていた。


<聖騎士>の防御能力をものともせず、支援魔法による圧倒的なアドバンテージを武器にまさしく瞬く間にクラレンスを血泥の中に沈めたユウは、しかし今は剣を引いている。

その奇妙な光景に、思わずロージナは尋ねた。


「殺さないのか」

「その役割は私じゃない」


眼光だけを炯々と光らせたまま、黒衣の<暗殺者>が返事を返した。

どういうことだ、とさらに聞こうとしたロージナの袖を、小さくアールジュが引く。

虚脱から脱してより、休むまもなく援護歌を歌い続けていた彼女の声は小さく掠れていた。


「彼の敵が、止めを刺す必要があるわ」

「……ジャニスか?」


彼女は、後ろに立ち尽くす仲間の少女をちらりと見た。

だが、ユウとアールジュはそろって首を振る。

そのしぐさが意味するものを、ロージナは突然理解した。


「……私、か」


自分で想像していたより、その声はひどくいびつで、老婆のようにしわがれて聞こえた。



 ◇


 ゆっくりと進み出て、ロージナは小さく喘ぐクラレンスの前に立った。

しばらく、無言の時間が流れる。

誰もが息を止め、目を凝らして自分たちの修道院長(リーダー)を見つめていた。


「……お前が、俺を殺すのか。 ロージナ」


目が見えなくてもわかったのだろう、激痛に苛まれている声も生々しく、それでもクラレンスが笑う。

無言で返すロージナに、口の端を嘲笑の形にあげて<聖騎士>は苦しげに嘯いた。


「……俺を殺して終わりだと思うなよ。今度は仲間全員、そしてほかのギルドも誘って戻ってくる。

すぐに……すぐにだ。

二度と、絶対に許さん。お前らは」


唐突に言葉が途切れた。

ロージナの鎧に包まれた足が、呪詛のように呟くクラレンスの頭に振り下ろされたのだ。

何度も、何度も。

スピードを上げる足とは裏腹に、ゆっくりと彼女の口から言葉が漏れた。


「私は……この異世界で一度も他の<冒険者>や<大地人>を意識して殺していなかった。

明確な殺意ではなく、いつも挑まれて反撃して、その結果相手の命を奪ってきた。

怖かったんだ。 命を狙われるということが。人の恨みを買うということが。

だから必死で身を縮め、同じように逃げる仲間と傷ある女の修道院(このばしょ)を作った。

だが、それは間違いだった」


ガス、ガス、ガス。


頭を蹴り続ける音を背景音楽に、独白するようなロージナの声が響く。


「私は、戦わないといけなかったんだ。逃げるみんなを守るために、私だけは。

自分の意志で、勇気で、この環境を変えていかなければいけなかったんだ。

それを怠ったから、お前たちが来た。

このアルヴァ・セルンド島の<大地人>たちも逃げざるを得なくなった。

何人も死ぬだろう。幼い子も、年を取った人も。

それは私のせい、私の臆病さのせいなんだ」


もはやハンマーのように打ち付けられる足に、クラレンスの頭はほとんど地面にめり込んでいる。

意識があるのかないのか、すでにそれさえもわからない。


「私は、今日始めて、自分の意志で、殺す。

そうすべきだったんだ。最初から。少し前に来たあの蛮族たちも。

お前たちも」


黙って立つユウをちらりと見る。


「あんたは私の最初の標的だ。死ね、クラレンス。

そしてお前を殺したように、私はもう躊躇しない。

誰でも殺す。 恨みも買う。憎しみも受ける。 修道院と彼女たちを守るために」


ロージナの大剣が振り上げられ、ゆっくりと振り下ろされる。

それは、まるでケーキにナイフが刺さるように、奇妙に滑らかにクラレンスの砕け散った鎧の隙間に入り。

そして、びくんと撥ねて<聖騎士>の体から光が立ち上った。

死んだのだ。


ちいさくすすり泣きの音が聞こえた。


勝利なのに辛気臭いな、とふと感じたロージナは、自らの喉がその声を発していることに、ずいぶん長い間、気づかなかった。



 ◇


「ジャニス……ジャニス」


誰もが黙って、リーダーの啜り泣きを聞いていたとき。

その場の誰もに無視されていた声が不意に音のある静寂を破る。

全員が振り向いた先には、よろよろと顔だけを上げた<付与術師>の姿があった。

何か奇妙な虫のように、体をいびつにくねらせたまま、夢見るような調子でペリサリオが言う。

その目は妙に白っぽく濁っており、すでに何も映していない。


「探していたんだ、ジャニス。あのときのことを謝りたくて。僕は一度も忘れたことはない。

そこにいるんだろ、ジャニス」


やさしげなその声が少女を呼ぶ。


「僕はもう君を見捨てたりしない。また一緒に歩きたいんだ、ジャニス」


喉にぱっくりと傷口をあけ、ひゅうひゅうと笛のような音と共に呟く彼の声は、あくまで穏やかだ。

まるで、理性的で温和な、『ただのプレイヤー』のように。


そうだからこそ、その声を聞いた誰もにはすさまじい違和感と、そして嫌悪感が浮かぶ。

人の姿をした寄生虫が、宿主を呼ぶような。

亡霊が、生者を冥府へと誘うような。


「ジャニス……ジャニス」


いつまでも声は続く。

やがて、声に応じてゆらりと動いた人影がある。

ジャニスだ。


「私はここよ、ペリサリオ」


落ち着いた声に、痛みすら忘れたのか歓喜した声で<付与術師>が言った。


「ああ、ジャニス。やっぱりいてくれたのか。さあ、一緒に行こう」

「ペリサリオ」

「こんな変なこと、あるわけがない。MMOの世界に入ったなんて。

僕たちは被害者なんだ。一緒に戻って、一緒にすごそう」

「ペリサリオ」

「こんな世界、間違ってる。今までは悪夢だったんだ。君も僕も。

でも、同じ被害者だったんだってこと、わかってくれると思う」

「ペリサリオ。わたし、学んだの」


芋虫の蠕動のように、身を震わせた<付与術師>の頭のそばに立って、奇妙に優しい声でジャニスは言った。


「逃げたり、顔を背けたりしちゃいけないって。そうなっても誰も私を救ってくれないって。

私を地獄から救うのは、私自身の戦いなんだって」

「……ジャニス?」


微笑みながらの彼女の声に、ペリサリオの声が不審を帯びる。


「ロージナも、ゲフィオンもそれを教えてくれた。生きるためには、楽になるためには、戦わないといけないって。

戦って、私の敵を倒さないと、私はきっと救われないんだって」

「……何を言ってるんだ? ジャニス」

「戦いは辛くて、怖くて、残酷だけど、生きながら殺されて何度もそれを夢に見るよりはまし。

どれほど嫌で、恐ろしくても、あの雨の音をもう一度聞くよりは、ずっとまし」

「ジャニス」

「だからペリサリオ。あなたに望むわ。 ……死んで」


ゴキ、と総毛立つような音がした。

ジャニスが、持っていた杖でペリサリオの頭を地面に打ちつけたのだ。


「ジャニス!?」

「ロージナやゲフィオン、みんなは意志をもって相手を殺したわ。

だから私もそうする。それが私の、あの雨の夜からの脱出だから」


小さく笑いながら、ジャニスは先ほどのロージナ同様、何度もかつての友人の頭を殴り続けた。

ジャニスのレベルは高くはない。

いくら瀕死とはいえ、一度二度でペリサリオを殺せるほどではなかった。

だからこそ、ジャニスは打ち続ける。

何度も。


「ペリサリオ。死んで。死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで」


声と共に勢いを増す杖が、ペリサリオの頭をぱっくりと割った。

そこに杖を突きこんでぐりぐりとねじりながら、なおもジャニスは笑う。


「私は生きていけないの。もう誰も殺さないままで生きていけないの。

だってそうすると私が死んじゃうから。 私があなたたちに受けた仕打ちの記憶で押しつぶされるから。

本当はリルドアも、トラックも、クラレンスも、CVも、ルイスも、ジョシュアも、みんなを殺したいわ。

でも私にはその力がない。

だからあなただけで許してあげる。

一緒に遊んだよね? 何度も冒険したよね?

いつもあなたは、こんな私を必死で守ってくれていたよね。

助けてくれていたよね。

……だから今度も助けて。これが最期でいいから。

わかった? だから死んでね。私の手で、私を癒せるように泣き叫んで死んでね」

「ジャ……ニ……ス」


脳をめちゃくちゃにかき回され、一瞬でペリサリオの意識が暗転する。

もはや動くこともない彼を、それでもジャニスは光に変わるまで殴り続けた。




 ◇



 翌朝はこの季節にしては珍しいほどに晴れていた。

修道院としての役割を終えた神殿の前で、握手をする人影がある。

一方は、数十人。

そしてもう一方は、一人だった。


「またね」


一度は修道院の脅威と思った<暗殺者(ユウ)>に、ロージナは硬い声で告げる。

声をかけられたユウは、まったく別のことを尋ねた。


「ジャニスは?」

「あれからずっと寝たままよ。<アーリーバードクライ>のような特技であればおきると思うけど。

でも、今は寝かせたほうがいいと思う」


ロージナの代わりに答えたのはアールジュだ。

その姿はいつものローブ姿ではなく、しっかりと足ごしらえをした旅装束だった。

みれば、ユウを除いてその場の全員が同じような格好だった。


「まあ、ああいう状況だからな。まだ彼女は若い。自分のトラウマや、行動を受け止めるには時間が必要だ」


ロージナも頷いて答える。

その向こうには、仲間の一人に背負われたジャニスの姿があった。


「……あんたはどうやって慣れたんだ、ユウ」

「私のことを知ってたのか」


苦笑するユウにあわせ、その髪がはらはらと揺れた。


「答えてくれ。私はいまだに、クラレンスを刺した感触が忘れられないんだ。

おかしいよな、他にも何人も殺してきたのに」

「私は、最初は怒りからだった。それで慣れた。人だろうがモンスターだろうが、殺す理由があったから殺した」

「先天性の快楽殺人鬼なのか?」

「そのつもりはないけど、そういう面もあるかもしれない」


答えながらユウもふと思う。

最初に殺した相手のことはあまり思い出せない。

アキバの<冒険者>だったことは確かだ。

目の前で、いまだにショックのためか顔色の悪いロージナを見る。

自分は、彼女のように慄いただろうか?


しばらく考えて、ユウは違う、と結論付けた。


慄いたことは、ほとんどない。

自分の手が血にまみれていることへの後悔はあっても、殺したことそのものに対する後悔はなかった。

少なくとも、自ら手を下した相手に対しては。


だからこそ、ユウにはロージナが理解できない。ロージナにとってもそうだ。

だが、おそらくは人としてはロージナやジャニスのほうが普通なのだろう。

どれほどひどい目に合わされても、目もくらむほどの怒りを覚えても、

それで相手の命を奪う心を持つに至る人間は少ないのだ。


ひとつため息をつくと、ロージナは話題を転じた。


「本当にヤマトへいけばいいのか?」

「アキバ。東のほうの町だ。そちらであれば無用の暴力は少ないだろう」

「……わかった。この修道院に置いていったものは好きに使ってくれ。

<毒使い>なら毒も必要だろう。作っていくといい」

「感謝する」


ではな、とロージナは片手をあげた。

彼女たちを先導するように、騎乗したリルルが前に立つ。

今から、彼女たち<傷ある女の修道院>はロシアサーバを経由してヤマトへと向かうのだ。

リルルや彼女の仲間たちが、いくつかの<妖精の輪>によるルートを知っているとはいえ、

その旅は決して楽なものではない。

他の<冒険者>に会わないよう、北極圏スレスレの道なき道を行くのだ。

船と馬車、そして徒歩による旅は、いつ終わるかは分からない。


「アキバに行ったら、あんたのことを伝えておくよ」

「好きにしてくれ」



最後尾にいたアールジュが、馬上で振り向いて手を振る。

その姿が丘の向こうに消えたとき、ユウはふと自分の手を見た。

アキバの<冒険者>、モンスターたち。ミナミの<冒険者>、そして華国の<大地人>

無数の、今まで直接間接問わず殺してきた相手の血が、その手にべったりと塗りたくられているように感じたのだ。

それは確かに、ロージナがいうとおり、重く、そしておぞましく感じられる。


(何をいまさら)


ユウは軽く首を振ると、歩き出した。


まずは、毒を作り直してからだ。

その後は何をするべきか。

記憶を取り戻した彼女には、すでに行く道が見えていた。



空は、青い。

どこか日本の秋を思わせる空だな、とユウはふと感じていた。

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