◇魔王降臨 Ⅵ
(あぁ、またやってしまった――)
進歩しないなぁ、オレ……と、サシャはがっくりと肩を落としながら行く当てもなく気の赴くままに屋敷内をさ迷っていた。
あくまで注意を呼びかけるつもりで、しかもあわよくば先程の件を謝るつもりでさえいたというのに、更にこじらせるという最悪の結果を招いてしまった。何故ああも挑発的な態度をとってしまうのか自分自身理解に苦しむ。
「はぁ……。うわっととっ……!」
何かに蹴躓く。足元からくぐもった苦悶の声が漏れるが、いかんせん足元が暗いので、目を凝らしてもよく見えない。壁に掛けられた燭台にはちゃんと火が灯っていて、辺りは十分に明るいのだが、位置が高すぎて肝心の足元が照らされていないのが難点だ。
「……サシャ、か」
「シン? ゴメンゴメン、まさかこんな所で行き倒れてるとは思わなくて。驚いたよ」
「空から降ってきた奴にだけは言われたくねぇな」
軽口だけは相変わらず好調のようだが、体力が尽きたと見えて、いくら待っても一向に起き上がる気配がない。体調は思いの外悪いようだ。 この短時間で一体何をどうすればここまで悪化するのかと疑問に思いながら、サシャは肩を貸す。
「部屋は?」
「西棟二階の、四番目」
唸るように絞り出された言葉は弱々しく、照らされた横顔は蒼白を通り越していよいよ白い。
サシャは分かったと頷き、珍しく引き締まった表情で前方を見据え――そのまま動かなかった。
その場から中々動こうとしないサシャを怪訝に思い、シンは囁くような小さな声でどうしたと問う。
「シン、行きたいのは山々なんだけど――」
その声色はひどく真面目で、切羽詰まっている。
「――……此処は、何処かな?」
真顔で問うサシャに、シンは何も言わずに遂にここまで来たかと言わんばかりの憐憫の眼差しを向けた。
「うわ、凄いな……」
ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは荒れた果てたと表現しても差し支えないほど物で埋め尽くされた室内で、何が入っているのか分からない木箱が数個、まるで子供が積み木で遊んだ後のように無造作に置かれている。
物置代わりの部屋なのだろう。それは一目瞭然だ。足の踏み場もないというほどではないにしろ、所々に物が散乱している。アークティに行くにあたっての荷物が四割で、道中で買ったと思しき物が六割。配置が雑になっているところを見るに、恐らく、あのおっちょこちょいな使用人がどの鞄に何をしまったのか忘れてしまい、手当たり次第漁った結果――がこれなのだろう。
いくら物で溢れかえっていようと、まだ十分にくつろげるだけの空間がまばらに残っているのだから、物置として使用されるのも頷ける大部屋だ。申し訳程度にしか片付けられていないのが丸分かりだが、如何せん急な来客なのだ。文句を言える立場ではない。
「何のお構いも出来ねぇが、まっ、適当にくつろいでくれ」
そう言ってシンは床に横たわりながら、そこら辺に散乱している衣類をちまちまと綺麗にたたみ始めた。言ってる側からお構いしてどうすると心の中で突っ込みながら、サシャは床に散らかっているまだ畳まれていない衣類をシンの手の届かない所まで遠ざける。
「何もしなくていいから、シンは大人しく休んでくれ。頼むから。しかし、くつろげと言われてもね、この環境でそれは至難の業だよ」
肩を竦め、辺りを見回すと、そこら辺にいくつも転がっている木箱の一つを椅子代わりにして座る。
「それ、中身爆弾らしいぜ?」
シンの指摘に視線を落とせば、確かに木箱の側面にはご丁寧に赤い塗料で『爆弾』と書かれていた。引きつった笑みを浮かべながらサシャは浮いた腰を下ろす。
「……座るくらいなら大丈夫でしょ。多分」
「そうであることを祈っとく。しっかし、ミレアの奴、マジ油断ならねーな。物が散乱してんのも実はわざとで、そこら辺にブービートラップとか起爆装置仕込んであるんじゃねぇの?」
「流石にそれは……」
無いでしょと言い切ることが出来れば、どれほど良いか。ミレアならやりかねない。
はははと互いに青ざめた表情を浮かべ、乾いた笑みを漏らす。
――……笑えねぇ。
内心、そう思いながら。
「この空間でくつろいでたら死ぬんじゃない?」
「かもな。そんな気がしてきたぜ」
シンは真顔で頷いてゆっくりと身を起こすと、そばに置いてあった木箱にもたれかかる。
場を和ませる為の冗談も変に現実味を帯びていて、二人の間に重たい沈黙が横たわった。
「――ねぇ、リリスちゃんって、何の種族?」
「やぶから棒に何だ」
そんなの本人に聞けよと非難がましい視線を向けられ、サシャは困ったように頬を掻く。
「魔族って、巨人族とか、亜人とか……人間以外の色々な種族の蔑称な訳でしょ? 少なくとも人間にとっては。だったら、魔族は魔族でも、リリスちゃんは何の種族なのかなって思うのは自然な流れだと思わない?」
「だから、そう思うなら俺じゃなくて本人に聞けよ」
「察してくれよ。色々あって今オレ、総スカンなの」
「またお前は……。自業自得だろ」
年長者が何やってんだかとため息を吐かれ、サシャは苦し紛れに笑って誤魔化す。それを見たシンは胡乱な視線をサシャに向け、盛大に舌打ちすると、ボリボリと頭を掻いた。
「混血種だな」
「それは種族じゃないでしょ」
冗談なのかそうでないのか、どちらともとれる返答にサシャは思わず苦笑する。
そんなサシャの反応は織り込み済みらしく、シンは怒るでもなくそうだなと苦笑を漏らして「まぁ、聞けよ」と諭す。
「魔族は、魔力を奪うことが出来る。魔力ってのは俺が言うまでもないだろ。魔族が魔力を奪う手段は共食いつって……」
「全ての魔族が行うわけじゃないけど、中には共食いをする種があるってのは知ってる。それで魔力を奪うんだろう? 確か、血を飲むんだっけ。干からびるまでさ。血に魔力が含まれているからね。肉も食らうけど、それはおまけだとかなんとか……」
「勉強嫌いのお前にしては、やけに詳しいな」
「そりゃあ、夢だったからね。魔族になるの。今となってはその必要はなくなったけど。魔力と血の因果関係も、身をもって知ってるし」
改めて勉強する必要はないよとサシャは緑色の目を細めて笑う。
「――最近はどうだ、体の調子は?」
「おかげ様で調子良いよ。寧ろオレが聞きたいくらいだ。聞かなくても大丈夫じゃないのは分かってるから聞かないけどね。それで、魔族の共食いと混血種のリリスちゃんに何の関係が? まさか、魔族の全種族の血が流れてるとか言う気かい?」
「まだ分かんねぇけど、その可能性がある。魔力は魔族にとって力であり生命そのものだ。その食った種族の長所的なもんを取り入れててもおかしくねぇ」
「それだと、魔王は魔族の頂点に君臨した者に与えられる称号っていうより、全種族を共食いした奴に与えられる称号って方がしっくりくるよね。獅子っぽくて。けどさ、魔族がいくらオレ達より魔力の容量がデカいからって、いくら何でも全種族の血を受け入れられるほどの器はないでしょ」
「さぁな。魔族の魔力の容量なんぞ誰も量ったことねぇからなぁ。魔力の漏洩で死んだって話も聞かねぇし」
ここにきて拍子抜けするほどあっさりと話を切り上げたシンに、サシャは「えぇ~」と情けない声を上げ、脱力した。
「ずるいなぁ、そういうの」
「作りが根本的に違う。比較するのがそもそもの間違いだ」
シンは人間と魔族の身体構造の差に不満があるのだと思ったらしく、返答はにべもない。
「現に貧乳は万能型だし、些細な感情の変化で魔力の漏洩が起こるから魔力量は結構なもんだぜ」
「それが本当だとすると、魔王の血を引くリリスちゃんもその恩恵を受けている可能性があるっていうのは頷けるね」
深いため息を吐きながら居住まいを正すサシャを一瞥し、シンは引きつった笑みを浮かべた。
「……目、笑ってねぇぞ」
サシャは聞いているのかいないのか、両手を組んで前に突出し、伸びをしている。
「んー、そうだね。ちょっと、視野に入れる程度には本気かも」
「お前の事情なんか知るか。とにかく斬るな」
「情でも移った?」
「そんな癪に障る物言いするから嫌われんだよ」
不快だと言わんばかりに眉をひそめ吐き捨てるシンに、サシャはゴメンゴメンと謝りながら両手を上げて降参のポーズをとった。
「これで、あいこでしょ?」
「お前な……」
「オレ、斬るしか能がないから」
その言葉にシンは複雑な表情を浮かべ、サシャを見た。何か言いたそうに口を開くが、結局零れたのはため息だけだった。
「それは別にどうでもいいが、お前、剣売ったんだろ」
「あっ。……シン、物は相談だけど、その剣」
「後で絶対後悔するだろうが、それでもいいなら貸すぞ」
剣帯に差していた鞘ごと引き抜き、柄をサシャに向けて差し出す。まるで初めて手品を見た子供のように、サシャはシンの顔と剣を交互に見つめた後、目を瞬かせた。
「そう変に期待を持たせる言い方されると迷うんだけど……」
言葉とは裏腹に、へらりと困ったように笑いながらサシャは迷いなく手を伸ばした。その手が柄に触れるすんでのところで、シンは差し出した剣を素早く引っ込める。
「お前は、本当に馬鹿だな」
漏れた吐息は嘆息だったのか、安堵だったのか。あるいは両方か。空を掴んだ手を開き、もう一度握る。そこで会話は終わるはずだった。
「――別に、良かったのに」
その一言がなければ。
「何が」
「五人いるんだから、一人くらい」
ようやく会話が途切れる。しばしの沈黙。その沈黙はまるで雪や雨のように静かに、そして着実にしとしとと降り続いていた。
吐き出した言葉を捕まえる術はなく。サシャは言って初めて何を言っているんだと自問する。
何でそんなことを言ってしまったのか分からなかったが、後悔よりも清々しさの方が先に立った。不思議ではなかったが、それはそれで不快だ。言うにしても、そんな試すような真似はするなとか、そんな言葉にすればよかったのに。何だ、結局、後悔してるじゃないか。
「安心したのは、お前の方だろうに」
短い独白。シンは白い顔を上げてサシャを見据える。続く言葉が断罪だとでも思っているのか、サシャは顔を背け、僅かにたじろいだ。
「同じことを、母親や兄弟達の前で言えんのか」
その言葉に、サシャは打ちひしがれたように無言で目を伏せ、項垂れたまま首を横に振る。
「ごめん……」
「お前はいちいち辛気臭さいんだよ。お前の辛気臭さで服が湿気っちまったらどーしてくれる」
「いや、それはないと思うけど……」
口答えするなと一蹴し、シンは腕を組んで苛立たしげに人指し指で小刻みに腕をトントンと叩く。サシャは叱られた子供のように背を丸めて縮こまっている。
「だから、前に言っただろ? ごめんじゃなくて、」
ほれ、と手を差し出す。サシャは狐につままれたような顔で差し出された手を見つめていたが、急にその顔をくしゃくしゃと歪め、いつも以上に情けない笑みを浮かべてその手を握った。
「……ありがとう」
「ほら、さっさと謝ってこい。んでもって、そのぐしゃぐしゃな顔を晒して思いっきり軽蔑されろ」
「もう十分過ぎるほどされてるよ。全く、誰のせいだと……いや、オレ等が悪いんだけどさ」
頭を掻き、とつとつとさりげない風を装って言葉を紡ぐ。話す気はなかったが、どうせ何れ知れることなのだ。話せば怒られるだろうが、気は楽になる。もう何もかも吐露して楽になりたい。しかし、その状態まで追い込んだのは紛れもなく自分自身だ。
自分本位だと自己嫌悪に陥り、サシャは深いため息を吐いて口を閉ざす。
「意味分かんねー。またなんかやらかしたのかお前等。相変わらず、ギスギスしてんなぁ。遠慮せずに話せよ、減るもんじゃねぇんだし。まぁ、お前の友好度は減るだろうが気は楽になんぞ。気にしたところで今更だ」
「シンの体調のことで言い合ってたら、ちょっと度が過ぎたみたいでさ。リリスちゃんに泣いて怒られて、ミレアに軽蔑されて平手打ちも食らったよ。その後魔族のことを言いに行ったけど、また言い過ぎて追い出された。まぁ、場所が衣装室だったっていうのもあるだろうけど」
「もう、どこから突っ込めばいいのか分かんねーよ……。つか、衣装室行くなら誘えっての」
「いや、覗き目的で行ったんじゃないんだけど」
「いやいや、どう考えても覗き目的でしかねぇだろ。んで、言い訳は魔族が来てる、何か対策を講じておけってか? く、苦し紛れにしてもひでぇ言い訳だな! このスケベ野郎!」
真面目に取り合っているのかそうでないのかはこの際気にしないとして、自分としては結構深刻かつ重大な悩み事を涙が出るほど爆笑――文字通り、笑い飛ばされてしまえば、すっかり反論する気が萎えてしまった。それ以上に今はシンを殴り飛ばしたい衝動に駆られている。
シンは目尻に浮かんだ涙を拭い、窒息するかと思ったぜと空を仰いだ後、サシャを見た。
「まっ、何かあったらその時はその時だ、潔く腹括れ」
「元よりそのつもりだけど……シンは、よくそんな悠長に構えてられるね?」
「そりゃ、剣の達人がいるからな。フランもいるし、いざ戦闘となっても心強いぜ。お前は強いんだから、何とでもなる。それでもどうにもならなかったら、俺が何とかしてやるから……」
言いかけて、目眩が。世界が一転する。
「……、――――……!?」
サシャが何か言っているが聞き取れない。目の前が暗くなる。冗談じゃない、それだけは勘弁だ。
――何かが一筋、頬を伝った。
(……泣いてんのか?)
そんな馬鹿なと、がむしゃらに腕を動かす。びちゃっと音がして、目を覆っていた何かを払い退けた。
ようやく晴れた視界に映ったのは、小さな手だった。手を握っているのか握られているのか定かではないが、とにかく温かい。
「ルーナ……?」
「ん」
ルーナは小さく頷き、シンが払い落としたタオルを拾い上げると、この部屋にあったと思われる桶の中に戻す。しばらく水に浸した後、十分に水を含んだタオルを力一杯絞り、再びシンの額に置き直した。それでもタオルはまだ水を含んでいてぽたぼたと水が垂れてくる。
何だ、ただの水滴か。一瞬でも涙と勘違いした自分を馬鹿らしく思い、シンは人知れず自嘲の笑みを漏らす。
どれほど時間が経ったのだろう。身を起こそうとすると、ルーナが今にも泣き出しそうな表情でこちらを見てくるので大人しく横になる。ベッドは物に占領されているので、固いとも柔らかいとも言えない絨毯の寝心地は実に微妙だ。
「……一人で来たのか?」
「んーん、フランといっしょに来た」
そうかと頷き、 布団代わりにかけられているフランの赤いマントをたぐり寄せる。 目だけを動かして部屋を見回すが、フランどころかサシャの姿まで見あたらない。正直、奴等の不在よりも、来た時以上に部屋が荒れていることの方が個人的には気になるところだが。
「あいつ等、何処行った?」
「むー……。分からない……。二人とも、口げんかしながらどこか行っちゃった」
「じゃあ、ずっとチビ一人で看病したのか。偉いな」
頭を撫でてやると、ルーナは嬉しそうにえへへと微笑み、その感触を確かめるように自分の頭に両手を乗せる。
目を細めてその様を見守っていると、何やら廊下の方が騒がしくなってきた。
「――大体、アンタがずっと部屋にいるからシンが休めてないんだよ」
「それは認めるけど、フランちゃんだってこうして訪ねているじゃないか」
「冷やかしで来てるアンタと違って、ボクはれっきとした看病でーす」
乱暴にドアが開き、火花を散らしている二人の視線がシンに注がれる。
「「シン!!」」
途端に二人は驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべる。フランは駆け寄ろうとするサシャの足を引っかけて転倒させると、シンの手を握って心配そうに顔をのぞき込む。
「シン、部屋に行く前より体調悪化してない? はい、これ。薬湯。作ってきたから飲んで」
「そう思うなら休ませてくれ。わざわざ訪ねてくんじゃねーよ。おう、わざわざ悪ぃな。あんがと」
湯気立つ椀を両手で包み一口すすると、薬湯が五臓六腑に染み渡り、体の芯がじんわりと温かくなっていくのが分かる。ようや生き返った心地がして、シンはほっと息を吐いた。
「で、何の用だ」
「あのさ、あー……うん。やっぱいいや」
問われてフランは少し躊躇うような仕草をした後、思い切って身を乗り出したが、結局、何でもないという風に笑いながら手を振る。
「はぁ? 変な気遣いはすんなよ」
「いや、その、こっちの話だから気にしないで。と、ところで! シンはさ、今晩、舞踏会やるって話聞いてる?」
こいつ、言いやがったと口には出さず、起き上がったサシャは頭を抱えた。
「マジかよ。おい、サシャ。お前、知ってたんなら先言えっつーの」
「病人には縁もゆかりもない話だろう? 時には諦めも肝心だって」
持ってきた水枕を拾い上げながら、そう言うと思ったから言わなかったのにとため息を吐くが、その前の言葉から既にシンは聞いてはいないようだった。
「舞踏会つったら、美人より取り見取りで、手ぇ握れるわ、密着出来るわ、最高じゃねぇか」
「冗談抜きで死ぬよ?」
「んなもん例え死んでも行くっつーの。つか、死なねーし。勝手に殺すなし」
子供のように駄々をこね始めるシンに、ぴくぴくとサシャの目元が痙攣する。
一言苦言を呈しても歯牙にもかけない相手だ。些か荒療治だが、一発殴って気絶でもさせてしまおうかと物騒なことを考えていると不意にくいくいと袖を引っ張られた。
「確か、ルーナちゃんだったかな。どうしたの?」
しゃがみ込み、目を合わせればルーナは少し恥ずかしそうにもじもじと俯きがちに尋ねてくる。
「サシャは、まほー教えられる?」
「うーん……。教えるのはちょっと。フィリップの方が……あぁ、でも魔法使えないんだっけ。オレも似たり寄ったりだけど、そうだな、此処なら魔力判定くらいなら出来るかな。それでもいいかい?」
「ん」
こくこくと何度も頷くルーナの頭を撫で、サシャはシンの方に向き直った。
「というわけで、ルーナちゃん、少し借りるよ。……どうせ何を言ったところで無駄だから止めはしないけど、次会う時今より悪化してたら叩き斬るから」
「ハッ。そういうことは剣を手にしてから言うんだな。お前ら、くれぐれも無理はすんなよ」
「……お互いにね」
微苦笑と共にドアが閉まる。
「それじゃあ、ボクも……」
閉まったドアを見つめ、フランも立ち上がろうとしたが、手を引かれて引き留められる。
「側に居てくれ」
淡々とした声色。
「一人は、嫌だ」
そこから滲み出ている寂しさを、ようやく言葉にしてくれた気がした。
答えの代わりにフランは淡く微笑んで、繋いだ手を握り返す。 窓から差し込む夕日を浴びてその髪は黄金に光輝く。
意外だとは思わなかった。たまたま居合わせたからでも何でもいい。その事実があればそれでいい。ただ、嬉しかった。
照れているのか、シンはそっぽを向いている。顔が赤くなっているが、要因がありすぎてこれだと断定出来ないのが残念だ。
「……笑いたきゃ笑え」
「そんなんじゃないってば。頼ってもらえたのが、ちょっと嬉しくて。床じゃ寝心地悪いでしょ。膝枕してあげる」
「それはありがたいが、寝るつもりはねーよ」
「いつも寝てないじゃん。ボクと会う前からそうでしょ」
「夢見が悪くてな。不眠症とまではいかないが、必ず眠りが浅い。眠りが浅いと夢を見る。その悪循環でしまいには寝るのが嫌になった。暗いのも苦手だ」
「ふ~ん。じゃあ、いい夢が見られるようボクが歌ってあげる。シンが目を覚ますまで一緒にいる。ずっと手を繋いでるよ」
「……ありがとう」
黄昏から夕闇へと移ろう空を眺めながらそう呟くと、シンは静かに目を閉じる。
それを合図にフランは息を吸い込む。最初は囁くようにゆっくりと。透明感に溢れた歌声が哀愁を帯びた旋律を紡いでいく。
子守唄とも鎮魂歌ともとれる優しく哀しい歌だった。
「――あら、一体誰が歌っているのかしら。歌もだけれど、綺麗な声ね」
「そうですね。何を歌っているのでしょう。何だか、哀しい歌のようにも聞こえます」
「今の言葉じゃない。昔の言葉とも違う……。誰かが創作した言語? だとしたら、一体何のために……」
誰もその唇が紡ぐ言葉の意味を知らなかった。ただ一人を除いては。
(この唄は……)
微睡みの中、シンは無意識に微笑む。
この歌の歌詞を――物語を知っていたから。
(あなたは、残せたんだな)




