◇魔王降臨 Ⅴ
「あ、あれ? あなたはメイドのヘレンさん……。どうしてこんなところに?」
「ひぇぇっ!な、何でフィリップ王子がこんなところに……?」
二つの声が重なった。
こんなところに、と言っても此処は廊下。フィリップは応接室から出て来たところで、ヘレンはミレアの元に戻るところだったと考えれば合点が行く。居ても何らおかしくないということに気付き、赤面した二人は黙って俯く。
気まずい沈黙がしばらく続き、それに耐えかねたようにヘレンが先に声を上げた。
「わ、私はキリタニ様にお部屋をお伝えした帰りで……、ミレア様のところに今から戻ろうと……。あっ、あの、キリタニ様に何か用事でも?」
「い、いや、僕も地下の書庫に行く途中で……。 シンに用事なら今は無いけど、後でアークティについて分かったことを報告しに行こうとは思ってるよ。シンは後で 自分から聞きに行くって言ってたけど、具合悪いんだから安静にしてもらわないと。あの、顔色悪いけど、大丈夫?シンの移ったとか?」
「い、いえ……。その、お気遣いありがとうございます。大丈夫です」
「そ、そっか。あの、シンの部屋って何処かな?」
「そ、その、西棟二階の四番目の部屋です。フィリップ様は三階の空き部屋をお使い下さい」
追い出されたり隠し事をしたりと後ろめたさから、フィリップとヘレンは互いに妙にオドオドしながらぎこちない問答を繰り返していた。
はたから見ても十分に不自然な態度であるのは互いに承知していたが、相手も同じ態度だと不信を抱くより先に何故か安心感がある。もしかしたら性格上の共通点により親近感が沸いたのかもしれないと 、ちらちら目が合う度に何だかくすぐったい気持ちになりながら、二人はいつの間にか自然と打ち解けて話していた。
「シンの部屋、男子衣装室の隣なんだね……」
「ミレア様曰く、多少騒がしい方 がキリタ ニ様には丁度いいとのことで……。あ、あの、キリタニ様のことですが、やはり体調が優れないとのことで、しばらく部屋でお休みになるそうです。だから、誰も立ち入るなと……」
申し訳なさそうに言うヘレンにフィリップは気にしないでと手を振って微笑むと、ずれた眼鏡を中指で押し上げる。
「分かったよ。教えてくれてありがとう。それじゃあ僕、書庫に行くから。お仕事、頑張ってね」
「いえ……。お気をつけて」
その背中を見送ってヘレンはほっと胸を撫で下ろす。
上手く嘘はつけただろうか。訝しがられなかっただろうか。嘘をつくのは苦手だ。隠し事をすれば顔に出ているとすぐに指摘されるし、挙動が不審だと自分でも思う。
暗澹たる気持ちで歩みを進め、角を曲がり応接室の前に到着する。深呼吸を一つ。気を静め、ノックをしようとした時ちょうどドアが開いた。
「あら、ヘレン。どうかしたのかしら」
「ヘレンさん……。顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「ミレア様……。リリス様も」
皆口を揃えて顔色が悪いと言う。心配そうにヘレンの顔を覗き込む二人に、そんなにも自分はひどい顔をしているのかとヘレンは驚いて目を瞬かせた。
「だ、大丈夫です。すみません、リリス様……。大変恐縮ですが、ミレア様に報告したいことがありますので先に行っていただいてよろしいでしょうか?」
「そういうことなら。えっと、どう行けばいいんでしたっけ……」
「来た道を戻り、玄関ホールにある階段を上っていただいて東棟まで行くのが一番の近道ですが……。回り道をするならば、この廊下を進んだ先に階段があるので二階まで上がっていただくと正面の壁に案内がありますわ」
「分かりました。では、先に行っていますね」
リリスの背中が見えなくなるのを待ってからヘレンはミレアの方に向き直る。対してミレアはヘレンに背を向けて窓辺に寄ると、夕闇に沈みつつある白亜の都を眺め始めた。
用件を無言で問うミレアにヘレンは一瞬やや戸惑うような素振りを見せたが、すぐに普段の様子からは考えられないほど落ち着いてしっかりした声色で報告し始める。
「帝国の使者が屋敷に来ています。目的は私達ではないようですが。……如何なさいますか?」
「そうですか。恐らくは零機関の者でしょう。用が済めば 消えるはず。気にする必要はありません」
「分かりました。あ、あのぅ、零機関とは……?」
気にする必要はないと釘を刺したのに本当に分かっているのかしらとミレアはジトっとした目でヘレンを見たが、ヘレンは神妙な面持ちで返答を待っていた。引き下がる気がないと見て仕方なくミレアは口を開く。
「零機関は帝国において帝王様の支配下に置かれていない完全な独立機関ですわ。故に詳しいことは分かりませんけれど、帝国の第三勢力といったところかしら」
「なのに、帝国の紋章を掲げることが許されているのですか?」
「零機関は帝国のために存在する組織。噂によれば機関独自の紋章があるらしいのですが、彼らは好んで帝国の紋章を掲げているとか。お父様曰く、私達帝国支持者が束になっても財力も権力も機関の足元に及ばないらしいですわ。とはいえ、帝国に喧嘩を売らない限り零機関が動くことは絶対にないでしょう」
言いながらミレアは知らずドレスの裾を握り締めていた。ガラス越しに移る自身の顔が悲痛に歪んでいることにも気付かず思索に耽る。
――逆に、動いたということは帝国に反旗を翻す輩を見つけたということ。只事ではないのは言うまでもありませんが、機関が奴にまで招集をかけたとなるといよいよ不吉ですわね。それほどまでに相手の力が強大なのか。それとも……。
スィロン家の当主でもない自分が何を思ったところでなす術はない。分かりきったことでも、それを少し歯痒く思いながらミレアはため息を吐いた。
夕日に照らされて煌めく美しい銀の髪に橙色に染まる憂いを帯びた主の横顔を、ヘレンは胸が締め付けられるような思いで見つめる。
「し、しかし、帝王様が手出し出来ないなら、その零機関の人が暴走しないか心配ですね……」
「逆ですわ。帝王様が暴走しないよう見張るのが、いえ、見張るのも機関の役目。貴女が他人の心配をするなんて、一体奴にどんな甘言で 誑し込まれたのやら」
「そ、そんなことはありません……! とても具合が悪そうだったので……。それに、言うなと言われましたが、こうしてミレア様に報告していますし……、まぁ、ミレア様に報告するのは当然ですが……。しかし、ミレア様も詳しくは知らないとおっしゃられていましたが、十分お詳しいような……」
「機関に知り合いがいますから」
しれっとした口調でとんでもないことを言い放った女主をヘレンはほうけた顔で思わずまじまじと見つめ返してしまった。余程その顔が面白かったのか、ミレアは耐え兼ねたようにぷっと吹き出す。
「冗談ですわ。零機関の行動に目に余るものがあるのは確かですが、それでもシン・キリタニのことなら心配する必要はありませんわ。これに関 して は私達に介入の余地はありません。…分かったなら、準備に戻りなさい」
「畏まりました」
安心したようにヘレンは胸を撫で下ろすと一礼し、気遣わしげにリリスが去っていった廊下を見る。そしてもう一度ミレアに頭を下げると踵を返して持ち場へと戻って行った。言わんとしたことを察し、ミレアは天井を見上げた。
「――……そういうことですので、このことは他言無用でお願いしますわ。少々お待ちいただけるかしら? 折角ですから一緒に行きましょう」
****
地下の書庫に近づくにつれ、闇は次第に濃くなりインクや紙の独特の匂いが鼻につくようになってきた。
ランプを持ってくるべきだったと今更のように後悔しながら、フィリップはズレた眼鏡を押し上げる。
眼鏡をかけているとはいえ、視力はあまり良くない。一寸先も見えない暗闇の中、手すりにしがみつくようにながら恐怖に笑う膝を懸命に動かして慎重に階段を降りた。
しかし、いくら降りても果てなく続く階段に、本当に果てはあるのかと段々不安になってくる。
地下書庫へと続く階段は大理石のような固い素材のもので出来ているらしく、一段ごと降りる度にカツン、カツン……と自身の足音が辺りに反響する様が余計フィリップを恐怖へと駆り立てた。
降りること五分。ようやく触れた硬い床の感触に安堵しながらほっと胸をなで下ろしたのも束の間、
(だ、誰かいる……?)
全身が強張る。シンのように何かの気配を読める訳ではないが、長いこと暗闇の中に居たせいか闇の中にぼんやりと人影らしきものがいるような気がした。
距離は一メートルほど。逃げようにも膝が笑って走れそうもない。どうすることも出来ずにただ身構えていると、向こうもこちらに 気付いたらしい。暗闇の中で何かがうごめく。
「おや、フィリップ王子。このようなところに何か御用ですかな?」
ぼぅっと明かりが灯り、柔和な顔つきの老人の顔がぼんやりと浮かび上がる。
聞き知った声に、喉元までこみ上げた悲鳴を何とか飲み込んで、フィリップはぎこちない笑みを浮かべた。
「ろ、ロヴェンさん……。僕はその、アークティについての資料を読みに来ました。ロヴェンさんはどうして此処に?」
似たような会話を数分前にもしたなぁと思いながらフィリップは小首を傾げる。舞踏会の準備にしても、わざわざ書庫になど足を運ぶ必要はないはずだ。
訝しむフィリップに、ロヴェンは「ほっほっほっ」と穏やかに笑い、皺の刻まれた手であごを擦った。
「ここだけの話……。サボっておりました」
「で、でしょうね」
気の利いた返答が思い付かず苦笑しているフィリップに、ロヴェンは「若いですなぁ……」と浮かべた笑みを更に深める。
その謎めいた笑みから逃れるように視線を逸らせば、地下を迷路のように覆う本棚の数々が目に飛び込んできた。
感動のあまり言葉を無くすフィリップをよそに、ロヴェンは説明し始めた。
「当主様は帝王様の古くからのご友人でして、ここには友好の証として帝王様から寄贈された禁書が保管されているのです。勿論、魔法で厳重に風雅してありますから、当主様以外読むことは出来ませんが…。仕事の合間に此処で本を読むのが私の密かな楽しみなのです。何事も程々に。それが長生き秘訣ですな」
「は、はぁ……。良いんですか? 準備、ヘレンさん一人じゃ大変ですよ。色々な意味で」
「準備……?はて、何かありましたかな?」
ロヴェンは思い当たる節がないらしく、顎を擦りながら小さく唸る。どうやらミレアからまだ連絡が行っていないようだ。その原因に心当たりがあるフィリップは居たたまれなくなったが、ぶんぶんと首を左右に振って平生を装う。
「あの、ミレアが舞踏会を急きょ開くことにしたから、使用人のお二人はその準備をしてほしいとのことでしたよ」
「そうでしたか……。全く、ミレアお嬢様の我がままにも困ったものですな。唐突過ぎていけない。そうそう、アークティについて の本をお求めでしたら、そこの棚にある本は全てアークティについて書かれております。では、私は準備に戻りますので……。このことはくれぐれもご内密にお願いします。……まぁ、例え知れたところで老い先そう長くはありませんから一向に構わないのですが」
などと独りごちながらロヴェンはゆっくりと階段を上がっていく。
足音とランプの灯りが遠退き、辺りが再び完全なる暗闇に閉ざされる前にフィリップは慌てて袖から本を取り出すと頁をめくった。
「光を司りし精霊よ。この地に宿り我を助けよ」
フィリップの声に呼応するように本の間から光が溢れ、中から小さな光の玉が飛び出す。
「よ、良かった…。呼び出せた…。ごめんね、こんなことで呼び出して」
フィリップの呼びかけに、光の精霊は問題ないというように小さく点滅を繰り返しながら周りを旋回する。
それを見たフィリップは小さく微笑んで、ロヴェンに教わったアークティについての資料が収められた本棚に向き直った。
まず、一番上の段の棚から見る。
本棚はどれも身長が低い者に対する配慮が感じられる設計になっていて、一番上の段に置かれた本でも全く届かないということはない。
しかし、それでもフィリップより少し背が高いので、つま先立ちしながらフィリップは本の背表紙を指でなぞった。その動きに従って光の精霊もふわふわと横に移動する。
『世界の童話』
『せいれいおうとしょうねん』
『歌謡全集』
『アークティの歴史』
「『アークティの歴史』……。まずはこれにしようかな。それにしても、何で子ども向けの本が混ざってるんだろう。ミレアが捨てるなって駄々をこねたのかな。それともヘレンさんが片付ける場所間違えたとか? うん、どっちも有り得えるかも」
一人納得すると、フィリップは自分より少し背の高い位置に置かれた辞書のように分厚い本をつま先立ちして何とか取り出し、その場に座り込んで本を広げた。
「ねぇ、どうしてアークティ一だけ水が無くなってしまったのか、君は知ってる?」
文字を目で追いながら何となく光の精霊に尋ねれば、光の精霊は文字を照らしつつ、困ったように八の字を描く。
「ははっ、もっと高位の精霊を呼び出せるようにならないと流石に会話は無理か……。まだ戦闘の役には立てないけど、僕にもっと力があればシンも少しは楽できるよね。うん、頑張ろう。今はまず、僕に出来る限りのことを」
****
「リーズ、来るかな……」
何度も来た道を振り返り、繋いだ手をぎゅっと握りながら不安そうにフランを見上げる。
「心配しなくてもその内来るよ。ボク達までヘコんでたら皆調子狂うって。だからさ、ここはいっちょボク達の美貌でぱぁっと景気付けしてやろう」
「びぼーで、けーき付け……!」
目を輝かせながら言葉を反芻するルーナの頭を撫で、フランは目の前のクローゼットを開く。
「しっかし、思った以上に色々あるね、流石はお嬢さま。考えてみればドレスなんて着たことないけど、どれが良いとかあるのかな……」
クローゼットの中には色とりどりの様々なドレスが並んでいて、フランは口笛を吹きながら端から端まで眺めた後、手前の一着手にとって見る。
綺麗だと思うし、着ることに興味がないわけじゃない。しかし、シンが体調不良で舞踏会に来ない可能性もあるし、着たところで踊れないのだ。シンが冷やかされる要因にだけはなりたくない。
「舞踏会はイブニングドレスなど夜会服を着て参加するのが通例ですが、今回はあくまでアークティの皆さんの憂さ晴らしが目的ですし、ドレスの数も限られていますからどうなんでしょう…」
後ろから聞こえてきた声にフランはほくそ笑む。同時にルーナが嬉々とした表情を浮かべ、叫んだ。
「リーズ! ミレアも!」
「お待たせしました」
「来るの、もっと遅いかと思ってた。大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
心配されるって何だかくすぐったいですねと照れるリリスに、フランは両手を頭の後ろに組んで意地悪く笑う。
「へへっ、前みたいに魔力が漏出して火災を起こされても困るからね」
「もう……。流石にそこまで感情的になっていませんよ」
「そーかなぁ~?」
にやにやと含み笑いを漏らすフランをよそに、リリスは拗ねたようにそっぽを向く。
二人のやり取りを微笑ましく見守っていたミレアは手を叩いて話を元に戻した。
「今回の主役はあくまでアークティの皆様方ですから、それなりの格好であれば問題ありませんわ。第一、アークティの皆様方全員分のイブニングドレスは流石にないので、服装を指定してしまってはかえって嫌味にしかなりませんから」
「シンはどういうのが好みかなぁー。やっぱ、胸とかが強調されてるようなやつとか、露出多いやつかな」
フランは気に入った黄緑色のドレスと黒のドレスを交互に見る。
「でしたら、イブニングドレスをお勧めしますわ。元々、舞踏会など夜の催しには肌を見せるドレスが正 装とされています。とはいえ、袖の無いものやくるぶしまでの丈のもの、逆に足首まで丈があるものなど様々ですわね。後は靴や宝石など装飾品でより魅惑的で品のいい女性ら しさを出すのが淑女の条件ですわよ」
「でもさー、その割には生地が厚くない?」
フランは黒のドレスの裾を摘みながら不満を漏らす。
生地の厚さを感じさせない星空を彷彿とさせるドレスだが、生地が厚いのが気に入らないらしい。
ミレアは困ったように眉尻を下げ、頬に片手を添えてため息を吐いた。
「東の気候上、夜は急激に気温が下がりますから例え厚地のドレスであっても肌寒く感じてしまいますの。もちろん、暖房は設備済みですけれど、風邪を引いてしまっては後の祭りでしょう?」
「そうだけどさ、」
その時、コンコンッと控えめにドアがノックされた。一旦、会話を中断し、ミレアがどうぞと返事をすると、ゆっくりとドアが開く。
そして現れた人物にミレアは露骨に顔をしかめてみせた。
「あら、サシャ様。一体どの面を下げて来たのでしょうか?男子衣装室なら西棟ですわよ」
サシャは分かってるよと困ったように笑い、誰とも視線を合わせないよう俯きがちに話す。
「一つ、言い忘れたことがあってね。魔族がアークティに来ている。恐らく、リリスちゃんを狙ってね」
「何だよ、アンタ……。喧嘩売ってんの!?」
「や、止めて下さい! 暴力は駄目ですよ!」
サシャの言わんとすることを察し、フランが殴りかかろうとするのを慌ててリリスが止めに入る。
「言ったはずです。客人に対する無礼は私に対する無礼と同じことだと。相手が人間だろうと魔族だろうと、この私が賊の侵入を許すとお思いで?」
「別に、だからリリスちゃんをどうこうするって訳じゃない。オレはただ、ありのままの事実を報告しに来ただけだよ。
分を弁えろというなら、それは寧ろこっちの台詞だけどな。スィロン家の当代でもない君が独断で何かを行える立場にあると?いいかい、ミレア。何かあれば責任をとるのは君じゃない。何かあれば、その責任は君のお父様やお兄様がとることになるんだ」
「ご忠告、恐れ入りますわ。ご心配なく。この屋敷に張られているのは特殊な結界です。我々の許可無しこの別荘に入ることはおろか、近寄ることさえ出来ないでしょう」
ミレアの返答にやれやれと言わんばかりにサシャは肩を竦めてみせた。
「その心意気は素敵だけど、過信は油断に繋がる。努々(ゆめゆめ)、それを忘れないようにね」
サシャはそれじゃあ、オレはそれを伝えに来ただけだからと微笑むと、音もなく去っていく。
閉まったドアを前にぷるぷると肩を震わすミレアに対し、リリスは何と声をかけたらいいか分からずその場に立ち尽くしていた。
「これだから殿方は! 嫌い嫌い、大っ嫌い! 何ですの、あの余裕しゃくしゃくの態度は!? 人を小馬鹿にして! どうせ、私が子供で、女だからって……」
ミレアは癇癪を起こした子供のようにソファーに置かれたクッションを投げたり叩いたりして憂さを晴らす。その声は上擦り、目には涙が浮かんでいた。
「ミレア様……」
「こうなったら、お三方とキャッキャッうふふするしか……!」
「何でそうなるんですかーー!!」
通りすがり、衣装室の中から聞こえてきた叫び声にロヴェンは眉をひそめる。
「おやおや……。またですか」
ため息交じりにそう呟くと、ロヴェンはドアをノックし、こほんと咳払いを一つした。
数秒後。音が止み、中からミレアが出てくる。
「あら、ロヴェン。ちょうど良かったわ。あなたにはまだ伝えていませんでしたが……」
「舞踏会を開くのでその準備を、ということでしたら既に聞き及んでおります」
「あら、話が早くて助かりますわ」
花が咲いたような愛らしく無邪気な顔で喜ぶミレアに、ロヴェンは困ったように微笑んだ。
「それでは、私はこれで……。失礼致します」
「ねぇ、ミレアー。このドレスなんだけどさー」
その時、両手にドレスを持ったフランがひょっこり顔を覗かせる。一瞬だけロヴェンと視線が交差し、フランは虚を突かれたように身を固くした。一方、ロヴェンはフランの反応に不思議そうに首を傾げたが、特に言及することなく一礼すると踵を返して去って行く。
「何か?」
「あっ、このドレス着たいんだけど、どうすりゃいいの?」
「あぁ、そのドレスでしたら……。少々お待ちになって」
ミレアが部屋に戻るのを確認し、フランは去って行くロヴェンの背中を見つめる。そして鼻先をかすめた臭いに首を傾げた。
「血の臭い……?」




