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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第五章 <天の峻嶺>
105/245

74. <天>

これで第五章は終わります。

ありがとうございました。

1.


 御伽噺(メルヘン)

 

 過去、正義と友情、勝利と名誉、そして苦難と努力。

それらをわかりやすく寓意化し、例え、表したものを人はそう名づけて伝えた。

人の現実の生死の中で、それらを現すことが至難であるがゆえに。


 ◇


「……ってえな、クソォッ!!」


<七丘都市(セブンヒル)>の<守護戦士(ガーディアン)>、ティトゥスは握り締めた愛剣、<女王の拘束(クインズ・リストレイント)>を大きく横薙ぎに打ち振るった。

敵たる牛頭大鬼(ミノタウロス)もまた、巨大な戦斧を叩きつけてその威力を相殺する。

怪物と剛勇は、散った火花の先に互いの顔に浮かぶ笑みを見た。

だくだくと血を流しながら、ブオオオオと叫ぶ牛頭大鬼に、負けじとティトゥスも剣を返す。

互いに膂力に任せての一撃。

極大の一撃はその武器を削りあい、互いの胸甲に巨大なひび割れを作って相互に吹き飛ばした。

立ち上がりながらティトゥスと牛頭大鬼は笑いを深める。


勝てると思うか。


獰猛な野獣の瞳が叫ぶ。


勝ってみせる。


冷静な人の目が吼える。


周囲では、牛頭大鬼の配下たる怪物を前に、<第二軍団(レギオ・アウグスタ)>の面々が散開しての乱戦に入っていた。

通常の部隊規模戦闘(レギオンレイド)から見れば邪道だが、対人家の集まりである彼らは、こと集団戦術に関していえばギルドネームの由来(ローマン・レギオン)というよりもその敵手達(ゲルマンやケルト)の後継者だ。

緻密な戦線を組むことなく、各自が自由に敵と相対し、スイッチしては戦っている。

その獰猛な戦いぶりに押されるように、踵を返し始めた怪物たちの群れを見て、軍団長(ティトゥス)はにやりと笑った。


「<レジリアンス>!」


白銀の鎧が煌き、吹き出ていた血が止まる。


「<アンカー・ハウル>!」


高められたヘイトにより、怪物が自分の意思とは無関係に突撃を始める。

その直線的な軌道を読み切り、腰だめに構えられた大剣(グレートソード)が大地をガリガリと削る。

視界が巨大な牛頭大鬼の肉体で完全に占められた瞬間、ティトゥスも得意とする、<守護戦士>の最大奥義が解き放たれる。


「<オンスロート>ッ!!」


逆再生を見るように、巨大な肉体が吹き飛ばされる。その胴体には、内臓に達する巨大な一文字の亀裂が開いていた。


軍団長(レガートゥス)!」


仲間の誰かの叫びが響く。だが、この男の真骨頂はここからだ。


「鉄鎖で縛れ!! <女王の拘束(クインズ・リストレイント)>ッッ!」


主の命に答えるように、無数の鎖が吹き飛ぶ牛頭大鬼を縛り上げ、引き据える。

立て続けの超高速移動――望んでしたことではないが――に朦朧とする牛頭大鬼(ミノタウロス)を見て、最後の仕上げとばかりにティトゥスは叫んだ。


「ユウっ!!」

「おう!」


瞬間、白銀の騎士の後ろから黒い鳥が舞い上がった。

緑と青、二つの剣光を輝かせ、舞った鳥が高速で舞い降りる。

突如、牛頭大鬼の目がぐるん、とひっくり返った。

その眉間から突き出されたものがある。

鮮血の赤と脳漿の白、二つの異物に覆われながらも失われない緑色の殺意だ。

それは眉間から鼻、口、首、そして胸元へと一気に切り下ろされ、牛頭大鬼のHPを問答無用で0の領域へと叩き込む。


「<ヴェノムストライク>」


一切の温かみのない、機械のような冷たい異国語(にほんご)が囁くように風に流れ、

そして一瞬の後には、黒衣の<暗殺者>がその冷え冷えとした影を怪物の後ろから現していた。



「ようっし!レイドクリア!」

「周辺のモンスター、すべて逃亡、追撃はなし! お疲れ様、みんな!」


軍団兵(ギルドメンバー)が歓声を上げる中、ティトゥスは止めを刺した彼の新たな軍団兵――ユウにねぎらいの言葉をかけた。


「さすがだな、ユウ」

「お前さんがお膳立てしてくれたからさ。あれだけ削ってりゃ、パーティランクモンスターなら勝てて当然だ」


肩をすくめる彼女に苦笑して、ティトゥスは落としていたマント――紫色に金の縁取りのついた、軍団長専用のマントを拾い上げる。


「俺が削ったのは半分だぞ、残りを一撃で落とすなんてどれだけ化け物じみた性能なんだ」

「そうだな。お前はもう少し、自分を誇ってもいいと思うぞ」


後ろから口を挟んだ、もう一人の新入り軍団兵にティトゥスは明るく笑って振り向いた。


「ヤンガイジ。あんたもさすがは元<日月侠>副教主だ。仲間を守ってくれて礼を言う」

「蛮族の補助軍(アウクシリア)としちゃ、市民様に死なれちゃ寝覚めが悪いんでね」


皮肉げに言いながらも、かつての暴君の顔に険はない。

ユウもまた、同じアジア人の唯一のギルドメンバーに、ふざけるように声をかけた。


「天地神明、日月神侠文成武徳、江湖に名を永遠に轟かす副教主様、お見事であります」


かつての彼が毎日のように受けていた言葉に、顔を心底嫌そうにしかめたヤンガイジに、ユウとティトゥスは明るく笑った。

笑い声はいつしか周囲に広がり、いつの間にかギルド全員が笑っている。


まだヤマトへの道のりは長い。

だが、日ごとに増しつつある彼らの結束力と友情であれば、どんな敵を前にしてもその道を阻むことはできまい。

そう思わせる、それは暖かな空気だった。



 ◇



 ユウはたった一人で戦っていた。

すでに自己回復能力の限界を超えた酷使によって両手の刀は大きくひび割れ、まとう<上忍の忍び装束>もまた、あちこちがほつれ破けている。

<サンガニカ・クァラ>で使い果たした呪薬の回復のあても、もはやない。

彼女にぎりぎり残ったHPを守るのは、疲れ果てた彼女自身の、身ごなしのみ。


 周辺は敵の渦だった。

モンスター――といっても亜人だが――だけではない。

<大地人>の山賊、草原へ帰れなかったダークエルフの騎士、彼らが十重二十重に彼女を取り囲んでいる。

彼らの叫びは、ただひとつだ。


 裏切りの后妃(カガトゥン)を殺せ。

 われらを地獄へ導いた、この女を八つ裂きにせよ。


いくつもの異なる口から放たれる、まったく同じ意味の数千の言葉は、怨嗟がまるで音声化し、実際の影響を与えたかのように、地響きとなってユウの全身を揺らしていた。

彼らの怒りは正当だ。

彼らを率い、滅ぼし捨てるつもりで華国という巨大な地獄に放り込んだのは、ほかならぬユウだったのだから。

だからこそ、彼女は逃げない。逃げられない。


<大地人>の古都、洛陽(ルオヤン)に近いこのあたりに、万を超える元<賊軍>がいてなお、

彼女がたった一人で戦っているのは、彼らの怒りを受け止める責任が、彼女にはあるからだった。

しかし、その戦いももうすぐ終わる。

わずかな後には無数の手が彼女を押し倒し、犯し、引きちぎり、ゴミのように捨てることだろう。

ユウがそう考えてにやりと笑ったのを誤解したのか、一人のエルフ騎士が激昂して馬を煽った。


「死ね、裏切り者!!」


棹立ちは一瞬、恐るべき速さで迫る騎馬に、ユウは折れかけた<蛇刀・毒薙>を構える。

そのエルフ騎士とユウがすれ違った瞬間、突然周囲に別の音が鳴り響く。


じゃあん、じゃあん、という金属質の音は、華国の<吟遊詩人>が大規模戦闘(レイドバトル)で用いる戦鼓だ。

同時に、旧賊軍のさらに外側から、無数の巨大な旗が上がった。


夏。


その色とりどりの旗に書かれているのは、古い字体で書かれた、その一文字のみ。


「江湖の好漢たちよ、放て!!」


ざあっ、と驟雨のような音を立て、無数の矢が空を翔る。

それらはすぐさま殺意の雨となって、エルフや<大地人>、亜人たちを地面に縫いとめる。


「進軍!!」


戦場でもよく通る若く猛々しい声、ユウにとっては懐かしい<剣士(スワッシュバックラー)>フーチュンの声に煽られて、うわあ、という叫びが周囲四方から轟いた。

続いて金属の打ち合わされる鋭角的な音に、肉が裂かれる異様な音、そして断末魔。


(何が起きた)


すれ違いざまに切り捨てたエルフ騎士の消えかかった遺骸で、矢の嵐を避けたユウがかすむ目を瞬かせたとき。

わっと賊たちの戦線が崩れたち、その隙間から見慣れた顔が現れた。

巨大な中国風の大刀を縦横無尽に振り回し、周囲を撃殺する西洋風の騎士と、日本刀をひらめかせて前に出る敵を切り捨てる、青い鎧の男。


「ユウ! まだ生きてるか!」

「助けに来たぜ」

「カシウス、それにカークス!」


かつてユウが敵対した二人の<冒険者>が、傷だらけの彼女を前後に囲む。

手渡された呪薬を飲んで彼女が一息つくのを見て、二人の好漢はそろって笑った。


「ま、いろいろ聞きたいだろうが、話はこいつらを全滅させてからだ」

「安心しろよ。もうお前を追い回す<冒険者>は華国にはいねえさ。馬は使えるな、ユウ」


ああ、と彼女が頷くと、二人は手にした笛をぴい、と鳴らした。

たちまち駆け寄った愛馬に二人がまたがるのを見て、ユウもまた自らの汗血馬を呼び出す。

やっと呼んでくれたか、といささか不満顔の愛馬の首をぽんと叩き、彼女もまた馬上の人となった。


「后妃が逃げるぞ、追え!」


そういって槍を突き出した<大地人>兵の首を一太刀で撥ね、カシウスとカークスは、周囲から睨み付ける敵を前に、獰猛な笑みのまま叫んだ。


「元<第二軍団>騎士、夏王麾下<日月侠>師帥、カシウス、行くぞ!!」

「元<D.D.D.>遠征部隊所属、夏王麾下<ヤマト傭兵団>団長、カークス、いざ、推して参る!」


そうして三人は走り出す。

江湖の義侠たちの回復や援護を受け、敵陣の真っ只中を突っ切るように。


 走る3人の横をいつの間にか一騎の騎影が併走していた。

江湖に名高い<玄武神剣>を鞍上に横たえ、弓を手に周囲の敵を薙ぎ払っている。


「<大侠>ベイシア」


ユウの呟きに振り向いた男は、汗と埃にまみれながらも、なお爽快な印象を与える顔を綻ばせた。


「やあ、元<華国最悪の冒険者>さん。調子はどう?」


その辺の道端で立ち話をするような口調のまま、見もせずに再び一騎を射落とす。


「これは……どういうわけだ?」


至極当然のユウの疑問に、<夏の侠王>の異名をとる男は馬上で器用に肩をすくめた。


「なに、レンインお嬢さんのおかげさ。彼女は集めた<冒険者>や<大地人>たちの前で、自分の罪を告白したんだよ。

君が不当ではないにせよ過剰な汚名を被っていることも一緒にね。

当然反発もものすごかったが、彼女の今までの実績と、ヤマトから来た何人もの<冒険者>たちの証言、それから粘り強い彼女とフーチュンの説得が実を結んだんだ。

今じゃ君を不当に処罰しようという<冒険者>はいない。むしろ影の功労者扱いさ。

<大地人>をひどい目にあわせたことは、僕たちも一緒だからね。

時間が経って、誰しもが自分たち自身の罪を直視できるようになったのさ」

「そういうことよ、<毒巧手(どくつかい)>」


後ろから同じく駿馬を飛ばしてきた、戦場にまったく似つかわしくない漢服姿の美女が言う。

両足だけで馬を操り、両手から無数に短刀を投げて周囲を制圧しながら、もう一人の夏王、メイファは猛々しく笑った。


「これで約束が果たせるわね。<嵩山>に戻ったら是非あなたと対戦したいわ。楽しみにしてるから」

「そういうわけさ。安心していいよ。僕たちは全員、君の仲間だ」


そう言って駆け去る二つの騎影に、カークスが呆れたようにため息をつく。


「この戦いはフーチュンとレンインに任せる、なんて言っておきながら……この調子だと他の幇主も来てるな」

「ご名答」


別の複数の影がユウたちのそばを駆け抜ける。


「よくぞ<サンガニカ・クァラ>から戻ってきましたね。歓迎しますよ」


そういって顔だけ穏やかに笑ったのは<少林派>の総帥、ファン大師だ。

回復職らしく、言いながらも周囲の<冒険者>たちをその絶大な回復特技で癒して小揺るぎもしない。


「まったく、俺たち大規模戦闘幇(レイドギルド)が雁首揃えて勝てなかった<神峰(デヴギリ)>を制するたぁ、恐れ入ったぜ」


ユウが顔を知らない両手剣の戦士――<屠龍幇>の幇主が豪放に笑って駆け過ぎる。


「貴様には軍団ひとつ潰された恨みもあるが……まあいい。今日は本当の<冒険者(われら)>の戦い、しかと目に焼き付けて行けい」


細身の長剣、<青龍神武剣>で周囲を薙ぎ払いながら舌打ちするのは<嵩山派>の総帥、ランシャンだ。

根っからの指揮官らしく、周囲の<冒険者>たちに何事か指示しながら馬の向きを変えて去っていく。


「まあ、なんだかんだ言ってみんな嬉しいのさ、あたしらもようやく本当の<江湖の義侠>になれたんだから」


馬上で琵琶をかき鳴らしながら、夜の嵩山で出会った男――<衡山派>の幇主が楽しそうに言った。

口調こそあの夜と同じ人を食ったようなものながら、抑えきれぬ嬉しさが躍動する旋律となって周囲に響き渡っている。


「そういうこと」


<衡山派>幇主の横を駆ける、怜悧な雰囲気の美女が両手の細剣を風車のように回しながら呟く。

<古墓派>の幇主だ。

暴風のような彼女の横を、やけに長い槍をしごいた別の男が走る。


「よくもうちの(ギルド)を……という恨みつらみは凱旋してからたっぷり返してやるからな」

「<恒山派>か」


ユウの呟きににやりと笑って、かつて彼女によって滅ぼされた幇の幇主は槍を頭上で振り回した。

彼らが駆け抜ける前は、立ち塞がるどんな敵でも一瞬で倒される、敵陣に開いた巨大な楔だ。

そして、男たちが駆け抜けた後、しばらく経ってユウの目の前に別の騎馬が現れた。


「ズァン・ロン」


幾度か会っただけの、その巨大な体躯の男は、本来の武器らしい戟を舞わして周囲に血煙を上げながら、何も言わず3人に道を譲る。

その目が穏やかながら、かすかに涙ぐんでいるのを、ユウは駆け抜けざま、確かに見た。


(すまない……ズァン・ロン)


ある意味ではユウ以上に過酷な戦いを経てきたであろう戦友に向けられたのは、彼の後ろから忍び寄っていたホブゴブリンへの<アトルフィブレイク>だ。

麻痺したホブゴブリンが首をはねられるのを見届け、ユウは再び前を向く。

彼とは言葉を交わさずとも分かるものがあるのだ。


 やがて敵勢が大きく左右に崩れ割れた。

その向こうにはひときわ巨大な<夏>の牙旗と、その横に翩翻と翻る日月を意匠した旗。

そのふもとに、護衛の<冒険者>たちに守られ、騎乗した男と徒歩の女がいた。

カシウスが嬉しそうに、ユウに囁く。


「そら、待ち人来たれりだ。行けよ、ユウ」

「お前たちは行かないのか、カシウス、カークス」

「再会に水を差すのは後だ。今はお前だけで行け」


カークスも笑う。

そうして速度を緩めた二人の男を追い越して、ユウは思わず手をちぎれるように打ち振った。


「レンイン!! フーチュン!!」

「ユウ!!」

「おかえり、ユウ!」


馬から飛び降り、涙を流して抱き合う3人を、周囲の<冒険者>たちは笑みとともに見つめる。

そしてその瞬間、ユウは孤独な旅路を終えたのだった。




 ◇


 周囲は戦闘の熱気によって空気すら渦を巻いていた。

<冒険者>は今ひとたび、敵に勝つために持てる総力のすべてを戦場に傾けている。

互いに数千を越す人口が激突するこの戦いは、規模で言えば弧状列島ヤマトの歴史でもそれほど特筆すべきものではない。


特筆すべきは別の要因だった。

<冒険者>に正対するのは<冒険者>。

<冒険者>同士が敵味方に分かれ、個人や集団ではなく<軍団>で激突する。その意味で、この戦いはセルデシア史上に特筆されるべき戦いだった。


ユウは乱戦の中を駆け抜ける。

味方はアキバの<冒険者>。敵はミナミの<冒険者>。互いに知己や友人も多く、「どこかの野良パーティでともに戦った」とか「酒場で騒いだ」程度の知り合いであればさらに数多い。

だからこそ、アキバの<冒険者>たちの顔はいずれも戦場にあってなお悲痛だった。

一方のミナミの<冒険者>たちの顔は、いずれも奇妙に平静だった。

まるで、抱くべき感情などとうに磨耗しつくしたかのように。


ユウたちに向けられたのは最初、レベルを<冒険者>並みに調整された<大地人>の軍団だった。

神聖皇国ウェストランデの正規軍だ。

それを阻んだのもまた、<冒険者>による訓練によって、多少なりともレベルが上がった<大地人>の軍団。

都市同盟イースタル、そして亡命してきたエッゾ帝国の残党による連合騎士団だった。

互いに激突する<大地人>たちの横を、<冒険者>たちは駆け抜ける。

ミナミを支配する<Plant Hwyaden>、その名目上の総指揮官である<付与術師>濡羽と、実質的な総指揮官である<南征将軍>ナカルナード、二人の首級を狙うために。


東と西、アキバとミナミ、<円卓会議>と<Plant Hwyaden>。

同じ境遇に落とされながら、別の道を選び取り、互いに睨み合っていた二つの勢力は、ここに至ってついに干戈を交えていた。

決戦の舞台は<セキガハラ古戦場>。そこはすでに古戦場ではなかったけれど。


「ユウ! あまり猪突するな!!」


後方からともに戦ってきたクニヒコの叫び声が聞こえる。

彼の横にはレディ・イースタル、テイルザーン、レン、そしてその他にも多くの仲間たちが戦っているはずだ。

さらに後方では<黒剣>アイザックを総指揮官とし、<東の外記(げき)>シロエを参謀長としたアキバの本陣がある。

互いに簡易的な<大神殿>機能を有する<北風の移動神殿>を揃えた両軍の激突は、まさに消耗戦の様相を呈していた。

だからこそユウは翔ける。

仲間たちのため、この戦いを終わらせるために、ミナミ軍の総指揮官、濡羽の首を狩らんと。


剣を向ける<武士>の首の骨を膝を押し当ててへし折り、呪文を唱えようとした<妖術師>の顔に<強酸>の毒をかける。

頭が溶けるすさまじい激痛に泣き叫ぶ<妖術師>の股間を蹴り上げて、たじろぐ周囲を尻目に再び、空へ。

殺しつくす必要はない。

もはやゲーム時代から程遠い現在、腕を落とすのも目を抉るのもユウの自由だ。


「……黒い服に青と緑の刀、あいつは」

「<アキバの黒い殺人鬼>……」


恐れを含んだその声に妖艶な笑みで応え、返礼とばかりに投げつけられた<窒息>の毒を塗った短剣に、呟いた男たちがそろって顔を青くし、首をかきむしって倒れこむ。


抉る。

落とす。

貫く。


ユウの通ったあとに残された<冒険者>のHPはいずれもすぐさま0になってはいない。

だが、彼らの姿はまさに酸鼻の一言に尽きた。

目を抉られて悶え苦しむ者、鼻を切り落とされてうずくまる者。

腕を落とされ泣き叫ぶ者、毒が全身に回って痙攣しながら死を待つだけの者。

顔をゾンビのごとく溶け崩れさせた者、酸素不足で肥大した舌をだらりと垂らして倒れこむ者。

およそ、人間が人間に与えることのできるありとあらゆる苦痛の、さながら展覧会だ。


「痛え、痛え……」

「……こんな死に方は嫌だ…」

「…畜生……誰か助けてくれ…」

「お願い、お願い、顔が溶けて何も見えないの…」

「フン。自業自得だ、自殺志願者どもが」


そんな悲鳴を一言で見捨て、ユウは飛ぶ。

やがて、ひときわ華麗な天幕が見えた。

そこで作業機械のような無骨な男が次々指示を出しているのを見て、ユウはほくそ笑む。

どれだけのレベル、どれだけの防御力でも関係ない。毒耐性があろうがなかろうが関係ない。

ユウが研究してきた毒はもはやゲームにあった<毒薬>のレベルをはるかに超えている。

レイドボスならまだしも、せいぜいHPが二万三万の人間風情が対応できるものではない。


そう思って大地を蹴ろうとしたユウに、放たれた音符が襲い掛かった。

思わず切り払ったユウだが、与えてくるダメージの重さに思わずたたらを踏む。

彼女がにらみつけた視線の先には、陣形を整えた何人かの<冒険者>の姿があった。


「……ユーリアスか」

「お久しぶりですね、ユウさん」


<アルペジオ>を放った旧知の<吟遊詩人>の顔はあくまで無表情だった。

その視線がちらりと彼女の後方を仰ぎ見る。


「……また凄惨な戦いをしてきましたね」

「こっちのほうが効率がいいんでね。それよりどうした。絵本の執筆が滞るぞ」


揶揄を込めた嘲弄にも、ユーリアスの表情は眉ひとつ動かない。


「あなたを倒してから後半を執筆しますよ」

「せっかくの相手だ、タルの奴やレオ丸法師に会わせたかったがね。まあいい。

ここで会ったのも何かの縁だ。貴様ら<Plant Hwyaden>――いや、<望郷派(オデッセイア)>の死にたがりどもに、おあつらえ向きな死をくれてやる。

ちょっと他の連中より痛くて苦しいが、せいぜい死んで現実の夢でも見るんだな」

「……<バトルコンダクト>!」


ユーリアスが特技を放ったのと、ユウが飛び出すのとは同時だった。

他の仲間――かつての<グレンディット・リゾネス>の反応し切れない速度でユーリアスに近づくと、その胴を深々と斬り割る。


「<ヴェノムストライク>」


同時に放たれた<窒息>の毒が、ユーリアスの息の根を止める――はずだった。


「!?」

「誰も彼もが毒に弱いと思わないほうがいい、<毒使い>のユウ!」


横から飛び出した又五郎の刀が、一瞬出遅れたユウの肩口を切り裂く。

その刀が腕を落とそうとするのをユウは前に出て止め、その顎にアッパー気味の柄突きを叩き込む。

緩んだ又五郎の刀を振り落とし、ユウは飛びしさった。


「<毒使い>や<調合師>のサブ職業を持つ<暗殺者>の強襲なんて織り込み済みです。

我々近衛部隊には、すべて毒を無効化する呪薬が配られている」


斬られたダメージを癒して、そうユーリアスは告げる。

それにユウが何か返そうとした瞬間、彼女の後方がわっと乱れ立った。

多くの仲間を足止めに残し、アキバの斬り込み部隊が戦場に到着したのだ。

その戦闘に立つのは巨大な槍を構えた<武士>、抜く手も見せず刀を振るう剣客、

そして。


「ユウ! 前に出すぎるなって言っただろう! 毒は魔法の万能兵器じゃないんだ!」

「そういうこった。死にたがりも度が過ぎてるぜ」


ユウの頼れる二人の親友だ。

その二人が、前に佇む<吟遊詩人>と仲間たちを見る。


「……ユーリアスか。それに又五郎、お前ら……」

「おい! 投降しろ! お前たちは<Planthwyaden(あいつら)>に果たす義理なんかねえだろうが!」

「クニヒコさん、レディ・イースタル……お久しぶりです」


かつてのギルドマスターの言葉に、元・第二席(サブギルドマスター)だった男はそれのみ答えてリュートを掲げた。


「もはや歌も、言葉も無用……我々を倒して進んでください、レディ・イースタル!!」

「この石頭が!」


かつての部下に吐き捨てて、レディ・イースタルは手にした杖――槍と化した長年の相棒を構えた。

クニヒコもまた、<黒翼竜の大段平>を正眼に構える。

その横に着地し、ユウもまた緑と青、二つの刀を構えた。


「この戦いに何の意味がある!」

「それは勝ったほうが好きに決めればいい!!」


その言葉の応酬が、彼らにとっての最後の戦いの合図(ゴング)だった。


「行くぞ、ユウ!タルさん!」


斬るべき敵を明確に見据え、相棒たる黒衣の騎士が叫ぶ。


「回復は任せときな。なあに、こいつらに仲間一人だって()らせやしねえ」


誇り高き伯爵が戦意に満ちて笑う。


「それにな」

「なんだ、タル」

「今度はおっさん三匹、肩を並べて戦うんだ。これが神様だろうが悪魔様だろうが、止められるもんじゃあねえ。

俺たちは、あいつらがオムツつけてピィピィ言ってた頃からセルデシアで冒険してるんだ。

年寄りの忠告も聞かねえクソガキどもにはたっぷり灸を据えてやるべきだろうよ。なあ?」

「ああ、そうだな」


ユウも笑う。

かつて道を違えた友人と肩を並べて、嬉しそうに。


「ユーリアス、又五郎。そしてガキンチョども。もう私はたった一人の<毒使い>じゃない」


立ち昇る高揚感のままに、ユウは言った。

何より自分に言い聞かせるように。


「私たちは三人一組、無双のチームさ。

その前でくたばりたけりゃ、今度こそ腹を括ってかかって来い!」



2.



 突然、ユウの目の前で光景がひび割れた。

マジックミラーが砕け散るように、3つの戦いの光景がユウの眼前から消え失せる。

ティトゥスとヤンガイジの男臭い笑みも。

フーチュンとレンインの泣き笑いの顔も。

クニヒコとレディ・イースタルの悲壮な決意に満ちた顔も。

すべてが幻となって、崩れ消えていく。

映像の中のユウが抱いていた信頼、友情、喜び、決意、それらすべての感情とともに。


再び音も光もない灰色の闇に取り残され、ユウは感情を失った声で呟いた。


「あれは、未来の光景か。それとも……幻想(ゆめ)か」


その問いに答えるものは、いない。


「幻想か」


ユウは自分が目を閉じているのか、開けているのかも分からないまま、ぽつりと言った。

あの白い光の空間から弾き飛ばされたユウが気づいたのは、この空間の中で漂っている時だった。

同じく前後左右も床も天井もない、出口のない空間。


違うのは、前の空間は眩しいほどの白色で満たされていたのに対し、ここは夜明け前のような灰色に包まれている、という一点のみだ。

ゾーンの名前は分からない。

本来ゾーン名称が表示されるはずのステータス画面の片隅には、文字化けしてとても読めない字が躍っているだけだった。

当然、どこにいるのかも分からない。

そもそもセルデシアかどうかすら分からなかった。


時間の概念も同様だ。

放り込まれて一瞬しか経っていないようにも思えるし、百年が過ぎたようにも思える。


その気が狂いそうな孤独の中で、時折目にするのは先ほどのようなどこかの風景だ。

場所は<サンガニカ・クァラ>であったり、華国であったり、ヤマトのどこかであったりと様々だが、共通しているのはいずれの光景にもユウが出てくることだった。

映像の中のユウは孤独ではない。

頼れる仲間に背を預け、目的のためにその毒の刃を振るっている。

実際の旅路と、なんと違うことか。


(あんな日々が、私にも来るのか? またみんなと会える、ああいう日が)


幸福とは、失って初めて気づくものだという。

そういう意味で、そうとは知らず幸福な日々を捨ててきた自分の、なんと情けないことか。

格好良く啖呵を切って別れていながら、そうだ。

思えば、ヤマトでの最後の瞬間もそうだったではないか。

ユウは慟哭した。


離れて、流離ってなお、『仲間の帰り道を探すため』などと嘯いたのもそうだ。

共に過ごすことに耐えられなくてもなお、アキバや華国の仲間たちとどこかで繋がっていたい。

そういうさもしい気分が、耳障りのいい言葉を借りて出てきただけではないか。

本当はこうしたかったのに。

仲間と共に、せめて戦っていたかったのに。


抑えきれぬ何度目かの苦鳴を、ユウは漏らし続けた。

その中で、諦め混じりに思うものはある。


それでも旅に出たかった。

一人で孤独に歩いていたかった。


その気持ちが、自分の中に確かにあることだった。

その果てに、何度同じ孤独と後悔に苛まれたとしても。

あの映像の中のユウは、幸福感を感じながらもどこかで後悔しながら生きていくと感じていた。


同じ後悔をするならば。

せめて、望んだ道を選んで後悔したいではないか。


思えば、子供のころはF1のレーサーになりたかった。

その後は、世界を変えるほどの億万長者になりたかった。

そのいずれも、地球の自分は実現できなかったが、代わりに安定した生活と家族ができた。

どちらが良いというものではない。

ただ、レーサーに、あるいは億万長者になるための努力を怠った末の結末として、地球におけるしがない小太りのサラリーマン、『鈴木雄一』は誕生した。

マンションの一室を買うかどうかで頭が割れるほどに悩み。

一日の昼食代をどう抑えるかで悩み。

子供の教育で悩み。

そして、いずれは巣立った子供が他の場所で幸せを見つけるのを見届けて、わずかな退職金で妻と共に余生を過ごして老人ホームで一生を終える、そんなどこにでもいる男だが。

そこには多くの幸福と苦しみと、そして道を曲げてしまった後悔がある。


ならばせめて。

異世界(セルデシア)であれば、進む道を違えたくないではないか。



 ユウがそう思って顔を上げたとき、灰色の闇のそこかしこから光があふれ出した。


(なんだ)


そう思った瞬間、鮮烈なイメージと共にあの<神峰>の頂上に置いてきた花冠の鮮やかな色彩が蘇り。


そして、再びユウの意識は強烈な圧力によって押し流されていった。





 ◇



「よう、そろそろ春だなあ」

「おう、暖かくなって、そろそろ麦も伸びる頃合じゃの」



 小さな島の、小さな村。

そこには数十人の<大地人>が肩を寄せ合うように暮らしている。

そこは平和だった。

モンスターの襲撃も、天変地異も彼らにとっては絵物語の世界の中の何かだ。


そんな百年一日のような小さな村の挨拶など、天気か農作物、漁獲高の会話くらいしかない。

だが、最近それにもうひとつ話題が加わった。


「向こうの<冒険者>さまらの修道院のあの()、こないだ畦を歩いているのを見たぞ」

「こないだネトリの婆さんが海を見ているのを見たってよ。相変わらず良く分からんことしか言わんかったらしいがの」


農夫らしい二人の男は、揃って村から出る道の向こうを見た。

そこには、古代に打ち捨てられた楽神の神殿を修復した、余所者――<冒険者>たちの修道院なる建物ができていた。

それもまた農夫たちの格好の世間話の話題になっていたが、最近そこに新しい話題が加わったのだった。


「あの海から打ち上げられた娘っ子かい? 美人だけどちょっと気味悪いね」

「だけども、あの修道院に引き取られて薬作りを手伝っているんだと」

「自分が誰で、どこから来たのか知らないんだろ、その子。確か名前も分からないんだっけ」

「変な剣を持ってたというしなあ。 モンスターじゃないのか?」

「まさか。こんな島にモンスターなんぞ出やせんよ。フリックの心配性にも困ったもんだ」

「あのなあ……」



 話題の中心にいる娘は、その日もまた、海岸でじっと座っていた。

時刻はもはや夕暮れだ。

人類の生活域としてはかなり北にあるこの島は、日が早く沈み、気温の低下はそれ以上だ。


「風邪、引きますよ」


砂浜をさくりさくりと踏んで、後ろに立った<吟遊詩人>の女性の声を、座っていた娘は聞こえないかのように無視した。

しかし、<吟遊詩人>が再び何かを言おうとする前に、その娘は振り向く。


「……私に、言ったのか?」

「ええ。戻りましょう。私たち<傷ある女の修道院>へ」


そうだな、と立ち上がってその娘は<吟遊詩人>の女についていく。

ふと、女は後ろを歩くその娘が海岸を振り向いていることに気づいた。


「……? 海の向こうが、気になるのですか?」

「ああ。何かとても……重大なことを忘れている気がするんだ。

海のずっと向こうに、私は何かを置き忘れてしまったかのような」


記憶をなくしたその娘は、ぽつりぽつりと答える。

そのなんとも言えず寂しげな姿に、思わず<吟遊詩人>は声をかけていた。


「大丈夫ですよ。大事なことなら、いずれ思い出します。 ……きっと。

それまでは、私たち<傷ある女の修道院>でゆっくり休んでください」


その暖かな声に頭を下げつつ、女はぽつんと呟いた。


「それでも、何かを忘れてしまったような……いや、そもそも、私は、一体、誰だ?」



その声は、鳴く海鳥の声に紛れ、当の本人にすら聞き取ることは出来ないほどだった。

各章の最終話を読み返してていつも思いますが、この人、たいてい最後何か後悔してますね。


基本的に「仲間といたい」「一人でいたい」の二律背反に悩んだ挙句、たいてい後者を選んで後悔する主人公ですから。

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