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暴君勇者と良心的な魔王  作者: ノア
旅路編
25/26

◇魔王降臨 Ⅷ

「リリス?」

 声をかけられ振り向くと、タキシード姿の少年が立っていた。

「そ、そうですが……」

 にこにこと人懐っこい笑みを向けられ、リリスは戸惑う。記憶にないが、名前を呼ばれたということは知り合いなのだろうか。どうやらダンスの誘いというわけではないようだ。残念なような、ほっとしたような複雑な気持ちになりながら失礼にならない程度に少年をまじまじと見る。色白で丸みを帯びた輪郭に、綿あめのようにふわふわとした癖のある茶髪には見覚えがあった。

「……もしかして、フィリップですか?」

「もしかしなくても僕だよ」

 裸眼だと相当視力が悪いのか、手を伸ばせば届く程の距離だというのにフィリップは目を細めている。リリスがぽんと柏手を打つと苦笑を浮かべながら肩をすくめた。

「眼鏡が無いから分かりませんでした。いつもより王子様っぽいですね」

「ありがとう。そう言ってくれたのリリスだけだよ。他からは完全に給仕人ボーイだと思われてるみたいで、しきりに空になった杯とか皿とか渡されるんだよね……」

「あははは……。確かに、そう見えなくもないですね」

 眼鏡無いとそんなに違うものかなとぼやくフィリップに、そうですねと相槌を打つわけにもいかないので、ただ愛想笑いを返すしかない。そんなリリスの心情を知ってか知らずか、フィリップは柔らかく微笑んだ。

「ドレス、似合ってるよ。すごく綺麗だ。一瞬、別の人かと思ったよ」

「あ、ありがとうございます……。も、もう! いつも罵倒ばかりされていると、いざ褒められたとき照れますね。し、シンだったら絶対にそんなこと言ってくれませんよ」

「シンだって褒めるときは褒めるよ。いつものは挨拶みたいなものだから。昔からああだもの」

 当時を思い出しているのか、フィリップはまるで失敗談でも語るかのようにくすぐったそうに笑う。

「長い付き合いなのですね」

「シンと出会ってから十年は経ったかな。と言っても、実際の付き合いとしては一二年くらいなんだろうね」

「?」

 小首を傾げてフィリップを見てもこれ以上話す気はないようで、笑い返される。帝国にいた頃の二人の話を聞こうとするといつもこうだ。特にフィリップは。

「別に、どうせ身代わりですからいいですもん」

「その、リリスを信用してないわけじゃなくて……。聞いてもどうしようもないというか、僕も言いたくないというか……」

「いいですよ、言わなくて。そんなに後ろめたい話なら聞きませ……シン?」

「え?」

 フィリップの背後を見つめ、リリスは小声でそう呟く。

「すみません、ちょっと行ってきます!」

 言い終わるやいなや、リリスは残っていた酒を一気に飲み干し、半ば強引にフィリップに押し付けるようにして空になった杯を渡すと踵を返して何処かへと去っていく。

「えっ、あの、リリス!?」

 状況を把握出来ていないフィリップは、手渡された杯を抱えてしばらくあたふたしていたが、杯をテーブルに置くと慌ててリリスの後を追いかけた。

「シンは何処に?」

「向こうから風が吹き込んできたので、恐らくバルコニーに向かったと思うのですが……、人が多くて……」

「分かった。そういうことなら向こうまで送るよ」

「え、送るって……」

 どういうことですかと問う間もなく、フィリップはリリスの手を取って軽やかにダンスの輪の中に入って行く。

「此処から横断した方が近いし早いよ」

「そ、そうかもしれませんが……。踊れませんし、それに……」

 婚約者(ミレア様)を差し置いて踊るわけには……と冷や汗をかきながら心の内で呟く。しかし、例え移動手段だとしてもこうして輪に入ってしまった以上、婚約者より先に踊っているという事実は覆らないのだが。

 後で必ず謝ろうと心に決めて恐る恐るミレアの方を横目で見ると、ちょうどサシャが話しかけているところだった。流石に周りの音で会話の内容までは分からないが、何やら二言三言話した後、サシャがミレアの手を引いて大広間を後に――。

「心配しなくてもちゃんとリードするって。僕もそんなに踊るの上手くないけど……って、どうしたの?」

「いえ、お気になさらず。ちょっと、言葉になりません」


****


「シン、来ていたのですね」

 吐く息が白い。寒さにぶるりと身を震わせながらリリスは遠慮がちに声をかける。

 シンはバルコニーの手すりに寄りかかり、闇に沈む白亜の都を眺めていたが、リリスの声に少しだけ首を傾けて彼女を一瞥すると、すぐに視線を街並みに戻す。しかし、再びあの旋律を口ずさみはしなかった。

「フランが誘ってくれてな。美人の誘いを断る訳にはいかねーだろ」

「そ、そうですか……。何というか、流石、シンですね」

 だろ? とシンは得意げに笑ってみせるが、いつもの勝ち気な笑みではない。それを少し寂しく感じながらリリスはゆっくりとシンの隣に歩み寄り、アークティの街並みに目をやった。

「どんな景色だったのでしょうね……」

「景色より、海鮮料理の味の方が気になるんじゃねぇの?」

「うっ! そ、それも気になりますが、とにかく今は景色です。人のいない夜は、こんなにも暗いのですね。建物の白さが霞むほどに。……何だかお汁粉みたいで、見ているとお腹が空きます」

 また作って下さいねと無邪気に笑うリリスに、シンは結局食べ物じゃねぇかと思ったが言わずにおいた。

「アークティはな、昼間も綺麗だが夜もまた良いもんだ。日が落ちると家の軒下とかにぶら下げてあるランプに火が灯される。船も先頭の飾りに工夫がしてあって、淡い橙色に光ったりしてな、そんなんが蛍みたいに暗い川を往き来してる様は幻想的っつーか、神秘的っつーか……。地味に思う奴もいるが、俺は嫌いじゃねぇ。見たことねぇけど」

「見てないのですか!?」

「おう。町民Cから聞いたままを伝えた。臨場感あっただろ」

 飄々と言ってのけるシンに何も言い返す気にもなれず、リリスはため息を吐く。

「だから、ちょっと残念だな。ようやく見れると思ったんだが」

「また来ればいいじゃないですか。シンは、この旅が終わったらどうするのですか?」

 首を回してシンを見ると、シンは嘲笑を浮かべ、リリスの額を指で弾く。

「元に戻ってるっつー保障はねぇだろうが。まっ、俺は今まで通り、自分の好きなようにするさ。お前はどうする? 村に帰って領主でもやんのか?」

「い、いえ……。まだそこまでは……」

 そうかとシンは空を仰ぐ。

「ありがとな」

「え?」

「サシャが部屋に来た時自白した。あいつ等にひと泡吹かせるとはやるじゃねぇか。まっ、あいつ等も悪気はねぇんだけどよ」

「は、はぁ……」

「何だよ、いつもなら何か言い返してくんだろ」

 そう不満げに文句を言われても、話が唐突過ぎる。

「シンが素直にお礼を言うなんて、やっぱりまだ体調良くないじゃないですか」

 お望み通りつっけんどんに言うと、シンは一瞬面食らったような表情をしてから、そうそう、その調子だと鷹揚に頷き、さも愉快げに笑った。

「もう! 何様のつもりですか」

「何様って……。暴君勇者様に決まってるだろ」

 当然とばかりに胸を張って言い放つ。リリスは一瞬だけぽかんとした表情でシンを見つめていたが、すぐに肩を小刻みに震わせて笑う。そんなリリスの姿を見て、シンもつられて笑った。

 ――良かった。いつものシンだ。

 ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭い、リリスはシンに向き直る。

「切角来たのに、踊らないのですか?」

「過労で体調崩してんのに、んなことしたら余計悪化するっつーの。俺は見る専なんだ。美人を拝むのが目当てだから此処で十分」

「でしたら……」

 もっと近くで見ればいいのにと言いかけたが、すぐに考えを改める。シンなりの配慮なのかもしれない。

「お前は踊らないのか?」

「私はダンスより食事目当てですから。こんな所にいつまでもいたら、体を冷やして風邪引いちゃいますよ」

「花より団子か。俺としてはちょうど良いくらいだ。お前の方が余程寒そうだな。風邪引くぞ」

 言い終わるやいなリリスの返答を待たずに着ていた上着を脱ぎ、羽織らせる。

「あ、ありがとう、ございます……」

「どうした、やっぱ熱でもあんじゃねーの? お前が礼を言うなんてよ」

「私は言いますよ、お礼くらい! それに、熱があるのはシンの方です!」

 あぁ、もう。ちょっと見直したのに。リリスは頬を膨らませてむくれる。そんなリリスを見てシンはまた笑った。

「やっぱ、お前は赤が似合うな。切角綺麗に着飾ってんだ。食い意地張ってねぇで、一曲くらい踊ってこいよ」

「き、綺麗ですか……?」

「おう」

 即答だった。さも当然のように言われてしまい、頬が熱くなる。綺麗も似合っているも、所詮は社交辞令に過ぎないというのに。それに、あのシンが素直に褒めるなんて何か裏があるのかもしれない。

「服が、ですか?」

「あ?」

 疑心暗鬼に陥り、おずおずと聞き返したリリスをシンは心底呆れたような顔で見下した。

「服も、だ。バーカ」

「……シン」

「何だよ」

「いっ、一曲、踊りませんか?」

 此処でいいので、と小声で呟き、上目遣いでシンの顔色を窺う。シンは凍りついたように身じろぎ一つしなかった。

「シン?」

 リリスの呼びかけに、ようやくシンは我に返った様子で、ぷいっとリリスから顔を背ける。

「女の誘いは受けねーよ」

「そ、そうですよね……」

 あからさまにがっかりしてしゅんと肩を落とすリリスを見かね、シンは面倒くさそうに、「と言いたいところだが……」と付け加えた。

「なんでも、女性から誘いを受けたら断っちゃいけねぇらしいからよ」

 フツーは女の方から誘わねぇがなと肩を竦め、リリスの方に向き直ると手を取り、そっと甲に口づける。その仕草があまりにも自然だったから、リリスは思わずシンの顔を凝視してしまった。視線に気づいたシンは口端を吊り上げて意地悪く笑う。

 その笑みを見て確信した。これは女性を口説く時の常套手段なのだ。ドキドキしてしまった自分はまさにシンの思うツボではないか。そう思うと少し悔しい。

 腰に手を回され、抱き寄せられる。密着すると心臓の鼓動が伝わってきて目眩がした。酔いが回ってきたのかもしれない。頭の中で気泡が弾けているような不思議な感覚。夢心地、というのだろうか。ただ思うのは、無性に――。


 ――……あぁ、喉が渇いた。


「どうした?」

 シンの声に遠退いた意識が呼び覚まされる。リリスは二三度目を瞬かせ、静かに顔をほころばせた。

「やっと、女って認識してくれましたね」

「安心しろ。俺がどう思ったところで、お前が生物学的には女であるという事実は覆らない。…………言っておくが、踊れねぇからな」

「私もです」


 微かに聞こえてくる喧騒と華やかな音楽に身をゆだねる、甘く優雅な一時――

「おい、貧乳、テメー、確実に俺の足狙ってね!? 舞踏会って、基本、ワルツじゃねぇの? つか、これは最早、舞踏じゃなくて攻防戦だろ。ワルツにあるまじき音鳴ってんぞ。タップダンスなら一人で踊れ」

「ね、狙ってませんし、タップダンスじゃないですもん! シンの方こそ、避けてないでちゃんと踊って下さい!」

 ――のはずなのに、そうはならないから不思議だ。ダンスというより最早攻防と化したやり取りを、お互い文句を言いつつも止めようとしないのだから不思議だ。

「踊れないっつー範疇超えてんぞ。何か、根本的に勘違いしてないか?」

「蝶のように舞って、蜂のように刺すのだと教わりましたが……」

「刺したら元も子もねぇだろ」

 肩で息しながらシンは原因はそれかと呆れながらため息を吐く。

「いっその事抱えた方がいいな」

「え?」

 ふわりと身体が浮き上がる。突然の出来事に頭が追いつかない。

「あの、ちょっと……シン!? お、降ろして下さい……!」

「んな恥ずかしがらなくとも、別に誰も見てねぇよ。こうしてるとアレだな。赤子をあやしてるみてーだな」

 羞恥で顔を赤らめ、ぽかぽかと胸板を叩くリリスを見ながら、シンは子供のような無邪気な笑みを浮かべ、曲に合わせてくるくる回る。

「こんなことなら、町民Cに習っときゃ良かったな。あいつ、一応王子だからそれなりに踊れるんだぜ。なんなら、誘ってみたらどうだ? あぁでも、ミレアがいるからな……。ミレアといえば、サシャの奴はちゃんと誘ってんのか?」

 前半はリリスに、後半は誰に言うわけでもなくぶつぶつとシンは独りごちる。

 実はミレア様を差し置いてもう踊りました、サシャさんも今し方踊っていますと言うのも気が引けて、リリスはぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。

「その、こんなことを言ってはお二人に申し訳ないのですけど、お似合いだと思うのですが」

「そりゃ、町民Cよりはな。上辺だけの言葉じゃ、ミレアお嬢さんはオチねぇよ。結局、外に行っても変わらねぇんだな。……当たり前か。まっ、どうでもいいけどよ。おい、そろそろ戻んねーと風邪引くぞ」

「は、はい。シンも早く戻らないとダメですよ……って、どうかしましたか?」

「おい、貧乳。お前、魔族だから目ぇ良いし、夜目利くんだろ? あれ、サシャとミレアじゃね?」

「えっ!?」

 シンの視線を追えば、そこには確かにサシャとミレアの姿があった。リリスの表情から確証を得たと悟ったシンは、ニタァ……と悪魔のような笑みを浮かべ、口笛を吹く。

「外に連れ出すとは、サシャもやるじゃねぇか」

「い、いいのですか……? その、フィリップの婚約者、なのですよね?」

「ミレアお嬢様には悪いがな、町民Cはそこまでの好意をお嬢様に持っちゃねぇよ。所詮、親が決めた婚約だからな。押しの強い幼なじみ……熱烈なファン、ってところか」

「でも、ミレア様は……」

「思い込みだ」

 一瞬の迷いもなく、シンは即答する。

「この子が将来あなたの夫となる人です。両家の為に仲良くしてくださいって言われて納得できるか? ガキのうちは問題ねぇかもしれねぇが、あの年頃になればその意味が嫌でも分かる。恋人が実は血の繋がった兄だったみたいなパターンだな。友達と思ってた奴が生涯の伴侶になるんだぜ? 本人の意思に関係なく。逆らえる立場なら駆け落ちでもなんでもすりゃあいいが、立場上そうもいかねぇ。まっ、相手が知り合いな分、まだマシか。誰か好きになることが出来ないっつーのは、どういう感じなんだろうな」

「どうしてフィリップなのですか? ミレア様の本当の気持ちは分かりませんが、少なくともサシャさんは、言葉は嘘でも、彼は本当にミレア様を愛しています」

 ちったぁ自分で考えろよと面倒くさそうにシンは髪を掻きむしり、重いため息を吐く。

「帝国の第一王子とスィロン家の令嬢って組み合わせも悪くはねぇがな、釣り合わねぇんだ。大人の事情って奴でな、第一王子とミレアお嬢様がくっついてもみろ。スィロン家は王家と同等の地位を手にする。需要と供給で保たれていた利害関係が崩れるどころか、転覆の可能性だって無くはないんだぜ? それだけの財力と権力をスィロン家は持ち合わせてる。ただ、残念なことに帝国を敵に回せるほどの武力がねぇんだわ。そりゃあ、元は武器商人だから武器はあるが、魔法と比べりゃ武力なんて無いに等しい。しかし、それも相手の懐に潜り込んじまえば関係ねぇ。だから、帝国としても町民Cとの結婚が望ましいと判断した訳だ」

「でも、フィリップが帝王になればそうもいかないのでは……」

「…………。」

「……つまり、フィリップに王位を継承させる気はないということですか?」

「そーいうこった。まぁ、これはあくまで王位が争われる前の話。王位継承争いは誓約をもって交わされた取り決めだ。誰も覆すことは出来ねぇよ」

「……本当に、そう思ってます?」

 どうしてそんな言葉が出たのかリリス自身不思議だった。これまでの王家や帝国に関係する話を聞いたからだろうかとぼんやりと思う。

「あぁ、思ってる。この取り決めが覆ることはない。だが、やろうと思えばいくらでも結果を変えることは出来る」

「例えば……?」

「――例えば、旅の最中に王子が死ぬ、とかな」

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