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暴君勇者と良心的な魔王  作者: ノア
旅路編
8/26

◇旅は道連れ世は情け Ⅳ


「シン殿」


 妙に落ち着く低い声に名を呼ばれ、シンは歩みを止めて後ろを振り向く。薄暗闇の中から金色の瞳が静かにシンを見つめていた。


「何だ、主様か。こんな森の外れまで来ちまって大丈夫なのかよ?」


 シンは森の入口から見える外の風景に目をやってから森の主を見た。黙したままモロクはそっとシンの側まで歩み寄り身を屈める。


「私の背中に乗るといい。半刻で王国に着く。…私はこの森の主ではない。だから離れても特に問題はない」

「へぇ、そうか、よっ」


 シンは迷う素振りなく適当に相槌を打ちながらモロクの毛を掴んでよじ登る。


「あのお嬢さんの気持ちは有り難い。しかし、この森とて元は別の魔族の土地。それを彼等より強かった我々が奪ったまでのこと。弱肉強食。それが世の摂理というもの。付き合わせてしまってすまないと思っている」

「世間、知らずなんだ。まっ、今回は、社会勉強、っつー意味合いだろ。なぁ、あの森以外に…いや、あったら移動してるか」


 ようやく背中まで登ったらしく、シンは肩で息しながら切れ切れに言葉を紡ぐ。モロクはゆっくりと立ち上がり、のそのそと森の外へ向かって歩き始めた。


「目星はある。だが、あの森を離れる訳にはいかない」

「御神木とやらがあるからか?」

「それもある。朝の土地にあり、月の魔力の恩恵を受けることが出来るのもあの木のおかげ。仲間も故郷と同じ環境のこの森を随分気に入っている。夜の地に我等の居場所は既にない。ならばせめてこの地で…」


 僅かな余韻を残し、耳を左右にピクピクと動かして愁いを帯びた瞳で森の外に差し込む暖かな日だまりを見据え、モロクは徐々に歩く速度を速める。しっかり掴まるといいと言うと、地を蹴り漆黒の旋風となって王国を目指す。

 目まぐるしく後方へ流れていく風景を眺めながら、シンは呟く。


「うぇ、気持ち悪ぃ…」


****


「シンの馬鹿、女誑し、人外魔境!」


 リリスは興奮冷めやらぬ様子でしゃくりあげながら思い付く限りの悪口を言いまくる。


「いい加減、落ち着いたらどう?何だかんだで承諾してくれたんだからさ。…ほら、木苺食いなよ」


 フランはリリスの前にバスケットを差し出して何とか落ち着かせ、機嫌を取る。


「アンタも、その、ありがとな。シンに頼んでくれて」

「礼には及ばないよ。僕は世間知らずに世間を教えるようシンに頼んだだけだから」


 にこやかに微笑みながら言い放つフィリップの言葉にフランがどういう意味かと問おうと口を開きかけた時だった。


「ウオォォォォォォン……」


 悲しげな遠吠えが森に木霊した。


「敵襲だ!」


 フランはそう叫ぶなり、血相を変えて近くの木に登り位置を確かめる。森の入口付近からうっすらと黒煙が上がっているのを確認すると、即座に木々の枝を跳ねて渡りながら現場に向かう。リリスとフィリップも慌ててその後を追った。


「敵って…、ついに狼さん達を追い払いに国が動き出したのでしょうか?」

「その可能性が高いね。仮にガーナ王国の討伐隊なら早くしないと食い殺されるかも」

「それはそれで駄目ですよ!」


 あははと笑いながらフィリップは前を向き――途端、笑みを消し叫ぶ。


「リリス、危ないっ!」

「え?」


 隣を走るリリスを突き飛ばし、その上にフィリップが覆い被さる形で地面に倒れる。刹那、魔力を圧縮した光の線が一直線に突き進み、木々を貫いて消えた。


「あ、ありがとうございます…。今のは魔法…?ガーナ王国か軍国の仕業でしょうか?」


 頭の中が真っ白になりながらも何か喋らなければと思い、リリスはどぎまぎとしながら必死に言葉を紡ぐ。フィリップは光が来た方向に視線を向け、神妙な面持ちで首を横に振った。


「…いや、両国ともあんな難易度の高い上級魔法は使えないはずだよ」

「二人とも、大丈夫か!?……何だ、お約束の展開にはならないんだな。胸揉むとか、キスするとか」


 そこへ先を行ったはずのフランが駆け寄って来て二人を見るなり、一体、何処でそんな知識を身につけたのか、つまらなそうな表情を浮かべて小さく舌打ちした。フィリップは一瞬無表情になったが、やがてため息を吐きながらリリスからそっと離れる。


「胸があれば、の話ね。ないから。全然ないから」

「あぁ、成る程…」


 フランはリリスの胸元を見て得心したように柏手を打ちながら頷く。癪に障る納得仕方といい、女版シンだとむくれながらリリスは話を逸らした。


「フランは木々を渡っていましたけど、大丈夫でしたか?」

「咄嗟に上に跳んだから別に何ともないけど…」


 そう言いつつ、フランは頻りに鼻をひくつかせた。


「血の臭い…」


 愕然とそう呟くと、フランは一目散に駆け出した。二人もその後を追い、森を駆け抜ける。程なくして視界が開けた。

 辺りは不気味なほど静かで、穏やかだった。風が頬を撫で、差し込む暖かな日差しが心地好い。


「森の外…?」

「違う。此処ら一帯の木々や草花が全部焼かれたんだ」


 呆然とするリリスの呟きをフィリップは即座に否定し、目の前に広がる光景に顔をしかめる。

 入口付近の木々は全て焼き尽くされ、辺りは焼け野と化し、焦土は血を吸って赤黒く染まっていた。辺りには狼の亡骸が転がっている。

 そこは地獄と日常がごちゃまぜになったような異質な空間だった。

 幽鬼のように姿の透けた二メートルほどある白銀の騎士が悠然と立ち尽くし、顔全体を覆うヘルムの細い縦長のスリットがついた部分から先程の光線を一定の間隔を空けて森に放っていた。


「詠唱無しの自動魔法オート・マジックと造形魔法の複合…?」


 火属性の自動魔法"炎の連弾"と造形魔法"土塊ゴーレム"。リリスもシンとの戦闘の際、使用した魔法である。しかし、かの魔法はこの二つの魔法とは訳が違う。

 魔力には魔素と呼ばれる六つの属性の素となる元素のようなものがあり、自動魔法の場合、詠唱によって各属性の自動魔法が発動する。つまり、詠唱は属性を決めるキーワードで、自動魔法は詠唱により詠唱者の声に含まれる魔力が空気中の魔力と結合し、連続して発動する仕組みとなっている。

 かの魔法の発動を見た訳ではないから憶測に過ぎないが、光属性の造形魔法に自動魔法を組み込むだけでなく、命じなくとも状況に応じて行動するよう恐らく他の魔法もいくつか組合わさって造られている。魔法の才のある限られた者しか成し得ない高度な魔法だ。


「帝国魔法騎士団…。何で、こんなところに…」


 森が破壊される様子を後ろで見守る二十人余りの数少ない人間の兵士が纏う白銀の甲冑に刻まれている帝国の紋章を見てフィリップは愕然としたように呟き、震える拳を握る。その視線の先には目の前で繰り広げられる破壊の光景を見つめる長身の男がいた。

 他の兵士達とは異なる出で立ちの彼はフィリップの視線に気付いたらしく、ずかずかとこちらに向かって来る。


「ほぅ…。そこに居るのは我が愚弟フィリップではないか」


 彼はヘルムの奥で目を細め、笑いを噛み殺すと、止めよ、と厳のある声で魔造兵に命じる。すると直ぐさま魔法の一斉射撃が止んだ。


「ご無沙汰しております、ニコラスお兄様」

「相変わらず平凡だな、お前は」


 ニコラスと呼ばれた彼は顔を覆うヘルムを取り、フィリップに嘲笑混じりの言葉を投げ掛ける。


「…この人、フィリップのお兄さんなのですか?」

「ブリュンヒルト帝国第三王子ニコラス・ローレッジ。異母兄弟だよ。因みに僕は四番目。五人兄弟なんだ」


 ニコラスはフィリップとは違い、凛々しい顔立ちの貴公子といったの風貌である。どちらかと言えばシンに通ずるところがあるような気もするが、冷たい眼差しといい、口元に浮かぶ人を見下したようなニヒルな笑みがそれを打ち消していた。


「ウォイ、フィリッープ!オレサマニ、挨拶ハナシカ。コノ、ブレイモノ!」


 遠くから見た時には気付かなかったが、ニコラスの肩には九官鳥が留まっていて、キンキンと甲高いだみ声で早口で喋りながら翼を広げて威嚇する。


「キューちゃんも、お変わりなく」

「ウムッ!…トコロデ、シンハ、ドウシタ?ウォイ、シーーーン!!」

「少し黙れ、キュー。耳が痛い」


 ニコラスの叱咤に九官鳥のキューは分からない振りをして小首を傾げる。


「本人…本鳥の希望でね、それぞれ呼び名が違うんだ」

「偉い鳥さんなのですか?」

「うん。僕等兄弟の友達。目が赤いの分かる?キューちゃんはね、見た目は九官鳥だけど世にも珍しい魔鳥なんだよ」


 九官鳥は頻りにマチョーノ、キューチャン、マチョーノ、キューチャンと繰り返している。

 色々な意味で勝ったと内心拳を握るリリスをニコラスは一瞥し、鼻を鳴らす。


「隣にいるのは…。お前の課題か?」


 ナイフのような冷たく鋭い眼差しがリリスを射竦める。思わず身を強張らせたリリスを庇うようにフィリップは一歩前に出た。


「…だったら、何だと言うのですか?」

「兄に向かって随分生意気な態度をとるようになったな。流石、あのならず者が傍にいるだけのことはある」

「………ッ!」


 フィリップが虚仮にされたのが悔しかったからなのか、シンを卑俗な輩と言われたのが腹立たしかったのか、一気に頭に血が上るのが分かった。

 混乱する頭で何とか言い返そうと口を開くが、リリスが物を言うより先に、殺意を剥き出しにしたフランがニコラスの前に飛び出す。


「オイ、そこのお前ッ!よくも、よくも皆を…」


 なかまの亡骸にずっと寄り添っていたのだろう。白のローブは胸元から裾まで血に染まり、尚も服から滴り落ちる血は足元に血溜まりを作っている。

 激昂するフランに、ニコラスはおどけたように肩を竦めた。


「キューが食われては困るからな」

「オオカミ、コワイコワイッ!キュー」


 次の瞬間、フランは絶叫しながらニコラスに飛び掛かっていた。

 肉体を貫かんばかりの凄まじい蹴りを魔造兵がフランの前に立ちはだかり自身の白銀の装甲を盾に阻む。


「くそ、固いッ…!」


 蹴った反動をバネに後退しようとしたフランの足を魔造兵が掴んで思いっきりぶん投げる。弾丸の如く勢いで吹っ飛んだフランを慌ててリリスが魔具の瞬間移動を発動させ、身を呈して受け止めた。


「いっ……。今度こそ、本当に、大丈夫ですか?」

「殺す!絶対に殺してやる!」


 吠えるフランにニコラスは憐憫の眼差しを向ける。


「無駄だ。銃弾も君の蹴りも含めてただの物理攻撃は通用しない」

「やってみなきゃ、わかんないだろ」


 リリスの制止を振り切ってふらふらと立ち上がると、下肢に力を入れて天高く跳躍する。


「身動きの取れぬ空中に自ら向かうとは愚かな…。やれっ!」

「させませんっ!」


 光線を発射しようと上を向いた魔造兵目掛けてリリスは炎弾を放つ。炎弾は見事魔造兵の顔面に当たり、その視界を遮るばかりか、放とうとしていた自らの光線までも内で爆発させた。


「はぁぁぁぁぁッ!!」


 更にフランの重力を糧にした強烈な踵落としが脳天に炸裂し、真っ二つに割るが、魔造兵はすぐに再生してしまう。


「効いてない…!?」

「光の性質は透過。だからどんな物理攻撃も光には通用しない。その性質を利用して身を守る時は魔力を一カ所に集めることで部分的に実体化して防ぐんだ。あの魔造兵は魔力が切れるか闇の魔法で覆わない限り死なないよ」

「知っているならフィリップも何とかして下さいよ!」

「……………。」


 リリスの叱咤にフィリップは唇を噛む。ニコラスはその様子を鼻で笑った。


「そいつは傍観するしか能のない出来損ないだ。攻撃魔法が一切使えないのだからな」

「デキソコナイ、デキソコナイ」

「そんな…。攻撃魔法が使えないって本当なのですか?」


 リリスの問い掛けに対し、無言で肯定するフィリップをニコラスは蔑むように目を細める。

 その隙を狙ってニコラスの背後で息を潜めて気配を消していたフランが一気に距離を詰めると羽交い締めにした。


「ぐっ…!?」

「これなら、あのデカイのも手出し出来ない!仲間の仇、思い…」


 言いかけて、ニコラスの姿が蜃気楼のように薄らぎ、空気に溶けてゆくのに気付く。ニコラスだけではない。周りの空間が波紋のよう静かに揺れ、虚構の景色は揺るやかに崩壊する。代わりに、フランの吐息がかかるほどの至近距離から魔造兵がこちらを見下ろしていた。


「幻術…」


 目を見開き、唇から気の抜けた声が漏れる。


「「フランっ!!」」


 ――白い光が辺りを包み、弾けて消えた。

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