◇魔王降臨 Ⅰ
――ルベア村。
「頼りがないのは良いことなのでしょうが、寂しいものですね」
晴天の空。降り注ぐ日差しを眩しそうに眺めて、ゴブリンのベルゴは額に浮かんだ汗を拭った。
「ベルゴさーん、そろそろ休憩にしましょう。差し入れが届いたらしいですよ。早くしないと全部食われちまいます!」
「ハハハッ、分かりました。種を蒔き終えたらすぐに行きます」
村人の少年は分かりましたと頷き、ルベア村の方へ駆けて行った。
今いる場所はルベア村とヴェノーザ砦の中間に位置する森林である。その一部を田畑として開拓し、種蒔きを終えたところだ。近くには川が流れているため、作業中いつでも喉を潤すことができ、尚且つ水やりもわざわざ井戸から汲んで来る必要もない。そのため村人の負担は減り、空いた時間を家事など他のことに使うことが出来るようになった。村人とのわだかまりも次第に解け、共に畑を耕し時折談笑を交えて、村の復興に当たっている。
「さて、早く行かねば折角の差し入れが食われてしまいますな」
水やりを終え、農作業で凝り固まった肩をほぐしながらベルゴは苦笑した。
「暑いのに精が出るね。感心感心」
「あ、貴方様は…!」
不意に空が翳り風が吹き荒れる。何処からともなく響いてきた声にベルゴは気付けばその場に跪いていた。
目の前にあのお方が立っている。視界に映るのは彼の爪先とぽたぽたと滴り落ちる自らの汗である。頭を上げることが出来ない。彼が放つ高圧的な魔力がそれを許さない。
「久しいね、元気そうでなりより」
「主様…。い、今までどちらに…」
「ところで、愛娘の姿が見えないのだけれど何処に行ったのかな?」
「そ、それは…」
言い淀むベルゴの頭上でため息が零れる。心臓を鷲づかみにされたように呼吸が苦しく、ベルゴは思わず歯を食いしばり土を握りしめた。
「いつからお前は私の代わりにあの子の行動権を勝手に決められるほど偉くなったんだい?」
「も、申し訳ございませ…」
「まぁいい。お前はあの子の代わりにきちんと村人を世話してくれていたみたいだからね。あまり美味しそうではないが、無いよりはマシだ。大目に見てあげよう」
「あ、ありがとうござ…」
ふと高圧的な魔力が消えた。許されたのだろうと歓喜の表情を浮かべ、ベルゴは主の顔を見ようと顔を上げようとしたが、首は萎れた花のように項垂れ、地に転がる。
目を見開いたまま絶命したベルゴの顔を見て、彼は口の端を少し吊り上げ嘲笑を浮かべた。
「何だい、その表情は。まるで私が裏切ったかのような表情だ。確かに私は大目に見ると言ったが、殺さないとは一度も言っていない。本来ならば連帯責任で一族を全滅させるのだけれど、お前の命に免じて一族には手を出さないであげよう」
「――魔王様」
「どうやら噂は本当のようだ。私のリリスは帝国の王子と勇者に連れていかれてしまったらしい」
落胆のため息を吐きながら物憂げに魔王は曇天の空を見上げる。彼の後ろに控える魔族の少年は「蛮族共が…」と怒りで震えながら魔王の背後に跪いた。
「魔王様。それならこのディズィーラめにお任せを。必ずやリリスお嬢様を連れ戻して参ります」
「そうか。なら、お前に任せるとしよう。私は食事を済ませてからそちらに向かおうかな」
***
タバラン崩壊から早くも一週間が経った。一行は帝国を目指し、タバランから東へ向かって歩を進めていた。今は丁度、東南東に位置するノーラ海峡という大陸有数の水域に差し掛かっており、此処を越えれば東である。
夜の大地と朝の大地の中間に位置する西東は双方の影響を受けるため、唯朝と夜が訪れる代わりに寒暖の変化が最も激しく、不安定な気候というのが特徴だ。更にその中間である南東・北東などは天候が二転三転することが常である。しかし、この時ばかりは珍しく晴天の空が何処までも広がっていた。
「ッ………!!」
言いようのない胸の痛みにシンは顔を顰め立ち止まる。
「シン、どうかしたの?」
「いや、何でもねぇ。しかし、よく晴れてんなぁ。これも日頃の行いの賜物だな」
そうだねと相槌を打つフィリップに、シンは足元に落ちていた小石を蹴り飛ばす。石は地面を跳ねながら脇道に転がった。
東の大半は帝国の領土だが、これから向かう東の屈指の名所、水の都アークティは帝国領ではなく小国ミルニスタの領土である。帝国のお膝元であるが故に、領土の一部を観光地として解放しているほど街の治安も安定し、尚且つ土地も肥えているらしい。
「楽しみですね。街の中には水路がいくつも通っていて、船で移動するのだそうですよ。景色もそうですが水芸が有名とベルゴから聞いたことがあります」
「そうそう。僕も一度見たことがあるけど綺麗だったよ。帝国のお膝元だけあって、衣服や家具も最先端のものが取り入れられているんだ」
時折、南の砂漠の熱気が肌を掠めては東の潮風が頬を撫で、髪を弄ぶ。眼前に広がる生まれて初めて見る紺碧の海と磯の香りにフィリップ達は胸を躍らせ、これから立ち寄る水の都アークティへの期待を募らせていた。
「ボクは買い物より食べ物の方が興味あるな~」
「アークティに行ったなら海鮮料理を食べなきゃ損ですよ!海鮮料理なんて滅多に食べられませんから!」
「えー、川で魚釣りゃあいつでも食べれるじゃん」
「それはそうですけど、まず種類が…」
「おいおい、浮かれるのは勝手だが観光目的で行くんじゃねぇんだ。あんまハメを外し過ぎるなよ」
三人の会話を後ろで聞きながら、シンは頭の後ろで手を組み何気なく空を仰いだ。そして不意に立ち止まる。
「ぼーくん、どーしたの?」
「――空の穴だ」
ルーナの問いにシンは譫言のように答え、突然駆け出し、四人を追い越して見晴らしのいい場所へと移動する。何事かとフィリップとリリスは互いに顔を見合わせた。
「南東だと空の穴がよく見えるな。お前等も見てみろよ」
子供のようにはしゃぎながら吹き抜ける風に身を任せ、シンは片手をひさし代わりにしながら空を仰ぎ、振り向いて後方を歩くフィリップ達に呼びかける。それを聞いたフランは、目を輝かせてシンの隣に駆け寄り、同じように空を仰いだ。
「へぇ~、ここら辺はあんま無いんだ。あれって、開いてるとこには沢山開いてるんでしょ?」
「それは…、確か北東辺りだったか。向こうは暗いからはっきりとは見えないらしいぜ」
「シン、フラ~ン、待っててば~!先行かないでよ~」
「もう、二人共少しはルゥのことも考えて下さい。ルゥ、疲れてないですか?」
「ん、へーき」
大きく首を縦に振って頷くと、ルーナはシンの服の袖をくいくいと引っ張る。
「ぼーくん、空の穴ってなぁに?」
「何だ、お前知らないのか。上見てみろ」
シンは一旦しゃがんでルーナに肩車をして担ぎ上げると、真上を指差す。
見上げると、空にぽっかりと大きな穴が開いていた。大きさは一メートルほど。空の色に溶けるようにしてその存在を隠蔽しているが、一度気付いてしまえば何だか常に見張られているような威圧感が降り注いできて、ルーナはぽつりと呟いた。
「なんか、怖い…」
「そうか?まぁ、初めて見るんだしな。俺なんかは見慣れちまって何の違和感も感じねぇぜ」
まるで年の離れた兄妹のようだと微笑ましく思いながら見ていると、視線に気が付いたシンがリリスの方を振り向いた。
「どうした?にやけてんぞ」
「い、いえ別に何でもありません。私も初めて空の穴を見たので少し感動しただけです。あ、あれが境界なのですか?」
「そうだ。正確には、境界っつー表現は適切じゃないらしいが、他に言いようがないとかどーとか。まっ、一般的には空の穴で通ってる。嘘か真か他の世界――異空間、あるいは異次元に繋がってるって話だぜ?」
「大きさも様々で、現在観測されている穴の最小は三十センチ、確か最大で五メートルだったかな?帝国に伝わる古い文献曰く、魔族はあの穴から落ちてきたらしいよ」
何とか誤魔化せたと内心安堵の息を吐きながらリリスは胸をなで下ろした。ルベアを旅立ってもうすぐ一ヶ月になる。慣れとは恐ろしいもので、郷愁の念は次第に薄れ、こうして誰かと外の様々な景色を見て感動を分かち合っているのだ。昔の自分には想像も出来なかった。
そう思いながら気付けばシンの姿を目で追っている自分に気付く。タバランの一件以来、何かとシンの姿を目で追うようになった。
その視線に気が付いたシンと目が合うことも多く、最近はそれに気付いたフランが「何二人して見つめ合っちゃてんの」と茶々を入れてくる。極力気にしないように努めていても、どうやら癖になってしまったらしい。
「じゃあ、リーズのパパやママはあそこから落っこちて来たの?」
「いくら魔族と言えど隕石じゃあるめーし、流石にそれはねぇんじゃね?まぁ、どっちかって言うと魔王なら逆に穴開ける側だろ」
リリスが思案に耽っている内に会話は進み、気付けばいつものようにシンが嘲笑を浮かべるのをフィリップがシンの足を踏み付けて黙らせた。
「い゛っ…!!」
「もう、調子に乗らないの」
「シーーン!魔族かどうかは定かじゃないけど、何か上から落ちてきてるよー!」
「――女か?」
間髪を入れず真顔でシンが問うと、フランは目を細めて対象を確認し、首を横に振る。
「んー…、女子ではないみたい」
「なら、構う必要はねぇな」
「勇者が言う台詞じゃありませんよ、それ!駄目ですって!」
「んなこと言われてもよ、俺はただの人間だぜ?仮に助けるとして受け止めたら骨折れるくらいじゃ済まないっつーの」
「なら、私が助けます!」
意気揚々と挙手したリリスを、フランは意外そうに目を瞬かせ、日頃シンが見せるような意地の悪い笑みを浮かべた。
「本当に?ボクは絶対嫌だなぁ~。全裸だし」
「い、今、何て…?」
「何でか知らないけど、全裸なんだって。ボクよりリリスの方が視力良いんだから、疑うなら自分で確認してよ」
「おいおい、差別は良くねぇぜ、貧乳~?」
全裸と聞いて青ざめるリリスにシンはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、彼女の肩に手を乗せて横に並ぶ。
(ちっ、近いっ…!!)
リリスの顔が火がついたように一気に赤くなったのに気付いたフィリップが慌てて警告した。
「し、シン!今すぐリリスから離れないと大変なことに…」
「あ?何でだよ、ヒガミか」
「ち、違うよ!えーと、それはその…、そう!しょ、処女だから!」
一瞬にしてその場の空気が急速に冷めていく。フィリップとしては、あらぬ誤解を解き、なお且つこういうことに関してとことん察しの悪い友人にリリスの尊厳を傷つけない範囲で少しは女心というものを分かって欲しかったのだが、自分の尊厳が危うくなった瞬間である。
「……………。」
「……………。」
「……………。言いたいことは何となく分かった。要するに男慣れしてねぇのな。町民C、それを伝えるが為に払った代償がデカい上に釣り合わないと思うんだが、大丈夫か?」
「だったら、察してよ…」
その場にしゃがみ込んでのの字を書いていじけるフィリップを、「冗談だ、悪かったよ」と宥めに入る。
「ぼーくん」
「ん?」
何だ、と問いかける間もなく額に手が添えられた手に力が籠もった。ぐっ強制的に上を向かされ、首の骨が嫌な音を立てる。
「いってぇな…!ったく、何しやがる」
「いいの?全裸の、ここに落ちてくるよ?」
「マジかよ、怒鳴って悪かった。街に着いたら何か買ってやる。…それはそうとして。ちび、俺がいいと言うまで目ぇ開けんじゃねぇぞ」
「おー」
話がまとまってもシンは一向にその場から動こうとはしない。リリスが声をかけるべきか迷っていると、シンは目だけを動かしフィリップを見た。
「町民C」
「失敗したらシンが自分で何とかしてね」
長い付き合いだけにフィリップはシンの考えを読んでいたようで、既に結界の準備をしていたらしい。名前を呼ばれると直ぐさまゼリー状の結界が構築された。
全裸の男はその直後に降ってきて、ゼリー状の結界と衝突し反動でもう一度上空へと跳ね返される。結界はあまりの衝撃に耐えきれなかったようで空気に溶けるようにして消えてしまった。
「……………。」
再度落下してくる男をシンはその場に突っ立ったまま上を見上げて確認した。
「やっぱ、男だからな…。別にいいか」
そう呟くとくるりと踵を返して二三歩ほど後ろに下がる。リリスが唖然としている間に男は落下して地面に激突していた。
「な、何やってるんですかー!!」
「仕方ねぇだろ、助ける気力が先に失せちまったんだから。あと三秒くらい保てば良かったんだがな-。こいつは運がなかったつーことで。まぁ、死んじゃねぇだろ。精々、打ち身とかその程度で……あ?」
シンは面倒くさそうにそう言ってから男の方を見た。そして、リリスの方に向き直ってからもう一度男の方を見た。
「シン、どうかしたの?」
「あー…、町民C、ちょっと来い」
珍しく青ざめた表情でシンはフィリップを手招きし、フィリップは不思議そうに小首を傾げながら小走りでシンの隣に立つ。同時に「えっ!?」と驚愕の声が上がった。
「二人でコソコソ話し合って、どうかしたの?まさか、その変態を助けるつもり?」
「いやいや、俺等だって正直関わりたくねぇけどよ…。そうも言ってられねーみてぇだ。なぁ?」
「う、うん…。ご、ごめんね…、本当に。その、この人、多分僕の兄…だと思う」
フィリップは恐々と袖から本を取り出し、フラン達の冷ややかな視線の盾にしながら視線を地面にめり込んでいる全裸の兄に移す。
再び微妙な空気が漂い始めるのを、リリスは手を叩いて何とか切り替えようとフィリップに問いかけた。
「フィリップのお兄さんって、確か上に三人いましたよね。ニコラスさんではないとなると…」
「帝国第一王位継承者サシャ・ローレッジ。つまりは長男だ。剣じゃ、こいつの右に出るものはいねぇな」
「ふーん…。じゃあ、シンより強いの?」
懐疑の視線を投げ掛けるフランに、シンは腕を組みながら大きく頷く。
「当たり前だ。俺なんかこいつの足下にも及ばねぇ。人間の魔法の得意でない奴の中では最強を自負出来るが、こいつは例外だな」
「じゃあぼーくん、この人、ろしゅつきょーなの?」
「……俺の記憶違いでなければそんなことはない。つか、俺がいいと言うまで目ぇ開けるなって言っただろ」
「だって、いつまでも閉じてるの嫌だったんだもん」
一旦ルーナを地面に下ろし、頬を膨らませてむくれるルーナの頭を撫でながらシンはしゃあねぇなとため息を吐く。
「ルゥ、悪い子?いらないの?」
「バーカ。んな訳ねぇだろ。余計な心配すんじゃねぇよ。ガキはガキらしく振る舞っとけ。貧乳、ちびを頼んだ」
「は、はい。ルゥ、私達は少し離れていましょう。変態さんは目の毒ですから」
「目のどく…。ん、分かった」
言葉の意味は分からなかったが、危険であることは何となく分かったのでルーナは素直に頷き、リリスに手を引かれて少し離れた場所まで移動する。
「町民Cはどうだ?こいつのそういう話聞いたことあるか?酒飲んだら脱ぐとか」
「ううん、僕もお兄様のそんな話は聞いたことないよ」
「こいつに限って追い剥ぎに遭ったってことはねぇだろうし、そもそも何で空から降ってくるんだ?」
ガリガリと頭を掻きむしりながらシンはため息を吐き、足先でサシャの腕を小突いた。
「おい、サシャ。生きてるか?」
シンの呼びかけにサシャの指がピクリと反応したかと思うと、目にも留まらぬ速さでシンの足首を掴んだ。
「うぉっ!」
「◆&?!※!?」
「何言ってんのか分かんねぇつーの…」
今日一番の深いため息を吐き、小声で「こいつならやっぱ見捨てときゃあよかったな」とぼやいたのだった。
近くに身を隠すのに最適な洞窟や茂みなどがないのでフィリップが構築した不可視の結界の中でサシャが目を覚ますのを待つ。重苦しい沈黙が流れる中、幸い、五分ほどでサシャは目を覚まし、シンとフィリップの姿を認めると自らの頬を抓り、夢でないと分かるやいなや目を輝かせて喜んだ。
「いやぁ、久しぶりに死ぬかと思った。こんな形で二人と再会を果たせるなんて思いもしなかったな。…この保存食おいしいね!」
シンの替えの衣服に着替えると、余程腹が減っていたのか差し出された携帯食料を次々と胃袋に収めていく。見ているだけでお腹一杯という領域を通り越し、吐き気すら催しかねない食いっぷりにシンは頬杖をつきながらげんなりとした表情でその様を見守っていた。
「あぁ。確かにこんな形で再会を果たすとは俺等も思わなかったわ。マジでトラウマだっつーの、こんちくしょー。つか、お前、剣はどーした?」
「あー…、剣?正直に白状すると、金が尽きたから足しにしちゃった」
あはははと頭を掻きながら好青年らしい軽快な笑みを浮かべて肩を竦めてみせる。それを聞いたフィリップはみるみる内に青くなり、シンは苦虫をかみ潰したような渋面を浮かべ、無言で乱暴に頭を掻きむしる。
フィリップの話では全員異母兄弟とのことだが、フィリップとサシャの容姿はよく似ていた。フィリップがもう少し年を重ねて身長が伸び、顔立ちが大人っぽくなっなら瓜二つになるに違いないと思いながらリリスは二人のやり取りを面白可笑しく見守る。
「お前なぁ…。笑い事じゃねぇよ。仮にも帝国の宝剣だぞ?」
「ん~、いざとなったら買収すれば問題無いかなと…」
「つぅか、お前くらい剣の腕が立つなら、芸でもやって稼げばよかったじゃねぇか」
「あっ、その手があったか。いやぁ、全然気付かなかった。でもこういうのも旅の醍醐味じゃない?オレは別に王位を継ぐ気もないし、気ままに旅したいだけだから」
サシャはフィリップより色の濃い栗色の髪を掻き、フィリップの茶色い瞳やニコラスの青い瞳とは異なるエメラルドのように透き通った緑色の瞳を細めて笑う。
「サシャさんは王位を継ぐ気はないのですか?」
「こちらは…?」
そこで初めてリリス達の存在に気付いたようにサシャはしきりに目を瞬かせ、リリス達を見た。フランは気に食わないという風にチッと舌打ちした。
「町民C、何固まってんだ。紹介してやれ」
「え、あぁ、うん…。えっと…、こちらがリリス、それで、その隣に居るのがルーナ、その隣がフランで…」
シンに諭されたフィリップはハッとしたように背筋を伸ばし、ぎこちない笑みを浮かべ、たどたどしく話しはじめる。声が小さい上にもごもごとくぐもっているので何を言っているのか分かりにくいが、サシャは笑顔のままふんふんと相槌を打っていた。
リリスも最近気付いたのだが、フィリップは割と人見知りな性格のようだ。いつもはシンが進んで話しはじめるから表立つことはないにしろ、初対面の相手を前にした時やや挙動不審になる。
――とはいえ、サシャさんは肉親なのですから、ああも緊張する必要はないと思うのですが…。
不思議に思いながら、リリスが小首を傾げているとシンと目があった。シンはやれやれとばかりにため息を吐き、リリスに目配せする。その意図を察してリリスは小さく頷くとサシャの方に向き直った。
「紹介をいただきました、リリス・ローズマリアです。こちらがルーナ、その隣がフランです」
「ん」
「どーも」
「あははっ!そっか、そっか。皆美人だなぁ~。ご丁寧にどうも、オレはサシャ・ローレッジ。ヨロシク。いやぁ、こんな美人さん達の前で醜態を曝すなんて我ながら恥ずかしい真似を…。しかしまぁ、弟にこんなにたくさん友達が出来るなんて嬉しいね」
「その割にはこいつはよそよそしいし、あんたは空々しいんだけど」
「正直、フィリップに限らず弟達とは式典とかで顔を合わせるくらいの面識だし、廊下とかですれ違ったら挨拶を交わす程度の希薄な兄弟関係だからなぁ。ほとんど初対面に近いんだよ」
「へぇ。でも、それでも改善しようとか思わなかったんだ?」
「おい」
流石にシンも小声で注意したが、フランはぷいっとそっぽを向いてしまう。どうやらニコラスのこともあって帝国の王族に対し反感を抱いているようである。フランの突っかかるような物言いにも動じることなくサシャはただ困ったように笑っていた。
「言い訳と思われても仕方ないし、実際それもちょっとあるんだけど、体面とか人間関係上、あまり例え弟相手…いや、だからこそなんだろうな。親しくする訳にはいかなかったんだ。護衛が煩くてね。話しただけでオレの肉親だろうが構わず毒を盛る輩も沢山いたし」
「あー、そういや、俺も殺されかけたっけなぁ。王位関係ねぇのによ。ったく、とんだとばっちりを受けたぜ」
「シンはサシャさんと仲がよろしいようですが、どのような経緯で?」
「そりゃあ、帝国に連れて来られてこうして旅に出るまでは俺だって城で暮らしてたからな。ローレッジ一家…夫人は除くが、一応全員と面識はある」
リリスの質問に一瞬だけ不意を突かれたようにシンは言葉を詰まらせたが、直ぐさま胸を張って答える。
「へぇ~。流石、シン」
「まぁ、勇者だからな。特別待遇ってやつだ。サシャ、俺等はこのまま東を越えて帝国に向かうつもりだが、良かったらお前も来るか?」
「う~ん…。折角のお誘いだけど、ごめん。帝国に帰るつもりはないんだ。代わりと言っちゃおこがましいけど、東まで同行してもいいかな?アークティには元より寄るつもりだったんだ」
「そうか。サシャがいれば俺も少しは楽できるし別に構わねぇだろ?」
シンの提案にフィリップは一瞬表情を曇らせたがすぐにう、うんと多少目を泳がせながら頷く。
そうと決まればすぐに出発すんぞと張り切るシンをよそに、リリスはずっと気になっていた質問をサシャに投げかけた。
「…そう言えば、サシャさんは何故空から降ってきたのですか?」
サシャはリリスをまじまじと見てからシンの方を振り向き、こちらの会話が耳に入っていないことを確認すると口元に人差し指を当てた。あの二人には内緒にしててねと前置きして。
「――実はね、空の穴の向こうに行っていたんだ」




